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播磨の赤松一族と国人衆の足跡コミュのはじめましてのコ−ナ−

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そういえば、こんなトピ作ってませんでしたあせあせ
という訳で、もし良ければご自由に書き込んでくださいねわーい(嬉しい顔)

コメント(49)

オフ会やりたいけど、その前にもっとご先祖がなにをやったかとか、赤松や播州の歴史を調べないとみなさんについて行けないあせあせ

加西市史とかは持ってますが、もっと資料が欲しいなぁ
ビックリするくらい展開が早いですねムード
オフ会は、凄く面白そうでいつかできるといいですねぴかぴか(新しい)

masamichi@RATM さん

>その前にもっとご先祖がなにをやったかとか、赤松や播州の歴史を調べないとみなさんについて行けない

いやいや、それぞれ皆さんの知識を持ち寄り他の皆さんの赤松氏史を楽しむ知識の一つとして活用できる様に大きな事でも、小さな事でも、「?」が付く事でも、皆さんで気軽にいろいろと情報交換しませうムード

ムードちょっと、昨今は自身の先祖に近い阿波の三好氏系に気がイってましたのでまた改めて赤松氏史にウェイトを戻しますので皆さんも新たな情報などありましたら教えて下さいね。
子孫の方も多いので例えば、こんな「言い伝え」ウチにあるよ、などでもありましたら興味深いですから教えても問題ない様な事なら知りたいですねわーい(嬉しい顔)
赤松館で伺った赤松満政さんの直系子孫の方のお話はほんと面白かったですからね。

harutianさんが美作で、嶌@国宝閑谷学校さんが備前とまさに播・備・作の赤松氏史の全域にコミュ参加者が集まってなんか嬉しい限りですわーい(嬉しい顔)

カメラ智頭急行の苔縄駅と、上郡町のゆるキャラ円心クンです。
後ろの山が、赤松円心則村公挙兵の地である苔縄城ですね。
皆様挨拶されていますので、私も遅ればせながら。

私は播磨に住み郷土史に興味がある者です。
城跡、お寺など旧跡を巡っているとやはり赤松関連が多いですね。
ちなみに、我が家は播磨武士の流れではなく赤松とも縁も所縁も無いであろう豊臣の大阪浪人の末です。
末席で結構ですので置いてやって下さい。
宜しくお願い致します。

masamichi@RATM さん

小野市史はご覧になりましたか?
佐谷氏は大部荘(現小野市)の地頭ですから、本編、史料編ともにいくらか記載が有ったと思いましたよ。
もっとも、公文家との争いの話ばかりだったかも知れませんけどね。
>PCDDsさん

加西市史にもよく出てきましたが、小野市史にも載ってるんですね
こりゃ買ってこないと

佐谷氏は、淡河川〜美嚢川〜加古川〜万願寺川で結ばれる地域一帯を勢力圏にしていたみたいです
そう考えると、加西市、小野市、加古川市を勢力にしていたのかな?

公文家との争いですか
公文家は初めて聞きました(無知ですみません…)
加西市史には足利直義の呼びかけに応じて北陸へ行ったと書いてありました
結構争い好きだったのかな?あせあせ

情報ありがとうございましたexclamation

(はじめましてトピックとはずれてしまってますね、すみません・・・)
masamichi@RATM さん

トピずれけっこうですムード
お蔭で、情報も得られましたし更に楽しめるってもんですからぴかぴか(新しい)
masamichi@RATM さん
御免なさい。

公文は職種で姓(藤原かな?)は知りません。
戦というより大部荘という荘園の利権争いですね。

武辺としては分かりませんが、色々と想像はしてしまいますね。
たとえば、当時、楠木正成の父といわれる楠木河内入道や垂水繁昌などの悪党が大部荘に乱入して暴れているので、地頭職の佐谷氏はこれらとの戦などはあったんじゃないかと。想像ですよ!
>PCDDsさん

あ、そうですよね
公文家って高知だったと思うので

利権争いとかやってそうですw
加西市史にもこうあります
【1322年 佐谷六郎左衛門政尊が、大部荘の公文職の奪取を企んだとして訴えられる】
まさに利権争いですw

戦の記録は上で書いた直義の呼びかけで行ったことしか分からないので、他はどうなんでしょうねぇ??


