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発達性知能『思想哲学』クオリアコミュの死も人間の本能の1つ。

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【死も沢山ある人間の本能の1つです】

死も人間にとっては本能行動の1つだと考える事に哲学的な意義が増すと思います。

勿論生きるも本能行動の1つです。

本能行動とは純粋本能に半分ぐらい自由意志が加わって進化発展した人間の新しい心と言う意味を持ちます。



まず人間の死を宗教観から切り離せる利点があります。人間を生物の1つとして科学的に考える根拠を持つ事に違和感を持たなくなると思います。


死は不可避でしょうか? 

やがて科学的な時代は死と生をコントロール出来る時代が来るでしょう。
人間に不死の時代がやってくるという夢の様な時代です。
そうしたら人間の幸福観も大きく変わりますよね。生き方がもっとも重要な哲学になると思います。


宗教観では絶対に現実的な事でありません。せいぜい根拠の無い輪廻思想が最高の不死物語ですが、今でも現代人の中にはこういう物語や空想を興味本位だけで語る古典思想家も大勢いますね。




上記【本能】と【本能行動】のいま1つの違い。

その1つは【予備力】の可能性の違いとも言えると考えています。

【本能】の死には【予備力】が存在しないと考えています。

上記に書いた【本能行動】には【予備力】が存在させられる可能性があると考えています。

コメント(14)

霊魂と 【予備力】【負の予備力】そして【クオリア空間】 古代人は存在し無いのに霊魂だと言う。

【予備力】は時間の概念と共通すると考えると、人為的に臨界期が起こり【神経の入れ子構造】が脳に出現する現象も腑に落ちるかもしれない。

電子の流れとゆらぎが作る 【予備力】の存在を確認する方法があれば、哲学は新時代を開くことになるだろうと思います。それは【非線形科学】の分野で切り開かれるのだろう。
量子論的【電子】の概念を引きずると【予備力】が生まれそうです。

霊魂と 【予備力】【負の予備力】そして【クオリア空間】 古代人は存在し無いのに霊魂だと言う。


多分、量子論的電子の存在と生物としての人間の存在が違うのだと思います。だから不完全なのが人間なんです。そもそも人間には正しい答えは存在し無いのです。永遠とか死とかの問いは人間の問いでは無くて量子論で言う電子の問いだからです。こう言う感じで考えるとすっきりと私は思っています。

違う考え方が当然の事としてあると思います。私のほうが違う考え方と言うべきですけど。
死も人間の本能の1つ。であるならば○○は××であるだろう。が成り立つと考えられる。



例えば 

人間社会は過去を過去の記録とし現在を刹那とし未来を未来の記録とする事で文化文明を進化発展させた。
記録は人間の意識の補助機能を担っている。
悲劇は歴史の悪戯

歴史の悪戯によって起こる人間の悲劇はその歴史を作った人間の考え方と国民の考え方を学ぶ事で悲劇を避けることができる。

歴史を作った人間と国民の考え方を悲劇として繰り返すか、そこから真摯に学ぶのかが人間の脳で起こる現象変換の仕方に、良くも悪くも依存しているという不確実性なのだろう。
仏性とは催眠状態に心を置き換えるので不確実な裏多心である事を言っているようです。


○形而上 ≪意識のバグ・意思のバグ≫
形而上の意識は裏多心である。そして不確実な意識である。

キリスト教・イスラム教・仏教、形而上的傾向でほとんどの宗教では大いなる思い違いがあると考えています。

では、仏性とは・・仏性は裏多心と同じなんです。更に言うと催眠術にかかった思考状態と似ているんです。顔から表情さえ無くなる事もあるので不思議なことですけど、多分大昔からその様な人間になると言う事なのだと思いますけど解かりやすくできています。



○形而下 ≪過去の記録的存在・刹那的存在・未来の記録的存在≫
形而下の意識は多心である。その意識は不特定多数の人間に理解されうる理由や説明が付く意識である。

IT制度社会の裏付けの有る社会。人類が志す物であり科学の目で生きる為の環境問題を常に大命題としているものだと考えています。

仏性は不確実な裏多心であるので、真の民主主義社会では仏性や宗教を人に説く物では無いと思います。
人間は社会的動物である。この意味は本能に対応する最適な社会規範の考え方の中にも考え方の良し悪しとして存在しているものであると言えます。by 桜の花

人間の本能の全てに対応する為の社会規範が正しい【法の段階構造】を維持し護れる。本能全てに対応するという概念を歪めていたのが封建時代や宗教の時代や擬似的封建時代と言える。

人間の尊厳は社会規範によって護られる社会が成り立つのも上記意味に根ざしているからでしょう。

私達の発達性知能は人間の本能の全てを把握する手段を掴もうとするかのごとき出もあります。それが私達の心に沸き起こる「安心感の感覚」と「不安感の感覚」の二つの間を波のように揺れ動く現象を正確にむしろ科学的に捉えてその状態の因果関係を科学的に把握する事で、次なる進化を獲得できるのかもしれないからではないでしょうか?

