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バーチャルトラベル?コミュの2003年1月11日〜12日

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1月11日

 朝はとても穏やかだった。
 昨夜チェックインしたらしい、アメリカ人の女の子とゆっくりと朝食を取り、出発の支度をしてから、オーナー夫婦に挨拶をした。旦那のほうは、
「今度Cyber Caféに行った時に、Fésのユースホステルは良かったと、Y・Hのホームページにメールを送ってくれないか」
と、抜け目が無い。そして、僕より先に宿を出発する、ケントやダクランやカスヤさんを送り出した。ダクランは別れ際に、読み終わったからと言って、ケニア人作家のペーパーバックを一冊僕にくれた。僕が、日本語の本しか持っていないから交換するものがないと言うと、この先の旅の途中で、メールで面白い話を聞かせて欲しいと言ってくれ、メールアドレスを交換することにした。
 リカルドとアレサンドラとは、三人一緒に写真を撮り、もちろんメールアドレスも交換した。アレサンドラはメールアドレスを持っていないからと、自宅の住所を書いてくれた。そして、僕は彼らより先に、宿を出発した。

 カフェ・モーリタニアで一服し、店の連中に挨拶した後、駅の近くまで来たところで、ユースホステルで働いている青年とばったり会った。彼は、これからどこへ行くのかと聞いてきたので、僕はKénitraの方へだと教えた。すると彼は
「ケニトラはすっごく良いところだよ」
と強調した。何故?と聞くと
「とてもcleanだし、それに・・・ガイドがいない」
僕達旅行者が、この町の自称ガイド達の存在にうんざりしていたことを、彼も良くわかっているのだ。駅前にもかかわらず、二人で大爆笑した。
 Fésが始発だったせいで、列車は定刻通りに出発した。僕が座った二等のボックス席には僕の他に、おばあちゃん二人とお母さん、娘、息子という構成の家族が一緒だった。しばらくは特に話もしなかったが、一時間くらい経った頃、家族の中で唯一英語が話せる、十八歳の娘が、話しかけてきた。そしてその後からは、ずっとみんなで、英語とフランス語のごちゃまぜで話をして過ごした。彼らの持ってきていたお弁当の、サンドウィッチとガレットを少し分けてもらえたので、僕も、駅で買っておいたポテトチップスを出して、皆で食べた。
息子は、バッグの中にプレイステーション1を持っており、僕に「持ってる?」と聞いてきたので、本当は持っていなかったが、「プレステ2なら持ってるよ」と言うと、彼は自分がどんなソフトを持っていて、それが大好きなんだと訴え、僕にはいろいろとソフトの名前を並べ立てて、持っているかと聞きまくった。僕も、ソフトの名前くらいなら知っていたので、適当に答えておいた。
娘のほうには、日本の音楽を聞かせてあげた。僕の持っていたMDプレイヤーには驚いていたが、日本の音楽自体は、あまり気に入らなかったようだ。彼女は、アメリカやスペインの音楽が好みであるらしい。

 Kénitra Médinaの駅に着いてから、すぐに、ツツミさんに教わったとおり、駅の左側に止まっていたGrand Taxiに乗った。定員にならないとスタートしないことは知っていたが運転手を除いて6人も乗せるとは思わなかった。僕は助手席に女性と二人で座らされた。おそらく他の4人に比べて、僕の体が小さかったからだろう。後部座席には立派な体格の男たちばかり4人が乗っていた。それでもすごーく窮屈なことには変わりなかった。乗り込んで、ドアを閉めたときにとった体勢のまま動けず、しかし、タクシーは予定通り一時間弱で、乗り換え地である、スーク・エル・アルバに到着した。
 そしてすぐに、また乗り換えのタクシーに乗る。今度はほどなくして発車し、やはり予定通り、30分ほどで、Moulay Bousselhamに着いた。

