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OSHOの黄金の華の秘密を読むコミュの第15章-4 昏沈と散乱の克服

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経文に述べられている次に重要なことがらは、
私たちがくり返している呼吸は本当の呼吸ではないということだ。
それは本当の呼吸の乗り物にすぎない。

本当の呼吸とは何か?
インドではそれを「プラーナ」と呼んでいる。
いわゆる呼吸は馬にすぎず、騎手は目に見えない。
呼吸はたんなる馬であり、プラーナ、精気、あるいは
ヘンリ・ベルグソンが「生命力」と呼んでいたものがその乗り手だ。
それは目には見えない。

息を吸うとき、あなたは空気を吸っているだけではない。

あなたは生命を吸っている。
空気がなければ、生命は消えてしまう。
生命は空気を通して存在している---それは空気の目に見えない部分だ。

呼吸は花のようであり、生命は花を包む香りに似ている。
息をするときには、二重のプロセスが進行している。

ヨーガがプラーナーヤーマに大きな関心を寄せるのはそのためだ。
プラーナーヤーマとは呼吸の拡張を意味する。
呼吸が深くなればなるほど、あなたはもっと深くから生きるようになる。
呼吸が正しいものになればなるほど、あなたは長生きすることができる。

ヨーガはその秘密に大きな関心を寄せるようになった。
不老長寿の霊薬エリクサは呼吸の仕組みのなかにある。
人は長寿を保つことができる。
ヨーガ行者は最も長生きをする。

私は不老長寿をめざせと言っているのではない。
長くても愚かな人生を送る人もあるからだ。
寿命の長さが問題なのではない。

大切なのは強烈さ、深さだ。

私は長生きすることには関心がない。
それでどうなるというのかね?
愚かであるなら、早死にするほうがましだ。

あるときチンギス・ハーンが偉大な賢者に尋ねた。
「あなたのご意見をお聞きしたいのだが、人は長生きすべきだろうか?
 長生きするために何かをすべきだろうか?
 寿命は天が決めるものなのだろうか?」

賢者は言った。
「閣下、それは人によりけりです。
 例えば、<あなた>が長生きされるのでしたら、
 大いに困ったことになりますが、
 あなたが早死にされるのなら、それは大いなる祝福です。
 あなたが二十四時間眠りつづけられるのなら、
 それは実にすばらしいことです。
 世界のもめごとが減るからです」

それは人によりけりだ。

だが、ヨーガは不老長寿に大きな関心を寄せるようになった。
まるでそれ自体が目標であるかのように。
ヨーガはそこで道を踏みはずしてしまった。
ヨーガはどんどん生理学的なものになっていった
---ヨーガの関心は重要ではないものごとに注がれるようになった。

だが、秘密はそこにある---それは呼吸のなかにある。
呼吸は二つのエネルギーの乗り物だ。
ひとつは目に見える空気、酸素を含んだ触知できる空気だ。
そして酸素にまつわるようにして、あなたをもっともっと深く躍動させ、
生命とともに燃えあがらせる生命力エラン・ヴィタール、プラーナがある。

だから、睡魔に襲われるたびに、ただ呼吸を見守るだけで、
眠気は消えてゆく。
そして呼吸とともにより多くの生命があなたのなかに流れ込むことで、
昏沈も消えてゆく。

コメント(13)

本それゆえに、坐るときにはつねにこころを静かに保ち、
本気エネルギーを集中させなければならない。
本こころを静めるにはどうすればよいか?
本呼吸によってである。


ここでも<呼吸によって>だ。
呼吸は最もすぐれたテクニックのひとつとして用いられてきた。


本息の出入りをこころが意識していればいいのであり・・・


息が入っては出てゆくのを見守っていればいい。
そうして注意深く見守ることで、あなたの眠りは消えてゆく。
昏沈は消えてゆく。
そしてあなたは中心感覚を得る。

呼吸は二か所で観察することができる。
空気が身体に最初に入ってくるときに触れる鼻先か、
あるいは息が入ってきて腹を上下に動かす最後のセンター、
臍(へそ)のセンターだ。
これが見守ることができる二つのセンターだ。

つい先日、こう尋ねた者がいる。
「和尚、鼻の先を見守るのはいいのですが、
 ユダヤ人のようなかぎ鼻の場合はどうなのでしょう?」

実のところ、鼻があるのはユダヤ人だけだ。
他の者たちは鼻があると思い込んでいるだけだ。
かぎ鼻ならば、空気が入ってくる鼻先を見守りなさい。
かぎ鼻はこの手の瞑想にはすばらしい助けとなる。
かぎ鼻であることを喜びなさい。
ここにいる人々の少なくとも半分はかぎ鼻だ。
ここにいる人々の半数はユダヤ人だからだ。

質問を読んでいて、私は本当に驚いた。
というのも呂祖師や彼がこの技法を授けた中国の人々のことが
とても心配になってきたからだ。
彼らにはまったく鼻というものがない!
彼らにとって鼻先を見守ることはさぞかし困難だったことだろう。
先端などあるのだろうか?