>のんきホ−テさん

ありがとうございますわーい(嬉しい顔)
 どうもはじめまして、お久しぶりです。
 ベロベルトと申します。
 PCのデーターの不具合と不安定になって
 いますので、アクセスが出来なくなっています。
 ほんの少ししか参加していませんが、このコミュニティー
 から退会いたします。
 mixiからも近い間に脱退いたしますので、ご了解お願い
 致します。(1週間以内の内に出て行きます。)
 コメント後にそく退会いたしますのですみません。
 
 
ベロベルトさん

プロバイダ換えてからの不具合と、PCまで不具合とは時間が掛かりそうですねあせあせ
復旧したらまた、連絡よろしくです指でOK
タブンネさん

はじめましてわーい(嬉しい顔)
あまり難しい話は、私もできませんのでお気軽に参加してくださいねムード
Mikiya Tanaka さん

はじめましてわーい(嬉しい顔)
氏範さん系の末裔さんなんですね。
どなたか、ご存知の方がそのうち出てきてくれると良いのですが
もし、なかなか出なくてもまたいろんな言い伝えなどありましたら教えて下さいねぴかぴか(新しい)

私は氏範さんの系譜は、ほとんど読んだ事がありません冷や汗
氏範さんの子供達は父の手足と成り播州清水寺での一族一党の自刃でほぼお亡くなりになられたと思ってましたが「私本 赤松氏範顕彰記」なる小冊子を読んだ事があるのと赤松一門と山名一門の末裔の和睦後に発行された小冊子にてだけ読んだ事があります。
永徳三年(1383)9月2日の播州清水寺での合戦で細川・山名連合軍に赤松惣領の義則さんの総攻撃に遭い一族一党134名全員の自害により終結するのですが
事前に末子 乙若丸?と孫の松寿丸?を薩摩に逃がしたとあります。

清水寺旧参道に稚児岩という岩があり、その子達と氏範さんが今生の別れをした場所と伝わるそうです。そして、この子供達が薩摩に逃れ島津家に仕官し薩摩赤松として活躍されたとありますね。

あと、氏範さんの末子の乙若丸と嫡男氏春さん(息子松寿丸)以外の4人息子達の子供達が東播磨に残ったそうでそれぞれ「志方」「櫛橋」「志水」「清水」「中島」「小林」「加古」「井口」「小松?」などの姓を名乗ったという系図も見た事があります。
それが事実とすれば、「継いだ」もしくわ「入った」家の家紋が二条藤だったって事も考えられますね。
そういうパタ−ンは他の赤松一門にも見た事がありますのでウッシッシ

ただ、私の見た系図は、先に書いた小冊子で氏範さんの四男とされる季利さんの系譜の末裔さんの発刊されたものですが氏範さんの六人の息子に「氏勝」という名前は無くって薩摩赤松の乙若丸が成人して名乗ったのかもしれません。
とはいえ系図は多いので他のものにはあるかもですけど・・・あせあせ
どう伝わってますか?

赤松惣領4代目の義則さんは、清水寺の戦いの後にすぐ9月4日に清水寺に
有馬郡内から一部土地を寄進したそうで叔父氏範さんや従兄弟達とその一党の永代追善供養の為だったそうですよ。

あくまで想像ですが、嘉吉の乱の時の、義雅さんが大河内流の満政さんの陣に落ちてきて息子の救命を頼んだ様に寄せ手の義則さん側には内々の何かがあったのかもしれませんね。
お互い置かれている「立場」があり鉾を交えねばならぬ事になりましたが同族の繋がりはそう易々とは切れぬ思いがあったと思いますね。
はじめまして、母方が赤松一統の小寺です。 こちらのコミュは非常に勉強になりますのでよろしくお願いいたします。
ちなみに父方は俵藤太の流れです。(笑)
まさぼんさん

