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原始仏教コミュの原始仏教の実践 「七財」

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すでにパーリ四部経典をゴータマ本人の教え・原始仏教と信じている人の中で、「実践したいのだが、何から手をつければいいのか」という思いがある方のためにこのトピックを作成しました。もう一つの動機に僕自身が、「いったい一から確実に学ぶならば、何から学べばいいのか」と五蓋の一つの疑蓋にまとわれて、修行がままならなかったからです。あまりにも修行法がたくさんありすぎて、もう何から手をつけていいかわからなくて困りました。それで考えたことを書きます。








在家にして法随法行を求める人はとりあえず、ひたすらこれをやってください。



「七財」です。



引用口語訳します。

増支部経典>七集>第一 財品




「比丘たちよ、これらが七財である。七とは何か。

 信財、戒財、慚財、愧財、聞財、捨財、慧財である。

 比丘たちよ、信財とは何か。
 ここに信ある聖弟子がいて、如来の悟りを信じる。このようにあの世尊は、阿羅漢・正等覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏陀・世尊である、と。
 比丘たちよ、これが信財である。

 比丘たちよ、戒財とは何か。
 比丘たちよ、ここに聖弟子がいて、殺生を離れ、不与取を離れ、邪淫を離れ、虚言を離れ、穀酒・木酒・酒精の放逸処から離れる。
 比丘たちよ、これが戒財である。

 比丘たちよ、慚財とは何か。
 比丘たちよ、ここに慚を具えた聖弟子がいて、身悪行・語悪行・意悪行を慚じ、諸の悪不善法と合うのを慚じる。
 比丘たちよ、これが慚財である。

 比丘たちよ、愧財とは何か。
 比丘たちよ、ここに愧を具えた聖弟子がいて、身悪行・語悪行・意悪行を愧じ、諸の悪不善法と合うのを愧じる。
 比丘たちよ、これが愧財である。

 比丘たちよ、聞財とは何か。
 比丘たちよ、ここに多聞の聖弟子がいて、聞いたことを持ち、聞いたことを積集し、始め善く・中も善く・終わりも善い法にして、意義あり文ある純一円満で清浄な梵行を明らかにするこのような諸法を、彼は多く聞き、持ち、言葉によって熟達し、意によって思惟し、見解によってよく通達する。
 比丘たちよ、これが聞財である。

 比丘たちよ、捨財とは何か。
 比丘たちよ、ここに聖弟子がいて、物惜しみの垢・汚れを離れた心をもって家で暮らし、常に施し、自らの手で施し、捨を喜び、請いに応じ、布施を広げることを喜ぶ。
 比丘たちよ、これが捨財である。

 比丘たちよ、慧財とは何か。
 比丘たちよ、ここに慧を具えた聖弟子がいて、慧を具え、聖なる・決択にして正しく苦尽に導く生滅を知る智慧を成就する。
 比丘たちよ、これが慧財である。

 比丘たちよ、これらが七財である。

 信財と戒財と 慚財と愧財と
 聞財と捨財と 第七は慧財である
 これらの財がある 男性または女性は
 彼は貧乏ではないと言われ その生活は空しくはない
 それゆえに信と戒と 清浄とまた法を見ることと
 諸仏の教えを 賢者は念じつつ行じなさい」

      南伝大蔵経20 増支部経典4 P237ー239








信戒慚愧聞捨慧の七つの財産です。僕は、「しんかいざんき・もんしゃえ、しんかいざんき・もんしゃえ」と覚えています。ここには書いていませんが、他の記述も参照して広く捉えると包括的な原始仏教の実践になります。以下まとめます。



信:仏法僧への信
戒:五戒・七戒・十善業道
慚:悪の身口意・諸悪不善法・四正勤なきは不利益であると自に恥じる
愧:悪の身口意・諸悪不善法・四正勤なきは不利益であると他に恥じる
聞:正法多聞・正法記憶・語熟達・法尋・正見通達
捨:無慳・自ら・丁寧に・自分の好きなものを・果報を見つつ・喜んで・他、四無量心
慧:苦滅導智・苦生滅智・五蘊生滅智・十二縁起生滅智・四諦智・正見





