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◆日本の神話と古代史と日本文化コミュの神国日本のこれから。

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「神の国」発言をして、マスコミに叩かれ、倒れてしまった総理大臣がいた事は、まだ記憶に新しいと思います。

ただ、この発言はそんなに悪い事なのか。

「日本書記」にもあるように、日本は紛れもなく「神の国」だと思います。

神道、そして日本の文化そのものである天皇、皇室を廃絶させる皇室典範の改正を進めた総理大臣がいた事も記憶に新しいと思います。


皆さんは、この様な日本の国体、伝統、文化を狙う怪しげな勢力、そして左翼独裁が政権を取ってしまったこれからの神の国、日本についてどのように感じますか??

ご意見、よろしくお願いします!

コメント(129)

83と84とまったくおんなじ言葉ですよ、ぺぺさん。

政治の場で日本は「神国」です、というのは、各々の信じるところを邪魔してしまいますから、あまり行儀がよろしくない態度ではないでしょうか。

天皇は続くといいですね。
> 大元さん
キリスト教やその他の宗教や無神論者の人が、
自身の宗教的な背景から主張をするのが許されて、
神道のみがダメだというのは私は不平等だと思いますよ。

それから、神道政治連盟の所属議員にもキリスト教徒がいますけどね。
> とみこさん

みな言ってはいけないことは心得ていらっしゃるはずですが。もちろん、神道の方々も、そのようにみえます。

というのは、
いくら支持者が少々増えたとて、それに勢いを任せ、政治等において神国とか仏国とかそういった言葉を口にするというのは、日本国の方々それぞれの深い信念に対して影響がとても大きいということが、分からないといけないのではないでしょうか。
あの「神国」発言に対しての反応を見ましても、それは全くはっきりとわかると思いますよ。
> ぺぺ@東1さん

そのようにおっしゃっているととりました。
失礼しました。
始めてコメントさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 私の住む近くに有名な観音様が鎮座しております。その左隣りに神社が、その右隣りに寺があります。このようなパターンは聖徳太子(推古)時代以降に本地垂迹説によって「神仏習合」が成されたことによって生れたものと考えられます。真ん中に位置する観音様は神と仏を結ぶ位置にあったものと考えられます。因みに奈良県の長谷寺の坊さんは、毎朝東に向かって(日の出)柏手を打っています。
 私は歴史研究に左右のイデオロギーは必要ないと思います。イデオロギーに左右されることなく研究することが求められるものと思います。総理大臣の神国発言とか左翼の皇国史観発言は、本当の(この本当のは問題を呼び起こす表現になる可能性があります。問題を起こす意味で使っていないことを事前に断っておきます)歴史研究はイデオロギーに関係ありません。
 わが国の歴史研究はまだまだ真実に迫るまで到達するには程遠いところにあるように思います。それは『記・紀』に仕組まれた隠蔽工作の解読作業が進んでいないところに最大の要因があると考えております。それには『記・紀』解読の核を見つけ統一的歴史観の構築が求められているのではないでしょうか。       



一方的な質問だけを相手に投げつけて
相手だけに見解を述べさせるというのは卑怯な論法です。

質問する際にはその質問に対する自分の見解も
学術的な観点から述べましょう。


>>66なんて卑怯な様をさらけ出しています。
> とみこさん
あなたは大和の方のようですから、少しは御存知と思いますが、
昭和50年代位までは、そのような発言を我々集落社会の者や
政治家がしても大した問題とはなりませんでしたし、
報道されることもありませんでしたね。
見てみぬ振り、聞いて聞かぬ振りでした。

しかし、公立学校では50年代からは寺社の参拝や地域伝承を教えたり
語ることさえ実質禁止を言い渡されて、
方言も禁止されたりすることも出てきていました。

また、地域伝承を持っている家の子供達には、
教員から嫌がらせを子供もおります。
そして、我々も自衛のために沈黙しましたし伝えなくもなりました。
ただ、興味を持った子供がいた場合、
学校を卒業してからもし興味があれば教えましょうと言っています。

