名古屋勤務時代、同僚が大阪に転勤になることになり
「今の内に行っておかねばならない名古屋の店」巡りをしたいと
言うので、夜な夜な飲み歩いて居た。
その時に、最初に行ったのが「大豊飯店」だった。
中国語では「飯店」はほぼホテルを意味していると云うのに
日本ではどういう事か「レストラン」を指すようで
間違いなく、台湾から乗り込んできた筈の大豊が
「大豊飯店」という中華料理屋さんをしているのが面白くて
行く事にした。
行く前から聴いて居たのは
「あそこは特製チャーハン以外は大して美味くない」
という評判であった。
実際、色々なメニューを食べてみたのだが、これといって
特筆すべき美味い料理は何も無い。
ただ、厨房からやたら尻の大きな給仕が料理を運んで来るのだけが
特徴だった。
それが大豊泰昭その人だったのだ。
その夏、同僚が異動して間もなく、大豊は入院してしまった。
白血病だと云う事だった。
知人が言うには「生死の間を彷徨っている」という話で
暫くすると、「何とか落ち着いたようだ」との情報が入って来た。
一年ほどたったころ、オチョボ稲荷の参道付近で
団子屋さんを始めたらしい、との情報を耳にした。
一回、遊びに来て下さい、と知人には案内があったようだが
オチョボ稲荷と云うのは随分と遠い場所にあって
名古屋からは仕事の後に気軽には行ける場所ではなかった。
そのうち、店頭に出てる、団子屋では無かった、など
続報が入ってきていたが
名古屋には「スピードガンの申し子」の小松さんの店が出来たりして
僕はすっかり彼の事は忘れて居た。
暫くすると、大豊の娘さんが宝塚音楽学校に入った、との話を受けて
宝塚音楽学校に行く事になった。
大豊の姿は見付ける事は出来なかったが
まあ、元気なのなら、、、と軽い気持ちで居た。
平成のタイトルホルダーで最初に亡くなる事になったのだろうか。
※入れるのなら、94年と95年のパ・リーグ奪三振王の伊良部が最初。
弟の陳大順も一瞬ロッテに居た記憶はある。
何回かお会いしたが、大豊は人づきあいが上手い方ではなかったと思うが
周りの人には温かく迎え入れられていたと思う。
早世したかと思うと
何だか、寂しい気持ちにさせられるニュースではあった。
元中日 大豊泰昭さん亡くなる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3233082
大豊泰昭さん51歳(たいほう・やすあき=元プロ野球選手)18日、急性骨髄性白血病のため死去。葬儀は近親者で営む。
台湾出身。名古屋商大、中日の球団職員を経て、1988年のドラフトで2位指名を受けて中日入り。尊敬する王貞治氏の一本足打法で活躍し、94年に38本塁打、107打点で2冠に輝いた。
98年から阪神でプレーし、2001年に中日に復帰。02年限りで引退した。通算成績は1324試合で打率2割6分6厘、277本塁打、722打点。
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