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2015年02月02日02:07

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未来までは、明るいかな

中学生の時、学校で文化祭のテーマを決める事になって
冗談半分で出したアイデアの
「君は小宇宙を感じた事があるか」
が決選投票まで進んだのだが

「なかなか深い言葉で良いねぇ」
と何も知らない担任に
このままではマズイだろうと思って
「これって、アニメの聖闘士星矢のキャッチフレーズですよ」
とネタばらししてやった。
すると、慌てて決選投票を中止して、僕の案を取り消しにした。

「もう一回、出し直して。アニメからの盗作は良くないでしょ」
と云うので言ってやった。

「決選投票相手のキャッチフレーズは
『明るく、楽しく、激しく』って全日本プロレスのキャッチフレーズでしょ!
何にも知らないのね、先生。」

ということで決選投票はご破算となり、
アイデア出しは中止になってしまった。実際に決まったのは
実にクダラナイ、とりとめもない、印象に残らないヤツだった事だけは
憶えている。

その頃も既に馬場さんは弱くなっていたのだが
ハンセン辺りとタッグを組んで、最強タッグリーグには参戦していて
キマラ組辺りに星を落とす癖に、鶴田・渕組には勝ったり、
田上・川田組に負けたり、星を狂わせることこの上なかった。

8割方、勝負がついた試合でも、ハンセンがラリアットを決めて
馬場がパートナーを押さえたらどうしようもない。
その頃はゴールデンタイムにプロレスをやっててねえ

「プロレスってガチなの?」
って話題で週明けはいつも議論してたなぁ。

当時の全日本は分かり難い。
ガチというよりぶつけあうプロレスだったから
ぶっ倒れるまでぶつかり合うプロレスで
「2.9プロレス」と呼ばれる、限界までフォールを返す闘いだった。

馬場さんだけが特権者だった。
一度、ハンセンが馬場さんに誤爆した時は
流石にもんどりうって倒れていたけれども
皆、馬場さんの足やチョップに自分からぶつかっていくのだ。

あの頃の主力レスラーは、誰一人第一線で活躍して居ない。
馬場さんは60近くまで第一線だったけれども
危険だったと思う。
もう少し、何とかならなかったんだろうか。
新日の「お遊戯」と一線を画していたのは分かるけど
あんなに毎日のように、危ない技を掛けあってぶつかりあったら
未来が削られていくとは誰も思わなかったのだろうか。

文化祭で「明るく、楽しく、激しく」を採用しなかったのは正解だ。
僕はその年の文化祭は何だかんだと理由を付けてずる休みしたのだ。
所詮、やりたいヤツがやれば良いじゃないか。
「お遊戯」の文化祭はまっぴらゴメンだったから。

馬場さん十七回忌、明るく楽しく激しく
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=3253206
<全日本:後楽園大会>◇1月31日◇東京・後楽園ホール

 故ジャイアント馬場さんの十七回忌追善興行が行われた。

 会場には超満員1711人が詰めかけ、休憩時間には、99年のこの日61歳で亡くなった馬場さんの勇姿が場内のスクリーンに流れた。その後、馬場元子夫人(75)や秋山社長ら選手、スタッフがリングサイドで黙とうをささげた。試合には、天龍源一郎や新崎人生、太陽ケアらゆかりの選手も参戦。メーンの6人タッグでは、かつて馬場さんがいたころの明るく、楽しく、激しいプロレスが秋山や渕らで展開された。元子夫人は「亡くなってもう16年って感じ。でもマットを見ると思い出す。たくさんの皆さんがなつかしがって来てくれて幸せです」と声を詰まらせていた。

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