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魔術的実存主義革命コミュの●すべてをつつむものでなくてはいけない。豊かさを失うとき、美も、愛も失われてしまうからだ!!

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 一生を賭けて打ち込めるものを持て!!<愛>にまさるものは、<永遠の美>だ!!美

の創造は、醜悪、虚飾、表層美、贅沢、一時の愛、そのようなものに朽(く)ちることはない。

己の宇宙を観うるものにとって、すべての愛や人生は偽物に過ぎない。私は言っておく、美

のない人間は愛に留まる。美を求める者は、永久に滅びない。それは、宇宙の真理だ。愛

は、不確かだ。だが、永遠の美の探求は尽きることなく、消えることがない。美に至らない愛

は、一時の誤魔化しに過ぎない。美しき精神は、この昼の世界のすべてに優るものだ。私の

言を信じるものは、悩み苦しむことがない。私は、ただ美の秘奥の結晶に依ってのみ生きる

ことを確かめた。それは、どんよりとした誤魔化しの愛とは違う。煌々(こうこう)と鳴り響く、夢

と想像力と生きる意味を万人に与えるものだ。<完全なる愛>を求める者は、砕かれ、<永

遠なる美>を求める者は、一瞬にして不滅の生きる意味を見出すことができる。現世にあっ

て迷うことがないからだ。踏みとどまるものよ、愛は永遠ではない。美こそ愛海宇宙に至る門

なり。

 人類が滅びるのは、地震や雷でもない。科学崇拝と文明の盲信だ。自然よりも人間の盲信

の方がよっぽど恐ろしいことを全身で受けとめるべきだ。コンピュータやビニールだらけの文

化は、かつて無かったほどに痩せ細った生き方を生態系に及ぼしている。私は、科学の進歩

という信仰が人類の生活をすでに破壊していることを認めざるを得ない。

 この廃れた文明にあって、迷っているとき、何かひとつのものを、見詰めると云うことが全身

を生かす源(みなもと)になる。恐れるほどの人生はない。魔術的実存主義の秘奥は行動に

ある。何によっても揺らぐことのない振る舞いができることだ。生活の上で、ほとんどの場合

「恐れ」といわれるものは、<退く>ことにある。魔術的実存主義に於いては、<退く>ことは

ない。今果てようとも、鮮やかな蒼い影を放ちて強固な炎樹剛気に満ちることができる。水よ

りも清涼である影は、行動するものに力を与える。不安に有りて、蒼き影に触れれば忽(たち

ま)ちに不壊炎剛志を感得す。

 何事も成さざるよりは、善い。だが、もう新たな行動の転換を強いられていることは、疑いよ

うがない。<永遠の美>に於いて<退く>ことがあってはならない。見せかけの愛は、自然

をはかいし、人間もまた自然であることを忘れてしまう。人もまた、壊れるものだ。秩序の乱

れた管理社会は、すでに自然精神を科学者や科学研究者によって、ごく当たり前のように壊

されている。それは、進歩と進化の妄想によって自然(人間をも含めて)を実験の材料にして

いるからだ。そこに、一時の使い捨ての考え方がある。今の人間は、使い捨ての愛に依って

しか生きてはいない。永遠の美によって結ばれる精神は、壊れることも、朽ちることも、裏切

ることも、消えることも、悩むことも、<退く>こともない。

 私は言っておく<進歩>も、<進化>もすでに500兆円の負債を抱えてこの日本を滅ぼし

ている。日本は、沈没し、穴だらけだ。本当に生きられる方法は、<永遠の美>を探求し、模

索し、創造する以外にない。必要なのは、愛ではなく<永遠の美>だ。愛は、人を殺し、人を

憎み、自分を追いつめ、その場しのぎの虚飾だ。ピカソを見よ!!手塚治虫を見よ!!ゲー

テを見よ!!愛は五万とあるが、人間はいない。愛は、偽りの迷妄だ。己の精神を灰にする

のを私は、見る。これは、一時の偽りによって永久に精神を殺すことだ。永遠の美は、生きる

意味を与える甘美な至誠の炎だ。愛は干満となり、生きることがない。インスタントで済ませ

る時代の人間は、真に愛されることはない。やがて死別によって残されたるものは永劫の泥

沼にはまり、還ることがない。それは、無限に深い後悔へと変わる。私は、個人について言っ

ているのではない。至高の真理に照らすならば、<永遠の美>は星新一やミヒャエル・エン