話は戻りまして、60年代からは社会の風向きも
かなり変化してまいりましたよね。
変化した後には、我々も神職の大半も政治家も、
なるべく公の場や他所の家では、そのような発言を控えてまいりました。
この種の発言は、政治的に利用される恐れがありますからね。

そうことで、森さんが発言されたことは驚きましたし、
やはり予想通りの反応となったわけでしたから、
あの時点においては避けておくべきだったとは思っていました。

が、時代もまた変わってきましたからね。ネットの普及もありますし。
この種の発言をする人が出てきても、驚かなくなりましたし、
特に取り締まられている様子もありませんからね。昔と違って。
> 月清さん

詳細、ありがとうございます。
そんな世の中の風潮が、とても残念でなりません。

しかし、このネットも、人権侵害救済機関が設置されると、恐らく規制されてしまいます。

三権分立から独立したこの巨大権力(在日外国人や被差別人とされる人達による組織)が、この日本の文化、伝統、真実の歴史や、宗教に、取り返しのつかないダメージを与えると危惧しているのですが、どう思いますか?
> 松。さん
多分、そういうことも出てくるかもしれませんね。
kurumirukuさんが挙げられているように、
イデオロギーで歴史を追及する姿勢がまだ以前勢力を振るっていますが、
やがて治まっても行くでしょう。

最近の学校の歴史教育は色んな資料を持ち込み
当時の世相を探るといった形式が増えていっていると聞いています。
組織の方も過激な活動を次第にしなくなってきています。
いくら国が強力に政治的組織をバックアップしたところで、
ますます政治不信へと繋がるだけででしょう。

今は在日の方も参拝されていたり、氏子総代になられて
神社や地域のために活躍されているケースも出てきています。
総代会やお祭りの場で、日本は神の国だと言われている方もおります。
そういう方々を非難するような報道が現れるかどうかですね。
今のところ政治的組織側も、そういった現象に批判が出来ずに
手を拱いています。

上にあげましたように、キリスト教徒の参拝も以前から
報道されていない・知られていないだけでかなりあります。
騒いでいるのは、政治的な意向を持った人たちだけで、
日本人の大半はご近所であれ、住み分けをすれば済むことを
既に学習しています。

まぁ、イデオロギー闘争は一部では続くでしょうけど、
すっかり呆れられています、希望を捨てる必要はないかと思います。
「これから」なんてのを語ろうとするからトゲトゲするんだろうね。
過去の事実や伝承を元にして持論を展開するならまだしも
これじゃイデオロギーを語るのと同じですよ。

あえてこれからを語るというのなら
伊勢神宮が式年遷宮で「米の座」から「金の座」に移るので
安泰から変革へと、時代は転換すると思われますよ。
民主への政権交代もこの序章だったりして。
>kurumirukuさん

>それは『記・紀』に仕組まれた隠蔽工作の解読作業が進んでいないところ
さて、それはどうなのでしょうか?
うちの当時の先人らしき人たちは記紀でも敵対側と書かれていて、
実際そのような行動を取ったようだと伝えられています。
しかし、東征によって地域の集落国家間の対立が解消されたと
非常に感謝されております。
今の言葉に直しましたら、仲裁者を得たという感覚ですね。

こういった類のものは確かに学術的には全く根拠がないものなのですが、
結構他所でもそういった話が残されているところがあるようでして、
当時の対立地域といわれているところの人達にも、
そんな話をしましたら「それはうちでもそうです」という話が聞けましたから、
私は、記紀を陰謀とは考えておりません。
>>106
分からないと言いながらあなた自分自身が何を聞いているのか分かっていないのなら黙りましょう。
自分の質問に意図があるのであれば、それを先に表明しましょう。
無知と馬鹿が入ってくるとそんなくだらない者のために話がくだくだになります。

