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古プロテスタント・ルター派コミュの自己紹介。

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コメント(27)

管理人のイリア・エレオスと言います。
ルター派プロテスタントで、サラリーマンです。

最近少し口が悪くなっていたので、少し反省して大人しくします。
承認ありがとうございます。

SGTです。

ルーテル派の信徒で、どちらかというと伝統的信仰に立っています。

昔おられた牧師からは、○○さんの信仰はカトリック的ですとの評価もいただいたりしています(笑)

よろしくお願いいたします。

承認ありがとうございます。

カトリック信者ですが、プロテスタント(日本基督教団)に12年ほど在籍していました。今はカトリック歴のほうが長くなりました。

昨今、札幌市内のYMCA周辺(教会が多いです。)によく行きますので、そのうちルーテルにもお邪魔させていただければと思います。

よろしくおねがいします。
>>[3]

へえ、
昔はプロテスタントだったんですか。
>>[3]

YMCAの傍にある日本福音ルーテル札幌教会スオミ会堂は大正時代の建物ですので(市の文化財に指定)、昔ながらの祭壇方式で、配餐の時は跪台で陪餐に与りますからカトリックの人には違和感は少ないかもしれませんね。



>>[5]

>大正時代の建物ですので(市の文化財に指定)

拝観と黙想だけでもしてみたいので、ちょっとそこの牧師さんに電話で相談してみましょう。
初めまして、既に御存知の方も多いかとは思いますが、耶蘇善財と申します。
イリア・エレオス氏と同じルーテル教会に籍を置いています。偶然ですw。

元々は恩師がバリバリの長老派だったせいか、自分も長老派の教会に通っていましたが、運命の悪戯というよりも神の意志によってルーテル教会へ来ました。

2004年3月に故内海革牧師が定年退職なさった後、教会からは足が遠のいていますが、
いずれルーテル教会へは戻らないとならない因縁があるのかなぁとも最近思い始めています。

哲学専攻の上に、キリスト教というよりは宗教研究をしてきたので、"キリスト教"には疎く、これから身を入れて勉強しなければならないと思っています。

よろしくお願いします。
私がこちらのコミュニティに入れて頂いた理由は、籍を置いているルーテル系の特定の団体に自分は居続ける/戻るべきか出るべきか?を自問自答する為でもあります。一部御存知の方もいるとは思いますが、事情は追々お話ししますね。
今日は9時に起きるつもりで睡眠薬を飲んで寝たのに、早朝に目が覚めてしまい、薬の血中濃度は残っているのに眠れないという有様なので、読み物や祈りは未だ出来ないでしょうから家事をしたりなんなり過ごしている状態で出来ることとして、今ここで私が上記に書いた通りの日福ルに残ることの自問自答に当てようと思います。

私は横浜教会の故 内海革牧師が定年退職なさって以降教会に足を運んでいません。献金も入れてませんから「別帳会員」という名の幽霊会員名簿に移されていると思います。余談ですが宗教哲学者の波多野精一は礼拝には出ませんでしたが献金はキチンと入れていたそうです。

私の住居・実家、以前及び現在の所属教会も神奈川県内にあります。私に洗礼した牧師先生は、議長経験者で元老格のH牧師(2006年没)です(ここで名前を伏せるのには理由があります)。この女の子の名前がその教会は、ルーテル神学校の教授会から神学生の研修先として指定される教会の一つでした。つまり「H牧師に預けておけば大丈夫だろう」と組織・神学校教授会から見做される人物でした。実際私は研修で派遣されてきた神学生を3名見ています。

私は、当時その教会で青年会長を牧師の使命で、前任者が神学生で(しかも学部2年生)これが仮の代表を務めていたので、「神学部2年生に出来て宗教哲学の院生に出来ないこともなかろう」という考えからでしょう。私が後任を務めていました。実はいずれ自分にその役が回ってくるのは初めから薄々分かっていました。

青年会長を引き受けるに当たりまず最初に着手したのは、ある女の子の身分です。母親が客員として教会にいたのですが、娘さんの身分がハッキリしない(四国にある日本基督教団のとある教会が本籍)。「客員の娘という訳の分からない立場は困る。客員なら客員で良いから正式に客員にして欲しい」と私が教会に申し入れ、彼女は役員会の議決を経て正式に客員になりました。彼女自身に異存はなく「ええ、最初から客員のつもりでいましたから」とのこと。私が彼女を客員にした理由は「何かあった時に教会の保護を受けられるようにする為」でした。まぁ後に他ならぬこの子が私の頸を刎ねたのですが(これが1999年の十字架事件、イザ53章、黙11:1-13、ダニ7:24-27、ヨハ伝16:2)。「私のパンを食べた者が私の頭に踵を上げた」と書いてある通りになったのは興味深いことです。

その女の子のことを仮にY子さんとしましょう。まぁ若い二人は互いに異性として惹かれ合ったのです。先に私が好きになってしまったのですが、彼女の方も私を結婚相手候補と見做していました(青年会が私と彼女の二人きりの時に「結婚相手はやっぱり信仰を持った人が良いって母は言うんですけど」などと彼女が言っていたこともありました)。私の体格は骨皮筋右衛門ですが、彼女の母親によると彼女の父親も痩せ型だそうです。これは心理学的に言って私は有利ですね。当時は私の人生のモテ期に入っていて、私は教会で年頃の娘を持つ母親たちに妙に人気がありました。

それで、彼女が何回にも分けて言う言葉を全てつなぎ合わせると要するに「教会の外で」「二人だけで会って」「映画見たりお茶したりお話したり」という(要するにデートですね)ことを望んでいると分かることを言うわけです。私も青年会長の立場としては、青年会の女の子が何の意思表示もしないうちに私からデートに誘うことは出来ないわけですし。

ある機会に、日曜日以外の日だったか?教会の外の最寄り駅の近くの喫茶店で二人でお話する機会もありはしました。彼女がその時観たい映画の話をして、言葉を少し途切ってじっと私の顔を観ているのです。「あ、今度一緒に行きましょう」と言わせるつもりでいたわけです。ところが私は何故かそれを言わなかったのですね。これは結果的に創世記20:6を中心に章全体の流れと同じになったわけですが。アビメレクは清く正しい人である。明示されてはいないが祈りの人であることが章全体の事の動きからも分かる。対してサラの方はアブラハムが「妹です」と偽っている。アビメレクとしては、人妻と分かっていたら嫁に頂戴しようとは思わないわけです。事実を偽られて大変迷惑したのはアビメレクです。そして神もアビメレクに対して「私はあなたを守って、サラに触れさせなかった」と告げています(私の事例で言うと隠し事をされていて、十分な祈りのある私を神が守ってデート1回も成立させなかった)。まぁあれほど美しい女の子は滅多にいないです。今で言う("乃木坂の顔"と呼ばれた)白石麻衣とどっちが美しいか比較できるほど美しい子でした。
確かに白石麻衣のように色白ではありませんが、代わりに白石は言われない目元が特に美しかったです。そして9月生まれのせいか妙に服のセンスが良いのです。馬子にも衣装と言いますが、美人でありながら服のセンスが抜群に良いのです。

