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◆日本の神話と古代史と日本文化コミュの日ユ同祖論 3

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日ユ同祖論トピがなかったら寂しいでしょ。


私は支持しませんけどね。

コメント(440)

一応、Y-DNA調査は、男系遺伝子の突然変異の起こりにくさを基準として、類似傾向をまとめたものですから、男系の民族の移動の歴史をたどることが可能な研究です。

韓国人と日本人のDNAを比較して、そりゃ、地域が非常に近いので、似ている部分が多いのは当たり前でしょう。その似ている部分の頻度をたどっているのですから。。。

しかし、地域的に(現代人からでてくるDNAが)似てはいても、
より研究が進んでいて、細かい部分の差異にも言及されてきています。

詳細な研究ではきちんと、どのくらい前に、どの脈から分岐したかまで、よりはっきりとわかってきていますので、日本人と韓国人は世界的に見ると、同東アジア地域に住んでいるので、
非常に似ている傾向はあるが、より詳細に国ごとの統計を取ってみると、差異がはっきりして、
歴史的な背景も見えているので、系統はわかります。(C系が半島や大陸に多いのは、それだけ騎馬民族やモンゴロイドの影響が強いからでしょう。D系はもっと古い時代に繁栄していたものが衰退して辺境に残っただけですね)

アイヌはアイヌでもまたそれぞれの部族で違った混じり合い方をしているし、蝦夷との関係性も強いので、混血の度合いも違います。(Y-DNAは混血の度合いの基準とは詳細ではまた違う話ですのでね。。。そういう意味では動画は曲解。むしろどんだけ混血しても突然変異は非常に非常に起こりにくいですよ(確率的には数万年に本当に一部だけ)というのが研究の出発点になっているんで。真逆の捉え方。)

無駄にトピ上がってきてるので
テスト
402番飛んでる?
空あげ?

書いてすぐ消すくらいなら最初から投稿しなければよいのでは?投稿者さん。
>>[401]
本筋と違いますが
「アイヌはアイヌでもまたそれぞれの部族で違った混じり合い方をしているし、蝦夷との関係性も強いので、混血の度合いも違います。」の部分、初耳で刺激的です。
アイヌ部族間でも違っていると言うこともそうですし、「蝦夷」は大和王朝以外の関東以北の民族の総称だと思っていました。
>>[404]
http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html

ちょっと、引用がどこまで許されるのかわかりませんが、
ざっと、大雑把な集団の移動・混血だけでもコレだけあります。

DNA研究の発展によって、それら微差の違いなども触れられるようになってきたのが、最近の流れのようです。
(こうした南下した民族的な流れの他にも、文化的な違いや、いわゆる和人と呼ばれる北上してきた人々との混血も進んでいますので、複雑です)

北海道と言っても、かなり大きな地域ですし、環境の厳しい所で、人々の住みやすい地域は昔から部分部分で限定的でもありますから、集団の隔絶でそれぞれの集団に微差が生まれていたものと思います。
>>[404] よしだ 様
蝦夷という呼称は、中央政府に敵対した勢力という意味も有るようです。

秋田市南部の天鷺郷は、出雲から来た天鷺速男という蝦夷が治めていたと伝承が有ります。
この天鷺速男は、朝廷軍と激しく戦い、討ち死にしたという伝承は、かなり事実に近いと考えられます。

出雲族の人間も、当時の朝廷からみたら蝦夷の1種族という扱いだったのでしょう。


個人的な推察だが…

おそらく、出雲族の中でも、畿内王朝に組み込まれた部族と、
それを嫌がり東北地方に逃れて土着した、天鷺速男の様な部族という様な、色々なパターンが有ったと考えています。
>>[405]

北海道の礼文島の船泊遺跡には南方産の貝殻でできた装飾品などがあり、
こんな北方にまで南方人が来てたのかと言われてましたが、
人骨のY-DNAがD1bと判明したようです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
北海道 礼文島の船泊遺跡から出土した縄文人骨・船泊5号のY染色体は、
ハプログループD1b2a(D-CTS220)である(注1)。

礼文島の船泊遺跡は、島北部の船泊湾に面した船泊砂丘の西側にあり、
久種湖と海岸の間に出来た高さ10m前後の砂丘上に立地し、
縄文時代中期から後期にかけての土器や人骨が発見される遺跡として知られる。
1998年に行われた町教育委員会の発掘により、
貼床などを伴う生活面24基、墓壙24基、土壙19基、屋外地床炉29基、集石炉58基などが検出され、
遺物は後期中葉の船泊上層式が中心。
船泊遺跡の時代は、縄文時代の中でも特に南は九州から北は北海道北部まで、
統一化された土器文様が見られる時代にあたる。

