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魔術的実存主義革命コミュの●自由に想像できた人(地方や個に徹した人)は、世界に羽ばたいていった。その秘密は、ここにある。

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(写真は、左:手塚治虫、中央:想像力の素、右:藤子不二夫(a))

 私は、大学は出ていない。日雇いをやっている。お金つかんだこともある。身体を壊したこともある。首になったこともある。留年したこともある。地方から出てきた。今は、首都圏から離れている。
 私は、18才の時、有島武郎の『生まれいずる悩み』を読んだ。これは、中程に画学生が師に絵を視てもらう場面が書かれている。その中の話ね。印象に残っている。
 地方の学生は、3年に一度現れて師に絵をみせる。その度ごとに、画が驚くほど引き締まっている。これは、地方の者の方が圧倒的に伸びると語られる。都会の者は、友達や知人に誘われて、どこにでも顔を出して付き合っているからだ。それに、美術館や観劇、コンサートといったものが、どこにでもある。そうやって、何かあるたびに出向くといった生活を行う傾向にある。だから、他人の作品を観ることにばかりになってしまう。自分が展示や作品を出すときに、付き合いがなくてはといとか考える。これは、作品や演奏、表現の回数や仲間は増えるが相手のことにいつも付き合なくてはいけない。そうやっていく内に自分の作品をの質は、仲間に合わせるようになる。付き合いのために、会を開くことが多くなる。都会の絵描きは、見た目には、成長しているように見えるがあまり個性は伸びない。地方の青年画家は、3年か、8年かに一度やってきて、別人かと想うほどに個性が伸びていて私を驚かせる。師は、言うのでした。
 その青年とは、有島武郎自身だったのではないか。私は、22、3才くらいまで、友人に合わせるためだけに、クラブハウスやライブハウスに良く出向いた。もちろん、出会いを求めていたこともある。だが、空しかった。何も得られるものがないのだ。親友は、義兄弟の如く交わった。その中にクラブDJとして、渋谷、六本木でプロとして、かなり異色な人間がいた。私が表現者として狂っているのと同じく。彼も音楽で狂っていた。自分と違って都会人の彼は、地方の人間である私からすると、騒がしく生きることに生き甲斐を見出している。彼の絵画は、何度も銀座や、いろいろな場所で展示していた。クラブの方にも、良く誘われた。だが、私は断るようになった。その旨も彼に伝えた。「お金がないから、行きたいけどいけない」と正直に答えた。私は、即興を楽しむ者も悪くないとおもう。それは、煌(きら)びやかで音楽的でもある。会話や出会いを求めて人が集まる。私は、そこから離れた。そうして、ひとりの時間が増えた。充実しはじめた。「お金は、なくて良い。これが私の処し方である。」
 真の友とは、<会ったか>、<会わなかったか>ということによらない。会わないからといって、縁の切れるようなのは、友ではないのだ。いつも、会っていなければ友達でいられないという関係はことば遊びに過ぎない。最近、私のDJの親友は、「絵を展示しているから、ただで良いから観てよ。」。いつも、こういう。クラブでDJをするときは、場所代というものが入場料にうわのせされる。これは、良く払った。私は、都内にいたときも、10回も美術館へ行っていない。三ノ輪や東京の坂道、建築物はよく見て歩いた。明治の建築や町並みは、消えかかっている。そういったものを、小銭をポケットに田村隆一という詩人の詩集を片手に目白の雑司ヶ谷を涼しげに歩いた。ここは、鬼子母神があって、手塚治虫の『日だまりの樹』舞台になっている。私は、そこで8ミリ映画を生まれて初めて回した。それは、赤い鳥居をめまいと狂いによって描きだし、漱石の墓、夏目金之助にプラスチックのレモンを置いて爆弾とした。これは、梶井の『檸檬』に材をとったものか?と言われたがそんなものは、まだ知らなかった。そうして、仮面をつけた人物の振るまいを、詩として残した。今は、どこにあるのか忘れている。
 当時、私は、何も表現できず、果敢に即興仲間とつるんで身体を動かしていた。18才の夏、そういったことから徐々に離れ、材を求めるに至った。材を求めることは、何もつくらないことを私に強いた。そうして、私は淫蕩、放蕩にふけり経験を積むために恋愛の修羅と化した。国籍を問わず、なんでも愛した。それは、曰く形のないもの。誰が証明できるのでもない。私の内膜。それは、生きられた人生である。
 地方の者は、己の故郷をおもう。