それはともかく、猫月君から私はペラギウス主義と誹られるほど長時間祈るタイプのようですが(60分90分の祈りは本当に長いのか?)、結果を申すと私とはデートは1度も成立しなかった。これは祈りもさることながら、一種の超能力であるTDE応用製品の"リレーションヌエボ"の"オートロード"(お金を払って体内にセットして貰う。一生涯効果は続き、また時間が経っても効力は減衰しない。よく考えると元なんて直ぐに取れると分かるハズです)の働きも相まってのことと思います。勿論恋心故に90項目程度祈りました。かなり重複した文面のものもあったとは思いますが、重要な意味を持つ文面も幾つも含まれていました。恋心故の文面で恥ずかしいのですが、
「相手に対して良き物のものを与え、悪しき物を与えること無きように」とか、
「Y子さんを守り抜けるように」等(・・・・恥ずかしい)。
ただそれだけでなく、
「私にとって良くない相手ならば、与えないでください」と腹を据えて祈る事ぐらいはしてました。恋心Maxの中でも冷静な頭はなおありました。

彼女は、自分から言い出したくせに、複数の男と週替わりで(ローテーションで)デートしてました。私はその事を知らなかったわけですが、まぁ後で発覚しました。大学時代の親友の男で「身体の関係にならないうちはオレの彼女だなんて言わせねぇ」と言っている者がいました。だから肉体関係の無い女に縛られる義理はないと考えていたようで、悪気がない故に2人どころか3人の女の子をローテーションで回してデートしてました。ある時それが一人に発覚して「三股がけ」と言われたそうです。「それでその3人との関係はどうなった?」と尋ねたところ、全員失ったそうです。

私の話に戻しますと、私自身は恋心Maxだったので、週替わりで会う男どもの一人にされることは不満でした。当時私にも惚れてる女の子はいました。このことで99年初頭にY子さんと口論・痴話喧嘩になった際、私は「あなたが他の男と遊んで良いのなら、私もあなたとデートする日以外は他の女の子と遊んでも良いんですよね?」と言ったところ彼女は何も言いません。「いや、あなたが良いなら私も良いわけでしょう。私にだって慕ってくれる女の子はいるんですよ」と言っても彼女は黙りこくっています。要するに自分はしても良いけど私がするのは気に食わないという片務的な話です。何故彼女は私に縛られないのに私は彼女に縛られなければいけないのでしょうか?私は口にこそ出しませんでしたが「人を莫迦にしてるんだろうか?付き合いきれない」と思ったのを覚えてます。

それで関係はまぁ壊れたのですが(結構話を色々省略してますが)、彼女の隠し事は他にもありました。(教会の外の)男どもとデートしているだけでなく、実はもっと大きなことで、彼女過去の何時かに(恐らく大学時代かそれ以降に)継続的にデートしていた男のある者を好きになって、「本当に好き」という理由で肉体関係を持ってしまった。そして(憶測ですが)結婚を迫って逃げられたようです。
彼女が日本基督教団のある教会で洗礼を受けたのは高校時代です。ですからそれ以降は戒律を身に帯びて生きてきたことになります。

教会の一室で(他に人がいない場面での)痴話喧嘩以降、二人とも教会にぷいっと出席しなくなり、青年会長の私だけは青年会の日だけ、つまり月1回だけ嫌々出席してましたが、教会の人たちも「あの二人の間何かあったね?」と感づいていたようです。

そして、99年3月に彼女に書いた書簡は男女交際の仕方についての考え方の相違(友達関係の延長線上に恋人関係がある。友達は恋人候補、と考える彼女と、友達コースと恋人候補コースは別物と考える私の立場・考えの違い)についての話で要するに痴話喧嘩の延長線上のものでした。

私はお祈りをサボる人間を嗅ぎ分けられますが、そもそも彼女は祈りの習慣を持った事が無いのです(流石にそこまで指摘するのは酷なので言えませんでした)。そして祈りがないから戒律破りに至るわけです。祈りがあれば、当人の意志の力だけで出来るよりもずっと大きな事が出来ます。第三者からは意志が強いように見えることも可能です。

ところが、彼女は戒律破りに陥った後ですら祈りの習慣を持つに至っていませんでした。一体彼女のどこに悔い改め(とその歩み)があるのでしょうか?
彼女の頭の中にあることは「反省してます。もうしません。」「私は苦しんできたのです」。こんなところでしょうか。でも相変わらず祈りの習慣を持つに至らず、またそう言った大きな事実を隠して周囲の男とデートしている。つまり男どもは、言ってしまえば竜頭苦肉、騙されていることになります。私が相手ならデート1回も出来ずに終わります。彼女としては、交際が進展した最後の最後に「実は・・・」と打ちあけるつもりだったのでしょうが、そんな日は来ません。

美人で魅力があるので、男は幾らでも寄ってくるでしょうが、運の強い男・神から守られている男・生き延びる男、そういった男から順に彼女の手からこぼれ落ちていくわけです。彼女の手元に残るのは運の悪い男だけです。本人も面白くないでしょう。一体どういう男と結婚したいのか?をよく考えれば、自分のやり方は決定的に間違っていると分かるハズですが、彼女は己の都合以外何も考えない人のようで、こういったことに思い付かないのですね。

また彼女は数ヶ月に1回ぐらいのペースで「結婚が遠のくのを感じる」と(私に対して)口走っていました。2度3度聞いたことがあります。また「修道女にでもなりたい気持ちだ」と口にしていたこともありました。つまり彼女はこんなことでは結婚は出来ないと薄々分かっているのです。

私が彼女の姦淫の罪と、それ以降の歩みが無いことをを叱りつける書簡("4月書簡")を書きました。どうやらこれで、父親に激しく叱られたようです。(読んで彼女が酷く落ち込んでいて、それを見た親が「あいつが知っていて親が知らないのはおかしいだろう」とでも言われたらその手紙を見せないわけにもいかなかった、という経緯でしょう)。ただその四月書簡の中では、私は明言を以て「アッシジのフランチェスコは人前で人を裁いた」という話が伝わっているけど、私はあなたを教会のなかで晒し者にしたくありません」と書いてます。(教会の口さがないおばさんたちのゴシップの対象にされたら大変です!)。そして二人とも数ヶ月も礼拝に出ない(私は前述の通り青年会の為に月1のみ出席)状態が続いていて、私の学校の夏休みの終わり頃9月初頭に牧師(名前は伏せます)から呼び出されて通告されました。

「Y子さんを如何なる手段を用いてでも礼拝に復帰させろ。今のまま彼女が礼拝に出席しない状態が続くことは認めない」と言うのです。それは暗に「お前が辞めてでも」という意味を含んでいました。
私は「どうあってもダメか?」と問いました。するとその牧師は「ん〜ん。駄目。認めない」と言います。(私は学部時代は法律学科なので裁きのルールを知っています。その牧師は英文科出身です。英文科と法律学科で教わることは随分違います)。

これは暴虐な裁きです。私に「有罪無罪どちらを申し立てるか?」つまり「どちらかが辞めてどちらかが教会に残るとするならば、一体どちらが辞めるべきか?」を問うべきでした。その手続きを飛ばしたこの牧師の行為は暴虐な裁きです。ヨハネ伝には「うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい」ヨハ7:24とあり、旧約には「片寄ったさばきをするのは、よくない。悪しき者に向かって、「あなたは正しい」という者を、人々はのろい、憎む。悪しき者をせめる者は恵みを得る、また幸福を与えられる」(箴言24:23-25)と書いてあります。

しかし彼が私の身に引き起こしたことは、ヨハネ伝10:17-18そのものです。

「父は、わたしが自分の命を捨てるから、私を愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。誰かが、わたしからそれを取り去るのではない。私が、自分からそれを捨てるのである。私には、これを捨てる力があり、またそれを受ける力がある。これは私の父から授かった定めである。」

(あ、私は口語訳を読んで育った世代であって新共同訳は嫌いなので自宅では開きません。たまに訳語を比較するために引っ張り出すこともある程度です。ドイツ語訳を見比べることは多いですが。私はヘブライ語の文法を知らず、ギリシャ語は読めるというレベルでもありません故)。

