体内時計は【ミトコンドリアの機能】である。
特に 人間にとっては ミトコンドリアの機能と言えるもの・・
一つの細胞が分裂増殖する性質と特性は 耐性菌で伺えるように、その獲得した特性が「生きる気力の感覚」とも言える意思を持って、ある一定の規則の元に仲間の細胞に無条件で獲得した特質として伝播する。
細胞レベルに言える特徴。スピリチュアルの考え方はその応用だ。
ミトコンドリアのお陰で、人間同士の意思をバラエティーに伝えられる、そして他の意思をバラエティーに受け取れる、この両方が相まって「意思疎通」と言う事になる。言葉だけではなく 音だけでもなく 色だけでもなく 耐性菌の特質の伝播(遺伝子の水平伝播)のように三次元や四次元的ではなくn次元的意思疎通が 人類の未来には存在しているのかもしれない。
でも、ミトコンドリアと人間の意思疎通がどのように行われるのか解かりませんよね。
運動するまえのウォーミングアップは 人間の意思が意識的にミトコンドリアに熱を作ってもらう為の意思疎通かもしれない。
男女の愛撫に始まる興奮も無意識ながらの意思疎通かもしれない。
共生した関係をもって 適切に【生きる為の環境】が示唆されていると考えています。
自分自身と共生生命体であるのに 実体としての質感的感覚も様子としての感覚も無い為に存在の自覚が無い。
『一粒万倍』の穀物や類した食物が 普通に感じるほどの人類に幸福をもたらした歴史に、私達は何も学んでいないのかもしれません。
【ミトコンドリアの機能】が まさに『一粒万倍』に等しいと言えるのですが。だから 正常に機能していてくれていると 普通に思ってしまうほどの私達に幸福をもたらしてくれている。『一粒万倍』と『普通の感覚』は並べてみると違いますけど、私達にとっては 面白い事に同じなんです。
私達人間の生きていく為のエネルギーを常に供給している 確かな存在なのに。
そして 人間の病気の何割かがミトコンドリアと関係があるのに。
生物の本能行動は ミトコンドリアと生命共同体を成す その産物です。従って副交感神経は 生命共同体としての身体の機能として獲得した産物です。見当識機能は ミトコンドリアと距離を置くための生物各種、そのおのおのの心の産物です。(by 桜の花)
【衣食住が足りて礼節を知る】と言う事も言いますけど・・
これには 間違えも含まれていそうです。
私たちは 自らが【寛容】なのではなく 共生生命体が居てこその事なのだとも思えます。
思想哲学 宗教には ミトコンドリアの事が考えられているのでしょうか?
未だにミトコンドリアの事を詳しく解かる時代でもないのですけど・・・
今からでも考える事は 私達が考える事にはプラスになると思います。
これは【生きる為の環境】と言う事になるからです。
◎哲学は 真理であったり 因果関係であったり 機能であったり 存在であったり 神であったり ・・時代によっても 社会によっても 進化によっても、その様に意味を変えて存在する。
哲学は 意味を変えて存在しています。解かりにくいはずです、面白いはずです。
◎私達人間の心は 表裏があって意味を成し、観念で構築されている故に表裏をもって存在をなす。二つ以上の多数を持って存在を成す。だから 意思伝達に於いても 言語が違えば伝わらないのだと言う事です。
◎思想哲学の入り口にあるものは・・・感情と理性と悟性を三つを合わせて言う意識(心)を認識する事が 思想哲学の諸問題を見つめる為の そもそもの入り口になります。
これを言い換えると「無意識の領域から冴える」と言う意味になると考えています。
例えば「職人技」「プロの技」と言う事でリアルに目にする事が出来ます。
それは・・光が、【波の性質】と【粒子の性質】を併せ持っている事と言う【粒子と波を併せた性質】と似ています。
意識が 【感情=波の性質】と【理性=粒子の性質】を併せ持っていると【悟性=粒子と波を併せた性質】と言う様に考えられるし、感情には大きな振幅を比喩で現してもいます。実際には一つの把握が限界であるところの脳波を波形で表してもいる事にその意味を重ね合わせても面白いと思います。
真宰(しんさい)(根源)は 存在するのか。これは 大昔から 永遠のテーマだと考えられているものです。
光が【波の性質】と【粒子の性質】を併せ持っているように、万物の根源は 複数の真宰(しんさい)から【生まれたる物】だと考えられる根拠があるように思う。こういう意味で、フラクタル理論も根拠になるのかもしれない。
困ったときには