故郷は遠きに有りておもうもの

犀星の言であろうか。私の胸をかすめる。

 異邦人であるどうしようもないかなしみ。それは、室生犀星や竹久夢二のノスタルジーを通して、タルコフスキーの映画を通して、オリビエイラの『家路』の手回しオルガンのメロディーにのって、フェリーニの『アマルコルド』を通して、私の中でがんがんと響きわたった。実は、地方の方は、ノスタたいルジーそのものだったのだ。地方の夢、焼ける夕日と緑の山、岩や砂におおわれた、民家の顔つき。娘の面もち。地方の娘は、哀しみと郷愁を豊に自然のままに生きる。私の故郷でもそれは、ノスタルジーを醸し出す。日本でノスタルジーと言えば、どこだろう。私にとっては、東北である。西の出身であるが、東北のどの県の娘も、並はずれて美しく、気位が高い。徳川の威光の要所であり、それは東北のことばのきつさと相まって激しいのだ。東北の女は、つんと澄ました顔をしている。男の顔は、薄く肌の白く控えめな顔つきである。ことばもゆったりとしている。京ことばをそのままに、もっとゆっくりとした間をもたせる語りに湿原と寒さに鍛え抜かれた耐性が滲(にじ)み出ている。東北人は、口を割らない。それは、嘘がないからだ。西は、嘘によって誇られた文化である。都を行き交う迷信が多いのも、そうした商いや行き交う人の素性のしれなさ。どこからともなく現れる人々の中から、人知れず暮らす人の陽気さから「どついたろか?」などと嘘が飛び出るのだ。これは、まくし立てるように素早く取引をするものにとって効果的である。
 小松左京は、京都と東京を。京は、美術館や映画なんかは遠いところへ、行かなきゃ見れない。だから、想像しなきゃならん。論文だって、研究だって、東京まで出るのに金がかかる。そうしたら、想像するしかない。内田樹もその典型である。知識が豊富なのではないのだ。想像力がけた外れなのだ。情報がほとんどない地方。車がなければ、絵も映画も見れない。友達にも会えないのだ。その分時間がゆったりとしている。誰にも会わないのだから、相手のことを想像してみるのだ。これが、発達する。手塚治虫も友人の展覧会や映画、演劇などは、一度も行っていないのだ。それでいて、きっちり全体が見えている。これは、以上に発達した、想像力なのだ。地方のデートスポットは、スーパー(イオンやサティー、ジャスコ)だということを、都会人は知らないらしい。スーパーは、恋の穴場なのだ。そこで、どんな恋の営みをするか想像するのだ。同じ場所で、同じように世代を超えてみんなが共有する舞台なのだ。そこで、相手のことを、何もない場所で会話が、内面の語らいが、目線と、風景との交わりが始まる。それは、田舎時間であり、8時を過ぎれば音も明かりもなくなる。これは、見えない街の、夜の星との対話なのだ。これが、見えない相手を想像させる。都会ってどんなところかなぁ。星の向こうには、何があるかなぁ。これが、地方のものが仕事の行き帰り、学校の行き帰り、休日の過ごし方の内に見つめるものだ。それは、空がいつも地上の光りよりも強いからだ。それは、彼らから、情報をうばう。どんなものが世界にあるんだろうか。全く分からない。未開の世界が都会に広がっていると想像力豊におもう。都会では、きっと田舎は楽だろうと情報が入ってくる。では、行ってみたいな旅行したいは、となる。だが、旅行ではそれは見えないのだ。都会の暮らしと地方の暮らしでは、都会は遙かに気ままである。気ままで良いのだ。気が紛れるものなら、困ることがないのだ。情報と遊び場所なら、あふれかえっている。そこに都会の豊かさがある。私は、都会にあって明治期の文化を残さないことは残念におもう。それが、想像力の源だからだ。それを失って、都会はどこに故郷をもつのだろうか。故郷は、情報やお金では買えないのだ。お金ばかりに目の色を変えて仕事をすることは、たくましい。それは、どこかで故郷を失うことかもしれない。還ろうと想うとき故郷はないのだ。そうなってからでは、お金ではかえない。街並みを残すこと、街並みに接することだ。散歩は、自分に帰る道なのだ。それを失うとき想像力が、失われる。