本息の出入りをこころが意識していればいいのであり、
本耳に聞こえてはならない。
本耳に聞こえなければ、 息は軽く、軽ければ、純粋である。
本耳に聞こえるようなら、気息は荒く、荒ければ、濁っている。
本濁っていれば、昏沈と無気力な状態が生じ、眠気に誘われる。
本これは自明の理である。
本
本呼吸するとき、こころをいかに正しく使うかを
本理解しなければならない。
本それはこころを用いない用い方である。


努力なき努力。
修行なき修行。
道なき道、門なき門---タオや禅はこのような表現をする。
あなたは力まず、緊張をせずにものごとを為さねばならない。
そこで師は言う・・・
本それはこころを用いない用い方である。
本聴くことに微かすかに光を当てるだけでいい。


あなたは手放し状態にならなければいけない。

これがヨーガとタオの違いだ。
ヨーガは意志の道であり、タオは明け渡しの道だ。
ヨーガは言う。
「息をこうして吸いなさい。
 息をこれくらい深く吸ってしばらく止め、
 それから深く吐き出してしばらく止める
 ---意志の力である一定のパターンをつくりだしなさい」

タオは「呼吸はそのままにせよ」と言う。


本聴くことに微かに光を当てるだけでいい。


---ちょうどあなた方が私に耳を澄ましているように。
私の言葉はあなたの耳に向かっている。
言葉に飛びつく必要はない。
言葉を引っぱりこむ必要はない---そんなことはしなくていい。
あなたはただ注意深くして、静かに耳をそばだて、開いていればいい。


本この句には秘められた意味がある。
本光を当てるとはどういうことか?
本それは目の光がもつ自然に照らしだす働きのことだ。
本目は内側を見るだけで、外界を見るわけではない。
本外を見ることなく明るさを感じていることが内側を見るということであり・・・


一種の手放し状態にあるときにはいつも、
あなたの内側には大いなる光が感じられる。
手放し状態にあれば、それはひとりでに起こる。
<存在>に明け渡しているなら、内側にまばゆい光が感じられる
---大いなる光(ライト)が内側にあり、
大いなる喜び(デライト)が外側にある。
それは自然に起こる。
そして内側にその明るさを感じていることが内側を見るということだ。


本外を見ることなく明るさを感じていることが内側を見るということであり、
本内側を実際に見るということではない。
本聴くとはどういうことか?
本それは耳の光がもつ自然に聴く働きのことだ。
本耳は内側を聴くだけで、外界の音を聴くわけではない。
本外界の音を聴くことなく明るさを感じていることが
本内側を聴くということであり・・・


目の裏に、耳の内側に、あなた自身の内奥の源に光を感じはじめたら、
あなたは安定し、中心が決まり、こころは静かになっている。
そうなったら、あなたは世間にいながら世間を超えている。
これが超越だ。
本内側の音を実際に聴くということではない。
本したがってこの場合、聴くというのは無音の状態を聴くだけであり、
本見るというのはそこに何の形もないのを見るだけである。


内側には何の形も見えず、何の音も聞こえない。
見えるのは穏やかな光---音なき音、形なき光だけだ。
それゆえに神は"音なき音""形なき形"と定義される。


本目が外界を見ず、耳が外界の音を聞かなければ、
本それらはおのずと閉じて内界に沈んでゆきがちである。
本内側を見、内側に耳を傾けるときにのみ、
本感覚器官は外に向かうこともなく、内に沈み込むこともない。
本このようにして昏沈と無気力な状態を取り除くことができる。
本これが、太陽と月がその精と光を結合させることである。


内側に耳を傾け、内側に目を向けているなら、
それは内側に形のない光、音のない音、沈黙の音楽を感じている
ということだが---そこで内なる男性と内なる女性が出会っている。
これが結合、完全なオーガズム、神秘の合一ユニオ・ミスティカだ。