なぜ、七財なのかというと、この中にあまりにも素晴らしいものが詰め込まれているからです。まず、三パターンある四預流支を完全に網羅していることです。四預流支は三パターンあってそれは「仏信・法信・僧信・具戒」が一つ、「仏信・法信・僧信・具捨」が一つ、「仏信・法信・僧信・具慧」が一つの三つです。まとめれば「信戒捨慧」の四があれば、カバーしています。この四が七財の中にあります。従って、この七財を円満すれば、流れに入ります。

また「慚愧」もあります。この慚愧は、有学の五力の二つに相当します。有学の五力には、信力・慚力・愧力・勤力・慧力がありますが、勤力以外はこの七財に包括されているのがわかります。慚愧がなぜ重要かというと、マハーカッサパはゴータマから第一に「まず長老・年少・中老に対して大いに慚と愧とをゆうせんと、汝、このように学せよ」と言われているからです。慚愧は「非常に重要な精進の原因」になるものです。思うに恥知らずな男女は速やかに悪人になるでしょう。

「聞」は、正法聴聞です。この変形でマハーカッサパはゴータマに教戒されており、「我が聞くいかなる善法も、それをよく持ち、意をもって思惟し、義で満たそうと学べ」と言われています。これは、正見の因となるものです。聞と慧が相互に関連して正見が生じます。

七財は、まさしく正見を生じさせます。そうすれば、もう流れに入り、八聖道を歩き始めます。ですから、僕はこの七財を非常に重要視しています。四預流支を内に含み、沙門が第一に学ぶべき慚愧を内に含み、有学の五力の四つを内に含み、四諦の慧をも含み、また念天に必要な「信戒聞捨慧」を網羅しているからです。念天というのは、「あの優婆塞はこの信戒聞捨慧をもって死に、神となった、私も彼と同じ信戒聞捨慧を持つ、あるいは持とう」と念じることです。六念は、仏法僧戒捨天を念じるのですが、これらすべてをも七財に含まれているというのがミソです。

七財というのは、在家の日常生活における全てをしっかりカバーしているのです。僕は色々と調べた上で七財がもっとも覚えやすく、包括的で、まず第一に円満すべきで、円満した後も、しばしば修められるべきものだと結論しました。八聖道もいいのですが、正見が四諦の考察なので、少し高度で智慧に優れた人向けで、信から入る人にとってはこの七財がいいのです。聞や捨など具体的なのもいいです。

「財」というのは、もちろんお金のことですが、お金というのは衣食住と贅沢品、また五感を楽しませ、愛と名誉と権力を獲得させるものです。つまり、お金によって人は世間で力と快楽を得るのです。それと同じで、この信戒慚愧聞捨慧によって、人は来世で実際に金持ちとして転生し、あるいは神々の世界で力を持ち、愛と名誉と権力と快楽を獲得できるのです。実際にお金が手に入りますし、さらに上位に通達した人はこの七財でもって「苦しみの消滅を買う」ことができるのです。法財というのは、まさしく法財を使うことによって苦滅と交換できる、不死を買うことができるという聖者たちのたとえです。


まず、欲望があるのに努力せず、貧乏でお金と名誉と愛と家族がなく、容姿が悪く、病気がちで、寿命が短く、天涯孤独な人生が最悪です。これを避けなければなりません。仏教以前の問題です。

次いで、欲望があるからこそ努力をして、お金と名誉と愛と家族を獲得し、容姿が善く、病気も少なく、寿命が長く、親族も名誉を得て、充実した老後を送る人生を求めるべきです。これを求めて努力すべきです。無神論者はこれらを満たすことが非常に難しいです。多神教徒や唯一神教徒は神々や梵天たちの援助を受けます。しかし、ゴータマをはじめとするブッダたちの教えを信じるならば、これらは最高度によく達成されます。しかし、彼は欲望を滅する努力はしないとします。

