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◆日本の神話と古代史と日本文化コミュのブラタモリ

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ブラタモリおもしろいですねー

今日法隆寺やってました。

ただ、中門の中柱、塔の鎌、なぜ若草伽藍が焼けたのか(蘇我入鹿が焼いた)とかいうのが解説されていませんでした。

そこでこのトピックではブラタモリでこれやってくれなかったな、とか、ここはこうであったんじゃないか(推測)とか書き込んでみようとおもいます。

コメント(39)

斑鳩にいわゆるサブ都を作ったわけはブラタモリでは交通の要衝ということでしたが、斑鳩はオシホミミの子、クシタマホノアカリが奈良に来て最初に館をかまえたところです。
館が完成してすぐ、カラスが飛び回るので、飛鳥に館を変更しました。
そのため、大物主クシヒコ(オオナムチの子)や天児屋根のがクシタマホノアカリから離れニニギの尊のもとにさっていきました。
斑鳩と飛鳥は因縁深い土地なのです。
ブラタモリ、毎回楽しみに見ています。

深夜にやっていた頃の東京のやつを見てみたいですね。
遅くなりました。
飛鳥やってましたね。
大化の改新からでした。斉明天皇の事跡がわかりましたね。
では、それ以前の飛鳥の遺跡なかったのかな~
熊本の再放送やってました。
健軍水源地の健軍というのは、ヤマトタケルが駐屯していた場所なのでしょうか?
とすると熊襲の根拠地はこの近くになりまねw
黒部ダムやってました。
黒部とは関係ないですが、近くに立山があります。立山はアワナギの子で、根の国のマスヒト、クラキネの亡骸を収めた場所になります。クラキネは、イサナギ、ココリ姫の弟になりモチコ(アマテルの北の局の典侍)、ハヤコ(アマテルの北の局の内侍、宗像三女神の母)、クラコの父になります。
シラヒト、コクミの事件の原因を作った人物になり、アマテルはクラキネは祀らないといっています。

富士山
富士という名前をつけたのは、孝霊天皇です。孝霊天皇が孝元天皇に位をゆずったあと、若い時分に見たハラミ山の絵を献上されていたのを、ぜひ見てみたいと東国に行きハラミ山に登りました。その時藤の花を献上されそこで、富士という名を山につけました。
孝霊天皇から500年前に富士は噴火して、一夜にして富士五湖をつくったということです。

富士に関してはまだまだ話がありますので、書き込んでいこうとおもいます。


>>[5]

諸国一宮のご朱印をいただいているのですが、越中国は一之宮がたくさんあり、そのなかにも立山の一之宮があります。

越中は、興味深い土地ですね。

はやくコロナ騒動が収まって、また一宮巡りを再開したいです。
ブラタモリおもろいですね。
ニュースの後、何気なく見続けて引き込まれてます、
都市や町の在り方を地質学的に攻めていくところがおもしろい!
そこにかなり絞っているところがいい。
各地の学芸員さんの努力も垣間見れるところもまた拍手もの。
おじゃまします。
ブラタモリと言えば、鬼ノ城(岡山)の回が良かったです。
山上の城域に土塁があるのは知ってたんですけど、山の麓にも土塁(福岡の水城みたいなの)があるというのはこの番組を見なければずっと知らないままだったと思います。発掘はすでに行われて人工地形だと判明してるけれど土塁上には住宅が並んでて案内板等も無いようなので。
釧路湿原やってましたね。
アイヌ民族の遺跡は有るんじゃないかな?
>>[2]
東京の周りは古墳だらけだそうですね。ブラタモリを見なければ、知りませんでした。どの回だったか忘れてしまいましたあせあせ
来ました、あまの橋立。
ここは、トヨケとアマテラスが葬られた重要なところになります。
つづく
>>[12]
見ました。
籠神社、真名井神社への言及が一切なかったのが、残念でした!ウインク
>12
真名井神社、豊受大神、贈り名朝日神
トヨケは5代タカミムスビ。
トヨケはオモタル、カシコネが亡くなったあと君がいなくなり世が乱れ始めたため、根の国を治めていた、アワナギの子のイサナギと自分の娘、イサナミを目合わせて、アマテルが生まれた。
アマテルが君となってから、トヨケが治めていたヒタカミから宮津に移り根の国を治めていたようです。
宮津 (マナヰ原) の辞洞に自らに入り、アサヒ神と贈り名される。
ここで、辞洞に自らに入り神として祀られる、というのは真言宗の開祖空海が即身成仏となったことに重なるんですよね。
真言宗は仏教でありながら、共通点が多々見受けられるように感じます。
つづく

