夜半の寝覚
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文学
『夜半の寝覚』(よわのねざめ)は平安時代後期(11世紀後半ごろか)に成立した王朝物語の一。『夜の寝覚』『寝覚物語』『寝覚』などとも称し、作者については現在のところ確定的な説がないが、『更級日記』や『浜松中納言物語』の菅原孝標女であるとする説が有力である。いわゆる源氏亜流小説のひとつに数えられ、途中に本文の大きな欠落があるなどの理由から、従来はあまり重視されてこなかったが、戦後、研究の進展や中村真一郎などによる王朝物語の再評価の機運にのって、広く注目を集めるようになった。登場人物たちの心理を克明に観察し、精緻な描写によって定着させてゆく独特な手法が特徴的であり、現在では中古後期を代表する作り物語として評価されている。14世紀の作かと思われる、改作本『夜寝覚物語』が現存する。
作者
作者についての資料はきわめて不足しており、決定的な説はない。菅原孝標女の作であるとする説は、藤原定家筆御物本更級日記の奥書に「ひたちのかみすかはらのたかすゑ/のむすめの日記也 母倫寧朝臣女/傅のとののははうへのめひ也/よはのねさめ みつのはままつ/みつからくゆる あさくら なとは/この日記の人のつくられたるとそ」という記述が見られるところから起ったものであり、長らく定説とされてきたが、戦後の寝覚研究のなかで『更級日記』と『浜松中納言物語』の関係に近似的要素が指摘される一方、『寝覚』はそのどちらとも似ない要素が多いことが明らかとなり、現在では別人の作とする説もあらわれている。ただし『寝覚』の独自性は作者の趣向であるという考えかたに基づく反論もあり、いまだに孝標女作者説に一定の信憑性が認められることは事実であるといっていい。
粗筋
第一巻
太政大臣は妻を亡くし、母親の違う四人の子供たちをすべて引取って養育している。そのなかでも中の君(後に「寝覚の上」)は音楽の才能にすぐれ、箏を得意にしていた。その才能を天人も愛でたのであろうか、十三歳の十五夜の夜、天人が降臨して彼女に琵琶の秘曲を伝え、さらに翌年の十五夜にも彼女を訪れて、その数奇な運命を予言して去るのであった。
一方、中の君の姉大君は左大臣の長男中納言(後に「関白」)と婚約をしていたが、中納言は乳母の見舞いに訪れた先で、ふとしたことから方違をしていた中の君と契ってしまう。中納言は彼女を別人と混同したままにその場を立ちさってゆくのだったが、中の君は一夜の関係で中納言の子を身ごもり、相手を誰とも知らないまま懊悩するのであった。
何も知らないまま中納言は大君と結婚したが、その後はじめて中の君が大君の妹であることに気づき、中の君が生んだ姫君を人知れず引取って、左大臣のもとで養育するのであった。しかし秘密は長続きせず、中の君との関係を大君の知るところとなり、ついにその結婚生活は破綻するのであった。
以下第二部は現存していないが、主として男君と女君、そして女君の夫となる老関白との出来事が描かれていたと思われる。第三部は、26歳になった女君が帝に迫られるなどの苦難に遭いながら思索を深めていく様子が描かれる。
そしてこれも現存していないのだが第四部は、全巻が揃っていた時代の無名草子の作者の書評などから、母として生きる女君が書かれていたものと推量される。女君が幸福な結末を迎えたかそうでないか、論者によって意見が異なる。
困ったときには