はじめまして
返事が遅れまして本当に申し訳ありませんでした冷や汗
年度末前から、都合でmixiしてる時間の余裕が大幅に減ったのでチェックは時折
携帯でするくらいだったので見逃しておりましたあせあせ(飛び散る汗)

母方が、小寺氏の末裔さんですか。
今月は御着の小寺大明神さんの前で法要がある月だと思いますが行かれましたか?
まだだったかな・・・?
黒田の末裔と恩讐を越えて共に毎年参列するみたいですね。

うちのそう遠くない近くの小寺氏も戦国期の織田軍との播磨攻防戦で主馬介さんが神吉氏の神吉城に篭って壮絶な討ち死にを遂げてはるのですが神吉城守備方の中でも梶原十右衛門冬庵・柏木治郎右衛門・長谷川権大夫・中村壱岐などと共に大薙刀を振り回し暴れまわって織田方総大将織田信忠をイライラさせるほどの武功だったとか読んだ事もあります。

父方も凄いですね。
うちは、父方は、生前には興味が無かったので聞かないままでしたので
今ごろ、知りたくなっても色々となかなか複雑で辿りつけませんあせあせ

また、ご存知の事がありましたらいろいろ教えて下さいねムード
神吉城に籠った小寺主馬介の名前は伊勢次郎というのではないでしょうか? それとも別々の人物? この時代の人は本名以外の名前があるから分かりにくいですね。因みに自分も同じ一統の者です。
K★K さん

はじめまして
一統の方も、そうではない方も大歓迎ですのでいろいろご存知のことがありましたら教えてくださいね。

小寺主馬介さんの名前は伊勢次郎という説は初耳ですムード
実際、おっしゃる様に黒田官兵衛がそうであったように小寺主馬介さんも小寺姓を名乗るのを許された方かもしれませんね。

昨年だったか、神吉民部頼定さんのご子孫の方が書かれた小説「信長の跫」という小説が出ております。子孫に伝わるお話と調べられた資料からと虚構を織り交ぜて書かれてましたがそこでは伊勢次郎という人物ではなくて 小寺則治 明石郡伊川庄小寺村(現神戸市営地下鉄伊川谷駅東南地区)二代目御着城主小寺加賀守則職の三男と「別所長治記」よりと書かれてますね。
本は、頼定さんの室 百合さん(後藤又兵衛基次の妹)の日記という形式で第十一章が書かれてますが篭城戦の凄まじさが分かって良かったですね。

神吉城攻防戦に関しての書籍は、三木城址の図書館に以前有りましたがこの本ご子孫が書かれた本が二冊目ゆえに資料乏しく学研から出た「信長と織田軍団」という本からは織田の物量作戦と圧倒的火砲の攻撃の様子が書かれてましたがほとんど玉砕した城方の抵抗は凄まじいものだった様ですね。

伊勢次郎とはどこで知られたのか良かったら教えてもらえませんか?
その資料には興味が湧いてきますねわーい(嬉しい顔)

伊勢という苗字の家は赤松系と繋がりもあるし面白そうなお話ですねムード
『播州太平記』からです。伊勢次郎というのは「小寺伊勢次郎」のことですが、もともと神吉城に籠城してた人かもしれませんね。
K★K さん

『播州太平記』ですか。
それは、まだ読んだ事がなかったんで興味が湧いてきました。
確かに、神吉城に入場された方のお名前の詳細はほとんど残ってないでしょうから伊勢次郎という人物が入場していた可能性は充分にありますよねるんるん
神吉城の攻防戦は織田軍の播磨侵攻に於いて最も凄絶な合戦の部類だった様ですね。

神吉城本丸址に建つ常楽寺に立つと味方の15倍する敵兵に囲まれた城方の心情が察する事ができる気がします。織田方の損害を考えると城方の鼓舞と士気の高さに身震いする想いがしましたわーい(嬉しい顔)
また、行きたくなりましたねムード
真〔まこと〕 さん

