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聖書のおはなし小部屋 Part2コミュの?聖所と律法と契約−その1(1章〜4章)

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今日は、ヘブライ人への手紙の中からもう少し要点を
お話してみたいと思います。パウロがこの書を書いた理由は、地方へ散らされたユダヤ系クリスチャンに、キリストの十字架の意味や、聖所問題を理解してもらうために書きました。当然、異邦人教会の多くのクリスチャンにも益となるだけでなく、私たちもこの書を理解することで、聖書の核心部分の理解を深めることができると思います。

「ヘブライ人への手紙」のアウトラインを書き出してみます。

大きく分けて3つの部分からなっています。


第一部キリストの優位性(1:1〜4:13)

?神は御子によって語られた(1:1〜1:3)
?御子は天使に勝る(1:4〜2:18)
?御子はモーセに勝る(3:1〜4:13)

第二部 キリストのみ業の優位性(4:14〜10:18)

?キリストの大祭司としての優位性(4:14〜7:28)
?キリストの契約の優位性(8:1〜13)
?キリストの聖所と犠牲の優位性(9:1〜10:18)

第三部 優れたクリスチャンの歩みと信仰(10:19〜13:25)

?信仰の全き確信の奨励(10:19〜11:40)
?信仰の忍耐(12:1〜29)
?愛の奨励(13:1〜17)
?結び(13:18〜25)

<歴史的背景について>
使徒の教会に、より深い分裂を生み出した争点は、礼典律とそれをクリスチャンが遵守することについての質問から始まったことでした。エルサレム会議では、異邦人クリスチャンを礼典律(犠牲制度)の義務から自由にしましたが、ユダヤ系のクリスチャンにとっては、心理的抵抗がありました。

パウロや、その関係者たちは、モーセのしきたりや儀式を正しく評価することが彼らにとって、救済の計画を理解するのに必要であることをよく洞察していました。しかしパウロはそれらの拘束力が一時的であって、とっくに廃止されていることを理解していました。(コロサイ2:16〜17)

エルサレムにあるユダヤ系キリスト教会は、まもなく降りかかる災害についても知らないようでした。彼らは尚も祭りを守り、以前のように犠牲を捧げていました。つまり礼典律に熱心だったのです。天の聖所におけるキリストのみ業といった概念もほとんど持ってはいませんでした。カルバリーでの大いなる犠牲の故に彼らの犠牲は無効になったことも、彼らは十分に理解してはいませんでした。エルサレムの都と神殿が滅んだのは、この手紙が書かれてからほんの数年後に起きました。

彼らは地方へと散らされることになることなど予想だにしていなかったけれども、そのためにも、ユダヤ系クリスチャンはキリストの天の聖所での働きに関して理解しておく必要がありました。そればかりではなく、そのことを理解することにより、彼らの信仰が揺るがぬものとなり、将来に備えるためでもありました。この危機的状況にあって、この「ヘブライ人への手紙」は登場したようです。聖所問題を照らす光、大祭司キリスト、「アベルの血よりも力強く語る」血(12:24)、神の子らに残されている安息(4:9)「たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ幕の内に入り行かせる」祝福された希望(6:19)等に関する、ちょうど必要とした助けがそこには含まれていました。




第一部キリストの優位性(1:1〜4:13)

?神は御子によって語られた(1:1〜1:3)

鍵となる聖句:(1:2)
< この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 >

?御子は天使に勝る(1:4〜2:18)
?キリストはその神性故に勝っている。
鍵となる聖句:
(1:14)
<天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。 >

?最初の忠告:無視することの危険性(2:1〜4)
(2:3〜4)
<ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。 >

?キリストはその慈悲深さゆえに勝っている(2:5〜18)
鍵となる聖句:
(2:14〜15)
<ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。 >
(2:17〜18)
<それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。 >

?御子はモーセに勝る(3:1〜4:13)
?キリストはその歩みにおいてモーセに勝る(3:1〜4)
鍵となる聖句:
(3:3)
<家を建てる人が家そのものよりも尊ばれるように、イエスはモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者とされました。 >

?キリストはその品性においてモーセに勝る(3:5〜6)
(3:5〜6)
<さて、モーセは将来語られるはずのことを証しするために、仕える者として神の家全体の中で忠実でしたが、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。 >

?2回目の忠告:不信仰の危険性(3:7〜4:13)
(3:14〜15)
<わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。―― それについては、次のように言われています。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」 >
(3:18〜19)
<いったいだれに対して、御自分の安息にあずからせはしないと、誓われたのか。従わなかった者に対してではなかったか。このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。 >
(4;1〜2)
<だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです。 >

(4:6〜10)
<・・・・・先に福音を告げ知らされた人々が、不従順のためにあずからなかったのですから、再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」とダビデを通して語られたのです。 もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。 それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。 なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。 >


今日はこれでおしまい。第二部へ続きます。



*改正版

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