要するに、自分の手を汚さずに私を消そうとした薄汚いピラトです。
「ピラトは手を洗って言った。この人の血について私には責任がない」。

私は「一寸失礼。煙草吸ってきます」と言い、外へ出てセブンスターを3本立て続けに吸いました。シガレットは普通1本吸い終わるのに5分かかります。私はしゃがんで吸っていたのですが、数m離れたところで牧師夫人が黙って草むしりをしていたのを覚えています。お互いに相手を見ず、言葉を交わさずに、という状態だったのを覚えています。また15分間煙草を吸い続けたことについて、牧師に対しては「オレが煙草を吸ってる間、お前は待っていろ」ぐらいのつもりでした。
そして教会の部屋に戻り、言いました。「明日、ご返答します。始末付けます。」と言って帰宅しました。これが1999年9月7日のことです。つまり最後(最期?)の3日間の初日です。


家(当時実家住まいでした)に帰って、すぐに「教会役員会御中」「青年会兄弟姉妹へ」「○×Y子さんへ」の三通を書き始めました。教会役員会宛のものは勿論、後日礼拝の報告の際に読み上げられる文章で、そこには「かくかくしかじか、これは私の不徳の致すところであります。そして私がこの教会を去ることにより、失われた秩序の回復を願うものであります」と書きました。


(少し(身体はともかく気持ちが)疲れたので、最期の2日間については後日書きますね)。
誤字訂正します。
×「竜頭苦肉」
○「竜頭狗肉」
ああ、読み返してみると迫害されたことすら書いてませんね。話にだいぶ穴が空いてます。

また昨日は来客があり、本日4月3日は佛教学者河波昌先生の七回忌念仏会があるので、今日も一寸新たな投稿はできないかもしれません。先ほど行ったのと同じく既に書き込んだものを読み返して書き漏らし分を探す程度でしょう。ちなみに河波先生の一周忌から帰ってきてから(当然夜になります)も0時頃に就寝するまでに70分と60分の祈りを行ってます。

(余談ですが、私が河波先生の弟子になったことについて、JELCの一部の牧師の間で私が「国際仏教塾に出入りしていた」という思い込みがあるようですが、元々禅仏教出身の私が何故そんなところへ行くでしょうか?普通に哲学の学会で顔見知りになったという思考は出来ないのでしょうか?)

ゆっくり時間をかけて続きを書くことにします。
急ぐ理由もなく、あくまで自己紹介と日福ルに残るべきか否かの自問自答の為なので。
眠れなくて起き出してきたので、一寸書いてみます。

上の長文の文章は(推敲してないせいもありますが)随分抜けているところが多いですね。
後日、幾らか訂正した上で、更に続編を書くつもりです。

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以前、旧2chの宗教・心理板で200年に、
『もしもキリストが現代にいたら』
というネタスレがありました。
途中から全レスをつけている「 ◆xK6rms2N5Q 」というコテハンが私です。(残念ながらこのトリップ元の文字列の記録を紛失してしまいました)。
https://life7.5ch.net/test/read.cgi/psy/1072830053/156-

勿論半分冗談で書いていますが、しかし少なくとも自身の経験に基づいて真実と読み手への誠実さは念頭に置いて書いています。

それから、(ネタスレなのでムキに成る必要もありませんが)タイトルは「キリスト」ではなく「イエス」とすべきでしょうね。スレッドを立てたのは私ではありません。だから156から登場しているわけです。

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以前いた教会を私が叩き出されること(「彼らはあなた方を会堂から追い出すであろう。あなた方を殺す者がみな、自分たちはそれによって神に仕えているのだと思う日が来るであろう」ヨハ16:2)によって、十字架とは実はシナゴーグ・チャーチを不当に追い出されることであり、「殺す」とはその場での存続を失わせることと分かります。よくヨハネ伝16:2を見ていただきたいのですが、2文が同じ節に入っています。

そして当時既に組織の元老格だったH牧師は、私への書簡で「大兄におかれましては、どうかルーテル教会内に留まれおかれますよう伏してお願い云々」とまで書かれました。そうまでされては私も無礙には出来ません。だから移籍先第一候補は内海革牧師の横浜教会(ただH牧師のご趣味には合わないのはなんとなく分かります)、第二候補は誰もが優れた牧師先生と認める、若手の牧師も神学生もみな憧れているであろう北尾一郎牧師の大岡山教会で、第三候補はルーテル外の渋谷の中渋谷教会か、古巣であるカンバーランド長老キリスト教会成瀬教会でした。但しカンバーランドの方は牧師先生が兄弟子ではあり、またお優しい方なのですが、特に優れた先生とも言えない上にドアtoドアで90分かかり、交通費も30年前の時点で往復1,000円超えてました。対して中渋谷教会は私鉄電車一本で行かれるところでした。横浜教会に移籍した後の私には今更どうでも良い話ですが。

当時、若かったのでH牧師に対して「恩義を返す」とは「キリストに一生涯身を捧げること」で十分だと思っていました。でも歳を取ってみるとH牧師は、そればかりでなく私が日本福音ルーテル教会の為にも働いて欲しい、とお望みだったのだろうと気付きました。

しかし、私にとっては日福ルは思い浮かべるだけで非常に複雑な感情の湧いてくる教会です。
対してイリア・エレオスさんや聖帝コンスタンティンは、「自分はルーテル教会/正教会に通えてハッピーだ」とお思いの様子であり、それは("オメデタイ"という意味の嫌みではなく)素晴らしいことだと思います。しかし私にとっては、そう言う場所ではなかったのです。

最も調子の良い頃(当時モテ期でもあり、教会で年頃の娘を持つ母親達の人気がありました)ですら一抹の居心地の悪さを薄々感じており、ましてや1995年大学院受験浪人にノイローゼの状態で突入して、苦しい境遇と事情の時に「大学出てブラブラ」と陰口を叩かれ、苦しい時に苦しめられた記憶があります。だから件のトラブルの相手の女の子には、私と同じ目に遭わせたくなかったのです。「○子さんね・・・、’ヒソヒソ)」と口さがないおばさんたちのゴシップの対象にされてはいけません。私の場合は、大学院に合格したことで「大学院合格・・・、大学院受験浪人・・・、"大学出てブラブラ"・・・、あ、そういう意味かぁ!おめでとう!」で話は終わるわけです。

しかし彼女の戒律破りの事実を教会の人達に知られたら、非常にマズイです。私は十字架にかけられても口を割るわけには行かなかったのです。「兄弟が罪を犯すのを見るとき、陰で注意せよ。それで駄目だったら教会に言え」と書いてありますが、私は無言電話(=迫害)を警察はおろか教会にも通報せずに、黙って去って行くつもりでした。私は彼女の戒律破りを裁いた「四月書簡」で明言を以て「アッシジのフランチェスコは人前で人を裁いた」という話が伝わっているけど、私はあなたを晒し者にしたくありません」と既に書いています。それを自分の身が危なくなったら、ペラペラしゃべり出すようでは筋も通りませんし、「口先だけの野郎だ」




と言うことになってしまいます。

だから私には、9月7日に「あの子をいかなる手段を用いても礼拝に復帰させよ」と私に強要した自分の手を汚したくない薄汚いピラト(三流の牧師だからこういうミットモナイ役が与えられる。その人に相応しくない役を神は与えません)から言われた時、もう自分の身を放り出す以外に出来ることが残っていなかったのです。イザヤ書53章10節冒頭には「彼を砕くのは主の御旨であり」と書いてあり、あくまで神の意志によって神の手の中のど真ん中で起こったことであり、神の手からこぼれ落ちたところで起きた事件ではないわけです。