意外とそれが古代社会から現代社会までの日常に、血液の流れとイオン交換とガス交換と心臓の働きの様な関係として普通に存在しているのかもしれません。
【本能】は【自律神経に繋がった無意識の事】を言う。 by 桜の花

この【本能】に 半分ぐらいの自分や他人の多心や裏多心という意識が加わって、ダッシュ【´】が付いた【多心´】や【裏多心´】という【意識´】となっている。by 桜の花

ミトコンドリアの1つの働き、シナプスの中でミトコンドリアが働かなくなると神経細胞内で神経伝達物質(カルシウムイオン)が蓄積する。やがて神経細胞がカルシウムの塊になり認知症の原因になる。脳の活動として意識回路と感情移入回路のバランスよい使われ方の無くなった生活も原因の1つかもしれない。
シナプス結合の末端で、インパルスを伝達する時に結合の
すき間に放出した、神経伝達物質(カルシウムイオン)を、
次の放出にそなえて再び細胞内に取り込むべく、細胞膜に
ついているポンプを動かす燃料生産のためです。
本能を【望み】と言うが
本能を失う事を【失望】と言う
生きる事も死ぬ事も
1つ1つで別々の本能です。
【望み】に勝るものが【自己覚知】=【真理】
                  by 桜の花

【自己責任】≠【真理】と【自己覚知】=【真理】比較して考えたいものです。
本能を【望み】と言うが
本能を失う事を【失望】と言う
生きる事も死ぬ事も
1つ1つで別々の本能です。
【望み】に勝るものは【自己覚知】=【真理】です。
                  



【自己責任】≠【真理】と
【自己覚知】=【真理】を 比較して考えたいものです。


【本能に勝り】か【本能に負けて】かの問題がそんざいする。
客観性とは相対的である。
【自己責任】≠【真理】
  ↓ 
【自己責任】は相対的であり取れる能力が【本能に勝り】有る 無しに進む



主観性とは絶対的である。
【自己覚知】=【真理】
  ↓ 
【自己覚知】を絶対的に自覚する能力が有る 【本能に負けて】無しに進む
                             
【自他己覚知】>【真理】の社会が【真理】が見える社会なんです。

客観的である 
【自己責任】≠【真理】

主観的である事を自覚することで相手の主観的な気持ちを理解する
【自己覚知】=【真理】


此処で言う“自分と相手の主観的な気持ちを理解する”と言う真逆の論理は宗教や介護の世界で これが当たり前の教育・学習になっている。野蛮な教育・学習だと考えています。
本来、正しいのは“主観的な考えの人”が“相手の客観的(科学的)な気持ちをすんなりと理解する”のが正しい教育・学習です。
両者が主観的ならば其の社会は主観的社会でしかありません。 両者が主観的な教育・学習を繰り返している【自己満足】だけなんです。

【自己満足】【主観的社会】は【自他己覚知】に及ばない。

【自他己覚知】>【真理】
ポツンと一軒家の番組は面白かった。【自他己覚知】

現代社会の私達ほとんどのアイロニーだったからです。

私達ほとんどはごみごみした都市や町に住みながらも振り返って【自他己覚知】をしてみればポツンと一軒家生活をしているからです。

【自他己覚知】>【真理】
自分や家族や仲間しだいなんですね。その{>【真理】}は。


{【自他己覚知】>【真理】}この意味が少し少し理解できるような気がします。
人生ますますの不老長寿化は万歳ですね。200年 300年・・・
【自他己覚知】>【真理】
自分や家族や仲間しだいなんですね。その{>【真理】}は。

人間社会が健全であれば此処までなのです。この上は観念が無くこの下は観念が無い、上にも下にも法律も規則も倫理や道徳もないのです。


自分が解からなくなった人間は【眼窩前頭皮質の回路が狂うと観念だけが存在してこうなります】。
【意識のバグの人間】>【自他己覚知】>【真理】
自分や家族や仲間しだいなんですね。その{>【真理】}は。

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