北海道でアイヌ文化が始まるのは室町時代以降と言われ、
それ以前はオホーツク文化に影響された縄文人が主体であったため、
礼文島は縄文系倭人居住地の北限とみられている(注2)。

注1)第70回日本人類学大会『礼文島船泊縄文人の核ゲノム解析』(2016.10.8)
注2)『礼文島の縄文人』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

南方系D1bがベースにあり。そこに北方のニヴフのCも入ったのがアイヌでしょうかね。
>>[407]
>南方系D1bがベースにあり。そこに北方のニヴフのCも入ったのがアイヌでしょうかね。

北海道や東北がD1bベースと言うのはその通りと思います。
確かにD1bはアジア極東だけで見ると、日本へは南方系から入ってきたかのようにも見えますが、
核DNAの研究などを見ると、
ヨーロッパなど北緯度の高いところまでも存在繁栄した可能性があり、
必ずしも南方系的なイメージで捉えてよいかというと、ちょっとまた新しい見方をする必要が出てきたのかな?、、と思います。

縄文人は東アジアで東南アジア系よりも早く別れたという可能性も出てきており、
大陸の残り方とは異なる島国固有の残り方をしているので、人類全体から見ると特殊ケースに当たるのかもしれません。

O系が大陸により近い九州ではなく、畿内で反映したという事実もちょっと不可解ではありますので、その辺の関連性を解く鍵にもなってくるのではないでしょうかね?(D1bが南方系という結論を出すのは私見では先送りで、反対にO系=北方系というのも実は誤解ではないかという感覚になりつつあります。)
ミヤーンさんの渡来人トピでも引用させていただいた記事、
上記引用根拠として上げておきます。

>http://jomonjin.info/archives/504
>出雲の国譲り神話が、文化的・遺伝的に少し異なる人々の間で起きた出来事である可能性についてはいかがですか?
~中略~
>出雲地方が大陸に近いにもかかわらず、関東の人のほうが、大陸の人たちの遺伝子に近いことがわかりました。先ほどの三段階のモデルでいうと、第二段階の渡来人が第三段階の渡来人に権力を譲り渡したのではないかという考え方です。確かなことはもう少し、研究を重ねていかなければわかりませんが、いろいろな可能性を考えて研究していくことは大事だと思います。
>>[409]
面白いです、ありがとうございます。
出雲と東北の関りは言語では松本清張の砂の器でも紹介されてたし、
DNAでも近いようですね。
その出雲に弥生中期から四隅突出墳墓ができて3世紀まで続く。
そして四隅突出墳墓は東北にも波及する(会津)。
それを終わらせたのは4世紀前半の崇神でしょうね。
出雲振根事件でも分かります。
そして出雲国造が置かれ、あの出雲の地に前方後円墳もできます。

これを国譲りと言うのなら、
では「譲らせた」崇神が渡来系かと言うとそうではなく、
おそらく縄文D1bでしょう。
九州の山人を祖に持つ神武から実質6世代ほどですから、
崇神には自分が神武の男系子孫であることがはっきり分かっていたでしょう。

私は神武以来の血筋が絶えた、つまり王朝交代があったかというと「ない」と思います。
応神期であれ継体期であれ王朝交代があった痕跡がない。
(王朝交代が「あった」としたいサヨクさんたちが戦後頑張ってたようですが。)

つまり縄文系出雲を縄文系崇神が国譲りさせたという図式になります。

では日本人の大半を占める弥生系「O」とは何かと言えば、
これはやはりほとんどが千年外威・藤原の末裔だと思ってます。
中臣がたまたま弥生系「O1b2」であった。
その子孫たちがこの千年間繁栄した。
佐藤、近藤、遠藤、内藤、工藤、etc、つまり藤姓さんたち、
またそれ以外にも沢山いますね。

あとは古墳期に来た渡来系、例えば秦、東漢、そして百済や高句麗の難民の末裔。(O2やC1a1など)