はじめましてムード
すいません、PC絶不調による修復作業で日数を経てる間に見逃しておりましたあせあせ(飛び散る汗)
満政さんの末裔さんですか、・・・という事はたぶん、コミュ内に親族の方がおられると思いますよ電球
最近、赤松播磨守満政さんの終焉の地に行ったばかりです。
なにか、ごぞんじの事がありましたらまた教えて下さいねるんるん
はじめまして。コミュニティに参加させて頂きました咲耶と申します。
我が家は赤松ではなく備前明石なのですが、明石一門は赤松から派生したと言われており赤松家は主家でした。
赤松家が滅亡した後も、代々婚姻の多くが赤松から出た一門の間で為されてきた為、色々と縁の深さを感じています。
我が家も歴史を読んでいると勝手に滅亡したことにされていますが一応細々と生き残っていますので、きっと赤松家の人々も名を変えたり生業を変えたりしながら血を繋いでいる可能性があるなと思い、コミュに参加してみることにしました。
勉強不足のため皆様のお話に着いていけるかどうか分かりませんが、どうぞ宜しくお願い致します。
咲耶 さん

はじめましてわーい(嬉しい顔)
明石氏の末裔さんですか、実は私の親戚にも明石氏が四国にいましてたまに合戦で敗れて「滅亡した」とされる家系が本で見られますが実は、その家系はその後はどうなったのかを、その本の著者はそこまでは知らないと解釈した方が良いと思いますねあせあせ

明石氏といえば、来年の大河ドラマの黒田官兵衛の母が明石氏でしたね。
当然、大阪夏の陣後の「明石狩り」で有名な全登だけが明石氏じゃないし結局、全登も徳川は所在を掴めずだしその筋も、その他流の流れも子孫が現代まで続いても不思議はまったくないですよね。

ただただ、気軽に「あしあと」を辿る事と赤松軍団の認知度がせめて地元だけでも上がると嬉しいなと思ってる程度で「学問・研究」畏れ多いものなどでは決してない軽いコミュですので同好の方と楽しく赤松話ができる場であれば最高ですのでお気軽にムード
また、子孫の方情報などありましたら教えてくださいねるんるん

真〔まこと〕 さん

家系図に、北条氏の名前まであるとは近年出てきた赤松氏の「悪党」出身説に異を唱える「鎌倉御家人説」(依藤氏説)に変わりつつある重要な証拠を裏付ける資料に繋がるかもしれませんねぴかぴか(新しい)
御家人でありながら、悪党働きをしていたといういずれにも該当する存在だったのかとか面白い資料になりそうですねわーい(嬉しい顔)
播磨学研究所に、見せられたら喜ばれるかもですムード

三田市の赤松館に、行かれたんですね。
私も、現在の住人、大河内満政嫡流の方から地下室の話や六甲山中での八幡神との話やら墓石に纏わる話や湊川合戦の話も伺い本当にただ、個人趣味で訪れたに過ぎぬ者に、煙たがらず丁寧にお話を聞かせて下さってとても嬉しかったので今でもよく覚えていますわーい(嬉しい顔)
でも、墓石が今ある経緯はお聞きしてなかったですね。
夢に出てきて、故人が何かを教えようとした話ってこれは馬鹿にできないもんですよね。
天正の織田家の播磨侵略戦での、佐用の福原城の福原則尚の頭蓋骨の話や四国徳島の最期の赤松惣領家当主、則房さんのお墓のあるお寺の住職から聞いた話にもその流れの子孫の方が夢を見て慌ててお寺を訪ねて来られたお話とか聞いてるとありえない話と否定するのもできないと思いましたのでムード

保月城は、今ではあの織田軍の明智光秀を困らせた丹波の赤鬼こと赤井直正の城、黒井城として有名になりましたが最初に城を築いた貞範さんをほとんどの方は知らないんでしょうねあせあせ(飛び散る汗)
ぜひ「太平記」を読んでもらいたいものです。
春日局やら大河ドラマ同様、ほとんどの人の眼は戦国か幕末しか向いてないのが悔しいですねがまん顔