次いで、欲望を滅する努力をする在家人が称賛されるべきです。欲の危険を見る彼が貧乏ならばそれもよく、金持ちならばそのほうがより一層よいでしょう。ただ欲が減少してくればそれは彼の趣味です。欲の危険を見て、欲を享受する在家人は優れています。

次いで、阿羅漢です。


個人的には気落ちする友人に常々こう思っています。

「君はまず第一に、犯罪者でないことをもっと喜ばないといけない。犯罪者でない素晴らしさをもっと認識しないといけない。犯罪を犯すと常に怯えて暮らさないといけないし、その眼差しは曇って容姿が悪くなる。だから、犯罪者でないことをもっと喜んで、何度も俺は犯罪者でない、よかった、俺は犯罪者でない、よかったと考えないといけない」と言います。

さらに「君は実に人を苦しめる仕事をしていない。つまり、事務仕事であり、それは製品を造る材料となるものだ。いったい誰を苦しめているのか。ということは、それは正しい生計の立て方で、人に嫌われる仕事ではない。残業は多いけど。たとえば、借金取り立て人や警察がお見合いで結婚するということは難しい。俺のお袋の友人は、お父さんが刑事だったがお父さんが帰ってくると三人姉妹と母は急に元気がなくなると言ってたよ。お父さんが急死したときは、家族みんなそんなにショックじゃなかったそうだ。昇進してお金も入ってその点でもよかったらしい。いったい、家族に嫌われるような自分を作り上げる仕事はいかがなものか。職業病が人生全体に作用することをよく考えた方がいい。君はそういう仕事じゃないのだから、それをもっと喜んだ方がいい。しかも悪業を積んでないから来世も安心だ。上司と部下に軽蔑されたとしても。だから、俺は誰かを苦しめる仕事をしていない、よかった、俺は誰かを苦しめる仕事をしていない、よかったと考えないといけない」

さらに「君は正社員じゃないか。俺は下流社会じゃないか。いったい、どっちが安心において優れているのか。どちらが世間体がいいのか。負い目を感じる境遇にいれば、心と目つきは曇りがちになるものだ。心の闇は気づかずに広がってくるから心の闇という。君は正社員なんだから、胸を張ってればいい。だから、俺は下流じゃない、よかった、俺は正社員だ、よかった。俺は恥ずかしくない、よかった。と考えないといけない」

さらに「君は残業代が出るじゃないか。どれだけいい境遇なんだ。俺の知り合いは、夜の11時から12時までの残業基本だが、管理職でもないのにサービス残業だよ。君は自分がどれだけ恵まれているかわかっていない。わかっていないから、喜びが少ない。喜びが少ないから、いらいらしがちになってわけがわからず、不満がち。もっと喜ばないといけない。俺の会社は残業代が出る、よかった。俺の会社は残業代が出る、よかった。と元気を出さないといけない。しかも君は余剰金を少し株で資産運用している。まだ大損も含み損もない。将来を考えて、ちょこちょこ投資力を上げてるのだから、それも喜ばないといけない」

「とにかく、第一に犯罪者でない素晴らしさ、第二に人や動物を苦しめない仕事をしている素晴らしさ、第三に正社員という素晴らしさ、第四に残業代が出るという素晴らしさ、他にも両親が健在であるという素晴らしさなど喜びはいっぱいあるものだ。自分の土台をしっかりしていくことはよいことだ。自分の生活の土台をますます堅くしていくことは利益がある。地元と住んでるところと、国の神々と家族と親族と会社と友人たちによくすることだ。もっとお中元とお歳暮にかこつけて会社にお菓子でももってくことだ。そうすれば、受け取ってすぐに君の悪口を言える人はいないだろう。どんどん食事もおごることだ。部下でも女性でも。おごるために利用されているとしても気にしてはいけない。人は自分の業を相続する。後、結婚を前向きに考えておいた方がいい。独身の40代と50代の会社の先輩によく質問するんだ。結婚した方がいいですかと。あんまり風俗に行くんじゃない。付き合いで行くとしても、看板娘を買うんじゃない。お金がもったいないから。その分、投資か人におごるか寄付するかした方がいい。年寄りを大事にしろ。年寄りの忠告はどれも経験済みの本音で学べることが多い。自分の両親に人生は長いのか短いのか、この50年は早かったかどうか聞くことだ。自分の人生があっという間だということがよくわかる。君は人の評価を気にし過ぎる。いや、むしろ人からの評価が全ての人生になって一喜一憂して、評価されればうぬぼれ、評価されなければ肩を落としている。それはよくない。よい評価も悪い評価も過ぎ去るということを学ばないといけない。評価が好きなら、評価を求めればいい。評価を得る努力と、評価が得られないときの苦しみを軽減する努力の二つの努力を混同しないで、気長にやっていくことだ」と。