日本人はほぼこういう図式だと思ってます。

>>[410]
面白いです。ミヤーンさんの指摘はいつも具体例がはっきりと挙げられているので、考えさせられます。

結構うなりたくなる説ですね。

私も現段階では保留中なんですが、
王朝交替説は、ちょっと行きすぎかな?とも感じています。
複数の血族が天皇家に外戚として混じっているのは事実だとは思いますけども。。。

出雲と秋田については、伝承がありますので、これが証拠と肉薄する所まで科学が来ていますね。。。

ただ、柳田国男の方言周圏説などもありますので、
一系統が二手に分かれたのか、
二系統が収斂進化のように、別地域で同質化していったのか、
個人的には、ちょっとまだ判然としません。

ただ、いずれにしろ、古代出雲という権力を二分するような一大勢力が、
これほどまでに影響があり、現代でも興味を引く対象であるということが、
議論の余地を大きく残す理由になっているのかな?と見ています。

弥生初期の渡来系が3000年前の渡来ですから、
3,4世紀ごろのヤマト王権発足前後の期間までには、ある程度のタイムラグもあります。その間に縄文系と弥生系の混血も考えられますので、文化的と、血筋的、両方見ていく必要があるかもしれませんね?

弥生系の第一波と第二波の詳細の区別が、O系統というだけではない、新たな指標としてより細かく判断できるようになっていったらば、
仰るような氏姓での区別に少しは到達できるような結論が得られる日も来るかもしれないと期待はしています。

しかし、なんで、弥生人たちは、北九州・出雲とびこして、畿内を選んだかですよね。。。

仮説1:当時、縄文系が寒冷化で九州地方などに多く流入し、行き場がなかった。
しかしこれは、北九州から弥生人出てますから大きくは否定されるんですよね。。。

仮説2:製鉄技術をもった第二波が、鉱脈を求めて、まだ灌漑手付かずだった地域にも進出した。
これも、纏向はじめとした遺跡が既に領域国家として畿内に成立しているため、弥生中期以降の鉄の伝搬勢力が畿内に集中する理由とは別個のような気がしています。。。

稲作のプラントオパール研究なさった方は、卑弥呼は
宗教的にも文化的にも縄文系だろうと予測されています。

しかし、歴史的に見ると、貧困庶民は室町まで縄文時代と大差ない生活様式をしていますから、上層部の文化とは乖離があろうとも思います。

ある考古学系の方は頭頂骨からすると、巫女さんと思しき遺骨はスラッとした弥生系の顔立ちだとも仰ってるんですが、縄文系弥生系の顔の区別は、
北九州地域の遺跡を中心とした判断なので、余り断定もできなくなってきているという風潮も有ります。。

まだまだひと波乱、ふた波乱ありそうです。。。

>>[411]
九州は阿蘇や桜島など噴火する山が多いので、火山灰地質で、水はけが良すぎるから稲作に向かなかったとかそういう話ではないでしょうかね?

吉野ヶ里遺跡は例外的?
>>[406]
「蝦夷」は朝廷にまつろわぬもの(でしたっけ?)の総称だったはzですから、出雲もそうなるんでしょうね。
しかし、北まで来ていた可能性はあまり考えていませんでした。ありえますよね。
>>[405]
このリンク分りやすいですし、ありがとうございます。
これで行きますと、北海道縄文系はかなり本州日本人と離れているように見えますね。
自分の遺伝子調べてみたくなりました。、
>>[414]
どうも。
民族的な違いや人種の違いからしたら、微差何でしょうけども、
歴史を知るということは大切と思います。

あんまり違いだけをピックアップしてしまうと、差別の問題と背中合わせになってしまって、問題有りになりそうですけども、
私個人は、お互いをきちんと「知る」ことから始めるのが、差別をなくす一番の近道とも考えておりますので、資料は資料以上の行間を交えずに理解しておくくらいが良いのかな?と思いました。

一般に、縄文人、弥生人と一括りにしている中でも、
女性のミトコンドリアDNA研究の方では、大陸型が、かなり複数猥雑に混ざっている状態であり、日本列島に渡ってきた後も、交配繰り返して、時間をかけて均質化していった歴史がありますので、
旧時代的な捉え方は新しい時代の研究結果でイメージも塗り替わっていくと柔軟な姿勢を保つ必要はあるかもしれません。

ご自分の遺伝子を調べるのも、今では数万円のキットがあればできるみたいですね?
それも、健康面のアドバイス付きで。遺伝的になりやすい病気がわかったり、
習慣病で気をつけるべきことや、食生活のアドバイス、何を食べたら良いまで有るらしいので、有益なことかもしれません。