 午後4時を過ぎたところだ。ようやく旅の目的である地の一つ目に辿り着いた僕は腹ペコだった。
 Taxiを降りてウロウロしていると、すぐに何人かの人に声をかけられた。
「お前は日本人か。サナダか?」
と皆、口を揃えて言う。「違う違う!」と言って事情を説明すると、皆「あ〜」と口を揃えて納得し、ツツミさんの家を説明してくれた。そのうちの一人のおじさんに、「うちのそばだから連れて行ってやる」と言われたが、
「腹が減っているから、メシ食ってから行くよ。ありがとう」と礼を言って断り、僕は、また声をかけてきた、一番手前のレストランの奴の店に入った。
 店内には客らしい客は一人もいなかった。僕はテラス席の真ん中あたりに座った。海の方に目をやると、今まさにサンセットが始まったばかりの風景が、とても綺麗だった。大西洋に沈み始めた太陽に照らされて、周りの空や雲や波の飛沫や建物など、全てのものが赤みを帯びて、その色を強くしていった。
すぐに僕に声をかけてきた男がメニューを持ってきた。観光地だからか、ずいぶんと立派な、パウチされたそのメニューには、かなり高い値段設定で、お馴染みの料理の名前が並んでいた。その中から、やはり「高いな」と思いつつも、Tajine de Poissonを注文したのだが・・・男は僕のことをカモだとでも思っているのか、何のアドバイスも無く注文を取り、そして、ニヤニヤしながら、パーティーで使われそうな大きな皿にのった、優に4人前はありそうな量のTajine de Poissonを僕のテーブルに持ってきやがった。
「Bon appeti!」
そう言って笑っている男を憎たらしく思ったが、とても悔しかったので、僕はその、何だかわからない魚が4匹も入っている超大盛りのタジンを、黙々と食べ始めた。そのウエイターの男は、僕がタジンと格闘している間にも、何回か話しかけてきたが、僕はわざと英語で文句を言って特に相手にすることなく、やっとの思いで完食したのだった。
後で気がついたのだが、(Tajineやスープの類は、4人以上で注文してください)とメニューに書いてあった。良くメニューを見なかった僕も悪いが、ちょっとくらいは教えてくれても良さそうなものだと思った。

 レストランを出た後、もう一度その辺でブラブラしている男達に、ツツミさんの家の場所を教えてもらい、そのうちの一人がとても親切に、すぐ先の、湖が見渡せる場所まで行って、指をさし「あの白い家だよ」と教えてくれた。それでも僕は、「遠いですか?」と聞くと、
「遠くない遠くない。ほら、あの白い家だよ」
と言った。
 僕は礼を言ってその場を去り、その男の言ったとおり、道路を真っ直ぐに行って、看板のところから湖のほうへ階段を下りていった。すると階段の下に、男が二人立っていたので、もう一度声をかけてみた。今度は何と、英語が通じたので、今までよりも詳しく事情を説明すると、とてもフレンドリーに答えてくれた。
「俺んちの近くだから、一緒に帰ろう。ここから1kmくらいだよ」と言ってくれた。しかし僕は、「1kmですか?」と聞き返すと、そうだよと、事も無げに言われてしまった。
なんだよ!全然近くねーじゃねーか!
しかも、よくよく聞いて見ると、湖のほとりの白い家ではなく、村の中では、丘の上の高い位置にツツミさんの家はあった。
 歩き始めると、湖の方角から、男達がぞろぞろと集まってきて、皆村へ帰るところだった。何人かの男たちに声をかけられ、挨拶をしたり世間話をしているうちに、一人のおじさんが僕の横に来て、フランス語は話せるか?と聞いてきたので、いつも通り「un peu」と答えると、いろいろと話し始めた。実はそのおじさんは、ツツミさんの家の大家さんだった。
 大家さんMonsieur, Monsoulyは、まず自宅の向かいにあるツツミさんの家を教えてくれ部屋の明かりがついていないことを確認すると
「いないな。ウチにいるから君もこっちにおいで」
と自宅へ招き入れてくれた。
 門を二つくぐって奥に進むと、すぐ左手に玄関らしきがあり、そこにはちょうどツツミさんが立っていて、そしてすぐに僕に気が付いてくれて、日本語で声をかけてくれた。
「あっ!本当に来ましたね」
僕は本当に本当にホッとして、大きく息をついた。
「こんばんは。厚かましくてすみません。もう来ちゃいました。」
そして、お土産のつもりで買ってきた、ペットボトルのオレンジジュース半ダースを渡しさっそく家の中へ入れてもらえた。

