知人が北の湖のタニマチをしていたので
最近も何回か噂話をしていたのだが
その知人も認知症などになってしまい、最近になって
表舞台から身を引いた。
僕は、テレビで相撲を
見始めたころというのは
北の湖が強かった頃だったのだが
ひょろっとしたハンサムな貴の花(先代)や若乃花(二代目)が
どうしても勝てなかった憎たらしい相手としてインプットしている。
長岡(後の二代目朝潮)や琴風(尾車親方)ら若手が台頭しても
跳ね返す強靭な肉体が魅力的でもあった。
後に千代の富士が台頭するまでは
彼が昭和最後のヒーローだと信じて疑わなかったくらいである。
歴代5位の優勝回数というのも
ロシア人とのハーフである大鵬に
モンゴル人の白鵬と朝青龍が上位に居るので
日本人としては「注射」の疑惑がある千代の富士に次ぐ
歴代2位であるから凄い人だったのである。
それを物語るかのように
現在も理事長として君臨している。
不祥事の数々は北の湖が最初に理事長だった時代に
あるいは現役だったころの時代からの積み重ねで
起きた出来事である。
よく、いけしゃあしゃあと再出馬して理事長になったもんだねぇ
と僕は幻滅した。
僕の知人のタニマチとやらも身綺麗な人ではなかった。
つまりね
相撲人は表も裏も苦労が絶えない仕事だったと言うことなのよ。
合掌。
元横綱・北の湖理事長が死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3722751
大相撲の第55代横綱として歴代5位の幕内24回優勝を果たした、日本相撲協会の北(きた)の湖(うみ)理事長=本名・小畑敏満(おばた・としみつ)=が20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去した。62歳。葬儀の日程、喪主などは未定。
北海道壮瞥町出身。元大関・初代増位山の三保ケ関部屋に入門し、中学1年だった1967年初場所に初土俵を踏む。左四つでの力強い相撲で順調に番付を上げ、74年初場所に関脇で初優勝。同年名古屋場所後には歴代最年少の21歳2カ月で横綱に昇進した。横綱・輪島とともに「輪湖(りんこ)時代」を築き、「憎らしいほど強い」とも形容された。
東京・両国国技館開館の85年初場所中に引退。横綱在位は74年秋〜85年初場所で、通算63場所は歴代1位。引退後は大鵬に次いで当時2人目の一代年寄を認められた。北の湖部屋を創設して後進の指導に当たった。
日本相撲協会理事などを経て、2002年に第9代理事長に就任した。協会による自主興行での巡業の復活、公傷制度の廃止などの改革を進めた。
一方で、07年に時津風部屋で起きた力士暴行死事件や、けがで夏巡業を休場した横綱・朝青龍(当時)が帰国したモンゴルでサッカーをしていたことに端を発した騒動の際の対応では批判も受けた。08年にはロシア出身の弟子の大麻問題で理事長を辞任し、11年の八百長問題では弟子が関与したため、処分も受けた。
12年の理事選で立候補すると当選し、第12代として理事長に2度目の就任を果たした。14年1月末には日本相撲協会の公益財団法人への移行後、初の理事長になった。
理事長在任中の13年6月には赤い綱を締めて還暦土俵入りを行い、太刀持ちを九重親方(元横綱・千代の富士)、露払いを貴乃花親方(元横綱)がそれぞれ務めた。一方で、13年12月に大腸ポリープの手術のために入院し、15年名古屋場所では両側水腎症のために入院し、途中休場するなど、近年は健康面が心配されていた。【村社拓信】
◇北の湖敏満(きたのうみ・としみつ)
史上最年少21歳2カ月で第55代横綱に昇進。左四つを得意とし、全盛期の体重は幕内平均より30キロ重い160キロ超で恵まれた体を生かした。横綱在位は1974年秋〜85年初場所。優勝回数24回。2002〜08年に日本相撲協会理事長。12年、理事長に復帰した。
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