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Drスワンプコミュの鈴木 茂

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え。


っと、驚かれた方は、まあ、通かな。

なんで。

って、思われる方へ。
だって、好きなんだもん。
としか言いようがないし。

はっぴいえんどのギタリストにして、
なんとなくビートルズのジョージ・ハリスンを
彷彿とさせる流れ。

で。

60過ぎて、大麻取締法違反で現行犯逮捕。
で、何?

この方、立川市在住なんですよ。
多分、南口からそう遠くない。

これで、終わるのかな。茂は。

もしかしたら。




僕としては彼が気になったのは、この1曲。
ティンパンアレイの中の、「はあどぼいるど町」
このシャッフルのギターのカッティングがなんとも
気持ち良くて。
で、はっぴいえんどに戻って、もう一回聞いてみると
氷雨色のスケッチ。
きてます。
はっぴいえんどの中で、一番弟の鈴木茂は
いつも淡々とギターを弾いていました。
歌は、それほど、いや、ヘタだ。
ギタリストにありがちなかんじなのだが。

地味で、目立たないけど、当時けっこう茂が好きだ
という偏屈な女子はいたにはいた。
当時って、まあ、1970年初頭だな。
はっぴいえんどは、当時女の子にも絶大な人気がありました。
どちらかというと、メガネをかけていて
ストレートロングで、文学少女ですっって感じのね。


当時、大瀧詠一、細野晴臣らは、ソロ活動で
独自の路線を見出していました。
大瀧は、テレビコマーシャルの三ツ矢サイダーのテーマソングで
「あなたがじゅんと来るときは、私もじゅんとくるのです」
ってやつだよね。あるいは、シュガーべイブのプロデュース
ナイヤガラレコード、この辺りから、大瀧の大進撃が続くのだが。

今は現在の写真も公開していません。
大瀧詠一。

さて。
時に、1974年。

ある日突然、寡黙でギターを弾いていた茂が
単身アメリカへ渡りました。

目的はアルバムを作るためです。

それが、この「BANDWAGON」

茂は、LAを基点として活動していたリトルフィートに
会いに行きました。
詳細はわからないが、クレジットにはローウェル・ジョージ
はないだけで、リズム隊はまんまリトルフィートです。
考えれば、茂はギターだから当たり前か。
でも。
リトルフィートとセッションしにアメリカ、LAへ行ったのだよ。
今となっては、すごいことをしたものだ、と思う。

当時のリトルフィートは、もう「デキシーチキン」をリリースしていて、
多分、4枚目も出ていたと思う。
今や押しも押されぬビッグヒットバンドです。

あんまりカテゴライズしまくるのもいやらしいのだが。
リトルフィートは、スワンプではないかもしれないが。
しかし、スワンプに寄った時期があり、かろうじて
当確としよう。いや、その前に、僕が好きだから許します。
全体的にファンクロックというか、
ニューオリンズの流れに近づいています。
白人のミーターズというか。セカンドライン風な曲も多いです。
それはもう、ねっちこくて、今聞いてもけっこうハイテクな
小技バシバシです。

日本では、トップレベルの茂のギターは、特にリズム感に
定評があった。僕が聞いてもリズム感において
茂を抜くギタリストは見たことが無い。
後の高中なんかメじゃない。

でも、リトルフィートに挟まれた茂は、あの日本での存在感も
薄れていくような程のたたみかけるリズム隊に押され気味。
しかし、そこはサムライ茂。松本隆の詞に守られて、
大瀧詠一に影響バシバシなボーカルの個性が炸裂。
ま、少し、いやいや、全然ヘタ、なんだけどね。

初めてユーミンのアルバム(キャラメルママ)で聞いた
スライドギターは茂の独断場です。
確かにスライドギターは当時多くのミュージシャンがトライして
うまい人も多くいたけどね。
茂の音は、ロックとしての味付けが微妙にうまくて
カントリーでもなく、適度なおしゃれ感がありました。

どこかの書評で、「鉄壁のリトルフィートリズム隊に負けている」
と書かれたのを読んで、非常に腹を立てたのを覚えている。

結局、茂は今聞いても負けてないと思う。

茂は渡米直前に自分のバンド、ハックルバックを作っていて、
帰国後すぐ鈴木茂とハックルバックをリリース。
その中で、「砂の女」「100Wの恋人」を
もう!セルフカバーしています。(当然か・・・)


二つを聞き比べてわかるが、茂は完全にフージョン
に寄っていることがわかります。
ハックルバック版は、イントロも佐藤博のローズから始まる。
僕は・・・・茂のともすれば粗野なギターカッティング
のほうが好きなんです。

やはり茂にとって振り返って見ても、
バンドワゴンのここ、この時がまさに頂点であり、
残念ながらそれ以降のアルバムの出来はそれほどではないです。
売れたか売れないかではなく、ポテンシャルの問題。

どんどんポップになっていっていくのは
80年代ということを割り引いて考えても、
僕として、許しがたいものがあります。
実は、茂の音源はほとんど持っています。
このポップ路線のCDも全部手に入れました。
でも、聞いてません。
悲しくて。
売れたい、という意識が伝わってくるのです。


そのポップ路線の狭間にひょいっと出した
「WHITEHEAT」は間違いなく
ジェフベックへのオマージュ?でしょう。
大学時代に先輩からもらったLPレコードで聞きました。
全編インストで、さらにジャケットは、
まさにクラプトンの「SLOWHAND」です。

しかし、まったく売れませんでした。

ひとつひとつの楽曲の完成度は高いのですが。
当時大ヒットしていた、フージョンジョンバンド
プリズム、カシオペア、高中正義に比べて
テクニックも楽曲のレベルも全然負けてません。

当時、井上貴之バンドからソロになって出した
大野克夫のソロアルバム(インスト)を聞いた時の
インパクトは全然ありませんでした。
曲はいいのに。

一方で。
松本隆は、ドラマーから作詞家へ転身し、まず
アグネスチャンの「ポケットいっぱいの秘密」で
大ブレイクします。

日本のロックファンからすると、大いなる裏切り行為
とまで言われたわけだが、その後の松田聖子、
吉田拓郎のキャンディーズにしてもロックミュージシャンの
可能性を広げた功績は大きいと思います。
僕にとっては、はっぴいえんども、松田聖子もキャンディーズも
やっぱり好きなのです。

茂は、その後はもっとポップ路線へと移行していきました。
しかし、大瀧(ロングバケイション)、細野(YMO)、
松本(松田聖子、他への作詞、プロデュース)らが開いていった道、
はっぴいえんどをスタートとして、日本のロックの
可能性を独自の才覚で切り開いていった彼らの成功の陰に
茂は埋没していったように見えます。

もし。
茂がリトルフィートとやったこの一枚から
日本におけるスワンプロックの草分けとしての位置
もしくは、日本語スワンプの確立がなされれば
今の日本においてのスワンプロックの広がりは
違ったものになっていただろう、と思います。

言えることは、茂はギター職人であり
誰か有能なプロデューサーが必要だったのではないでしょうか。

今でもできることなら、自分が茂のプロデュースを
したいくらいです。
今、この状況でさえも。
僕は茂にだからこそ、エールを送りたい。





ちなみに、リトルフィートのメインボーカルでギタリスト、
ローウェル・ジョージは、1978年に
オーバードーズで他界しました。

80年代を前に、60年、70年代のトップスターが相次いで、亡くなっています。


何かを象徴しているかのように。


そして、1980年12月8日
ニューヨーク、ダコダアパート前であの悲劇が起きました。




それから、時代は狂ったように
バブルの時代を迎えます。


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