という風に驚くほど石田徹也そのものとしか思えない和訳が羅列されてくる。英語が抽象レベルおいて様々な具象的事象を明解にまとめあげる言語であることが期せずしてここからも理解できる。以前、私は英語における“Oh My God!”というフレーズについて考えたことがある。日本人が言語化不可能な事態に遭遇したときには思わず、「あぁっ!!」とほとんど動物的本能のように叫ぶしかないのだが、英語圏の人々は“Oh My God!”と言うことで、この世界で起こっているあらゆる奇怪な出来事や感情を神の抽象的体系の中にはめこんで安心することができる。 カテゴライズとはまったく欧米的な手法なのだろう。日本の土壌においてなんらかのカテゴリーによる主義主張が鮮明に成功した例をあまり聞かない。この言語手法的事実からしてもヴィジョナリーアートというものがこの地で運動化しないことが納得されるのである。