貞範さんの、供養塔もひっそりとありますね。
保月城の麓にムード

大塔宮伝説地は、また調べて行って観たいですね。
これからも、情報があれば教えて下さいね。
真〔まこと〕 さん

赤松貞範さんは貞則と書いてあるのも見た事があるのでどっちでも伝わるし合ってるのか間違ってるのか難しいところですねあせあせexclamation & question
同じ事が、氏範さんでもありますしあせあせ(飛び散る汗)

名前の文字の件では、昨年10月の兵庫県立歴史博物館で、神戸大学大学院教授 市沢哲氏の講演では「則」は、赤松則村→則祐→義則と赤松家惣領が継ぐ字ではないかとおっしゃってました。が、則村公没後に継がれたのは範資さんですぐに亡くなられたので貞範さんじゃなく則祐さんに繋がったので則祐さんから「則」は惣領が使用になったのかも・・・みたいなお話でしたが義則さんのあと満祐だし復活後は政則となるが次が義村→晴政→義祐→則房となるしはたしてどうなのでしょうか???
また、円心公も範村と記されたものもあると教授は言ってられたので結局は不明でしょうね冷や汗

赤松館は、「前期赤松→後期赤松復興期」のトピのNo23,24でちょっとお書きしましたが私が訪ねた日は当主の方ではなく奥様でしょうか女性に伺いました。
簡単にお話すると六甲山のお話は、敗戦後の逃亡中に六甲山で山名方の追手に発見され「もはやこれまで」というタイミングで八幡神が現れ追手を退けて無事逃げられた事。また、八幡神が今日の事態に陥った事の意味を満政さんに告げた話ですね。
湊川合戦での事は、面白いお話でしたが正直それはちょっと「?」な考えもあり
ここでは控えますね。などなど、赤松一族のお話ですね。ちょっと氏範さんよりのお話をされたられましたのが印象的でした。則祐さん系ではあるが弟である氏範さんをよく理解されてられた印象でした。

満政さんの書は、赤松家重臣の依藤氏の子孫の方がWebペ−ジで載せられてます。とても、興味深い言葉が記されてます。
実物を見てみたいものです。
孝橋氏と武家続いた家と満政さんの遺訓を守り武家を捨てた家(赤松館)の件も伺いましたよ。

今年は保月城址に行きたくなりましたねウッシッシ
真〔まこと〕 さん

家系図ですか〜るんるん
良いですね。
山田(宇野説も見ました)則景が、北条氏とは縁戚関係だった事は通説に見ますね。最近の著書で新しい「赤松氏」に関する文書が出てきていたりしてますので
今後もっと出てくると嬉しいもんですねわーい(嬉しい顔)
はじめまして。赤松一族はかじりはじめなのですが、とても興味深く感じました。よろしくお願いします。
姫路青山銘菓桜小径さん
はじめまして

今や、播州人内においても「赤松一族」は超マニアックな存在ではありますが
実は、日本の中世史の一時期には良くも悪くも躍動した一族であり知れば知るほど播州人随一風に最近語られる歴史上活躍した播州人「黒田官兵衛」などは赤松一族と比べるには小さい存在でしかないと思えてくると思います。
なんか、発見などありましたらまた教えてください。
よろしくお願いします
わーい(嬉しい顔)
>>[41]

本当に面白いです。

人数と似た名前と分家とかが多すぎてなかなか頭に入ってこないところが難しいですね(o^∇^o)
初めまして。赤松後裔らしく、由よろしくお願い申し上げます。

眞之丞拝
赤松後裔信太眞之丞 さん

はじめましてわーい(嬉しい顔)こちらこそよろしくお願いします。
ここには、他にも後裔の方もいらっしゃいますよ。
ちょっと申し訳なくもコミュが停滞気味でなってはおりますが
なにか、良い情報などありましたら教えてくださいね
>>[46] さん はじめまして。
ですが、すでに退会された後とのこと・・・。
またよろしければご参加お待ちしております
はじめまして、自分も赤松一族の一人です。
自分の血のことをもっと知りたいと思いこちらにたどり着きました。
宜しくお願い致します。



初めまして、辿り着いてもうた。円心の次男坊(範資は養子にて実は長男)貞範、春日部家の流れのもんです。宜しく。

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