>>[406]
基本的には、出雲系と秋田出雲系の自称は科学的根拠がない段階と言っておきます。

伝承は一部真実味があるかと思いますが、ほんの一握りの移行であり、
現代的なDNAに反映されるような起点とはなっていないと思います。

理由としては、既に言われているように、核DNAの研究により、縄文系の大尉陸の祖が非常に古い時代、万年単位で遡れるようになった事。

日本に居着いたのが4万年程前から。
ですから、出雲系が紀元後に東北に移民してきた事実は多少なりともあるかもしれませんが、それ以前にずっと昔から、日本海を通じて行き来があった場所ですので、遺伝的祖を求めた場合は、出雲系とはならないはずです。

理由としては、紀元前後は弥生寒冷期から古墳寒冷期と寒気であり、南下することはあっても北上するのは政治棄民などの一部だといえること。
北上する機会は、4万年以上前から、数度あったので、出雲系と言われるスパンで言うと、ごくごく近年に形成された集団に限定できない事が挙げられます。

O系統の中央移民により
たまたま、南北に残ったのがD系統ということであり、
D系統が北上したという見方は真逆の捉え方ですね。

出雲系も秋田の方も遺伝子的にはD系統で非常に古いものであることは確かですが、
だからといって、秋田系の祖が出雲だという因果関係の結び方は、科学的には否です。
上記理由として、私は北関東民で、古墳の多い地域の一つでもありますが、
出てくるものは、東北との交易から得られたものであったり、石室に使われたものは房総の関東圏から内海を通して送られてきたものであったりします。

同時代の古墳を比べても畿内と遜色ない規模での築造出来ていますので、経済力はかなりのものだったのでしょう。
ちょうど中世の地中海沿岸都市が通商を通して発展したように、
中央と蝦夷の間にあって、交易が盛んだったんでしょう。

しかしDNAの上では関東と大差無い事実が有ります。
南北にD系が残ったのは悪魔で結果であり、それが行き来の証拠というわけではないのです。
特に出雲系と呼ばれるような卑弥呼の時代前後の時代の(遺伝子的には)極端に短いサイクルで
遺伝子は語れないということが有りますので、
それは大きな誤解の元、伝承有りきの遺伝子研究の曲解になってしまっています。
>>[412]
すいません、コメント多数で見逃しておりました。

>九州は阿蘇や桜島など噴火する山が多いので、火山灰地質で、水はけが良すぎるから稲作に向かなかったとかそういう話ではないでしょうかね?

確かに南九州で薩摩芋などが取れるのは地質のせいもあるかもしれませんが、
歴史的に見ると、本格普及は江戸期以降と、比較的新しい作物ですね。

縄文期の鬼界カルデラの影響で住めない土地であったという認識も広がっていますが、それも6000年程前と、時代差異がありますので、稲作弥生期までどこまで引きずったかというと疑問です。

本当に九州の地質が全体的に稲作に向かないというのであれば、
それこそ入植前にD系が畿内進出して
後出しのO系が九州にいつくと言うことの可能性が上がってしまいますが、
考古学的な裏付けもそれに反していますから。。。

>吉野ヶ里遺跡は例外的?

北九州ではなく畿内にO系入植が多かった理由ですが、
政治的な移民は隠れる必要性も有るので、
行き来がそれなりに激しい地域では見つかってしまうという恐怖感から、
多少離れた場所を好んで選んだのかもしれません。

旧D系の方たちとの諍いももちろんあったでしょうから、それを避ける意味も兼ねたのかもしれません。

今のところ一番妥当な判断は、やはり大陸との繋がりのある人が入植してきた時には政治移民的な性質が強かったのではないかと思います。今で言うと亡命です。
ですから、征服王朝説はその分虚構色が強くなりますし、畿内へのO系進出はそれを否定する根拠になりうるのではないかとすら考えています。
>>[415]

日本内部でも様々な人々が行き来し、外部からも様々な人々が入ってき、時代も経て、均質化していったことでしょう。

それでも未だにわずかながら地域的偏移があったりするのはおもしろいところです。

隔世遺伝なのかなんなのか、形質の違いはやはり現れてきます。わずかですが。
一般的に日本人の顔や姿はこんなもの。という画一的考え方で「違い」をいじめに結びつけるようなことにはなって欲しく無いです。源流を探ることによって、「違い」があることを自然に受け入れていって欲しいものです。

