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播磨の赤松一族と国人衆の足跡コミュの赤松一族と国人衆の足跡(応仁の乱)

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家臣団の凄まじい苦労の成果で加賀半国大名であるが赤松家が復活指でOK
しかし、赤松家と支える国人達の、念願の本領の播磨奪回は未だ果たせず
山名氏による播磨支配は着々と進められ焦る気持ちに変わりは無し雷
そんな折に、起こった大きな動乱の影に赤松一族と支える国人衆が全力を賭けて乗り出したのは自然の成り行きだった。
そして、本領播磨と備前・美作の奪回の為にそう簡単に戦を止める訳にはいかなかった。

結果、一族や国人達の多くの痛々しいまでの犠牲により復活を果たす。
その、応仁の乱勃発地 上御霊神社ですね。
畠山政長と畠山義就により戦端が開かれ、将軍の命を守り援軍を出すのを控えた細川勝元に対し畠山義就側は山名宗全方が援護し緒戦は細川方の敗北。
これで、面目を失った細川勝元が本格的に対立を決意した重要な場所ですよね。
ちょっと、怖いくらいの雰囲気でしたがあまりの狭い範囲での戦闘になぜあれほど長引いたのかが不思議に思えてなりませんでしたね。がく〜(落胆した顔)

コメント(11)

応仁の乱といえば、赤松軍が組した東軍の本陣であり足利家の菩提寺である
相国寺は外せませんねわーい(嬉しい顔)
ここのすぐ北に上に記載した応仁の乱勃発地 上御霊神社があるんですが
応仁の乱は、両軍の陣所や戦場がこれほど接近しておりながらどうしてズルズルと10年以上も続いたのか不思議ですね〜考えてる顔あせあせ(飛び散る汗)

それにしても、現代この相国寺(尊氏)・鹿苑寺{金閣}義満・慈照寺{銀閣}
の足利氏創建の3つのお寺を束ねる管長さんが有馬頼底氏。
赤松円心則村公の三男 赤松律師則祐さんの子息から興った有馬家の末裔の方だそうです。赤松一族で唯一他の一族と距離を少し置き独自の路線を歩み続け
久留米藩主として幕末まで大名として残られたたった一つの赤松族。

その方が、今日でも足利家ゆかりのお寺を任されているとは脈々と歴史って続いていますね〜目がハート
ほうほう
あの有馬家の末裔ですか
全然知りませんでした
masamichi.capo.sat さん

あの京都の大徳寺の開山である宗峰妙超(大燈国師)も赤松家重臣 浦上一国と円心公の姉だったと思いますがその間に産まれた人ですよ。
産まれた場所は、龍野バイパス降りてすぐ南側にあるお寺で宝林寺
だそうです(旧浦上領)。
あの京都で今も巨大な寺領の妙心寺の開山 関山慧玄(無相大師)は宗峰妙超に師事を受け妙心寺の創建にともない宗峰妙超から花園法皇に推挙されたそうです。
一切、政治に関わらず花園法皇に深く師事を請われる立派な聖だった様ですよ。
有馬さんも、いろんな方面で活躍されてる様で同じくだと思います晴れ

赤松族は他にも、禅宗で活躍された方がいますよ。
政治的にも動いた人もいますが・・・ふらふら
長円寺 加西市福居町328

以前から親戚を訪ねる際に高速道が嫌いな私が近くをよく車(セダン)で通っていたんですが近くにあると知ったので寄ってきました。

赤松政則さんのお墓です。
明応5年(1496)になんと従三位に昇進exclamation
その数ヶ月後に、狩に出て発病し、ここ長円寺で息を引き取ったと伝わるそうです。人間50年・・・どころかまだまだ若い42歳だったそうです。

若年で赤松家総領に担がれて必死に戦い、応仁の乱では旧領奪回に強力な家臣団と奮戦。
その後、赤松家再興に命を懸けて尽力した重臣グル−プから資質を問われ追い出されるも復権。凄まじい人生だった様ですね。

