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戦争の遺構、戦争遺跡(戦跡)コミュの寺社境内

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 千住宮元町の千住神社にある「八紘一宇」と乃木希典書の「日露戦役紀念碑」です。後者は2つに割れていますが、神社が空襲による火災を受けていますので、その際に熱で割れたのかもしれません。
 この神社にはこういった碑だけではなく、空襲の被害を蒙った銀杏もあるそうですが、寺社境内に戦争の記憶が刻まれているものは多いと思います。

コメント(170)

 野田市上花輪にある香取神社にある、献燈の遺構です。常夜燈でなく電燈であるのが近代ですね。
 さて、その正面に何による献燈であるのか記してあるのですが、写真ではほとんど写らないほどに薄くなってしまっています。しかし、近づくと何とか「大正七八年戦役紀念」と見えました。「役」の文字が少々おぼつかないのですが、シベリア出兵から帰還して寄付された電燈と見なしていいかと思います。
 文字が見づらいのですが、三郷市寄巻にある水神社境内の「忠烈」碑で、旅順攻撃で負傷し1904年08月01日に亡くなられた吉田兼吉という方を顕彰するものでした。
 そして、「忠烈」の題額ですが、最終的には陸軍大将となった福島安正の揮毫で、建てられた当時は参謀次長陸軍中将正四位勲二等功二級でした。
 また、もう1つは日露戦争の記念碑で、復員された方々が建てられたものでした。
 埼玉県の八潮市西袋にある蓮花寺にある個人碑です。
 名前の刻まれている金子源治という方は、満州事変に際して出兵し現地で病気のために亡くなられています。
 そうして、この碑が建てられたわけですが、費用には天皇と皇后からの祭粢料があてられています。
 また、文字は陸軍中将の蒲穆のものですが、金子砲兵上等兵が第16師団だったとすれば、入隊時に師団長であったことになりますので、その関係からかなと思います。なお、病死した時点では師団長は変わっていました。
松戸市上矢切 神明神社(1)

 鳥居の前のところに馬頭観音の石碑があり、日清戦争での徴用に際して、1894年10月に建てられたものでした。
 写真は正面と、右側面に刻まれている文字の一部です。他の石造物が隣接しているので読みづらいのですが、文字自体はあまり風化していません。
 これは、出征した馬たちの武運長久を祈るためのものだったでしょう。
 なお、階段を上がった社殿の前の狛犬が1895年10月のものなので、日清戦争と関わりがあるのかもしれませんが、そういった類の記述は刻まれていませんでした。
松戸市上矢切 神明神社(2)

 皇紀2600年関係の石造物は、石碑と手水舎の水盤がありました。いずれの写真も必要な文字は読み取れるかと思います。
 松戸市の、流鉄小金城址駅西側にある、女体神社にある従軍碑です。
 1911年に建てられたもので、日露戦争直後でないということが珍しい例かもしれません。
 これも小金城址駅西側にある、正福寺にある馬頭観音碑です。
 寺に有ることに不思議はないのですが、馬頭観音の石碑自体は路傍で見かけることも少なくありません。
 1904年のものです。
 金町の葛西神社にはヒマラヤスギがあるのですが、これは1942年に愛國婦人會が奉献したものでした。
 蔵前の榊神社の社号石です。
 1937年に建てられたもので、揮毫は海軍大将男爵の肩書きでの大角岑生でした。
 榊神社の、今度は東側の鳥居のところにある狛犬です。
 台座に「皇紀二千六百年紀念」と刻まれていますが、ここの神社には他にも「皇紀二千六百年」がありました。
 榊神社にある、今度は「浅草文庫」の碑です。
 浅草文庫自体は戦争遺跡とは無関係で、1875年に設けられた図書館の名称で、1882年の閉館後は書籍の多くは内閣文庫に引き継がれました。
 その浅草文庫跡碑が跡地の一角である榊神社境内にあるのですが、建立が1940年でしたので、年号は皇紀で記されているということで紹介してみました。
 榊神社の最終回は、神社南側の大鳥居です。
 1940年の建立ですので、皇紀二千六百年がここにも刻まれているというわけです。
江ノ島龍口寺
銅像下にあります。
献納砲弾。
 葛飾区新宿(にいじゅく)の日枝神社の「戦役記念碑」と皇紀二千六百年記念の「植樹碑」です。
 前者は陸軍大将となった川村景明の揮毫ですから、大正期のものでしょう。
広島県大竹市元町にある疫神社と言う所です、日露戦役の記念のようです。
国旗掲揚塔