瀬戸内海、村上海賊やってました。
関係あるかわかりませんけど、魏志倭人伝によると、関門海峡と明石海峡をさけて陸路を利用しているように思います。投馬国は明石海峡をさけて陸路をりようしたとすると姫路あたりから明石の間にあるとおもいます。
投馬国とはずばり、播磨国と但馬国のこよだと思いますね。
ブラタモリ、見ました。しまなみ街道は大山祇神社なんですが、話題になっていませんでしたね!ウインク
>15
村上水軍以前は藤原純友が有名ですね。それ以前は宗像でしょうか。
あの潮の速さをかいくぐって魏の使者がやってきているわけです。
水路を案内していた人たちがいたわけですね。

>14
トヨケにはこういう話mあります。
ウケステメという女性がトヨケによく仕え、トヨケはココリ姫と合わせウケステメにヤマノミチノクを授けます。ウケステメはkロヒン君(コロヒン国の王、コンロン?)と婚姻しクロソノツモルを生みます。
また根の国のトヨケの元に来て、自分の国では肉をよく食べそのため寿命が短いので千代見草のことを聞きたいと。
トヨケははや枯れをなげき、永らう道を授けました。ココナ(菊菜)を教え、天寿を全うできるということです。
この話は西王母と東王父の話になります。
徐福は蓬莱山の薬草を語っています。
また日本人とチベット人はDNAがよく似ているようです。
交流があったのかもしれませんね。

今日のブラタモリは由布院でしたね。由布院が幕府直轄領だと初めて知りました。
由布院の近くに直り中臣神社というのがあります。
その昔、綏靖(すいぜい)天皇の時、筑紫より御幸を壊れるが代理としてアメタネコを派遣しています。
アメタネコは直り中臣の性を神武から賜っています。
古来からこの地方は天皇直轄領であるようです。そrが戦国時代を経て、江戸幕府になると幕府直轄領になっていたんですね。
今日のブラタモリは日田でした。
日田も幕府直轄領なんですね。ところで隣町の浮羽市に景行天皇が熊襲征伐の帰りこの地に立ち寄ったおり、神武天皇が御幸して食事した時に膳出が皿を忘れていったことを聞き、これはめでたいことだとウクハ(皿のこと)と名付けたそうです。
諏訪、たいへん勉強になりました。諏訪は縄文人にはたいへん大事な場所だったったですね。
タケミナカタが諏訪をした事情がよくわかる番組でした。
えっ、タケミナカタの話なんてでてなかったって?

>>[21]

神長官守矢資料館に展示してある「御頭祭」という”狩猟行為を祈祷する儀式”も縄文人に関係しそうです。

>21
これだけ縄文人が欲しがる黒曜石をかってに取らせていたわけはないとおもうので、交易をおこなっていたとおもうのですが、黒曜石をわたす代わりに他の国の物産が集まっているとおもうのですがその痕跡はあるのでしょうか?
録画していた.ブラタモリ見ていました。長崎とくに古代史とはかんけいありませんでした。
>23
いろんなものがもちこまれていました。
淡路島やってました。淡路北部から神戸はよく見えていましたね。
自分は明石海峡の潮の流れがきついので神戸に入る前に船をおりた、すなわち魏志倭人伝の投馬国がこの神戸付近であろうと考えます。
またいざなぎ神宮も感慨深いものがありました。
伊勢神宮と出雲大社は崇神天皇が建てさせたものですね。いざなぎ神宮と関係なくこの神宮ができていたのか、それともざなぎ神宮を起点似」伊勢神宮と出雲大社を作ったのか。おもしろいものですね。
渋谷やってました。水がわきでてくるということで、縄文遺跡が多数あるということでした。そして古墳の存在。
じゃあ、弥生遺跡はどうだったんでしょう。
猿楽古代住居跡公園というものがあるようです。
渋谷は谷で水が豊富だったということで。米作りしていたのでしょうか?
>27
番組にでていたNHK敷地ないにあった古墳は、なまこ山古墳のようですが、出土物がわかりませんでしたあせあせあせあせ
>>[27]