この人は自身の血を分けた子より七条家から義村さんを養子にもらい家督を継がせてますね。
嘉吉の乱に及ぶ種となった「元」を無くそうとしたのでしょうか・・・。
儚くも、時既に遅しだったかもしれませんが政則さんの歩んだ苦労と思いが分かる気がします。

カメラ
?長円寺です。写真に写る本堂の裏手にお墓があります。

?私は、写真は正面から撮りませんのでご容赦下さい。
写真に写る中央より少し左にある木の根元に五輪塔が二基あります。(苔むした五輪塔の頭部分が木を挟む様に見えます)
これみたいですが名前もありませんし、とても従三位の方のお墓と思えない小ささだしなぜ二基あるのかが分かりませんあせあせ(飛び散る汗)
墓には、字が見えず、これが赤松政則公墓という表記看板もありませんでした。
お寺の方に聞こうとしたのですがお留守の様で聞けずじまい。
WEB上で検索するとこれがそうだと2件ありましたが確証はとってません。
ただ、お寺の方が留守で場所が分からず帰ろうとしましたが、近くで農作業されてる方にお尋ねしたら本堂の裏にあると教えてくれて隣にあった大きな墓は葵の紋ゆえ違うしたぶん間違いないかと・・・冷や汗
子孫の方は、ご存知ないかなぁ・・・。
なぜ、赤松総領の方のお墓には表記が無いものがあり、また「伝」が多いのか不思議です。
蛮☆りゅ さん

>現地にで現物を見てないから上手くは説明出来ませんけど、分祀の可能性は有りますね。

はい、ある本では九斗寺で病死され遺体は置塩の大円寺に移され葬儀が行なわれたとありました。そうだとするとこの九斗寺(現 長円寺?)で本格的な葬儀は無かった様で供養塔。そしたら大円寺ってまだあるのかもう無いのか分かりません。仮に無いにしても立派な墓石くらいあってもいいのにと思いますね。
赤松氏の菩提寺 法雲寺や宝林寺にも無いし不思議です。

>分祀の歴史は平安時代にも記録が有りますから、室町時代には既に特別に珍しい風習でも無かったのでしょう。

そうですね、円心公も京都 建仁寺久昌院と本拠地苔縄の法雲寺にあったりするので湯のみ

>更に五輪塔が二基存在するのは、そこの場所にもう一人ゆかりのある人物が供養されているのだと思いますよ。

WEB上の行かれた方のコメントでは、奥方だとか義村さんだとか書いてましたね。はてさて・・・です冷や汗

>仏塔の詳しい説明は省きますけど、五輪塔位の大きさなら供養墓の意味も含まれますからね。

おぉ、ひょっとして修験の道も歩かれるそうですが役行者や法道仙人の様な
道も進まれてるのですかわーい(嬉しい顔)
私はそもそも、五輪塔がなぜ墓石になるのかがちょっと不思議なんです。
宮本武蔵は著書で表してる通りの意味だし出元はヒンドゥ−で本来の意味はお墓には結びつかないはずですよねexclamation & question
私もけっこう好きなんです、その辺りわーい(嬉しい顔)
修行は一切しないですが・・・あっかんべー

>時の権力闘争の出来事ですから、墓石に名を入れると結構困る人達がいたのかなぁ・・・。

なんか、それはちょっと考え難い気がするんです。
なぜなら、政則さんや義村さんや則房さんは時の権力者に反抗した敗者ではないですからね。
そういう意味では、やはり満祐さんはありえる話ですけど・・。
でも、なんか理由があるはずなんですよね・・知りたいなぁ・・ウッシッシ
Etoile Brillante☆ さん

お久しぶりぶりですわーい(嬉しい顔)
そういえば、政則さんの紛れもない血脈の裔になるんですよね。
ひっそりと、ありましたよ。
通説ですと、ここで亡くなられたそうです。
「時己に至れり」が最期の言葉だったそうです。
機会がありましたら一度訪ねられてはいかがですかウインク

