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平等・平和は当たり前じゃない!コミュの理想の世界。

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不平不満ばかり言っても仕方がないです。では理想の世界とはどんな世界でしょうか?

コメント(10)

究極の共産世界、男子女子の差がなく全人類がほぼ同じDNAを持ち、ほぼ同じ能力を有する世界。
女子が妊娠する事はなくなり、子供は卵のような新しい機能で外部で産まれる。DNAによる医療が発達し、病気で優先的に死ぬ人間もほとんどいない。老衰死以外の死や悩みから全て開放される。

みんなの願望をじょじょに叶えていくと、こんな風になる気がする。

人間は自己家畜化を望む動物である…と、本で読んだ事がある。
野生では生きていけないので、保護され、差別のない世界で住みたいという意味ではないのだろうか。

野生で生きていけない生物が進む道は確かにこの方向しかないようにも思う。

しんどくない、なやみがない、死ぬのが怖くない、平等、常に楽しい、食事に不自由しない、ほしいモノは何でも手に入る。すべての人間がこれを可能な世界があったとしたら、それは理想的なのか?



私が思う理想の世界は全然違う。

?不公平であっても良いが、苦労すればその分がそれなりにきっちり報われる世界。
?道徳が法律である世界。
?悪口を言う、不満を言う、無責任な事を言う、ズルをする、嘘をつく、などを厳重に罰する世界。
?通りすがりの関係のないような人間を含み、他人ともっときちんと関われる世界。
?喧嘩しても後遺症が残るようなケガでなければお咎めがない世界。
?人間がもっと動物的であったとしても恥かしくない世界。

こんな感じだ。
<<< 私が思う…良い事 >>>

認めた人間に対しての正直。逃げない。男気。努力。カッコイイと思う事をする。良い道徳。弱者に優しい。女性に優しい。肉体・精神の鍛錬。きちんとした睡眠。バランスの良い食事。あえて試練に臨む。明日死んでもいいという準備と覚悟。フットワークが軽い。尊敬される人間になる。愛される人間になる。他人は自分とは違うという自覚。

<<< 私が思う…悪い事 >>>

認めた人間に対しての嘘。逃げる事。告げ口(チクリ)。陰口。嫉妬(妬み)。怠惰。依存。無視(見て見ぬフリを含む)。裏表がある。言う事がコロコロ変わる。自己中。驕り。自己過大評価。横領・強奪・盗難。お金への必要以上の執着。判断能力が低い。実行能力が低い。何でも他人に頼む。疑い深い。他人をバカにする(愛を持ってバカにするのはいいと思うが)。

<<< 私が思う…大事な事 >>>

家族。絆。友情。男気。生き様。気合い(根性)。勇気。元気。筋を通す。礼儀。挨拶。本気。大事な人間に命をかけられる。大切な人間からの信用。持ち物に対する愛。

<<< 私が思う…必要な事 >>>

修行。礼節。組織力。統率力。愛。友情(兄弟愛)。命かけられる事。真剣になれる。忍耐力。依存しない能力。普通の事は何でも出来る程度のお金持ちになる。グループ全体への尊敬。器用さ。純粋さ。美的センス。清潔。

<<< 私が思う…仕方がない事 >>>

認めてない人間に対する嘘。プライド。コダワリ。ピアスや派手な髪型。タトゥ。女癖が悪い(あまりしないが)。恐怖。怒り。イジメ(自分は絶対にしないが)。博打(あまりしないが)。グチ(あまり言わないが)。八方美人。上から目線(良い事ではない)。ナルシスト。物欲。

<<< 私が思う…どうでもいい事 >>>

認めてない人間に対して正直。怒り。法律。嫉妬。独占欲。集団に馴染む。どうでもいい人間からの信用。悪口。評価。妬み。
---------------------------------------------------------------------------
・密告(チクリ)をヨシとする社会は必ずすぐに崩壊する。法律違反、規則違反をした人間は良くないが密告者も同罪だ。密告者が得をするようなシステムがある場合はそれをなくなさないと良い世の中にはならない。密告を正義とする事はファシズム社会でしかなりたたないと思う。チクリ屋は嘘つき以上に人間性が悪い。漫画の『イキガミ』なんかを読むといかにチクると言う行為が愚かであるか理解できると思う。ただし仕事や任務においての監視はチクリとは別であると思う。仕事であっても報告すべき立場の人間以外からの報告はチクリだと思うので立場如何である。