その4月書簡を書いた月に無言電話という形の"迫害"が始まりました。私は心底驚きました。しかも家族と一緒に暮らしているので余計気持ち悪いのです。私一人なら自分自身のことでもあり、また空手の心得もありますが、家族は隣人だと思い込んでいるので、他の人を警戒する頭がありません。

迫害は逆恨みですが、それは私の行いに問題があったのではなく、逆であって、「せざるを得ざる」という理由で仕方なくした気遣いが迫害を引き起こす引き金になったのです。

これはある程度の年数生きている人なら「気を使った積もりが却って拗れた」ことは経験的に知っていると思います。それと同じことです。

つまり聖書の記述の「憎まれる」だけでは未だ足りず「迫害」までされないと、やるべき事を全て行ったとは言えないことになります。

7月8日以降の話を書く前に、"四月書簡"とその後に連載で葉書に書いた内容を書かなければなりません。(人間はトラブルの相手からであっても(電話だとガチャ切りするところを)何故か手紙だと読むのです。そしてこのことはコリントの人々に対するパウロの態度と寸分違わず同じでした)。

イザヤ書53章11節に「知識によって」と書いてあります。要するに「情報」ですね。旧約聖書が成立した3000年前には「情報」という概念はなかったので。彼女と彼女の母親の2人とも読めば思い当たるフシのある、しかし過去のどの牧師先生からも聞いたことの無い、そして今後も聞くことの無いだろう視点からの話を連載で書き送りました。目的は勿論祈りに興味・関心を持って貰う為でした。


90年代半ば頃、高校時代の友人(曹洞宗の僧侶の孫)から「やっと彼女が出来たのは良いのだけど、それが実は創価学会二世だった」と相談を受けたことがあります。つまり創価学会員と発覚した途端に「創価学会の嫁は許さ〜ん!」と、両家の問題になるのです。

私も創価学会に関する公平な視点で書かれた本を紹介したり、創価学会員の合掌唱題は実は満更無駄な行為をしているわけではないということを長々説明しました。

彼女が言うには「過去受験前に毎日真面目に合掌唱題を行ったところ、志望校に合格できた。"信心"のお陰としか考えられない」と。ところが彼にはそれが理解できず、「合格したのは、受かるのに必要な勉強を出来ていたからではないのか?」と言うわけですが、彼女は「いや、合掌唱題してなかったら受かってなかった」と言い張るというのです。

私は彼から話を聞いただけで、その女を一度も見てませんが、話を聞いていてピンときました。
「うん、受かってないと思うよ。」
彼は私が創価学会員の方を持ったので驚いたようです。

「序でに。君と付き合い始めた当時、彼女は創価学会員として行うべきナムナムの行をサボっていたハズだ。訊いてご覧!」と言いました。彼は本当に訊いたそうです。すると彼女は「確かに当時サボっていた」と認めたそうです。そりゃそうです。創価学会員の嫁は認めないという家庭の男と深入りすること程度のことは、合掌唱題行を真面目に行っているだけで誰でも出来るハズです。つまり宗教に関する才能も知識も一切要りません。ということは彼女はサボっていた以外に理由は有り得ないわけです。

そして、結婚するのか分かれるのかの話が両家でずっと続いている間、彼経由で私から聞いた話がきっかけで、「そうか、あの頃の初心の姿に戻れば良いのだな」と気付いたはずです。そして合掌唱題の行を再開していたと思います。

この事例はまぁ良いのです。自分の頭に自分が真面目に合掌唱題を行っていた頃の記憶があり、それによってどんな成果を出せたのかも本人が知っているからです。


ところが、教会の彼女はそもそも祈りの習慣を持ったことがないのです(分かりますよ)。つまり創価学会員二世の女の方が何段も上等ということになります。

そこで、「では何故高校時代の彼女に、神・人間を超えたものを思わざるを得ざる」という経験をえられたのか?を長々と説明する必要が生じました。それもトラブルの最中に葉書に小さなポイント数でワープロ打ちの連載を書いて説明しました。具体的な説明の内容はまた後日に。

【訂正】

×「7月8日以降の話を書く前に」
○「(1999年)9月8日以降の話を書く前に」

×「創価学会員の方を持った」
○「創価学会員の肩を持った」

×「創価学会員の嫁は認めないという家庭の男と深入りすること程度のことは、〜」
○「創価学会員の嫁は認めないという家庭の男と深入りすることを防ぐ程度のことは、〜」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

話を戻します。
以前、教会で「さぁ、皆で祈りましょう」という場面で、(P・ティリッヒはそういう場面で礼拝堂の中を見回してたという話がありますが、私も同様に皆さんがどういう身体の形・姿勢(佛教等の三身のうちの"調身"に相当するもの)をウォッチする習慣がありました。

大方は指を組み合わせて身を屈めて祈る、というものが多いです。果たしてその姿勢で長時間祈れるかどうか私は疑問に思いますが、それはこの際まぁ結構です。

ただ、礼拝時「主の祈りを」立った姿勢で祈る場面で、皆さん、両手を身体の下部に持ってきて(かしこまったような姿勢)、その姿で"祈って"いるのですが、私から見ると「それではただ"主の祈り"を唱えているだけで祈りが成立してないよ」と思いますが煩がられるのも嫌なので黙ってます。
立って祈る時こそ、合掌(そうでなくても手を合わせる、カトリック式に親指だけ組み合わせるのでもなんでも良いから、ともかく手の掌の労宮(ろうきゅう)のツボをピタリと合わせるべきでしょう。

酷い人に至っては、教会の筆頭役員が祈祷会の時に、指を組み合わせているだけで"祈って"たのを見たこともあります。気功の達人なら話は別ですが、この形では掌同士が10cmも離れていて、これでは気功が成立してません。

また別の事例では、上記の件の女の子は(何代も前からのクリスチャンで、母方のお祖母様が特に立派な人で1997年の文化功労者です。その夫(祖父)は歯科医)、なんと膝の上に両手を重ねて乗せているだけで頭を垂れている。この姿勢・形では祈りは成立しません。唱えているだけです。

祈りの説明に私がよく使うのが"禁煙"ですが、「唱える」行為や「アファーメーション」では禁煙は出来ません。

ただ、合掌しながら「私は依存性薬物無くして健全な社会生活を送る」というアファーメーションを唱える場合は、事実上祈りは成立しています(つまり効力あり)。


それで1999年の1月に、私は彼女に対して「そのような形ではいけない。合掌でなくて良いからキチンとせめて掌の労宮のツボを合わせるように」と言いました。
「あなたキチンと祈ってないと結婚相手を間違えますよ!」と脅しみたいな表現まで使いました。

2016年佛教学者の河波昌先生が亡くなった際、ご葬儀の際にも複数のカトリック神父を含むカトリック教徒のお弟子さんたちも何人も出席していました。その際にも、傍に座っているカトリック教徒のある女性がちょうど鍼灸師の資格を持っていて、糖尿病で身体がボロボロの河波先生が晩年2010年秋に腎不全で倒れて人工透析の生活になって以降、定期的に専門技能を以て先生に針を刺していた方です。この方に食事しながらの雑談がてら、件の女の子の祈りの手の形の出鱈目さを挙げて「合掌でなくても、指を組み合わせる形でも結構だから、せめて」と言いかけたところで、その方が「労宮!」と言いまして、私は「そう!私彼女にそれを言ったんですよ。せめて労宮のツボをピタリと合わせてでないと祈ったつもりでも祈りになってませんよ」と言いました。