さらに僕は、これと決めた神社に彼が参拝するように、促していますがたまにしか参りません。ましてや彼は原始仏教の「げ」の字も知りません。好きな女性がいるなら、慈心か喜心を送れというのに、まったく信用しないので、実行もしません。ただ、募金箱があるところでは寄付させます。しかし、これは少し関係ない話でしたね。




とにかく「欲望の快楽が欲しい」という動機でもよいので、原始仏教を愛好して欲しいと思います。ゴータマは「欲望から解脱したい人のためだけに教えを説いたのではなく、欲望をいっぱい享受したい人のためにも教えを説いた」のです。相応部の聚落主相応には、「在家で欲望を享受して、お金もいっぱいで、子供にも恵まれて、しかも死んでからは神になってさらに楽しみたい」という贅沢な願いをする聚落の主の話があります。その時、ゴータマは、仏法僧を信じ、身体の悪行である殺し・盗み・不倫をやめて、言葉の悪行である嘘・仲違いさせる言葉・上品でない言葉・意味のない話をやめれば、よくそれがかなうとしています。これをゴータマは「自利の法門」と名付けています。ただポイントなのが、この七戒を「自ら具え、他にすすめ、これを称賛する」という三つのパターンを提示していることです。そうすれば、三七の二十一の戒となります。殺さない戒、他人に殺すことをやめるように勧める戒、自分と他人に対して殺しをやめる素晴らしさを称賛しようという戒です。

この七戒と信という自利の法門でさえ、そのように利益があるならば、この七財すべてを円満すれば、大きな功徳があること請け合いです。


「捨」の中に四無量心も含めるとよりいいです。捨は寄付で、利他です。少し、自分の労力と時間を捨して世界のために慈悲喜捨を修するのも捨だと思います。ゴータマも比丘にとって財産とは四無量心のことであると言っています。四無量心を修すれば、ボロ儲けできます。これこそロトで大当たりするよりも、ラッキーなことで、大成功者です。








「すでに涅槃最高と言っている人」のためでなく、「涅槃に進まない心を持ちながらも、原始仏教をやや信じつつある人」のためにこのトピックがあります。


ゴータマの教えは利益と快楽の増大であって、苦痛の増大ではありません。それは、欲望がない人の利益をも増大しますが、欲深い人の利益も増大するものです。みなさんの中で、お金が大好きな人や、人に認められたい人や、食べることが好きな人、異性が好きな人、俗っぽい人や犯罪者である方がいると思いますが、仏教があまりに禁欲的な方向性だからと言って、仏教を捨てて欲しくないと思います。かえってゴータマの教えによって容姿がよくなり、異性にモテ、金持ちになり、健康になり、自信をもって人前で振る舞えるようになるのです。



欲のある人も欲のない人もゴータマの教えを実践することをおすすめします。しんかいざんき・もんしゃえの七つが少し多いと思われる方は、信戒捨慧、しんかいしゃえの四つだけでもやってみて下さい。戒律は、自ら具え、他にすすめ、称賛するという三セットを覚えておいてください。捨に関しては、慈悲の瞑想も捨にからめて覚えれば最高です。僕は「食べる前に飲む」ならぬ「食べる前に修す」四無量心をやっているので、みなさんにもおすすめします。じーひーきーしゃーと大体10秒ぐらいです。





七つの財産は在家が行うには覚えやすくて円満なのでおすすめです。ひたすら七財を繰り返し修して、来世で容姿がよくなり金持ちになる原因を作ってください。

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