・プライド…。 これについては『いいね!プライド高くて素晴らしい!』と、いうような評価は稀だろう。本来はいらないモノだと思うが、人間コダワリというのは捨てたくても捨てられないモノが多く、それを『俺(俺たち)はこうだ!』といって周りに理解を押し付けるモノだと思う。自分らが譲れないから、周りに理解しろ!というのは乱暴な思想だが、私の中にも大きく巣食っている。生き様を変えるくらいなら死んだ方がマシだと思う部分だ。本当はこんなモノない方が平和にとっては良いのだが、どうしようもない部分だ。

・嫉妬、独占欲は愛していたらどうしても持ってしまう感情だ。しかしその本質はワガママでどうでもいいものだと思う。思うんだから仕方がないが、本当にどうでもいいワガママな感情だと思う。大事に思う感情とごちゃ混ぜになるのが特にタチが悪い。さみしいと思う感情もすこしコレに似ている。思ってしまうのだから仕方がないがタチが悪い感情だ。相手がこれをきちんと愛情による感情であると認識して理解してくれる場合にのみ成り立つ。

・嘘も方便なんて言うが、本当は嘘なんかつく必要はないと思う。しかしそれほど大事な人間でない相手に真実を言わなければならないという枷なんかも必要ないと思う。他人は自分に正直であってほしいとは思うが、そんな下らない事はどうでもいいとも思う。それが嘘かどうかなんて自分で判断できるだろう。他人に期待しなさ過ぎる世の中もさみしいが、他人に求めすぎるのも病気だと思う。

・怒り。どんなポイントで怒るのかを見極める事はその人間を知るにおいて非常に重要だと思う。それはコダワリであったりプライドであったり忍耐力の低さであったり期待のし過ぎであったり千差万別だと思う。ただ自分自身が簡単に怒ってしまうという事は本当に必要がないし、邪魔でしかない。精進しなくてはいけないと思う。

・ナルシスト過ぎたら結構ウザいが、弱ナルシストくらいじゃないと世の中渡っていけない。
自分を愛せない人は他人に愛を与えられないと思う。女の子から『(-ω-ll)キモス・・』って言われるくらいで丁度か…笑
--------------------------- 『北風と太陽』 のお話 -------------------------------

この話を知らない人は少ないと思うのだが、まずは本編の内容は端折る程度に駆け足で説明する。


ある旅人がコートを着て旅をしていたのだが、負けず嫌いの北風さんと太陽さんが勝負をします。「どっちが先に旅人のコートを脱がす事ができるか!」という勝負です。

北風は自信満々で、自慢の強風を旅人に吹き付けました。コート吹き飛ばされそうになりました。しかし北風が強く吹けば吹くほど旅人はぎゅっとコートが飛ばされないように強く押さえるのでした。とうとう北風は旅人のコートを吹く飛ばす事ができませんでした。

次は太陽の出番です。太陽は暖かい日差しを旅人に注ぎました。そうすると先ほどまであんなに強く押さえていたコートを今度は自ら脱ぎ始めたのです。

勝負は太陽さんの勝ちに終わりました。                   (つづく)

--------------------------- 『北風と太陽』 のお話? -----------------------------

人間という生き物は、無理強いされるほどに激しく拒むが、自らが望む事は喜んでするという教訓のお話しだ。

人間関係において無理強いをする人間はたくさんいる。そんな大げさな事ではなくても会社などの集団組織、日本社会なども法律や規則という縛りでそこに属する人間を強制的に従属させていると言えるのではないのか。

それを無理強いだと感じるかどうか?それはそのルールや法律の説得力にあると思う。あまりにも理不尽であれば、デモ、ストライキ、暴動、反乱、などが起こるだろう。

男女間であれば、別れる時期となる事だろう。

縛られるのが嫌いという女性だって、男性を全く縛らない人間は希だろう。浮気をするなという事はすでに縛りであるからだ。法律で一夫一婦制度が当たり前になっている日本では、パートナーを独占するという事はもはや常識となっているが、それは普通の独占欲とどこが違うのかだろうか?