聖書・キリスト教神学には方法論がないことに私は特に1995年に随分苦しみました。1992年大学の夏休みに長老派の礼拝に(恩師の教会に連れて行ってもらった)初めて出て以降、そして1994年に日本福音ルーテル○○教会へ未洗礼の状態で移ってきた以降も、礼拝には出ていながら、家でロクに祈っておらず(ある時は10ヶ月の間に累計10分しか祈ってないことに気付いた時「オレは偽物だ」と思ったのをハッキリ覚えています)。

礼拝にちゃんちゃんと出席していても、家でロクに祈らない人間はちょうど塾に真面目に通って居居るけど家で勉強しない子と同じです。また坐禅をサボる禅坊主とも同じです。坐禅を組まない禅坊主とは何でしょうか?「禅宗の宗門から課せられた一定の課程を経たので僧侶の資格を与えられた、だから私は禅の僧侶です」というだけでは「私は洗礼を受けた。だからクリスチャンです」と言っているのと全く同じです。僧侶の資格を持っていて、単に佛教学部での幾つかの専門科目を履修して単位を取得し、卒業後に本山で1年修行を積んだら僧侶の資格が得られる(曹洞宗の場合、駒澤大学仏教学部を出ていると本山で1年、ウッカリ早稲田大学英文科を出てしまった、と言う人は2年の修行を課せられる)。
その1999年1月に私が彼女の祈りの姿勢・形("調身")がデタラメであり、それではロクな事態を招かないことを指摘したところ、彼女は抗弁して言うのです。

彼女は、親が大手コンピューター企業勤務で転勤族でした。それで高校に入学するにあたり、母方の祖父祖母の(土佐の)家に預けられたそうです。未だ子供の彼女は親から見捨てられたような気持ちになり、ワンワン泣いたそうです。ところが、高校時代に友人・人間関係で、神の恵みを感じるようなことが経験としてあったそうで、彼女の信仰の体験の最大の記憶となっている話を抗弁としてしてました。

話はここからです。
彼女の母方のお祖母様は実は、「タナスエの道」(今で言うレイキ)という手当て療法の出来る人です。これは戦前一世風靡し、信奉者は100万人を超えたとも伝わっています。戦後GHQの占領下で地下に潜ってしまいましたが、海外に流出したものが欧米人の間で「Reiki(あるいはRay-Ki)」として広がり、特にその手のものが大好きな欧米人は日本語の漢字表記のしかも旧字で「靈氣」と表記するのを好みます。

「靈」とは「「雲から雨がしたたり落ちる」象形と「口」の象形と「神を祭るとばり(区切り)の中で人が両手で祭具をささげる」象形から、祈りの言葉を並べて雨ごいする巫女を意味」だとか、「氣」とはこの「米」の形がエネルギーを四方八方に放射していることを示す表意文字である、などと説明されると面白がる人種が一定いるのですね。

ともかく、日本では一旦地下に潜ってしまった手当て療法が、逆輸入されて日本語表記では「レイキ」とされることが多いです。外国人が「靈氣」という旧字の漢字表記を好み、日本人が胡散くさがられない為に敢えて「レイキ」と表記するのは皮肉というべきか。

さて、この"タナスエの道"、レイキ、は「手を当ててレイキを流そう、と意図した時に流れる」という建前とは違い、現実には、晩年週一回ステロイドの注射1本を打つために、うちの犬を獣医に連れて行く為に助手席で私が猫よりも軽い愛玩犬のシーズー(♀)を膝の上に乗せている際、親父が「アレ?いつもと様子が違う。普段は外の景色を眺めたがるんだが今日は大人しくしてる。」というのです。つまり私が両手で膝の上の犬を抱えているだけで、レイキのエネルギーが流れていたのですね。


1996年秋にも、この犬は姐御(母ですw)の抗生物質の出鱈目な大量投与により、溶血性貧血・肝不全・腎不全になり、連れて行った獣医から「もう死にます」と宣告されました。獣医に出来ることはステロイドの注射1本打てるだけ。私も寝る暇も無い程忙しかったので、犬には悪いのですが睡眠時間を更に削って1時間だけレイキの"手当て"をしました。

そして翌日獣医へ連れて行ったところ、「未だ生きてたか?もう死んだかと思ってた」と言われたそうです。私も毎日1時間しか手当てに時間を割いてやれませんでしたが、初診から2〜3日後には止まっていた尿がドッと出ました。そして獣医からは「もう死にません」と言われました。更に数日後、つまり初診から一週間後には「もう来なくて結構です」と言われました。実際私が手当てをしようとしても、横たわっていた子がムクっと起き上がって逃げていくのです。死にそうな時には行きも絶え絶えの状態で大人しく受けていて、手を当てている私の手も熱くなりましたが、「もう不要」と感じると同じ犬が逃げていくわけです。

動物は実に正直です。「こんなもので病気が治ったら医者は要らない」だとか言った屁理屈を言いません。では「医師の権能とは何か?」と問うとそういう人はまず答えられないものですが。
医師の権能とは「診断・執刀・投薬」です。「治す」権能は持ってないのです。ですから、昔は海軍関係者も来たと言います。出発した軍艦の中で軍医殿が診断をしたところで、その後何が出来ますか?すると衛生兵たちが(あくまで診断して病名の確定後ですが)手当て療法で治してしまうのが早いのです。軍関係者は当たり前ですが徹底したリアリストです。効くものは採用する。効かないものは採用しない。それだけのことです。それはともかく、動物の場合は「今の自分の身体に必要だ」と感じると大人しく受け、「もう要らない」と感じると逃げていきます。

閑話休題。
彼女はこのタナスエの道、手当て療法(レイキ)の出来る母方のお祖母様と一緒に暮らしていると、目に見えない何かの流れがよくなり、物事がスムーズに動く、事物が道理の通りに動く、災いが自分を避けて通る、大難が小難に、小難が無難に済む、等要するに新興宗教の御利益譚と同じことが起こります。人間を超えたものを思わざるを得ざる、という生々しい体験をするに到るわけです。
ましてや、彼女はお祖母様と一緒に暮らしているだけでなく、時々(特に同居初期に)両手を額と後頭部に当ててじっとエネルギーを流して貰ったりもしていたそうです。

実は気功練功者の家族にも同じことが起こります。「一人練功、全家受益」(一人が練功すると家族全員が利益を受ける)。

もっと言うと創価学会でも同じことを言います。「一人が創価学会に入ると家族全員が幸せになる。」と教えているようです。私自身は厳密には創価学会とも創価学会員とも関わったことはありませんが、1995年に宝島社の『となりの創価学会』という本、ムックス?を一冊読んだだけです。この本は創価学会について公平な立場で書かれた珍しい本という意味で良書です。その本には、創価学会内部で調べた会員の平均「ナムナムタイム」の統計が掲載されています。

まぁ合掌自体が最もシンプルな気功、(内勁一指禅功においては「双手合十式」という。ちょうど禅宗式の合掌と寸分違わず同じ。実は佛教も宗派によって合掌は微妙に異なる。手の高さや肘の角度等)彼らは普段、合掌行という気功に熱心に励む人たちであるとも言えます。