いろいろいて、どれもいい。

ところで、日ユ同祖論から随分離してしまいトピにご迷惑をかけてしまったようです。
すみませんでした。
>>[419]
ご理解いただきありがとうございます。
おっしゃる通りと思います。

>ところで、日ユ同祖論から随分離してしまいトピにご迷惑をかけてしまったようです。

これに対しては、私が話しだしたことでも有り責任の一端はあります。
しかし、トピ主さんに私もご迷惑だったかもしれませんが、理解をする上では必要な手順でもあったと思います。

日ユ同祖論支持の方は、ユダヤ人に対するヨーロッパでの差別や軋轢の歴史を無視したかのような議論も目立つように個人的には思います。

差別の問題などは、特にユダヤ人を理解する上で、避けては通れませんので、
むしろそうした問題点にスポットを当てるきっかけになればとも思います。
>>[419]
何度もすいません科学的な話で一点だけ。

>形質の違い

DNAが発見される以前の時代は、形質により、進化を判断していた時代もありました。
しかし、収斂進化と言って、環境が同じであれば、別系統であれ、進化後の形は似てくるものです。
https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2005/post_000002.html

一例として、哺乳類には狼がいますが、
オーストラリアの有袋類(カンガルーやコアラなどの仲間)にも、今は絶滅してしまいましたが、フクロオオカミという非常に似た形の肉食生物がいました。本当に違いは袋の有る無し程度。。。

動物種に限らず、植物種にも収斂進化は存在します。
進化の系統樹を体系化したリンネの区分、(何科や何目といったものですね、)
これも、DNA研究が進んできて、だいぶ書き換えられてきています。

形の上だけで似ているものを同種や近縁種と考えられてきたかつての考え方が、DNAの上では遠い存在だった事がはっきりと刻印されています。



ですから、例えば、古代人と頭骨の形が似ているから同種か、、、と言われると、現代の生物学では非常に曖昧な基準と言える物になってまいります。

徳川家の遺骨研究では平和な時代にあって、偏食や婚姻の偏りが始まると、
将軍家の傾向としては長頭化しているという事実もあります。
わずか300年の同家の経緯研究でも、そうした適応変化は見られますので、
形質だけに頼る判断方法は、生物学上は非常に曖昧と言わざるを得ません。

反対にDNA研究ではそうした形質に頼る間違いを犯しづらい点や
数万年数億年という長期スパンでの変化や分岐点の算出は俄然有利になってまいります。

直感的にも
戦後、庶民の食生活が欧米化し、明治以前には余り食べ慣れなかった牛肉食なども入ってくると、それまで草食ベースであった日本人も、高身長化し、咀嚼回数が減り顎も細くなり、腸も短くなりその分足が長くなるといった形質の欧米人化もしてきています。
足が長くなるだけなら良いのですが、その分大腸への負担も大きいらしく、ガン発生率が上がったとも医療関係者に言われていますね?


一方で差別は顔貌の問題から入ることが多いのも事実。
ちょっと、最先端科学がそうした価値観から逸脱したものになってしまっているせいか、庶民的な理解ではまだまだ感覚的に追いついていけなくなってしまっているという現象もあるといえばあるかもしれません。。。

特に理系に不得手な方は、こうした研究に敏感にアンテナ立てることも好んでしないでしょうし、
研究結果だけ出されてきても、感覚的に受け付けなかったり、分かりづらかったりはしてしまいますよね。
日本にクジラやイルカを獲るな食べるな!と言ってくる意味不明の欧米の環境保護圧力団体。

彼らのバックにユダヤがいる事は明白。

(wiki)
クジラやイルカは鱗がない水棲動物なので、ユダヤ教ではレビ記第11章の条件にあてはまらないため、カシュルートにより食用禁止となる。ハディースには、浜辺に打ち上げられたクジラの死骸から食料を作っている場面が描かれ、それを食べてもよいか?と教友が預言者ムハンマドに尋ねたところ、「海から来たものなら死んでいるものでも食べてもよい」と答え、預言者ムハンマド自身、クジラの肉を食べたと言われている。キリスト教の大多数の宗派も同様である。英国の王ヘンリー6世はイルカ料理を好み[9]、また、英国の宮廷では17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった[9]。フランスのパリでは16世紀、レストランのトゥール・ダルジャンが開店した際のメニューにイルカのパイ(Porpoise pie)が載っている[9]。欧米諸国では20世紀始めまでは主に鯨油を採取するため盛んに行われ、鯨肉を食べることもあった。