 モンスーリー家は7人家族、それに加え、今ちょうど新隊員のハルミさんが語学研修で来ており、部屋は人でいっぱいになっていた。突然現れた僕を迎え入れてくれたことにひどく恐縮したが、皆に言われるまま、客としてもてなされた。まずお茶が出され、ムッシュ以外には使っていない座布団を勧められ、入れ替わり立ち代り現れる村の人達にもちゃんと紹介され、しばらくして晩ごはんまで出てきた。あまりの歓迎ぶりに戸惑いながらも、いかにもおふくろの味といった感じの、美味しいTajine de poulletとアラビアパンをご馳走になった。今までは特に気にすることが無かったが、つまり、今まではレストランでの食事がほとんどだったので、常にフォークとナイフを使って食事をしていたのだが、ここではそういう食器は使わないので、左手を使わないように気をつけ、右手だけで食事をした。白い大きな平皿をみんなで囲み、おかあさんが右手だけで上手に鳥や野菜をちぎり分け、皆のほうへ寄せ配る。僕は数時間前にあれほど大量に食べたばかりにもかかわらず、再びタジンをたっぷりとご馳走になった。

 食後は、子供たちと遊びながらアラビア語を教えてもらった。
 上から2番目の男の子が、良くフランス語を勉強しているらしく、僕とのコミュニケーションもスムーズに運んだ。
「こんにちはは、アラビア語では何て言うの?」
「サラマレコンだよ」
こんな感じで、挨拶から数字や身の回りのものなど、あらゆるものについてたずねた。それでも時々、僕のフランス語が彼に理解できないと、つまり彼がまだ学校で習っていない単語を僕が聞いてしまうと、彼は少し困った顔をして、「ヤスコーヤスコー・・・」とツツミさんに何事かを聞く。僕も「フランス語の〜〜はアラビア語で何ていうんですか」とツツミさんに聞くと、彼女は
「違った方法でその単語に辿り着いてください。例えばaujourdhuiが彼が解らなかったら昨日と明日を言ってあげてください。」
とアドバイスが返ってくる。彼女曰く、彼らにとっても、フランス語の良い勉強になっていますから、とのことだった。
 そんな感じで、夜の十一時半頃まで、それこそ一番下の赤ちゃんまでみんなで起きていて、わいわいガヤガヤと過ごした。
 その夜は、長男のムハマド君の部屋に一緒に寝かせてもらうことになった。彼の部屋に入ると、どこかからベッドが運ばれて、おかあさんとムハマド君が寝床の支度をしてくれた。ムハマド君は英語はもちろん、フランス語もほとんど話せなかったので、会話というか、意思を疎通させるのが難しかったが、それでも身振り手振りなど交え、何とか伝えあった。彼は机の引き出しから写真を一束出してきて、それを僕に見せてくれた。ツツミさんの他、日本人の写真が何人かあった。どうやら過去の隊員と撮ったものらしかった。束の中には彼宛の手紙もあり、内容は日本語で書かれてあったから彼には意味がわからなかったらしいが、僕がその手紙をちょっと見せてもらうと、前隊員からの手紙で、感謝の言葉が綴られていた。封筒に書かれてあった、この家の住所らしきを写させてもらい、「日本に帰ったら手紙を書くよ」と伝えると、とても喜んでくれた。