そして合掌唱題の全平均が48分。これは、失業中や癌を患った等事に臨んでは1日3時間も合掌唱題する、

また2018年に、さる定年退職後の先生(カトリック教徒、哲学、「封入体筋炎」という難病を患っている。病名が変わる前、その当時は「多発性筋炎」という診断だった。簡単に言うと年毎に筋力が衰えていく病気)の長野県内の別宅の庭弄りを手伝いに引っ張り出され「車で諏訪大社へ連れて行ってあげる」という餌にも釣られて、2泊3日で手伝いに行って来ました。つまり3日間家族のように一緒に過ごしていたわけです。私は2018年の夏から、20年以上サボり続けた気功の練功を再開しており、私の練功は、禅宗出身で空手経験者なので、単位時間当たりの効力を上げるために馬歩站椿功(まほたんとうこう)の立ち方も出来るだけ腰を低く落として厳しい姿勢で行うので、非常に力がつきます。ただし真冬でもシャツはおろかトランクスまで汗でびしょ濡れになり、手の甲に汗が溜まってダラダラっとこぼれ落ちますが。だから10月下旬にその方の別宅へ行った時点では既にかなり力を取り戻していました。

そして、私が帰った翌日にメールが来てこの方が言うのです。
「今日は何故か体が軽くて、作業が捗る。きっと耶蘇善財さんのお陰。」

まぁそうでしょう。
3日間一緒に暮らしてたのですから。私からその人へ氣が流れていくのです。だからその人も私の気功の恩恵に預かるわけです。

私は気功に手を出した理由を「祈りの効力増強の為」と普段言ってますが、実はそれだけではなく、練功によって身に纏っている氣の厚みが増すと、物事がスムーズに、そして事物が道理の通りに動くのです。まぁ創価学会員の3時間の合掌唱題行で得られる力を上回っているかもしれません。宗教とはとどのつまり物の道理なので、道理を体得するという視点から優利になります。

私が、「四月書簡」以降に、無言電話(=迫害)を「いい加減にしろ」と思って止めさせた(「無言電話は止められたし。そんなことをしている場合では無い」と葉書を出したところ、翌日6月7日15時23分に電話がかかってきて、姐御が出たところ次の瞬間にガチャガチャっと切れたそうです。
これは実はTDE製品の「ディフェンスM」のVCDを回しっぱなしにして家全体に届くようにして、家族に不当な攻撃が及ぶことを防ぎました)https://www.tde.jp/id.54b.html

つまりこの「ディフェンスM」という一種の超能力応用製品は、「不当な悪意」に対してのみ作用するのであって、「相手が本質的に正しい場合には作用しない」等の設定がなされおり、正当不当の判断は要するに神が行うわけです。当然ですが、空手道場で師範の先生に稽古を付けて貰っている時には(この製品を"オートロード"と言ってお金払って体内にセットして貰っていても)、先生の突き蹴りが私に向けられ、当たるのは当然のことです。プロボクサーも試合で相手のパンチが自分に向かって飛んで来ることをディフェンスMは防がないでしょう。不当性がありませんから。戦時国際法に則った戦争での兵士に足しても弾丸は飛んでくるでしょう。
つまり無言電話をこの女の子の父親が私(の家)にかけておきながら「無言電話を止めろ、と言われて止めたら認めたことになってしまう」とでも考えたのか、さもなくば母親が夫に「本当にかけてないのね?では抗議電話入れるけど良いね?」という遣り取りが彼女の親夫婦間であったのでしょうか。抗議電話をかけようとしたのは母親(つまりこの人は無言電話はかけてない・・・だろうと憶測している)でしょう。しかし、こちら側からすると「不当な悪意」以外の何ものでもないのでディフェンスMが私にも家族にも働いて、電話が繋がった瞬間には最終段階の激しい頭痛を食らったのでしょう。そして驚いて電話を切ったと。


閑話休題。
"氣"でなくても、(今で言う)レイキが出来るお祖母様と一緒に暮らしているだけで、そういった、人間を超えたモノを思わざるを得ざる生々しい体験をする事は十分起こりうることであること、そういう話を、葉書に古いワープロで細かいポイント数で、連載で書き送りました。私が1995年から、どうやって祈りに納得を見いだしてきたのか?氣と宗教の関係をずっと考察してきて1998年の秋に
「あ、宗教ってこういうものか!」
という、第一の悟りがありました。
今まであったものが、頭の中でガラガラっと崩壊して、(蛋白質がアミノ酸に分解されるように)、次の瞬間に有機的に別のものに組み上がっていった感覚がありました。(でも決して知識が廃棄されるわけではないので恐れる必要は全くないのですが)。


そして、それがイザヤ書53章11節2行目「義なるわがしもべはその知識によって、」と書いてありますが、これは3,000年前には情報という概念はないので、「知識」と書いてある箇所の意味は要するに「情報」ですね。私が郵便物で連載を書き送った際、過去にどの牧師先生からも聞いたことが無いだろう、また今後も聞くことはないだろう視点での話のネタになったのです。当時の私が他人様に与え得る最高の情報でした。過去に「彼女に対しては良きモノのみを与え、悪しきものを与えることの無きように」と祈ったことは既に書きましたが、私も意地でも良きものだけを与えようと振る舞いました。過去の例の祈りのお陰でしょう。

既に書いた通り、電話ならガチャ切りするだろうところを人間は何故かトラブルの相手からであっても書簡は読みます。読んだ後クシャクシャにして捨てるかもれないけど、とにかく何故か捨てる前に読むものです。

これは図らずもコリントの人々に対してパウロがしたことと同じでした。「あなたがたのうちにあっては大人しいが、離れていると気が大きくなるパウロ」「彼の手紙は重々しく力強いが、会ってみると弱々しく、その話はつまらないパウロ」と書いてありますね。


そして母娘ともども、私の同じ文章を読んで思い当たるフシがあったのでしょう。
そしてその1〜2週間後に、彼女の母方のお祖母様ご夫妻が教会の礼拝に出ているのを見ました。
きっと彼女が「お婆ちゃんに会いたい」と言い出したのでしょう。そして母親も「うん、そうだね。来て貰おうね。」という流れになって高知県からわざわざ年寄りに来て貰って、恐らく数日以上滞在して貰ったのでしょう。

つまり祈りが無いと(それと平行してキチンと道を求め、道を歩み、道のために己を捨てないと無駄ですが)、

彼女は、祈りの習慣を持ったことが実は無かったと言う点において、かの創価学会員二世の女よりも、タチが悪く、問題は厄介でした。しかし1月の時点では理解できなかった私の話を、数ヶ月後には母娘共々理解するに到ったわけです。

まぁ、「お祖母様に何時までも頼ることはできないのだから、やはり自分の力で(自分でキチンと手を合わせることによって)信仰を掴み取って欲しい」とも書き送りましたが。
(睡眠薬を飲んでも全然眠れず、かといって祈れる脳の状態でもなさげなので、続きを書いてみようと思います)。

1999年9月9日金曜日の十字架までの最後の2日間についての記述はまた後回しにして、日福ル(JELC)内での私の立場がどう推移していくのかを考えてみます。

私が2000年4月にルーテル横浜教会へ行き、3ヶ月間(具象的な話をせずに、というか同一組織内で出来るわけがないので)聖書の引用のみをまくし立てた期間に、内海革牧師に対して私はこうも言いました。

「『イスラエルの街々を回り終わらぬうちに救い主が来るであろう』と書いてありますが、それがルーテル教会内の各個教会のことなのか、それともルーテル外の教会も含むか、今の私には分かりません」。

しかし、これは私が将来ルーテル教会で勝利者の立場として栄光を伴って凱旋する日を想定した言い方だったと思う。しかし黙示録にはこう書いてあります。

「勝利を得る者を、わたし神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外に出ることはない。
そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしのかみのみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、私の新しい名とを、書きつけよう」(黙3:12)。

ここからは「私が将来ルーテル教会に凱旋する日は来ない」と解することも可能です。そもそも私のしたことはマザー・テレサさんや修道女の渡辺和子さんの仕事のように称揚されてはいけないのですから。

かといって、ピラトの役が与えられた三流の牧師にとって都合が良いように事が動いて良いのでしょうか?それは聖書を学ぶ人の為になるでしょうか?私は薄汚い人たちのムシの良い欲求を満たすべくルーテル教会の歴史から抹殺されるべきでしょうか?

