◎哲学は 真理であったり 因果関係であったり 機能であったり 存在であったり 神であったり ・・時代によっても 社会によっても 進化によっても、その様に意味を変えて存在する。
哲学は 意味を変えて存在しています。解かりにくいはずです、面白いはずです。
◎私達人間の心は 表裏があって意味を成し、観念で構築されている故に表裏をもって存在をなす。二つ以上の多数を持って存在を成す。だから 意思伝達に於いても 言語が違えば伝わらないのだと言う事です。
◎思想哲学の入り口にあるものは・・・感情と理性と言う意識(心)を認識する事が 思想哲学の諸問題を見つめる為の そもそもの入り口になります。
これを言い換えると「無意識の領域から冴える」と言う意味になると考えています。
例えば「職人技」「プロの技」と言う事でリアルに目にする事が出来ます。
それは・・光が、【波の性質】と【粒子の性質】を併せ持っている事と似ています。
意識が 【感情=波の性質】と【理性=粒子の性質】を併せ持っていると考えられるし、感情には大きな振幅を比喩で現してもいます、実際に脳波を波形で表してもいる事にその意味を重ね合わせても面白いと思います。
真宰(しんさい)(根源)は 存在するのか。これは 大昔から 永遠のテーマだと考えられているものです。
光が【波の性質】と【粒子の性質】を併せ持っているように、万物の根源は 複数の真宰(しんさい)から【生まれたる物】だと考えられる根拠があるように思う。こういう意味で、フラクタル理論も根拠になるのかもしれない。
【裏多心・裏一心】とは 【裏多心機能】とは 何!(感嘆符)
人間(共生しているミトコンドリアの特性も含めて)や社会の【欲】であり【見当識機能の悪用と善用】の糸口だと考えています。
曖昧な心の言葉の表現は 心を複数形とした言葉だから(心は単数形でないから)・・心の基本形が複数形で、むしろ単数形が例外。しかし 私達文化は 単数形として処理してきた歴史を持っている。
思想哲学の先行研究・宗教・法律は 先人の【理屈】だから・・
【裏多心・裏一心】と【裏多心機能】をもって
人間学を成すものだと思います。!(感嘆符)
古代から存在する思想哲学の先行研究が 先人の【理屈故の研究発表】だと考えています。
これを越えて 『思想哲学越』として考えています。
そして、自分の理屈を切磋琢磨しながら楽しむコミュニティーになればと思います。
思想哲学に関しては 絶対的研究成果が認められていないと考えているところにもよります。
こういうのが生命の哲学的思考 プラグマティズムだと思います。
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人間の心 一人でも複数形・・・
曖昧な心の言葉の表現は 心を複数形とした言葉だからです。単数形だったら単刀直入で 誰でも解かりやすい言葉や表現になります。
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良い意味では・・
人間の心が 人類の進化発展の原動力だと考えると 生きる気力のエネルギーになると思います。
現代社会の心の癒し・潤いの素、心で作る文化の中心を成していると思います
悪い意味では・・
人間は 他人を悪用いたします。他人に罠を仕掛けます。
「裏多心 と 裏一心」≧「錯覚・予想」≧【欲】≧【見当識機能の悪用】
「裏多心原理と裏一心原理」≧「錯覚・予想」≧【欲】≧【見当識機能の悪用】
一言で「錯覚」と言われるものは・・・「錯覚(Illusion)」も心なのだと言う意味をもちますから。
しかも 社会現象をある一面で見事に彩っている心ではないでしょうか。
【欲】と【事前の策】の概念の認識は 自分自身だけでなく健全な社会を目指すベクトルに思えます。(これも 錯覚かどうかは 貴方の判断です。面白いと思いませんか?)
「裏多心原理と裏一心原理」と言う表現で捉えると 「多心原理と一心原理」に対する形で 新たな認識力になり 社会認識をネット社会に合わせる働きにもなると思います。
社会現象的「錯覚」は 自然現象の「ブラックホール」に似ていると思います。
インパクトを感じてもらえますでしょうか。
社会現象的な「裏多心原理と裏一心原理」とはどう言う事でしょうか?
それは・・・
欲・夢・事前の策・マジック(手品)・詐欺・相場(投機)・命令・殺人や自殺(死のイメージ)・カルト・宗教・等々
◎認識が無いと問題多発と言う 現象や事象を必然的に起こす事になる。
経済的には・・・
近代合理主義の申し子 プライスメカニズムの理念でなく、その現実です。
政治的には・・・
現代社会です。三権分立を建て前とする民主主義国家制度です。 現代の終焉こそ 真の民主主義社会へのベクトルだと思います。
病理学的には・・
増加しつつある現象として 現代の神経性の病気です。
この例だけでも、もろに一つの矛盾を解決しても、その後すぐに 更に大きな矛盾を生む仕組みだからです。この様な仕組みをカオスと言えると思います。
多心原理・裏多心原理・一心原理・裏一心原理の働きを 新たに認識する事が個人的にも社会的にも 必要不可欠な時代にネット社会はしていると思います。
近代西洋哲学が完成する以前は・・・
この裏多心と裏一心がメインであった。
そして、現代でも 主観性と言うことばで表せるものとして個人にも社会事象にも存在し残っているのだと思います。
そして 永遠に人類の特性としても残るものだと思います。変わらない限り。
故に 多心原理の働きや一心原理の働きの認識(理性的・科学的認識)と共に 社会的事象の進化発展が可能であったのだと思います。
「多心 と 一心」と対をなして考えられると思います。