”相手が嫌がる事はしないようにしましょう”とはよく言うが、たとえば他の異性と遊ぶ事に干渉されるのが嫌な男性がいるとし、それを妨害するのは”嫌がる事をする事”になるのではないのか?最初からそういう男性は選ばないという女性の方が一般的かと思うが、一夫一婦制度が生んだ特殊な世間により、常識が独占欲を応援しているきわめて希なケースと思う。

男女間以外の事においては独占したい気持ちというのは、たいがい良い事とはされない。人間のエゴであるととらえられている。男女間にのみピュアであり大事な気持ちであるとされるのはな何故か?どうもキリストの仕業のような気がしてならないが…。キリスト教では一夫一婦制度導入の一番の理由は戦争に勝つ為には人数を増やす必要があったので、子孫を多く作らせる為の策であったようだ。それを神聖なモノにしたのは後付けらしい。

そんな話はさておき、男女間だけではなく複数の人間が集う場合に、相手に望む事は必ずあるだろう。そうでないと集団生活ができないからだ。しかしそのルールを強制的にやらされていると思うと、先ほどの北風状態になってしまうだろう。
-------------------------- 『北風と太陽』 のお話? -----------------------------

そこで太陽の状態にする必要があるのだが、具体的にはどうしたら良いのか?

・ルールを守る事がカッコイイと思うような状態をつくる。
 (武士道などのように自分に尊厳があるようなルール、これは人権などもそうだと思う)
・この人間の為ならやってあげるという状態を作る。
 (盲目的になる可能性が高いので、かなり危険な思想だけどかなりの威力はある)
・そのルールがある集団が特別なモノで他とは違うという自覚。
 (騎士道や武士道に通じる。特別な存在だからこそルールを守るべきという自覚)
・難しくなく、おもしろいと思える状態にする。
 (楽しいとか、笑いというのは、かなりの潤滑油になる)
・正義、大義は自分らにあると思えるようにする。
 (自分らは正しい事をしていると自覚できる)
・そのグループにいれば安心できる。
 (男女間であれば、その男性といると…という事かな)

エコ推進なんかはこれを利用しているように思う。しかしその実、利益をむさぼる企業の嘘が見え隠れして相当胡散臭いのだが…。

多くのあやしい自己啓発セミナーや新興宗教なんかもこれを利用していると思う。

変な利用されかたばかりではないはずだが…。
あまりにも効果があるから、悪用する人間が多くて、そういう悪い面だけがクローズアップされるのかな?

しかし私を含めて、少し色んな事を考えるのが好きな人間は、裏でこういう仕掛けがあってコントロールされていると感じたら、逆に反発したくなるものだ。

だからロジックというか、仕掛けは絶対に見えてはいけない。手品のネタのようなモンで一気に冷める可能性がある。

北風と太陽だって、もし旅人が、北風と太陽が勝負しているのを最初から知っていたら、自分を使って勝負した事にイラ立って、太陽の時もコートを脱がなかったかも知れないと思う。それと同じ理屈だ。

さらにもう一歩踏み込んでみる。

北風の存在がなければ、旅人はコートを買っていない可能性がある。バイキンマンがいなければアンパンマンは顔を腹ぺこの人に頭を食べさせてあげるだけの存在になる。

宇宙怪獣がいなければウルトラマンはデカイだけで邪魔であり、現代の世に坂本龍馬がいれば、目立ちたがり屋のヤクザだったかも知れない。

理想の世界を作り上げたとしても、その中で今では考えられないような新しい不平不満は必ず起こる。何ひとつ不自由のないお金持ちのお嬢様が指を逆むけしてその痛さのあまり自殺してしまったとしても、私は「はぁ?」などとは思わない。本人からすれば本気で悩んだのだろうなと思う。
-------------------------- 『北風と太陽』 のお話? -----------------------------