いえ、それは聖書の記述にもイエスの十字架事件とも矛盾します。イエスの十字架事件は2,000年過ぎても世界中で述べ伝えられています。もっと言うと「わたしが暗闇であなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ」(マタ10:27-28)。

と書いてあります。
しかし、私の十字架事件が称揚されたら、登場人物の全員が恥をかくことになります。

でも聖書は私に対してこう約束しています。それぞれイザヤ書53章12節、及び黙示録に出ているのです。
【以下引用】

イザ53:12
「それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。」(口語訳だと分かりにくいのでここだけ新共同訳から引用した)。

黙2:7
「(略)勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう」。

黙2:17
「(略)勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある」。

黙2:26
「勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける」。

黙2:27
「彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である」。

黙3:4
「(略)彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である」。

黙3:5
「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない」。

黙3:12
「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう」。

黙3:21
「勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である」。
【引用以上】


するとやはり私は、ルーテル教会内の薄汚い人たちのムシの良い欲求を満たすべく抹殺されるのではなく、黙示録3:12にあるように、「神の聖所における柱」になるのでしょう。そして「外に出ることは決してない」とのこと。「外に出る」とはやはり組織内で喝采を浴びる立場のことでしょうか。
余談ですが、この十字架事件の数年後の2007年だったか?十字架事件後、余りにも自分の運命が奇妙奇天烈で異常なので、私も西洋占星術を勉強していたのですが、占星術の中でも"サビアン"という技法があり、私は月が「権力の頂点に立つ」という度数(蠍座15度)を拾っていることが分かりました。

西洋占星術の大家である松村潔氏によると「固定宮15度には宇宙からの大きなエネルギーが流れ込む」とのこと。例えば獅子座ならば「芸能の頂点」だそうな。これが蠍座だと「権力の頂点」になる(ただしその範囲は人それぞれとか・・・)。上記に引用した黙示録が私に約束している記述と符合するします。

・・・まぁそんな立場を得る為にも、私はあの腐敗しきったJELCに留まらなければなりませんね。2006年に亡くなった組織の元老格であったH牧師だって私がこの団体に留まって働くことを強くお望みでした。(しかし白状するとルーテル教会のことを思い浮かべる度に私の胃腸は重りで下に引っ張られるような気分になります)。



話は大分換わりますが、十字架事件の基本的な構造は「十字架まで」と「復活まで」の2部構成ではありません。「十字架まで」「復活まで」「茨の冠の戴冠式まで」の3部構成です。十字架の要件もさることながら、こんなことすら神学者たちは知らないのですから情けない限りです。


更に、この連載を書いている間に何度も思うことですが、
「あなたがた(=耶蘇善財)を受けいれる者は、わたし(イエス)を受けいれるのである。わたし(イエス)を受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」(マタ10:40)。

「預言者の名のゆえに、預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名の故に義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう」(仝10:41)。

「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さき者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」(仝10:42)。

とあります。

内海革牧師は、真相を誰かから耳打ちされたらしき後になってガラリと態度が変わり、それまで毎週3ヶ月も説教壇から私と叩いて叩いて踏みつけにし続けていた(これが茨の冠(=神からの栄冠)の戴冠式であり、私はなお傷を負い血を流す)のに、打って変わって毎週毎週何ヶ月も私を褒めて褒めて褒めちぎるハメになりました。内海革牧師というのは、丁度伝説に聞いている(京大の共助会から預かっていた)北白川教会の奥田成孝牧師のように大変イカメシイ人物であり、信徒に飴玉を舐めさせるような人物ではありません。このことをある人(ギリシャ哲学者、2007年没)はこのことを「(ルーテル教会の)組織防衛の視点からだろう」と言っておられましたが、動機なんぞどうでも良いのです。聖書に記された起こるべき事が起こることに意味があるのです。そしてそれで良いのです。

それは恰も、イスカリオテのユダが私の心配をしているフリをして、ルーテル教会の青年組織(当時"ルーサーリーグ"と言った)の主に女の子たちの間を嗅ぎ回り、それが組織の女の子たちの私への強い同情を招いた結果として、

「主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。」(詩篇91:11-13)

ということが事が起こったのと同様でしょう。
ピラトがイスカリオテのユダの役まで演じたのだからマッタク以てご苦労な話ですw

これは内海革牧師にも2,000年の恐らく6月頃に申し上げたことですが、

「○○教会の人達に私が言うべき言葉は、もはやたったの一言しかありません。
『恥を知れ、・・・・恥を知れ!・・・。』
これ以上何を言う必要があるもんですか!」

と言ったのを覚えています。

また余談序でに申し上げますが、旧訳聖書の素晴らしさも然る事ながら、黙示録の素晴らしさが自然と分からない、自然と目が向かないのでは(エホバの証人のような低レベルな"終末観"からではなく)一定以上の水準に達した人とは思えません。(ここで信仰的にレベルの低い人の憎まれ口などききたくありません)。そして牧師生活数十年の間ずっと講解説教を続けた内海革牧師の牧師生活最後の3年間の講解説教の題材が『ヨハネの黙示録』でした。私は丁度それが始まる直前に横浜教会に辿り着いたので、説教で全部聴くことが出来ました。私にとってはタイムリーでした。

(もう夜明けにもなってしまったことですし、今回はこの辺で終わりにいたしましょう)。
【補足】
「主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。」(詩篇91:11-13)

つまり、具体的に起こったことは、ルーテル教会の他の教会の指折り勘定するほどの数の女の子たちが、入れ替わり立ち替わり私の目の前に現れ、慰めや励ましの言葉をかけてきたということです。

つまり私が行うべきことを行い、起こるべき事が起こったということでしょう。
猫月君による「青年会長の耶蘇善財が青年会の女の子にストーカー行為を働いた結果、教会を出入り禁止になった」というフレームアップの話が本当だったら起こりえないことです。ナシャさんも義侠心から随分怒っておられましたね。ナシャさんとはそれまで全く繋がりがなかったのですが、私は理不尽な目に遭っている時に何故か女性が義侠心から私の為に動くことが昔から良くあるのです。mixi内でもナシャさん含む2名の女性が私の為にそういう動き方をしました。つまり別の言い方をすれば、ナシャさんが私の為に怒りだしたという事実こそ、猫月君が私について嘘八百を言っている証左なのです。

もう6時なので、今回は本当にこれでお終いにします。
その後、アレコレ雑務や作務や勤行をこなして、睡眠薬等を飲んだのに未だ眠れないで困り果ててます。困ったので、また続きを書いてみましょう。


20年以上前、前世紀の出来事とはいえ、私はルーテル教会(と言ってもいつも書いている通り特に"日福ル"=JELCのことです)の数々の腐敗の1つであるがしかし最大級の腐敗の被害者です。(その他の腐敗はここに記すにはそぐわないので敢えて書きません)。


私がこのコミュニティにわざわざ所属した理由は以前書きました通り、私が(キリストに身を捧げる以外にも)この腐敗しきった日本福音ルーテル教会に残ってこの団体の為に働くことが本当に私の使命なのか?を自問自答する為です。


私が、一連の事件について書き終えて、それを読んだこのコミュニティの皆さんの反応で決めるとまでは申しませんが、皆さんの反応によってルーテル教会に残るか、決めるかもしれません。一種の占いですね。

