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蘇る青春・1973年銀幕放蕩記コミュの1970年代B級映画虎の穴(1972)

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【 1972年公開作品から 】

『 ラムの大通り 』

ロベール・アンリコ監督
リノ・ヴァンチュラ ブリジット・バルドー

この感傷・・・大好きである。

「ラムの大通り」というのは禁酒法時代に中南米からアメリカへのラム酒密売のルートを言うものだ。リノ・ヴァンチュラがその密輸船の船長で、沿岸警備隊に追われてメキシコの港にほうほうの態でたどり着く。もちろん一文無しなのだが、そこで命を的にした賭けで金を稼ぎ、がたがたになりながらも金を稼いで船を手にいれた。

ヴァンチュラのタフ・ネスぶりがファンにはたまらない。ヴァンチュラはあるとき入った場末の映画館でハリウッドのスター・リンダに一目ぼれ。港・港で彼女の映画を追いかけて見る。荒くれ男の純情だが、こういう役柄がヴァンチュラにそぐわしいから、ファン暦の長いボクも驚いた!

このあたりのシチュエーションはジョン・ヒューストンの『殺し屋判事ロイ・ビーン』のポール・ニューマンがエヴァ・ガードナー扮するスターのリリー・ラングトリーに対するそれと同じだが、ビーンがあくまでもリリーにプラトニックな愛を捧げたのに対し、ヴァンチュラはバルドーを恋におち、結婚を賭けて海賊船の船長クライヴ・レビルと決闘までする。

全体に陽光燦々、ギャグ感覚にも溢れていて、アンリコのコメディに対する資質にも気づかされる。

この映画のフランス版ポスターを持っているが、畳3畳分くらいあるポスターをアパートの部屋に貼って寝起きをともにしたのも懐かしい。

クライヴ・レビルはジュリー・アンドリュースの『暁の出撃』で印象的な役をして一挙に売れ、『ラムの大通り』のあと、ハリウッドの大作(本当?)である『ヘルハウス』でロディー・マクドウォール、パメラ・フランクリン、ゲイル・ハニカットとともに悪霊退治する4人のメンバーに選ばれたが、あまり出なくなっていった。

(この『ヘルハウス』はどうせこの欄で取り上げることになるだろう)フランソワ・ド・ルーベの音楽もよい。

ヴァンチュラのファンにはたまらない映画だ。
(★★★☆☆)





『 スヌーピーとチャーリー 』

ビル・メレンデス監督
長編アニメーション

この後、何本も製作され、テレビに方に主力を移していくピーナッツ・ブックスの長編映画第1作。大好きな作品だ。

というのもチャーリー・ブラウンが全米つづり字コンクールに出場するストーリーで、去年公開された『綴り字のシーズン』に先立つこと35年、こどもたちの世界を描きながら、ピーナッツは大人の世界を描くものだから、このアニメーションは当時では画期的な内容であったのだ。

現在のようにアニメーションしか見ない人々は大人には居なかった時代の映画である。
(★★★☆☆)



『 冒険また冒険 』

クロード・ルルーシュ監督
リノ・ヴァンチュラ、シャルル・デンネ、ジョニー・アリディ

ま、いい加減といえばこれ以上いい加減な映画はないのだが、これほどお気楽で楽しい映画にもそうそうお目にはかかれない。

ヴァンチュラもデンネもジャック・ブレルもシャルル・ジェラールも役名はリノとかシャルロやジャックといったようにみんなのファースト・ネームを付けられている。

劇場型犯罪といえばいいのだろうが、彼らはシリアスにならない犯罪で金をせしめていく。あのジョニー・アリディにいたっては本人の役で、彼らと計画誘拐に興じ大金を手に入れる。5人の役者の個性も魅力で、乗りに乗った勢いに溢れた遊び感覚だけの映画ではある。

嫌いな観客には耐えられないかもしれないが、これは、あの時代にあっては珍しく解放された活劇であった。
(★★★☆☆)