世の中というのは、その世界世界に陰陽が存在する。その規模などは所詮自分の常識でしかない。だから常に今の状態が劇的に変化する事はない。

金持ちになった事がないから、皆金持ちになりたいが、いざなってみれば良い事は当然たくさんあるが、それなりの苦悩も抱える。

女性からあまり相手になれないから、モテてちやほやされたい。しかしいざ、モテモテになってみれば、すごく楽しい人生ではある反面で、苦労の連続の毎日になるだろう。

あこがれのプロポーションと顔を手に入れたい!! でも本当にそうなってしまったら、楽しい反面で、すごく不自由な毎日を送る羽目になるかも知れない。

世の中は、そういうモノだ。

小さい世界にも大きな世界にも陰陽がある。その規模に関わらず、それ相応の光と影、善と悪が存在する。なぜそうなるのかは分からないが、自然とそうなるようになっているように感じる。

それを加味した上でさらに 『北風と太陽』 を考察する。

北風も太陽も、旅人を遙か上空から神様的な違う存在として見ている。そういうスケールで考えるならば、旅人が服を脱ぐかどうかという事はあまりにも些事であり、それを競い合う北風と太陽はあまりにも滑稽だ。しかしその滑稽さが人間という小さな存在は自意識過剰なんだなと気がつかせてくれる。この物語を作ったのも人間であるからこそ、こういう事になったのだろう。

実際に太陽や北風を含む自然に意思はない。仮に意思があったとしても、1人の人間どころか、地球上の全人間の生命すら知った事ではないだろう。比喩であるのでこれを引き合いに出すのは意味がないかもしれないが、自意識過剰である事を気づかせてくれる材料としては十分のように思う。

無理に何かを作り上げる事は何かを失う事を示す。人間の欲望は果てる事がないので、結局はどんどん何かを作り続け、そして何かを失い続ける。その中でそれだけ自分がしたい事ができるか?
最近という訳ではないが、よく ”世の中おかしいよ…。”などという言葉を耳にする。
文章だと ”耳にする” じゃなくて ”目にする” が正しいのか…、いやそこは今回の議題のポイントではない…。

・騙した奴より騙されたほうが悪い。
・人情かけた方が負け。
・人を信じると馬鹿をみる。
・泥棒が逮捕されても盗まれたものは帰ってこないし弁償もない。
・詐欺やその他の犯罪でも実証が難しい事は警察は動かない。
・貸した金を返さなくても、逃げられる。
・結局、正直者は馬鹿を見る。

こんな事は普通であると考える方が現実的だ。
悪人がのさばる世の中を見ると神も仏もいないのか?と、思うのも理解できる。

しかしながら、さらにもっと深い場所に降りて考えてみると、なぜ世の中がよい事を褒め、悪い事を罰するようにしなければいけないか?を考えるべきだと思った。

そもそも、世の中がおかしいのが普通であり、それを良くしようと思ってたくさんの人間が努力しているというのが正しいのだと思う。

・ライオンがウサギを襲って食べる行為は弱い者イジメで良くない行為か?
・ハイエナがライオンの食べ残しをこっそりと持ち去って食べるのは卑怯な行為か?
・葉っぱそっくりな体を持つカマキリが蝶を騙して食べるのは詐欺や残虐な行為か?
・集団でひ弱な獲物を襲う動物は卑怯者であるか?

それを考えると、テリトリー拡大の為に殺人をするような戦争だって本当に悪かどうか?も難しい問題だ。

人間には知能があり道徳がある。それは他の動物と大きく違う点だ。
だからこそ、独自な進化をとげ、人間という種族を守る為に、悪は滅びて善が誉れとされる世の中を作ってきたのだと思う。