デが不滅に於いて輝いた如く汝らを生きながら、豊かさへの旅へと導くものだ。

 豊かさとは何か、その答えは、<永遠の美>にしかない。岡本太郎もバタイユも、ドストエ

フスキーも、ゲーテも、クレーも、寺山修司も、安部公房も、埴谷雄高も、馬鹿ではないの

だ。愛に留まったならば、彼の手塚治虫も、ごく普通の悩めるサラリーマンだったであろう。

ごく普通の生き方は、高齢者を悩ませるに違いない。生き甲斐を見出せぬものは、若くして

死んでいる。生き甲斐とは、取りも直さず実存的な問題なのだ。1980年代の世界は、その科

学的な進歩の墜落、崩壊を目にし若い者は気力を失い、今に至ってその勢いは雪達磨式に

不安となって若者や老人を悉(ことごと)く、無気力にし、部屋の中に閉じこめている。奇しくも

ドストエフスキーやセルバンテス、埴谷雄高が牢獄に居ったことは、文明の荒廃を予見して

いたものだ。それは、1200年頃には、もう人間は絶対者を失い、つまり、自然を破壊し、己

を破壊していたのだ。中世の封建社会にあって、すでに人々は、全身で生きることができな

かった。そこには、若者らしさである、情熱の精神は皆無だ。侘び、寂びの精神は気力を

失った文明人のあきらめと技術の充足と崩壊をすでに来していた。それが、地球規模になっ

たことを安易示しているのだ。中世神秘思想は、もはや当時でさえなんの意味も持ち得な

かったのだ。今ほど、ひとつのことが使い捨てられて行く時代はない。それは、今後数千年

間の内に文明を別の形に変えてしまうだろう。我々は、ますます小さな世界に生きなければ

ならない。それは、人間関係も然(しか)り、住まいのあり方も然り、それは科学技術ではどう

にもならないとご理解頂きたい。<愛>という文明が輸入した一神教的なものの見方は、個

人を個人主義の箱の中に押し込みましたね。それは、コンピュータの箱も然り、アパルトマン

やマンション、電車や車、ケータイも箱の中にだけあいさつを閉じこめてしまった。それは、取

りも直さず人間の想像力の問題なのです。想像力の欠如は、家族や仲間との触れあい、そ

こには実は生きた物語があった。

 私が、あえて今ファンタジーではなく、小説ではなく、映画ではなく、絵画ではなく、文字を

用いるのは、言葉の、精神の復権なのです。それがなければ、いくらパソコンや、ケータイ電

話でいつでも自由に伝えることができても、それは、中身のない手紙と同じことなのです。そ

こには、生きた言葉がないからです。自分を深く見詰めることは、宇宙を深く捉えることで

す。<永遠の美>というのも私を超えた生きた炎でなくてはなりません。それは、かつて原始

の時代にラスコーの壁画やアルタミラの壁画に残る、全身を賭けた生きることへの執念、執

着、無条件の自己への闘争心、己の自然生命を燃え立たせる、情熱の創造に他なりませ

ん。それを、生きた意味にするべく魔術的実存主義は、形成されることは万人にとってかつて

ない行動の基盤になると私は、信じている。もちろん、ファンタジーも書くつもりだ、だがそれ

だけではいけまい。子どもだけでなく、万人が生き生きとした宇宙の生命観(自然ではなく)を

取り戻さなくてはなるまい。私は、先に挙げた幾人かの人々と同じく、面白いだけのもので

あってはならないと考えている。芸術であってはならないのだ。芸術は、写真と映画の文法

が完成がしてしまった30年代を境に終わったのだと考えている。映画は、宇宙、建築、演劇、

美術、音楽、幾何学、自然、生命、機械、社会、文化、経済、あらゆるものを完全にエイゼン

シュテイン、チャップリン、ウォルト・ディズニーらによって終わらせている。人間がシャワー

のような血を流す、単純な倫理観のアニメの描写もあったいう間に乗り越えてしまった。そこ

に、アール・ヌーボーやダダ、スュールレアリスムと言って捉えられてきたものは、芸術の終

幕であった。そこから人間性を否定する全体主義、管理されたホスピタル、ケータイも社会に

あっては、管理のための番号札に過ぎない。電車に乗り移動するときでさえ、人間の自由な

活動や衝動は、管理されている。私は、そもそも構造主義やモダニズム(現代主義)が科学

主義、機械崇拝のそれを変わらない生命倫理への危機を含んでいることを10代の頃から、

果敢に問題視している。私は、1950年代以降の若者は、無気力にされたのだと信じて疑わ