>大燈国師の創建に端を発する京都紫野の大徳寺の方丈には天皇家、近衛家等と共に赤松総領家代々の位牌が安置されています。

おぉ、そうなんですかわーい(嬉しい顔)
何院か知りませんが大徳寺創建者の大燈国師こと宗峰妙超さんは宿老浦上一国と円心公の姉の子供さんですし、円心公は雪村友梅さんに深く帰依されてましたが
この宗峰妙超さんにも身内ですから繋がりは深く不思議ではないしむしろ、やはりって気がしますね。
宗峰妙超さんは、花園上皇に深く帰依されていたので天皇家とも縁が深いんですよ。妙心寺の開山の関山慧玄さんも彼の弟子の様な方で竜安寺も含め三寺の関係は深いみたいです。竜安寺は、細川家と関係が深いみたいですね。

高野山赤松院へは、私も中へ入って見たいのですが泊まらないとダメかもですね。
法雲寺や宝林寺は前期赤松としても後期赤松としては決まった場所は無かったんですかね冷や汗
お墓巡りが趣味ではないけど、赤松惣領にしてはあまりに寂しいのにちょっとビクリでした。
赤松満政さんも、やはり小さいお墓でしたがご子孫が今でも住んでられる家の敷地内ですから寂しくなさそうでしたがたらーっ(汗)
蛮☆りゅさん

おぉ、詳しいんですね。

>壇家制度が導入される前ならば大概どの宗旨も五輪塔に梵字で「地・水・火・風・空」を彫ってます。
壇家制度以降は天台・真言ならば梵字ですし、他の宗旨なら漢字で地・火・水・風・空 と彫られていたり「妙法蓮華経」や「南無阿弥陀」の題目が彫られていたりもします。

この見極め方は、知りませんでした。
おっしゃるっとり、経年により石塔も風化し読めないのも多くありますが
そこらに注意は、はらってませんでしたので感謝ですムード

五輪塔・木製の五輪塔=卒塔婆=ストゥ−パってことですね。
本来なら、徳の高い方や高貴な方は宝篋印塔が多いですよね。
これなら、墓石としてなんら不思議ではないのですがね。
が武家でも一国の守護クラスの方でも宝篋印塔は少ない様ですね。
五輪塔もヒンドゥ−だし、密教も元はヒンドゥ−の神々を取り入れたものみたいなもんだしこれらが爆発的に受け入れられた時期だとしたらやはり真密か台密からの影響かなとは思ってました。

覚鑁上人さんか智証大師くらいかなと・・・ウッシッシ
弘法大師にそんな暇ないでしょうからね・・ぴかぴか(新しい)

>先の説明と合わせると、まず仏塔と言う建造物は「仏舎利」を納めて信仰の対象にするアイテムとして作り出されました。

そうですね、サンチ−なんかへ行って見たいですよね。
唐招提寺の戒壇に造られたのは残念であそこは当時のままが良かっただろうにわーい(嬉しい顔)
数年前に、奈良国立博物館であった「マトゥラ−とガンダ−ラ展」を思い出しました。サ−ルナ−トなども良かったですね目がハート

>オススメは置塩から登り六角に降り再び刀出から登り長坂へ降るコース。

凄すぎですよ、置塩は茶室前に着いた時には体力限界レッドゾ−ン手前でしたよ。
運動不足でもありますが高所恐怖症が強く逆バンクの道はガタガタ震えますんで
そんな事できませんよふらふら
いつか、白旗城と城山城もと思ってますが利神城址でびびってしまったんで
高所恐怖症を克服しないとダメですね・・げっそり
越前 朝倉家