ここは学校ではありません。
分からないことは自分で調べましょう。
分からないまま質問するのは愚かなだけです。そういう馬鹿は日本人を辞めましょう。
ペペ@東1さん
 ごめんなさい。議論に参加するに際して少し時間を戴きたいことを事前に述べておけばよかったと反省しています。もう一つ『記・紀』の隠蔽工作という表現を使ってしまったことです。このために「この手の陰謀論的発想こそがイデオロギーの産物だと映ります」という発言を引き出してしまったように思います。私は陰謀論的発想をもって『記・紀』が編纂されたとは考えておりません。これらを含んで、この議論は多くの紙面を必要とします。少し長い目で見ていただきたいと願っております。
 赤猫@好戦平和さんが言われるように「一方的な質問だけを相手に投げつけて 相手だけに見解を述べさせるというのは卑怯な論法です」はもっともなことです。言葉足らずでそのように受け取られるのは書き手側の粗相です。これからもあり得ることです。十分に気をつけたいと思います。ただ故意に行っているわけではありませんのでご理解ください。
『記・紀』解釈において、大きく分けると、
?神話を含んで史実を語っている。
?史実を語るところもあるが、そうでないところもある。
?まったくのでたらめである。
 以上のように分類してみました。
 私の『記・紀』に対する考え方は、少数派だとは思いますが?の考え方です。この立場は、ペペ@東1さんが指摘されるように「後世の人が解読できるような隠蔽工作とは、どんなものでしょう?また、何のためにそれをするのでしょう?」ということに一つ一つ答えてゆくことが求められます。
 成果が得られるかどうかはわかりませんが、挑戦しています。時間はかかると思いますが……。
月清さん ありがとうございます。ご挨拶が遅くなってごめんなさい。今後ともよろしくお願いいたします。

第二の言語 図形と文様について その1
 仏教問題があって聖徳太子時代以降、天智を経て天武時代まで神仏の関係は国家の存亡に関わる重大問題であったと考えられます。これに対し本地垂迹という考え方を編みだし、結果律令制の確立に役立ったことは認められてよいのではないかと思います。
 突然に話は縄文草創期に遡ります。今から一万三千五百年ほど前(炭素14の測定法から700年ほどの誤差があったとしても重大な影響を受けるものではありません)、長崎県佐世保市の福井洞窟遺跡から豆粒文土器が発見され、さらにその上層部から隆起線文土器が検出されました。
 豆粒文土器と名づけられたのは眼形状のものがその土器に貼り付けられていたことによります。これを図形的に見ると「)」形を180度反転させたものと合体させたカタチ、つまり「眼形」
になっています。拡大解釈して大豆や現代のアーモンドの形です。種子に多く見られるカタチです。
 次の隆起線文土器は図に見るように、私は螺旋形から生れた文様と考えています。豆粒文と隆起線文の共通点は「)」です。
「)」は向かって右側から見れば凸形であり、同じく左側から見れば凹形になっています。+形とか×形とは違った相対性というか、つまり両性具有(一つ形で二つの性質をもっている)であるといえます。私たちの周りを探してもほかに探し出すことができない特殊なカタチをもっています。
第二の言語 図形と文様について その2
 ところで、豆粒文は一つの「)」を180度反転したものの両端をつなぎ眼形を作り、一方隆起線文の元の形が螺旋形と考えれば一方の「)」の端と180度反転させたもう一つの「)」の端とをつないだ形の連続形から成り立っています。つまり、「)」は180度反転することによって新しいパターンを生み出していることになります。ここで忘れてはいけないことは、この現象を引き起こすカタチは両性具有をもつ「)」形の上での現象ということです。
 180度反転した「)」形の端と端をつなぎ合わせる場合は、気づくことはそれぞれの両端の向きは違っているということです。わかりやすい言葉でいえば、両者に細長い紙を想定すれば、表と裏が一体になっていると表現できると思います。これはメビウスの帯を作るときと同じ現象です。
 豆粒文に見た眼形は、その一方の「)」の縦の長さの半分を上下どちらかにずらすと図2に示す形が生じます。この連続形は縄文土器に描かれています(図4)。また、縄文中期に現われる連続S字渦文の接続部分にも見い出すことができます。つまり、このカタチは連続性を生み出しています。
 「)」形に対し、私は相対図形の素粒子と名づけました。それは図3に示すように六個の基本パターンをもっているからです。
5番目と6番目の正逆S字文は、ひょうたん形、およびしめ縄状文様を作り出します。すなわち、二個の「)」形は、「同質でありながら異形の二者の合体によって新しい生命が生まれる」に示される意味をもっています。この意味は生命誕生の原理に結ばれます。この原理は『古事記』冒頭に書かれる造化三神とともにわが国の思想形成、日本の基層文化、ひいては日本人のアイデンティティにもっとも深く関わる要素であると考えられます。
それは今から一万三千五百年ほど前に実在した一人の賢人によって発見され、その理論構築が達成されていたものと想定されます。なぜなら、この相対図形の素粒子「)」形を基本とする縄(私たち日本人はしめ縄と呼びます)は、撚紐と絡条体という施文具を生み出し、形を変えても意味は変わらず(異形同質の関係)永遠と一万年数千年に渡って継承されているからです。
 しめ縄状文様はもっともシンプルな形のなかにもっとも多くの情報量をもつ図形であるといわれております(たとえばその連続形の中には菱形文と向かい三角文、正六角形が生じています。前者は隣り合わせの存在、つまり相対性を示します。正六角形は「)」形から円接正多角形の一つが生じることを教えています。ほかの図形もあります)。
国家体制をもつようになった時代の為政者にとっては、わが国において相対図形の素粒子「)」形が、日本文化の基層をなすものであることは極秘事項として扱われたであろうことは、想像にかたくありません。これらのことを一般に知られないということは極めて重要な問題であったと思います。
 ただし、縄文時代はオープンにこの「)」形は、多くの人たちの共有概念として土器や土偶作りの基本理念として伝えられていたと、それらの分布状況などから推定されます。「)」形を基本とする六個の双曲図形と楕円図形は第二の言語として、第一の言語以上に「思想を形で表わす」ために貢献していたと考えられます。もとろん、縄文時代に日本列島には、アカデミズムが文明の尺度とする文字はありませんでした。しかし、図形や文様は通訳を必要としません。この点で文明の尺度とする文字を第一の言語とすれば、第二の言語である図形や文様はそれ以上の伝達力をもっていたと考えます。
 『記・紀』に発見される相対図形の素粒子「)」形の概念については、次の機会に書きたい思います。
> kurumirukuさん