『 燃えつきた納屋 』

ピエール・グラニエ・ドフェール監督
アラン・ドロン、シモーヌ・シニョーレ、オッタヴィア・ピッコロ

さすがジョルジュ・シムノンの原作(「クーデルク未亡人」)だけあって、極めて良質な短編小説の味わいがある映画である。

フランスの片田舎にある人々の描写がなによりも豊かで、むかし邦画でもいくらでもあった種類の作品といえる。ふとした偶然で知り合った農家の未亡人クーデルクと流れ者のジャンはクーデルクの農場の養鶏のためのふ卵器の修理のために雇われる。クーデルクは夫の死後舅とも関係があり、親戚からは農場を乗っ取られようとしていて、まったく希望がない日常だ。

このような境涯はながらく日本映画においても旧家に嫁いだ戦争未亡人などでいくらでも見たものだが、フランスの片田舎でもあることに、19歳のボクは驚いた。オッタヴィア・ピッコロが知恵遅れの少女に扮し、ドロンもシニョーレよりも若い娘の方がよくてそっちにいくのだが、脱獄者だとばれて最後には警官隊に射殺されてしまう。

この農場から飛び出したドロンを取り囲む警官隊のシーンではカメラが突然に俯瞰から鳥瞰の視線に変わる、その鮮やかなカメラ・ワークがとてもよかった。

シニョーレは結局ドロンの死を知り、彼が直していたふ卵器から出た火に包まれて死ぬ。この救いのない暗い物語に、浪人生であったボクは大変に魅かれたのである。

ぴエール・グラニエ・ドフェールにはこのあと『離愁』という佳作があるが、いつのまにか消え去った。
(★★★☆☆)


『 狼の賭け 』

セルジオ・ゴッビ監督
ロベール・オッセン、ヴィルナ・リージ、シャルル・アズナヴール

フィルム・ノワールといえばジャン=ピエール・メルヴィルという不世出の作家がいるためになかなか脚光が浴びない。しかし他の監督やスターにもいくらでもいい映画があるものだ。

とくにロベール・オッセンはむかしならいざ知らず、この頃には地味な扱いを受けていて、渋いといえば聞こえがいいけれど、盛りを過ぎたスターというイメージがあった。

だが、やはり雰囲気は抜群のスターであり、この映画でもヴィルナ・リージとの恋を艶やかに演じている。この映画の面白い設定はオッセンを追いかける警部シャルル・アズナヴールが中学時代の同級生であるというところで、少年時代の面影を抱きながらも追い詰めていくムードはなかなかのものだった。

ラストではオッセンが蜂の巣になって死に絶えるのだが、全体に感傷的ではあるが張り詰めたものがあり、セルジオ・ゴッビ演出にはますます期待を抱かせたものだ。
(★★★☆)



『 呪われたジェシカ 』

ジョン・ハンコック監督
ゾーラ・ランバート、バートン・ヘイマン

変わった映画である。精神病院で入院治療を続けていたジェシカが夫とともに農場に来てみると不可解な事件がつぎつぎに起こる。彼女も観客も、ジェシカが知らないうちに犯した犯罪かと思わせて・・・、じつのところはアメリカ映画では珍しい吸血鬼ものである。

ウジャウジャでてくる・・・よ。

監督のジョン・ハンコックはこのあと「カルフォルニア・ドリーミング」というデニス・クリストファーとグリニス・オコナーが出たサーファーものの青春映画も監督したがいつしか消えた。

そのかわり、俳優として何本かに出ていた。ウォーター・ヒルの「クロス・ロード」とかデ=パルマの「虚栄のかがり火」なんかだけど、これぐらいの才能の監督はうじゃうじゃいるのかしらね。
(★★★)


『 刑事キャレラ10+1の追撃 』

フィリップ・ラブロ監督
ジャン=ルイ・トライティニアン、ドミニク・サンダ

スティーブ・キャレラといえばエド・マクベインが書いた「87分署」シリーズの主人公で、この年に公開された『複数犯罪』というアメリカ映画ではバート・レイノルズが演じたキャラクターである。

しかし、陰陰滅滅たるストーリーで、ラブロ演出も上手くはない。ただ救いはキャストの豪華さで、ドミニク・サンダがやはり美しいこと。また殺される役者にも豪華なメンバーが揃っており、サッシャ・ディステルやカルナ・グラヴィーナ、売り出し前のラウラ・アントネッリにポール・クローシェなど錚々たる顔ぶれだ。