 地方で仕事がなく、尚かつ、生きる意味について誇りをもって、気高く生きたいとおもう者に、私は、記しておきたい。地方には、仕事がない。そうしたとき、お金ではない豊かさを、手塚治虫や小松左京、筒井康隆、寺山修司、ミヒャエル・エンデが戦後の間もないとき、お金もなく、食うものもなく、学校も、本やテレビゲーム、新聞、映画、漫画、ラジオ、蓄音機、車、電話、そんなものは手に入らなかった。それでも彼らは、地方にあって、たくましく生きた。お金もなく、食べるものもなく、だからどうしたというのだ。つつましく生きた彼らを誇りに思って是非、個性を磨く生き方を創造していただきたい。それは、日々の暮らしを彩る充実したものになる。情報人間が失った豊かさを手塚治虫や寺山修司、ミヒャエル・エンデといった、地方に取り残された子ども時代から、出発した人がいるのだ。それは、何もみじめではない。みじめなのは、自分を見失った文明人だ。つつましき生き方に立つとき個性が開く。知らないことは、遅れていることとはちがう。知らないことは、想像の種だ。大いに情報を無視しよう。想像にひたろうではないか。何もないことは、自分でいられるのだ。

何も出来事の情報がなくても、自由に想像できた人(地方や個に徹した人)は、地方や自分の部屋から、世界に羽ばたいていった。その秘密は、ここにある。

レオナルド・ダ・ビンチと不思議の国のアリス、三国志も、ディズニーの故郷アンデルセンも何もないところから、宇宙の歴史に想像力によって生きている。情報でいくら映画を見たとか、本を読んだとか、絵を見たとか、音楽を聴いたとか、持っているとか、そんなものは、情報を知っているに過ぎない。

 情報は、情報として古くなれば消えていくのだ。そこには、感情がないからだ。私は、テレビを見ないが、カンヌで招待される者や芥川賞を受賞する者と話して「こんなものか」といつもがっかりするのだ。テレビや新聞を見ない私は、だから何が言いたかったのか、さっぱり伝わってこなかった。映画祭や文学賞、有名人であるかどうかは、関係がないのだ。その人の思っていることの深さがなければ、いくら見栄えの完成度や出来の良い料理に出会っても、「あぁ、おいしいね」で終わりなのだ。文明人は、それで良い作品と聞くとそれを「すばらしい」とよく言う。それは、宣伝に過ぎないのだ。

本当においしいものは、情報にはならない。
丁寧につくられたものは
あっせては、食べられない。

ゆっくり、あじわう

これが、想像に生きる者の「ことば」から、つたわっていくのだ。
【何もない、おかねもないことは、
<想像ができないこと>と同じではない】

どこにも出かけない手塚治虫、星新一は、
会ったことのない人からも
一瞬にして胸の内を披瀝(ひれき)し会えた。

藤子・F・不二雄の『ドラえもん』の<どこでもドア>やタイムポケット、机の引き出しののタイムマシーンすべて

果てしない物語

そして生きた宇宙への冒険



<桜乃章 哀月>筆

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