イスラム教徒も食べるしキリスト教徒もイルカや鯨鯨を食べる。

つまりユダヤ教徒がバックにいる事は明白。

直接、ユダヤ教の戒律を日本人に押し付けるわけにはいかない。
だから間に環境保護団体なる第三者を立ててコントロールしてくる。

マスコミも環境保護団体の資金源にユダヤがいる事は分かっているのかも。
でもユダヤが絡むと何故か怯えて報道規制を敷きそれを言えないのかも。
もしそうなら情けない話です。
古代ユダヤ人のY−DNAはハプログループJ2であり、
これはモーセの兄アロンの末裔である祭祀集団コーヘン姓の複数男子から判明したわけで、
日本にはいない、日ユ同祖論者はあきらめろしつこい。

それよりもこのハプログループJ2は何人かが判明している。
チェチェン人(イングーシを含む)だ。
世界史最大の謎とも言われたイスラエルの消えた10氏族がDNAで判明してるのに、
世界中のマスコミがダンマリ。

つまりユダヤ人にとってもっとも恐れてた事が判明した、
イスラエルの消えた10氏族はイスラム教徒になってたわけだ。

だいたいチェチェン人なんて宗教の為ならロシア軍とドンパチする連中。
「あなたがたは大昔に別れた我々の兄弟、ぜひユダヤ教に改宗してください、そして我々と一つになりましょう」
なんて言ったら、
「うるさい!」といってテルアビブ空港で自爆テロでもされかねない。
だから世界中のマスコミがダンマリなわけだ。
まぁ土地から放逐されて、
難民すれすれのような生活を強いられたら、文化維持なんて出来やしませんから、
結局生き残った人たちは、現地に文化も宗教も、馴染ませわすわな。。。。
特に古代の環境が厳しかったときや、差別が即死につながりかねないような状況下では。。。
世界の起源は日本だった。

https://youtu.be/S8C3miHQYSg

日ユ同祖論
>>[425]

日ユ同祖論を支持する人たちは、何が目的なのか、勘ぐってしまいます。

古代に日本にたどり着いたヘブライ人が数グループ存在したとして、日本人=ヘブライ人にはならないわけで。
シュメール人→移動→日本人→→移動→ユダヤ人→移動→日本人
>>[427]

そんなに移動できないと思いますが。仮にできたとしたら何万年かかったんでしょ?まともな船もないのに。
日本人はユダヤ人でした。

https://youtu.be/dbPW2uhDZfk
古代日本から文明が広がっていった

https://youtu.be/VPkPtEv-b9w
古代日本から文明が広がっていった

https://youtu.be/VPkPtEv-b9w
火星から逃げてきた?宇宙人が、
ピラミッドやらなんやら、
スフィンクス?とか、?
舟で?
日本にも何艘か?
洪水神話?
その前から日本きてたり?
日本自体が舟?
ワの国



わんぴーす?
Oにバッテン?
むかしばなし、未来史?、アニメ文化?
にちゆどうそろん?
ちゅうごく、かんこく、もんごる、?
まんしゅう?
ユダヤ人、共産党?

無神論?

論、口だけ?
証拠?

雑感。
感、勘?

そもそも?どーでも?
異星人が教える日本人の起源とは

https://youtu.be/odrmDTLR0wY
ピラミッドを作ったのは古代日本人?!

https://vt.tiktok.com/ZSL8kGj7u/
知らんけど、
日本から出て行って、帰ってきた人たち、いるとは思うけど、いるとは思う、

ユダヤ、その中の一部?
どの?
シュメール、モーセ、ダビデ?
北、南、、

行ったり来たり?

すわ?
なると?ふじ?

古代史って、なにじだい?
神話、文化、日本、、歴史?
わのくに、やまと?
いつから日本でしたっけ?
ニチユドウソロンを支持するひと、しない人、目的、、そもそもあるのか、

動物?
人間?
カント?
哲学?
さておき?

5784年7月13日、らしい?
ユダヤ暦?
夕方から、?

神話、古代史、日本文化、?
ヤマタノオロチ、ヨハネの黙示録の龍?
同じ説?
霊的な?宇宙人?存在?

シランケド。
お酒に弱い、わくちん、、
みたいな、?
禁酒法、を、影から裏から?
知識を与えて、、ごにょごにょ、



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