しかしながらまだその進化の最中であり、不完全である。そして善だと思う事の方向性が多様化してきて間違った善へと進むケースが多くなってきた。

間違った善とは、その多くはお金が絡んだ嫌らしいモノだ。
結局は人間は欲から逸脱できない動物であるという事だろう。

しかしそんな世の中を怨むよりは、自分や自分の仲間だけでもそうではない世界を築き挙げた方が余程、建設的だ。

だから間違った世の中を指摘し、改善を求む行動を起こす事はすごく良いと思うが、”世の中おかしい…”と、ひとりで塞ぎ込む行為には全く意味がない。

世の中はおかしい。人間は自分の事しか考えていない。 確かにそうかもしれないが、そうではない部分だってたくさんある。

他人に期待するのではなくて、自分が自ら良い世界にするんだ!と、いう気持ちで他人と接する事が、よいように思う。

当然、状況を考えて、自分に出来る範囲の事をコツコツとする事が一番大事だろう。
無理をしないように、他人との摩擦を考え、自分の立場を全体から見渡せる能力が必要。

社会的ニュートラル位置、自分の所属する集団のニュートラル位置を常に的確に判断し、自分のすべき事を逐一判断できる能力がないと、最低限の事すらできない。

力なき正義は意味なきなり…、だ。

正義を貫くには、相当な努力と気合いと根性と勉強と交友関係が必要だと思う。

だから、自分では何も努力していないような人間が、”世の中おかしいよ…。”と嘆く方がおかしい。
もっと色んな事を勉強しなくてはいけないし、強くならなければいけないのではないか。
愛とは、自分にとって自分と一心同体で同じ個体である事。相手が傷付く事は自分が傷付くと同じ意味。もし相手が死んでしまうような事件に巻き込まれたら、相手の前に自分が立ちはだかるのは当然。一蓮托生、死なば諸共。

他人の世話をよく焼きたがる人がいる。こういう人はすぐに惚れやすい傾向にあると思う。
ただ恥ずかしいのでそれはウチに秘めているケースが多いとは思うが…。
世話を焼くという行為は悪いとは思わないが、往々にして「これだけやってあげたのに…」とか自分から進んで勝手に世話を焼いておいて「お礼すら言わないなんて失礼極まりない…」などと思う人が多いと思う。

これは相手に何かの代償を求め過ぎているのだろう。誰かに世話を焼くのは悪い事ではない、ボランティア精神が強い人は徳が高いと思う。しかしそれは、相手に見返りを求めないものであるべきだろう。

たしかに相手から笑顔で「ありがとう」と言われると、疲れた体や心がすっとリセットするのは理解できるが、それを強制するのはおかしいと思う。

ましてやお礼を言わなかった人間の事を「人間として最低」などと罵るような事をするのであれば、最初からボランティアなどしなければいい。

愛とは見返りを相手に求めないアガペー(無償愛)の事をいうのではないのか。
見返りに自分と同じ気持ちを相手に求めるのは愛ではなく、仁義のように思う。
男女差別をするつもりはないが、男同士の友情に仁義はあるが、男女間の愛で仁義を感じるような相手と出会った事は私の人生で過去に一度しかない。

仁とは、人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛。
義とは、人の踏み行う正しい道筋。

相手に見返りを求める男女は愛を育んでいるのではなく、仁義を交わしているのだと思う。
私は女性と仁義を交わす事はおそらくこれからの人生ではもうないだろうと思う。

ただ仁義を貫く勇気もない人間が、個人の独占欲の為だけに、相手を束縛するという事があるのならば、それは人生においてなんと無駄な時間を過ごす事になるのだろうと思う。

双方がそれを望むサディスト・マゾヒズムの両方を持ち合わせた関係であれば、何の問題もないが、それを他方が強制する関係であるとすれば、完全に他方の生き様を殺してしまう。

しかし圧倒的大多数の結婚したカップルがこのような状態に陥っていると思う。
「嫁が怖い」 「亭主元気で留守がいい」 「嫁のご機嫌取り」 なんていうのはもうこのタイプだ。

適当な人間関係のままで同棲するから、こんな馬鹿げた結果となってしまったのではないか。双方に覚悟が足りないまま、なぁなぁで人生を進めてしまった罰だ。

しかし、男女間での仁義などそう簡単ではない。
私はその原因を、男性・女性の脳の構造に起因するモノではないかと思っている。

何が人生において大事か?何の為なら死んでもいいか?
その基準が違うという事は仁義を誓い合う仲にはなれないからだ。

さらに深い愛となると、仲間に対する愛(忠義、友愛)だけではなく、敵に対する愛(博愛)をも含むと思う。敵を許すという博愛は非常に重要な愛だ。

この博愛がある人間とはなかなか出会えない。今までの人生でも数えるほどしかいない。
私が目指す道でもあるが、組織を代表する人間が敵にエールと送る事は自らの組織の志気を下げる事になる。それを理解してもらうにはまず自分の仲間の意識を向上させてからでないと誰も理解してくれない。