すごいなぁ
縄文時代の紋様ですかぁ。

何か昔のメソポタミアとか古代文明の渦巻きみたいですね。
昔はどこか必ず「大河」の近くだったんでしょう…
さらにさらに人間の源は、確かアフリカ地方だった説が有力ですねー。

しかも日本の場合は特にその民族や伝統・神々って、どこまで遡っていっても純粋な日本ってのは無いみたいです。幻じゃないかなぁ。日本ではないとこをいくら剥いて削除し続けても、原点って出てきそうもないですね。(近いところでは神道でさえも東アジアから伝わったところが多いということです。)
でもどこからを日本「固有」とするかは学者や宗教家やかなり必死になりたいみたいです、でもそれは「無い」、だから彼らの見いだした見いだし方それぞれでいいんじゃないか知らね。
どうでしょうか。
> kurumirukuさん
仏教導入の件は、様々な伝や説がありますが、
その中では多かれ少なかれ排仏派といわれていた豪族でも
導入に前向きであったかのような話しもあるようです。
が、事実関係としては不明という立場です。
また、余所のことを自らの事のように持ち出すのも
あまり宜しくはないのではないかと思っていますので
古代の仏教導入の件は保留させていただきます。
月清さん

 ご指摘ありがとうございます。我田引水的に自説に本地垂迹説を援用したところは、修正と追加説明が必要であると、月清さんの指摘で気づくことができました。わが国の神と外来の仏を対立的に受け取れる表現をしたのは間違いでした。両者の共通するところを示すべきでした。問題が大きいだけに別のところで述べるべきでした。
縄文時代の紋様には【情報】が含まれてる…と常々考えて居りましたので、
大変参考になりましたぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)


その紋様から情報を解読すれば、映画のダ●ィンチ●ードとか●使と悪魔みたいな事に…(笑)
>120 月清さん
>その中では多かれ少なかれ排仏派といわれていた豪族でも
>導入に前向きであったかのような話しもあるようです。
>が、事実関係としては不明という立場です。