なんか、朝倉家といえば弱いイメ−ジで信長物語で描かれてますね。
優柔不断な最期の当主 朝倉義景が描かれ史実として仕方の無い部分はありますが、義景以外はなかなかの武勇の家でして朝倉宗滴という人物は「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」と言い切った勝つ事に貪欲な優れた人物などもいました。
宗滴が亡くなった後での織田との戦いゆえに信長という人はほんと、強運の持ち主だったんですね。
あと少し早く生まれていたら今川も太原雪斎もいた訳ですし上杉も武田も北条も毛利も強力かなりだった事でしょうウッシッシ

朝倉・織田両家共に、足利幕府において三管領四識家の管領家 斯波氏の重臣の家だったんですが朝倉氏は応仁の乱の際に斯波氏の義廉に属し西軍側でしたが
西の大国の大内氏の参戦により、劣勢だった東軍が大内領より西の東軍方や東国からの補給路確保の為と状況打開の為に狙ったのが越前国で東軍の斯波義敏が攻め入ったそうです。越前での障害は斯波義廉派の朝倉氏を含む西軍側の斯波勢。
そこで、洛中の合戦で活躍していた朝倉孝景に対し東軍から

「御方に参り忠節致さば、御褒美有るべくの由、仰せ出され候。恐々謹言。」
応仁二年 九月三日 伊勢守之書状 貞親
朝倉弾正左衛門尉殿

と書状を送ったそうです。
ここで動いたのが伊勢貞親と蔭涼軒季瓊真蘂(赤松 上月氏系)だそうです。
この方たちは、嘉吉の乱で一度滅んだ赤松家の再興への尽力されていたと思います天秤座

しかし、斯波義敏と朝倉孝景は深い因縁があり義敏の傘下や共同戦線を張る事は朝倉側からはできない状況に東軍の邪魔はしないものの態度を明確にできなかった朝倉氏に対し双方から疑念が芽生え出した頃に仲介の労をとっていた伊勢貞親が老齢を理由に交渉役を辞した際に、四識家に復帰していた赤松家の侍所政則さんは所司代の浦上則宗さんに引継ぎを任せ朝倉孝景の懸念をコツコツと無くし東軍 朝倉軍が誕生します。
これにより、斯波義廉・重臣甲斐氏や斯波義敏・織田氏など斯波家は大きな分裂と争いが起こり中央での西軍の斯波氏の戦力がいちじるしく低下し糧道も確保できた様ですね。

朝倉氏は元は、但馬の朝来市を本拠とした日下部氏の出で、承久の乱の際は平氏側で戦い没落後に足利尊氏の丹波篠村八幡宮にての倒幕決起に際し近隣豪族に馳せ参じる様に出した書状にて参陣し後に斯波(足利)高経の陣中に配属され北陸を転戦した様ですね。
元々は、斯波氏の臣下ではなかった家柄の様です。
古の兵庫県民ゆえに朝倉氏の朝倉城へは今年は登ろうと、行く前にスパイスとして調べたのですが副産物でき発見でしたウッシッシ

嘉吉の乱以前から、赤松家と朝倉家は所縁があった様です。
嘉吉の乱平定後に、幕府内部では「赤松被官人との所縁によって」と朝倉家に対し処罰の論議なされたと「建内記」にあるそうです。

また、一時、滅亡した主家赤松家の郎党の中で浪々の末に朝倉氏に入った人がいる様で、中でも魚住氏は朝倉家でも重用されたみたいですね。
この、魚住氏が朝倉側の交渉役の一人だったのか詳細は書いてませんでしたが
赤松政則さんの命を受けた浦上則宗さんが、朝倉孝景の懸念を解決すべく働きかけて西軍陣中にまだ居た朝倉氏景の文明三年六月九日の東軍の御構(東陣)に参り将軍義政へ参内し奉公を約し無事越前までの下向までの差配も浦上則宗さんの命を受けた赤松族の中村三郎が受持ちやり遂げたそうです。

赤松軍団の華々しい、合戦の武功のみならず蔭での活躍にも出会えましたわーい(嬉しい顔)

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