◆桜乃章 哀月 《序文》
まず、カーマ(性愛)は人生の目的の窮境(きわみ)でもある。
俺は、ロシアの堅聖ソロヴィヨフとドストエフスキーの目指す至高の愛、エロースの意であると定め、カーマを単なる地上的な情欲とは、切り離してかんがえる。
「性は、愛なり」と謂うは、「本性は、愛である」ということである。情欲に非(あら)ず。情欲に因(よ)るのではないことを断っておく。その限りに於いてカーマ(愛)について自由に生きることを実践しなくてはいけない。
なぜなら、こんにち程(ほど)、性が情欲によって機械的に生産されている消費社会はないからである。性が売り物であってはならない。それは、理屈ではない。自由を踏み行う者は、情欲の奴隷ではないからだ。情欲は、自分を見失った者の他人に対するへつらいでしかないからだ。
そこに自由な性交も、性愛も、自然な生き方も失われていると謂うことは明らかである。俺は、カーマの重要性を強調するのみでなく、老いという輝きへの新生に於いて実践する者だ。カーマは、利欲とは無縁である。それはすべての組織宗教、社会的常識と謂った曖昧な根性から離れた処で行われる。
集団の中で視られる如何なる振る舞いも決して自由な者の行動とは言えない。組織宗教も、集団人もカーマ(愛)を知らないという限りに於いて常識的であるに過ぎないからだ。なぜなら、カーマ(愛)は、俺のものでなくてはいけない。俺は、カーマ(愛)を自己の内に於いて拡大するからだ!
桜乃章 哀月 筆
●カーマ (ヒンドゥー教)
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カーマ(Kama)は、
性愛。古代以来、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)とともにインド社会で人生の三大目的と考えられてきた。
ヒンドゥー教における愛の神。
本項では2について詳述する。
目次
1 概要
2 神話
2.1 クマーラ・サンバヴァ
2.2 バーガヴァタ・プラーナ
3 カーマ神の別名
4 カーマ神の供養
5 関連項目
概要
カーマは元来「愛」の意で、マンマタ、カンダルパ、マーラなどとも呼ばれる。ラティ(快楽)、プリーティ(喜び)を妃とし、ヴァサンタ(春)を親友とする。美男子であり、オウムに乗り、海獣マカラを旗標とし、サトウキビの弓と、5本の花の矢を持つ。ギリシア神話のクピド(エロス)に相当し、妃のラティや親友ヴァサンタを伴って相手に近づき、その矢で射られた者は恋情を引き起こされる。苦行者の邪魔をすることもあり、それが原因でシヴァ神に焼き殺された。
神話
クマーラ・サンバヴァ
神々がターラカという悪魔に悩まされていたとき、ターラカを倒せるのはシヴァ神とパールヴァティーの子(軍神スカンダのこと)とされていたが、苦行に没頭していたシヴァはパールヴァティーに全く興味がなかった。そこでシヴァの関心をパールヴァティーに向けさせようとして、神々はシヴァのもとにカーマを派遣した。瞑想するシヴァはカーマの矢によって一瞬心を乱されたが、すぐに原因を悟り、怒って第三の眼から炎を発しカーマを灰にしてしまった。カーマのアナンガ(身体無き者)という別名はこれに由来するとされる。悲しむラティに天から声が聞こえてきて、シヴァがパールヴァティーを受け入れるとき、シヴァはカーマに肉体を返すだろうと予言をする(カーリダーサ『クマーラ・サンバヴァ』)。
バーガヴァタ・プラーナ
『バーガヴァタ・プラーナ』によれば、後にカーマはクリシュナとルクミニーの子プラデュムナとして再生する。悪魔シャンバラはプラデュムナに殺されるという予言のために、赤子をさらって海に捨てる。赤子は魚に喰われる。漁師がその魚を捕らえてシャンバラに献じるが、料理人がその腹を割くと赤子は無事であった。そこでシャンバラはそれとは知らずに給仕女(あるいは妻)マーヤーヴァティーに渡し、彼女はその子を育てる。マーヤーヴァティーは実はカーマの前世の妃ラティであり、かくして二人は再会する。プラデュムナは長じて悪魔シャンバラを殺し、マーヤーヴァティーをともなってクリシュナのもとに凱旋した。
カーマ神の別名
カーマの別名マーラは仏陀の修行の邪魔をした障害の魔王の名としても知られる。
アナンガ (Ananga) 身体無き者。通俗語源解釈。
マーラ (Mara) 破壊者。
アビルーパ (Abhirupa) 美しい姿をした者。
マナシジャ (Manasija) 心に生じる者。
アサマバーナ (Asamabana) 奇数の矢を持つ者。5本の矢を持つことから。
シュリンガーラヨーニ (Shringarayoni) 愛の根源。
プシュパダヌス (Pushpadhanus) 矢を弓で飾る者。
など。
カーマ神の供養
カーマを供養する祭は、春のチャイトラ月(3月中旬〜4月中旬)に行われる。
関連項目 [編集]
カーマ・スートラ
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