あの崇仏論争も、地元の伝承などと結びつけて考えると、幕末の争いや南北朝の争乱のように、豪族たちの利権闘争や内部抗争が皇位継承戦争に発展したような見方も存在する〜仏の受容は単なるスローガン〜なわけで、ひとすじ縄では行かないですね。

また、奈良県内の有力集落の抗争はほとんど聖徳太子様にきちんと丸くおさめていただいたので、仏教受容時の亀裂は、もはや別の言い伝えや遺恨になってる節もありますね。案外そっちの方(仏教以外の要因で崇仏問題で対立した)が真相なのかも、と、このところ思っています。
>kurumirukuさん
ついでに言いますと、図形の話しは大変面白く感じたのですが、
例を出すと、一つに婚姻関係・血縁関係を結ぶということに於いて、
ある視点からは婿入りであったり、あの視点からでは嫁入りとなったり、
どれが正しいかというところで揉める人もいるわけです。

あちらから見れば嫁入りでこちらから見れば婿入り、
または養子や兄弟関係の構築等ということも出て来ますが、
一切を内包するところが出て参りますね。
まぁ、表沙汰にするのは、坐りの良いものを選んで
他を秘とするわけなのですが。
>邪馬台国侍さん
補足をどうも有り難う御座います。

>案外そっちの方(仏教以外の要因で崇仏問題で対立した)が
>真相なのかも、と、このところ思っています。
確かにwややこしいお話ですね。
太元さん
コメントいただきありがとうございます。縄文人の描いた文様と同類のものはチグリス・ユーフタティス河流域に住んだハラフ人も描いています。しかし、その基本形は縄文人の方が5000年ほど先行しています。
人間の源はアフリカにあると聞いていますが、その問題は縄文時代とは数百万年の時間差があります。従って同じ次元で論じることはできないと思います。ここでは人類の起源論ではなく、文化文明問題を話しています。

月清さん
コメントありがとうございます。縄文人が発見した文様の原点は「)」形にあります。「)」形は凸と凹という相対する形を同時にもっています。この発展形が螺旋形で、さらに二重螺旋へと発展させることができます。「)」形は一つ形に二つの性質をもっています(両性具有)。これは+形とか×形、男女、左右といった相対図形とは違っています。
 これに180度の反転と連続性が加わった形がしめ縄状文様です。180度の反転は電波・光波、歯車などの形にみられます。この現象によってパワーがうまれているのです。
この文様を作る時は、月清さんが指摘されるように起点を決めておかないと二本の縄(紐)が単に重なる状態になってしまいます。だからしめ縄を撚るときは、一方の端を固定するわけです。
>kurumirukuさん
私は所詮頭がおかしいというところで話しますけど、
昔は結構そういった感じの所が多くおましたそうですわ。と。

そうだんなぁ、色んな伝はありますが、
解釈の仕方で右にも左にも上にも下にも
時代が重複したりと、どれかを生かすとどれかが死ぬような
妙な動きをしてしまいますので、
解釈を付けてみるのも難しいもんですわな。

昔の人にとっては、そういうことは大した問題やなかったんかも知れません。
今の世では、そういうわけにはいかしませんねんけどね。
今更なのですが、103の発言に関して若干追加・訂正がございます。

少々最近指摘を受けまして、どうやら記憶違いがあったかと思います。
神道政治連盟等の政治的な場に於いて、政治家が神の国だという発言をして
それが報道として取り上げられたケースは
森元首相のケースより前はなかったと記憶いたします。

また、神職や政治家を含む氏子・崇敬者が発言を控えていたという大元さんの
お話しもありますが、この報道が出るまでは神社や直会や
政治集会その他では比較的自由に行われていて、
報道側も特段取り上げて問題視することさえもなかったのです。
あれ以降が少々うるさくなりまして、
政治家で発言をしない方も出てきたということです。

何故なら、神道政治連盟という場ですから、
それは個人の宗教の自由だということだったわけです。

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