弥生式自体の名が文京区由来ですからね。どこかでやっていたんでしょうね。
糸魚川

wikiより
「1938年(昭和13年)、糸魚川市に在住する文学者の相馬御風が、史書の記載によればかつて糸魚川周辺を治めていたという奴奈川(ぬながわ)姫がヒスイの勾玉を身につけていたとされるため、付近にヒスイの産地がある可能性があると考えた[3]。

相馬が知人の鎌上竹雄にその旨を話したところ、鎌上はさらに親類の伊藤栄蔵に口伝し、伊藤は同年8月12日に居住していた小滝村(現・糸魚川市)を流れる小滝川に注ぐ土倉沢の滝壷で緑色の美しい石を発見した[3]。

翌1939年(昭和14年)6月、その石は鎌上の娘が勤務していた病院の院長である小林総一郎を通じて、小林の親類であり東北帝国大学理学部で岩石鉱物鉱床学を研究していた河野義礼へ送られた。河野の上司である教授の神津俶祐が所有していたビルマ産のヒスイとその石とを河野が分析比較した結果、小滝川で採れた緑色の石はヒスイであることが判明した[3]。

さらに翌7月、河野は現地調査によって小滝川の河原にヒスイの岩塊が多数あることを確認し、河野は同年11月に論文を発表した[3]。

この結果、日本国内にはヒスイの産地が存在することが証明された[1][6][7]。奈良時代に忘れられて以降、約1,200年もの時を経た再発見であった。

日本列島周辺で太古に利用されていたヒスイ加工品が海外渡来でなく日本国内由来のものであった[4][5]ことが示され、考古学上および地質学上の通説を覆す、歴史的意義の大きい画期的な発見となった。」

この翡翠の発見は奴奈川(ぬながわ)姫が身につけていたという故事から発見にいたったようです。


今回のブラタモリは白浜でした。
日本書紀にのる白浜(むろの湯)では有間皇子が謀反で捕らえられ白浜で中大兄に裁かれ、殺されるというものです。
余談ですが、中大兄(天智天皇)は舒明天皇の子で皇極、斉明天皇の子ですね。
舒明天皇を天皇に選んだのが蘇我蝦夷で推古天皇の崩御後、田村皇子と山背大兄皇子がいて、田村皇子(舒明天皇)を天皇にしたわけです。山背大兄皇子を天皇にしていれば、蘇我氏も滅ぶことはなかっただろうと思うし、新羅のそのまま従っていたんだろうと思います。
太宰府のアンコールやってました。太宰府のあったところは奴国のあったところですね。
奴国はツクシナカコクであろうと思っています。ナカコクとはその地方の中心地ということでうね。

奴国といえば後漢光武帝が印綬を与えたという金印と魏志倭人伝にのる奴国ですね。
後漢は200年続き、魏は曹丕が後漢皇帝の献帝から禅譲により魏を国号にしています。

魏志倭人伝の卑弥呼が日本の女王ですが、この200年前の奴国の王は誰だったんでしょうか?
卑弥呼がモモソ姫とすれば200年前は神武時代でしょうか。その時の奴国はだれが奴国の主であったのでしょうか?
ブラタモリ、今回は南極大陸sでした。縄文海進時の研究成果がほしかったですよねー。
そして、大陸である以上、温泉のこともほしかったですよねー。
今回のブラタモリは和歌山市の御三家についてでした。
徳川頼宣が紀州に配置されたのは番組でやっていた理由だけではないとおもいます。
紀州の雑賀崎には玉津島神社(ワカヒメ=ヒルコ)、日前宮(瀬織津姫)、スサノオ(花山)や、イザナミ、そあいて武内の宿禰など和歌山市だけでもたくさんの歴史があるとこですね。
そして、この徳川頼宣を紀州に配置したのが金地院崇伝ではないかとおもっています。
金地院崇伝は、近江国出身でありホツマ伝の発見された高島に関係あるのではないかと思っています。
貴船神社やってましたね。
貴船神社には、ホツマ伝によるとヒコホオテミの内宮トヨタマヒメを葬った場所のようです。トヨタマヒメはカナサキ(住之江神)の子孫でカナサキは六船霊のひとりになります。
カナサキはハヤアキツヒメの父であり和歌姫(ヒルコ)の育て親になります。
そして加茂族はスサノオの子孫の大物主の率いる軍団または一族の軍事集団だったとおもいます。



下北半島
 きの部分は縄文海進時でしょうか?
久しぶりに東京でしたね。

湧き水に興味があるので、気になりました。
ブラタモリ終了なんですね。残念です。

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