 石川遼くんで有名になった松伏町の、田島神社に残る紀元二千六百年記念の国旗掲揚塔です。
国旗掲揚塔建設碑など

 これも松伏町田島神社境内のものですが、「国旗掲揚塔建設碑」と紀元二千六百年紀念で奉納された彫刻などに関する碑です。
 前者の碑文は以下のようなものでした。

(表記は現行の漢字にできるものは直しています)

国旗掲揚塔建設碑(実物は当然右書き)
L1 紀元二千六百年紀念トシテ村社香取神社ノ境内ニ国旗掲揚
L2 塔ヲ建設セントスルノ議ヲ起スヤ区内咸克一致協力進ンテ
L3 其費ヲ拠出シ区出身ノ諸氏亦喜ンテ賛助出資セラレ今茲ニ
L4 其竣功ヲ見社頭更一層威容ヲ加フルコトヲ得タリ顧ルニ是
L5 実ニ諸氏カ深ク国旗ノ尊厳ヲ自覚シ忠君愛国ノ至誠ヲ捧ケ
L6 タルノ結晶ニシテ真ニ感激ニ堪ヘサル所ナリ爾来此国旗ノ
L7 下国防ノ強化ニ産業ノ振興ニ勇猛邁進忠誠ヲ尽スヘキヲ誓
L8 ヒ以テ内国運ヲ無疆ニ伸ヘテ皇基ヲ振起外ハ八紘一宇ノ肇
L9 国精神ヲ顕現センコトヲ期ス特ニ誌シテ昆後ニ示ス

紀元二千六百一年 昭和十六年十一月聖戦第五年ニ際シテ
建設委員長●●●●撰
●●恭書
三郷市彦川戸香取神社の旧国旗掲揚塔

 彦川戸にある香取神社ですが、いまでは敷地の主役は公民館になっているようです。
 さて、ここの国旗掲揚塔ですが、紀元二千六百年紀念のものは折られており、戦後に建てられたものが現在は使われています。
 しかし、折れたものはそのまま保管されています。これも珍しい形態だろうなと思います。
久しぶりにネタを・・・。

栃木県黒磯の黒磯神社境内の「日支事変従軍記念碑」です。
揮毫は松木直亮陸軍大将、昭和11年2月の建立となっております。

揮毫が松木陸軍大将というのが珍しいですね。
(私もこの碑に出会うまで知りませんでした)
 江東区北砂の志演尊空(しのぶそんくう)神社にある、志演神社の社号石です。
 1947年になってから志演神社と尊空神社が合祀されていますので、それ以前のものということになります。
 皇紀二千六百年記念のもので、揮毫は林銑十郎でした。
【戦争遺跡】氷川神社の忠魂碑(足立区西保木間) 1

 1924年に建てられたものですが、戦後にいったん破棄された経緯があるので文字が削られています。
 揮毫が田中義一であることはかろうじで読み取れました。
【戦争遺跡】氷川神社の忠魂碑(足立区西保木間) 2

 裏面に建てられた時期が刻まれていますが、他に再建の経緯もの新たに刻まれています。
「陸軍少年飛行兵の碑」

戦時中、所沢の 「陸軍少年飛行兵学校」 生徒をはじめとする
各地の少年飛行兵が<特攻作戦>などで大空に散って行きました。

大戦末期、昭和20年(1945年)東京上空に雲霞の如く来襲して来た米空軍B29重爆撃機の大編隊に
殆ど単機で果敢に突進して行った日本機の搭乗員も多くはまだ訓練半ば10代の少年飛行兵達でした。