しかし、"神の聖所におけるの柱"(黙3:12)として(当然「決して二度と外へ出ることはない」(全仝)者としてですが)居続けるかもしれません。(それってルーテル教会に居続けていることになるのかどうか自分でもよく分からないのだけど)。

ともあれ聖書・特に黙示録が私について記していることは実現しなければなりません。それによって、他の誰かが過酷な目に遭おうともです。私自身イエス様と論理上全く同じ地獄を見てきたのだから、私にはこれを要求する権利と資格があります。また2000年時点で私は内海革牧師に対して「聖書から一体どれだけの結果を捻り出すことが出来るのか、この目で見てみたいです」とも伝えています。それは聖書を学ぶ全ての人たちの励みの為でもあります。私は("弱者のルサンチマン"だとか寝言を言っているニーチェでもあるまいに)あの当時から泣き寝入りのキリスト教なんぞ教える気は全く無く「『修練を積み上げてきた者はこのような勝利を掴むのである』というキリスト教でなければならない」とハッキリ言ってきました。


聖帝コンスタンティンさんからは、「いっそのことルーテル教会を出て、カトリックでもどこでも行ってしまえばどうか?」と半分冗談ともつかないことを言われました。

私はそれに対して「ルーテル教会内で十字架に掛かり遂せた信徒が組織の外に出てしまうと、十字架にかけるほどレベルの低い信徒と、ピラトやイスカリオテのユダの役が与えられる三流の牧師等レベルの低い者たちばかりが残ることになってしまう。それで良いのだろうか?仮に私が去ったら、ルーテル教会を神が見捨てたことにならないだろうか?」と返答しました。

しかし、私自身が長老派で洗礼を受けずにルーテル教会に来たこと、そこで洗礼を受けて、青年会長を務め、十字架にかけられたこと、そしてその後、確かに復活はしたが元の教会での原状回復はなく、別の場所ではあるが、しかし"明るさ"(「彼に取ってはこれが一番良かったのではないかと思う」と組織の元老格の牧師先生が私のいないところで、内海革牧師と電話で話していて言ったそうな)を感じられる場所。そして、高さを感じられる場所(=内海革牧師のように優れた先生のいる場所、そこが高い所)への移籍="昇天")が成立しています。この話には非の打ち所がないのです。

実際創世記にも「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山へ逃れなさいそうしなければ、あなたは滅びます」(創19:17)と書いてあり、私の行動・事実と符合します。

余談ですが、私が2000年当時日本福音ルーテル横浜教会への転入会希望書及び理由書には、聖書の引用はたったの2箇所、しかも創世記から上記に引用の1箇所、エゼキエル書から1箇所「死んではならぬ者を死なせ、生きてはならぬ者を生かす」(エゼ13:16)のみを引用しました。新約聖書からは、2000年4月から6月まで毎週3ヶ月間、怒り(十字架上の苦悩とは怒りそのものです)が言動力となって怒濤の勢いで新約旧約のアチコチから章節の数字も含めて暗唱でしゃべくりまくり、私がどれだけ聖書を読み込み、難解な各種神話表現を解読しているのかを既に見せつけていたので、今更新約から引用するまでも無かったからでした。


ここで私は思うのですが、2000年4月〜6月まで、「ダビデの鍵を持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じれば開かれることのない者」(イザ33:33、黙3:7)と旧約・新約ともに同じ表現が出てくるが、この開いたり閉じたりするのは勿論「口」です。
順序に気をつけて欲しいのですが、私が本物ならば、最初に口を開いてアレコレまくし立てる。そしてある時点でピタリと口を閉ざす。その後、内海革牧師が説教壇から足かけ3ヶ月も説教壇から叩き続けました。「信仰の衣装を纏った自慢話!」「当たり前のことを当たり前にやっているのだから何の自慢にもならん!」等々。つまり私が以前の○×教会で不始末をやって追い出された(猫月君のイカレタ脳内ではそうなってるらしいが)のであれば、そもそもこんなことは言われない。人間は嘘を申しているのかマコトを申しているのか見分けられるものだからです。

そして、内海革牧師が足かけ3ヶ月私を悪し様に言い、踏みつけにし続けた事こそが、神からの"茨の冠の戴冠式"だったのです。道(=キリスト)の故になお傷を負い、血を流す。それ故、内海革牧師の手は気が付いたら耶蘇善財の血で血まみれになっていました。だからこれは起こるべきことが起こっただけのことであり、お互い当時のこの件については、記憶はあっても感情的な凝りはありません。

内海革牧師も男らしく潔く謝りましたし。(今時の若くてだらしない牧師は潔く男らしく詫びることすら出来ない者も多い。その癖、昔の世代の牧師先生方よりもふんぞり返っているのだからどうしようもないです。何を勘違いしているのやら...。自分の力で集めた弟子でもないのに「牧師になれば一国一城の主だ」などと下劣な言葉を牧師会議で交わしているようです。序でに江戸時代の一国一城令の意味を取り違えているw。"一国一城令"とは、一国当たり城は一つまでに制限する決まりが一国一城令である)。


昔、2005年頃だったか?旧2chのルーテル教会スレッドで、
「何か勘違いしている人がいるみたいだから書くけど、『人はその仲間を見れば分かる』という。一級の牧師には一級の生徒がつき、三流の牧師には三流の生徒がつく。何も牧師と信徒の間に階層差があるわけではない。・・・実に上手く出来てるじゃないか」という書き込みをしたことがある。これをルーテル教会の一部の牧師たちは、内海革牧師の書き込みだと思い込んだようだ。いえ違いますよ。それ私ですから。

この話は私が内海革牧師の前で話したものである。ひょっとしたら内海革牧師はそれを牧師会議の(始まる前の雑談等で)席上でそのネタを話したのかもしれない。「ウチの信徒には十字架に架かり遂せて、その地獄から這い上がり、茨の冠の戴冠式までやり遂げた者がいる。」「そういう信徒から先生として遇されているオレも満更捨てたもんじゃない」ということにもなる。

また2万人の組織で支持者が数十名しかいなかったが、しかし(自分で言うのも口幅ったいけど)耶蘇善財一人の支持がルーテル教会の1千人にも1万人にも相当する心強さが牧師夫妻ともどもにあったと思う。何故って耶蘇善財のキリスト教は恐らく何かが正しいから。


しかも私は禅宗出身なので、禅の教えを一通り知っている。曹洞宗系の高校時代、ポケットマネーで、道元禅師の説教集である『正法眼蔵随聞記』を買って来てボロボロにするまで読み込んだ。「鉄(魂)は熱い(若い)うちに打て」である。

禅の世界では"悟後の修行"と言って「悟った後も修行しなければならない」と教える。「悟ったのだからもう修行しなくても良いじゃないか!」と言う考えは大きな×点を付けられる世界である。

高校時代からそれを知っている私は、「十字架に架かり遂せ、その地獄から復活したオレほどの者が今更教会に通うでもない」という料簡を起こさなかったことは、謙虚なのでもなく、立派なのでもなく、ごくごく当たり前のことなのだ(と内海革牧師に対しても申し上げた)。つまらない譬えで言えば、空手で初段を取得したら次は弐段を目指さなければならない。当たり前のことです。




十字架事件の記述は実に難しいです。(キリスト教グレゴリ暦で)1999年9月7日火曜日つまり、十字架までの最後の3日間の初日までは既に書きました。しかし、かの事件を時系列的に記述するだけで十字架事件は十分に表現しきれるのだろうか?とずっと思案しています。

やさん と申します。
宜しくお願い致しますクローバー

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