恋は単純に独占欲の塊でエゴ以外の何モノでもないと思うが、愛とは自分勝手なエゴであってはいけないと思う。自分の子供を命がけで守るのに理由なんかいらないと思うが、全ての愛はそれと同じであるべきではないだろうか。
遺伝子操作で「緑色に光る猫」、エイズ治療に道=米研究
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1740591&media_id=52




神への冒涜。

では神を信じない人にとっては何への冒涜?


人間ができる事など、所詮は知れていて何をやっても神への冒涜などという事はないだろう。

ただ、知らず知らずのウチに自らの手で自らを全滅させる方向に進めている研究ってのは数多く存在するだろうな。


生命が不老不死の力を得て全人類が死ななくなったとする。
それでもどんどんと子孫を増殖し続けたら、地球はすぐに狭すぎる事になる。

そうなれば、何らかの力で数を抑制する現象が起こるだろうし、自然は均衡を取ろうとする力が働くようになっていると思う。

均衡を保つスタビライザーのような力がなければ、この世の中なんでも簡単に崩壊してしまうのではないか?




知能を持った人間は追及をし続ける運命であると思う。



50億年後には、銀河系と、アンドロメダがぶつかって地球は存在しないかもしれない。
太陽がその最後を迎え、白色矮星となって太陽系全部を飲み込んでしまうかもしれない。

そうなった場合には他の星に移住などもできないかもしれないし、それまでに人間は何らかの原因で全滅しているかもしれない。


それを考えると、今、人間がしている事は何だろうか?

今の自分が楽しいと思える暮らし、すくなくとも自分の子供にもそういう世の中であったほしいと思う気持ちで、文明を進化させている。

石器時代とくらべて、間違いなく平均寿命は長くなったし、便利な世の中になったが、今の時代の方が幸せかどうかは分からない。

ではなぜ進化を望むのか。


それは知能があるという存在の宿命というか、どうしてもそうしてしまうんだと思う。

意味のない事であるともいえる。
興味心を満足させるためだけの行為だともいえる。





何のために生きているか?


何のためにお金を稼いでいるのか?


何のために頑張っているのか?


その先には何もないのではないか?






そもそも、生きるだとか、考えるだとか、そういう事に意味がないと不安だと思う事が間違っているように思う。


意味がない物は存在してはいけないのか?

全ての存在には意味などなく、人間が意味をつけただけではないか?



意味など必要ではないのではないか?



原始的な時代を考えると

自分がしたい事をして、それが評価されれば、まわりに味方が増え、評価されなければまわりに敵が増える。


その状況を変える為に、力でねじ伏せたり、ルールで縛ったり、人望で言う事を利かせたりしてきた結果、勝ち残った勝者が、多くの民を支配してきた。


ここまでは、動物だってやっている自然の事。


これが知能により複雑化しただけではないのか?



意味ってなんだ?

この意味の対象ってなんだ?







自然界では起こりえない事を人間はやってのけてきた。

これは自然界を壊す原因となった。



自然を人工で作る事は極めて難しいし、間違えばどこかに歪が出来る。
まさにこの実験もそれに当てはまると思う。

だから神への冒涜だの何だの言って警鐘を促す人がいるのだろう。


私は、慎重にやるべきだろうが、でもやる価値はあると思う。


意味がないとか、価値がないとか、対象を変えれば、まったく正反対の意味になる。




意味があるかどうかという議論は、利益の取り合いという意味と同意義じゃないのか?




対象を ”会社の利益”、”日本の利益”、”人間の利益”、”動物全部の利益”、”地球”、”宇宙”、とすればまったく違う結果となる。




今、考えなくてはいけない事は何だろうか? 

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