敵グラマン戦闘機の群れに囲まれ、
壮絶な空中戦の末、衆寡敵せず被弾、落ちて行きました。

固唾を呑んで見守る私達の上空を無念にも打ち砕かれた日の丸の機体が
キラキラ光りながら舞い落ちて来ました。

今でも私の目に焼きついている65年前の東京上空での紛れも無い事実です。

折に触れ 東京武蔵村山、多摩湖近く、禅昌寺境内の「少飛の塔」に詣でます。

 埼玉県吉川市半割の、春日神社境内にある「凱旋紀念碑」(左)と「出征軍士凱旋紀念碑」(右)です。
 前者は1898年のものですから日清戦争の、後者は1906年で日露戦争の際のものでした。
 墨田区文化にある香取神社の社号石は紀元二千六百年の建立で、揮毫は陸軍大将本庄繁でした。
 江東区千歳の初音森神社の社号石の揮毫は陸軍大将一戸兵衛でした。
 ただし、この建立は1924年ですので、関東大震災からの復興と関係があるものでしょうね。
御無沙汰です(笑)
データを整理していたら島根関連の忠魂碑画像が
出てきましたので御紹介です。

島根県浜田市、JR西浜田駅近くの熱田神社の忠魂碑です。
揮毫は元帥陸軍大将子爵川村景明
帝国在郷軍人会長浜村分会が大正12年3月に建立とあります。

が、台座には戦後に取り付けたプレートがあり、
ここでは大正9年に長浜村尋常高等小学校校庭(※)に建立し、
昭和35年に現在地に移築とあり、建立の時期がずれています。

※現浜田市立長浜小学校
 中央区湊の鐡砲洲稲荷神社の狛犬が、皇紀二千六百年のものでした。
日枝神社の鳥居

 獅子舞で有名な松戸市和名ヶ谷の日枝神社ですが、ここの鳥居は1943年に建立されたもので「祷 大東亜戦争必勝」と刻まれています。
 つまり、現在ではあの頃のことを忘れないための大切な戦争遺跡になっているわけですね。
八街市にある、三光稲荷神社の社はとても小さいです。
しかし、古いプロペラが奉納されています。
こちらに奉納されている経緯は???です。
 松戸市和名ヶ谷の日枝神社の現在の社号石は、紀元二千六百年記念の1940年に建てられたもので、揮毫は陸軍大将林銑十郎でした。
山形県は酒田市の日和山公園に隣接する、
招魂社についてです。

拝殿は一般的な作りなのですが、
社頭に掲げてありました「由来」を読んでみますと、
「昭和21年、旧酒田商業学校の奉安庫を譲り受け本殿とし・・・」
とありました。
確かに本殿を見てみますと、そのような作りにも見えます。
千住神社の皇紀2600年記念の国旗掲揚台は
隣接の木の成長で傾きが増していました。

傾きが大きくなって危険と判断されたのか、
隣地に移設されることになったようです。

傾いているのは平成21年の写真、
工事中の写真は平成27年5月撮影です。
一部分解の上移設するようで、
掲揚台の構造がわかる貴重な?記録をとることができました。
胡録神社の狛犬は

松戸市大橋の胡録神社の狛犬は、日露戦争後の復員記念に奉納されたものでした。
その他、参道の常夜灯の一部も同じ時期に奉納されています。
根頭神社は鎌ヶ谷市の市民の森の近くにある創建時期は不明という神社で、かつては村社だったということですから古いことは間違いないでしょう。
ところでここの拝殿ですが、実はかつての千葉師範学校の御真影奉安殿だったということです。言ってみれば、これも戦前の証人の一人といえるでしょうね。
【皇紀二千五百九十五年】
栃木県藤岡神社の社号石ですが、寄贈の年号が皇紀二千五百九十五年と紀元二千六百年ブームよりも時期が早いことが特徴でしょうね。

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