本昏沈に襲われて眠気をもよおしたら、立ちあがって歩きまわるがいい。
本頭がすっきりしてきたら、坐りなおす。
本やがて修行の成果が現れてきて、昏沈や眠りに陥ることはなくなるだろう。


この経文は実地に行なってみなければならない。
労することなく、これらの経文の奥義に入りこむ努力を
しなければならない。
力むことなく、明け渡し、手放し状態になることを学びなさい。

======================================================================
本文はここまでです。
以下に、感想・ご意見・質問等をコメントとして書き込めます。
  目次に戻る http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44491761&comm_id=4419288
第15章の経文 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=57895127&comm_id=4419288
トピックの先頭 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=58417164&comm_id=4419288
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> 一種の手放し状態にあるときにはいつも、
> あなたの内側には大いなる光が感じられる。
> 手放し状態にあれば、それはひとりでに起こる。
> <存在>に明け渡しているなら、内側にまばゆい光が感じられる
> ---大いなる光(ライト)が内側にあり、
> 大いなる喜び(デライト)が外側にある。
> それは自然に起こる。
> そして内側にその明るさを感じていることが内側を見るということだ。

僕は、内側の光というのは長らく理解できないでいました。
外側の喜び(デライト)があるのに、その元になる内側の光がなぜ見えないんだろう?
って思っていました。

最近、クリシュナの瞑想キャンプで、クリシュナに「それが光ね」って言われて、
はっと気がつきました。

なんだこのことか・・・と。
前からずっとあったんだけれど、外の光のイメージを追いかけていて見逃して
いただけでした。

確かに、手放しということと同じコインの裏表ですね。
> ひえ

でしょう?わーい(嬉しい顔)
朗読のパワーって、やってみて初めて分かるとものですよね。
みなさん初めまして あきやんと申します m(_ _)m

読みました!!! スゴイことがいっぱい書いてありますね!

20年前に「存在の詩」を読んでからずっとOSHOのファンなのですが

言葉だけではダメだ、生きて体験しないと……! 

と思ってアレコレ試行錯誤し続けてきた道は(今もです(´∀`))
ちゃんと存在とつながっていたんだな、
もっと安心して信頼して(時々難しいけど(笑))冒険してよかったんだなと
改めて確認させていただいた気がしています。

ありがとうございます! 次回からのQAも楽しみにしています♪

時折、瞑想ではなく迷走してしまう不束者ですが、皆様どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
あきやんさん、はじめまして、
コメントありがとうございます。

今回、私がコメントをすぐにいれなかったのは、
新しい人の、
あきやんさんみたいなコメントを待っていたからです。
3週間ぐらいは、待とうと思っていました。
でも、はやかったですね。
ありがとうございますわーい(嬉しい顔)

>言葉だけではダメだ、生きて体験しないと……! 

これを、他の人から出てくるのを、待ってたんです。
ありがとう、ありがとう。
感謝わーい(嬉しい顔)

同感です。わーい(嬉しい顔)

新しい参加者の素直なコメントは、いいですね。

ハート
すぎとさま、初めまして!

コメント拝見させていただいていました(^^)

私は瞑想は師匠についているのですが
(その方から「存在の詩」とタロットを教えてもらいました)

OSHOについては本しか知らず、インターネット経由で
孤独にジベリッシュする(笑)くらいしか方法がなかったのですが、

すぎとさんのコメントを読んでは ほほう! とか、 へえ! とか、
新鮮に驚いたり楽しんだりしていました(^^)

OSHOの存在の香りに触れた方々が
世間でどんなふうな旅をなさっていらっしゃるか、お話が伺えて嬉しいです♪

どうぞよろしくお願いいたします。


プラボード☆ さま

黄金の蓮の華の瞑想、朝に15〜20分ほどはじめてみました(^^)

こちらのコミュを作ってくださり、入会許可を下さり、
また、QAの翻訳をしてくださり、ありがとうございます(^^)

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

>あきやん さま

ありがとう。
喜んでもらえて、うれしいですハート
あきやんさん、またまた、ありがとうございます。

最近、今、私は、
明らかに、この世が、
薄っぺらいカーテンに観えて、しょうがないのです。

スカスカみたいなぁ。
蜃気楼みたいなぁ。
そして、意識だけが、確かで、すべてみたいなぁ。

そういう感覚が、はっきりしてきました。
これもね、いろいろなみなさまがいるから、わかったことです。
ありがとう、やはり、ありがとう。
感謝ハート達(複数ハート)

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