ない。それは、新たな文明と個人の闘いを生んでいることを断言する。もはや、映画だの、音

楽だの、芸術だのそういった枠の中だけで創造することはできない。私の訴える言葉は、ひ

とつのことにだけに、着目して表現できないものだ。私は、この宇宙であり。単に芸術であっ

てはならない。文明人は、個別に大量に生産する代わりに、個別に<永遠に美しいもの>を

捨ててきたのだ。私たちは、ひとつのものを見詰め無限の炎を取り戻さなくてはならない。そ

れは、私が言ってきたことが、面白いか、つまらないかと云うことに全く関係がない。君自身

が生きるられるか、否かに係っているのだ。それは、単に楽ができるとか、興味があるからと

云った程度の問題であってはならない。それは、芸術や愛だけのことを意味しているのでは

ないのだから。豊かさの後に来るものは、ここから見つめ直さねばならないと信じている。そ

れは、学問であってもならない。私自身の問題、君自身の生き甲斐の問題でもあるのだ。満

足で便利な暮らしを経てきた私たちは、私は無気力と日々闘っているのではないかね?私

は、言っておく愛することは、かまわない。ただ、次のことはやがて自由な生き方のできる君

にも当てはまるだろう。終末はそこにあると。今この瞬間に朽ちて行くものだ。確かなものは、

無気力ではないはずだ。私は、思索を深めるため焦点を当てているものを深く見詰めていこ

うと想う。私は、必要な防壁と材料はこれまでの人生で調えたつもりだ。後は、私の残された

時間との格闘だ。どこまで、突き進めるか分からないが。やる価値は、あるだろう。私は、前

半生に得た問題意識は、間違っていなかったと1人信じている。

 生きることは、行動のによって開かれるだけでいけはない。<永遠の美>それは、愛を失う

たびに開かれるものでは駄目なのだ。それは、不滅の炎だからだ!!それは、すべてをつ

つむものでなくてはいけない。豊かさを失うとき、美も、愛も失われてしまうからだ!!日本だ

けでなく、世界の貨幣の価値が失われる時代に突入してることを言っておこう。金持ちは、い

なくなるし、どこの国でも歓迎されず住めなくなるだろう。そういう時代がやって来たのだ。こ

れまでの、都市デザイン、都市計画、都市社会、地方も含めて、完全に意味を失う時代が来

たのだ。これは、私が世界的な建築家、経営者、文化人の間にあってリアルタイムに模索し

てきたことだ。一般の人たちは、もっと真剣に受けとめるときが来たのではないかと考えてい

る。もう、ライフプランを考える時代は、1980年代にファミコンの登場とマイホーム主義の崩壊

によって終焉したことを証明されている。幸せの探求を職業に持ち込むのは、間違っている。

それは、過去50年で世界に、生き甲斐を喪失した者があふれかえったことによって、目を閉

じることができない。幸せは、計画や一攫千金を求め、叫ぶところからは、来ないのだ。それ

は、金に不自由をしない層にも時間の消失という大きな矛盾を投げかけていることからも分

かるだろう。富豪のほとんどは、時間がなく、家庭問題と仕事の問題でむしろ生き甲斐を過

剰に見失っている。何かのための創造というのは、生き甲斐を見失う最大の条件なのだ。こ

れからは、1980年代以前よりも、個人の個性、表現力が求められてくるだろう。それは、クリ

エイティブな仕事であってはならない。それは、生涯を賭けた価値観の創造でなければなら

ない。それは、会社に属するものではなく、個人の営み、生活に根ざした根元的な創造行為

へと変化して行かなくてはならない。それを、考えるヒントになれば、幸いである。私自身もま

た、創造の過程にあることを述べておきたい。生涯を賭けるものは<永遠の美>お金や愛で

は手にすることができないものかもしれない。ラスコーやアルタミラには、そんなものがな

かったが彼らは全身で歓喜していたのだ!!人間だけを見詰めてはいけなかったのだ!!

それは、イカロスの墜落を意味している。アニミズム以前には、個人が全体として開かれた

魔術的な宗教観があったのだ!!それは、宇宙に開かれ、全身をつつむものだったの

だ!!他人任せの幸福論は夢を持つだけで一生終わるだろう!!

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