唯一の見せ場がトライシニアンがニースの港を走りに走って犯人を射殺するところで、これは後年「フレンチ・コネクション2」に踏襲された。
(★★★)


『 ソルジャー・ボーイ 』

リチャード・コンプトン監督
ジョー・ドン・ベイカー、ポール・コスロ、アラン・ビント

これこそがB級映画である。
この映画のことが書きたくて、この企画を立てた部分がある。

しかしB級の末路として監督のリチャード・コンプトンももはや思い出す人間も希少となった。コンプトンも「呪われたジェシカ」のジョン・ハンコックと同じように「夢のサーフ・シティ」という題名からはただのサーファーものかと思われる青春ものを撮っている。

まずは「ソルジャー・ボーイ」から入ろう。

ベトナムから帰ってきた4人の兵隊。彼らは金を出し合って牧場を経営する夢を持ちボロ車を買って旅は始まる。途中で拾った売春婦にもただ乗りし、途中で知り合ったウエイトレスたちとも乱交したりして、もう社会人としての矜持もなにもない兵隊である。

しかし兵隊は軍隊あって、戦争あっての兵隊で、母国では彼らの兵隊だというだけでは特別扱いはしてもらえず、なけなしの金も盗られてしまう。尾羽打ち枯らした彼らは国境近くの町でガソリンを盗もうとしていて見つかり、いきなり発砲されたために反射的に応戦。ベトナムから持ち帰っていた手榴弾やライフルで、保安官たちを皆殺しにしてしまう。

そのうちに軍隊に包囲された彼らは、正式な軍服に着替えて、軍隊と戦闘を開始し、全滅する・・・というストーリーである。

こう書くと、どんなにひどい奴らかと思うだろうが、そこが映画の素晴らしいところで、見ている間は彼らの側にたって見ているのである。

「イージー・ライダー」にも言えることだが、この時代の若者たちの疎外感だけは伝わってくる映画で、キャストから言っても娯楽映画なのだが、捨てがたい悲しみや怒りが溢れている。

ジョー・ドン・ベイカーは「ウォーキング・トール」などのシリーズもあり大スターとなったが、ポール・コスロはまさに70年代を駆け抜けたB級バイ・プレイヤーの筆頭だろう。「バニシング・ポイント」「ロリ・マドンナ戦争」「さすらいの航海」など、数多くのニュー・シネマやウエスタンにも出ていた。ボクにとってルーク・アスキューやポール・コスロはそういう俳優である。

コンプトンの「夢のサーフシティ」は実は音楽の業界ものである。二人の若者が作った曲が大ヒット。しかしブルース・デービスン(「ウイラード」や「去年の夏」懐かしいでしょ)は兵役のために出征。

帰国したときには相棒のリチャード・ハッチ(「宇宙空母ギャラクティカ」の彼ですよ)だけはスターになっていて、ここらあたりの描写は「ソルジャー・ボーイ」のテイストに通じますな。

このあと彼らは再結成し、ハッチが事故で植物人間状態になり、ようやく息を吹き返したときには半身不随、言語障害という状態で、クライマックスは彼らが観衆の前でコンサートを開くのだが、金はかかっていないけど、キャストも貧弱だけど、なかなか見せる映画だった。

コンプトンはこの後、リチャード・ハリスとアーネスト・ボーグナイン、アン・・ターケルが出た「未来元年・破壊都市」以後名前を聞かなくなる。コンプトンは監督としてもそうだが、数々の娯楽作の原作・脚本家として信用があったのだろう。
(★★★☆☆)



この企画では、B級映画として、ひとつの定義を示しておきたいと思います。

ここで言う「B級映画」とは
1) 客観的に見て、いまでは誰も思い出すことがない映画。
2) だが、面白さは保証できる映画。
3) DVD、ビデオが出ていないもの。または出ていないのも同然作品。
4) 低予算、ノー・スターでも嬉しい出来栄えの作品。
5) 本当に傑作足りえたのに、結論的には、徹底を貫けず、失速した映画。つまりはおおくの娯楽映画の王道を行く映画。

そういう見解を示した上で、書いていく所存です。よろしくね。

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