 1月12日

 さて、今日は朝早く起きて、さっそく家の屋上(とは言っても平屋だが)に案内され、そこから見える風景を見せてもらった。家自体が村の中でも高い位置にあるので、ラグーンが目の前に広がっていて、その手前に広がる村全体を見渡すことができた。そこでは何枚か写真も撮った。
 アラビアパンとお茶とオリーブの実とジャムとマーガリンの朝食をご馳走になった後、ツツミさんについて行き、仕事現場を見せてもらった。訪れた家では、「ヤスコの知り合いなら・・・」といった感じで特別に歓迎された様だった。しばらくの間、編みあがった、または製作途中の(タピ)についてあれこれと話し合っていた。ツツミさんは、アラビア語での彼らとの会話を僕のために日本語に訳しながら作業を進めてくれた。そうこうしているうちに、お茶が運ばれ、お昼ご飯の魚のタジン(Tajine de poisson)とパンが目の前に並べられた。僕は恐縮しつつもご馳走になったわけだが、モンスーリー家で食べたタジンはもちろん、今まで食べてきたどのタジンとも少し違う味がして、とても興味深かった。そのことをツツミさんに言うと、
「タジンはどの家庭でも作られる料理で、日本で言えばお味噌汁みたいなものなんですよ。だから、各家庭によって少しずつ味が違うんです」とのことだった。 
 お昼をご馳走になってその家を出て、次の訪問宅に向かう途中で、アラビアパンを釜で焼くところに遭遇した。しかもタイミングの良いことに、釜の中では、今まさにパンが焼きあがるところだった。近所の数軒で共同で使っている釜らしく、蓋を開けてもらって中をのぞくと、大小さまざまのアラビアパンがいかにも美味そうに膨れていた。
「食べて見ます?」とツツミさんに聞かれ、もちろん!と即答すると、ちょうどパンの焼け具合を見に来たらしい女性に話してくれ、焼きたてのアラビアパンを分けてもらうことができた。
 お世辞抜きにして、本当に美味しかった。
 外がカリッとしていて、中はホッコリフカフカで、ほんのりと甘かった。Moulay Bousselhamに来るまで、レストランや屋台でしか食べたことがなかったが、それらとは明らかに違う味。感動する味だった。僕が多少大げさに見えるくらいに、美味しい美味しいと言ってパンを頬張るのを見て、パンを分けてくれたおばちゃんが、さらに勧めてくれたが、遠慮してしまった。

 またしばらく歩いてついていくと、もう一人別の新隊員のところへ行った。家ではなく広場に着くと、そこでは子供たちがサッカーをやっているところだった。その輪の中に新隊員もいて、子供たちと一緒になって、ボールを追いかけて汗を流していた。
 簡単に挨拶を済ませると、さっそく僕もサッカーに混ぜてもらった。こういう時はつかみが肝心と思い、最初にボールが回ってきた時に、僕は軽く十回くらいリフティングをしてみせた。すると、子供たちは大いに喜んでくれて、僕に近づいてきて「名前何ていうの」と聞いてくれた。その後は「コージ、コージ!」としつこいくらい声をかけられ、やたらとパスが回ってきた。
 今日は道すがら、ツツミさんといろいろな話ができた。その中でも驚きだったのが、彼女の家が経堂だったことだ。僕が自宅を説明すると、彼女も「奇遇ですね」と笑っていた。
 あと半年しか任期がない彼女は、ただいまダイエット中とのことだった。僕も良く理解できる。モロッコでの食事は、多少不衛生なことと、ごく一部の例外を除いて、本当に楽しめるし美味しい。日本人の口にも合うと思う。ツツミさんは、ダイエットをしなければならなくなった理由を、焼きたてのアラビアパンのせいにしていたが・・・

 夕方3時過ぎに大家さん宅をあとにして、タクシー乗り場(ビーチの方)の方で、ホテルを探した。昨日のレストランの調子のいい店員が僕を目ざとく見つけ話かけてきたので、ホテルを探していることを言うと、「あるある!」とまた例の調子でくいついてきた。詳しく話を聞いてみると、それは今歩いてきた道沿いにある「ホテル・ラグーン」だと言う。
「そこは料金が高いと聞いているぞ」
と言って、一応いくらか尋ねると、200DHだと言った。高すぎる!と大げさに言って他のところはないか聞くと、「では、うちに泊まれ」と言ってくる。なんだそりゃ!?と思いながら話を聞いていると、
「ちゃんとした部屋があって、サロンがあって、レストランがあって、一泊100DHだ」と言う。もしこのホテルの勧誘が彼でなければ、泊まることに決めていたかもしれないが、昨日の事もあり不安だったので、「あとでな。」と言ってその場を離れた。とりあえず、ツツミさんが言っていた(一番奥のcafé)へ行ってみることにした。
 汗だくで辿り着いた僕は、とりあえずコーラを注文してから、宿の件を切り出すと、200DHと言われてしまった。日本語で「高すぎる!」と言ってから、フランス語で言い直すと、では・・・みたいな感じで、150DHと言われた。僕も食い下がるつもりで、「2日では?」と聞き直すと、あっさり「300」と返されてしまった。もうすでに今来た道を引き返す元気も残っておらず、僕は諦めて部屋を見せてもらい、ベッドのクッションを確かめ、電気がつくことも確認し、ホットシャワーはあるかと尋ねて確認し、ようやく部屋の鍵をもらった。

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