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バーチャルトラベル?コミュの2003年1月15日〜16日

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 1月15日

 昨日のことを書くのは少し難しい。
 とりあえず、僕はMoulay Bousselhamを後にした。ナシリ(宿の主人)に
「今度はいつ、ここに来る?」
とねばられ、心の中では
(2度と来るもんか!来たってお前の世話にはならん!)
と思いつつ、宿を出て、さっさとGrand Taxiに乗り込んだ。
 スーク・エル・アルバでの乗り換えもスムーズだった。ただ、タクシーの出発を待っている間に、初めて執拗に、靴磨きの少年にねばられてしまい、少し戸惑った。僕の靴は、ワラビー(スエード)なので、通常通りには磨きようもなく、大抵はちらっと靴を見せれば、諦めて去るのだったが、彼はそうではなかったのだ。僕が何度も何度も、靴を見せて指差したり、靴磨きはいらないよと言っているにもかかわらず、何度も僕の足元にしゃがんで、靴に触ろうとするのだ。しまいには小走りに避けると、さすがに追っては来なかったが、同じタクシーに乗る乗客達に笑われてしまった。

 列車に乗って40分ほどで、Rabat Villeの駅に着く。何故か(いや、とても)ホッとした気分だった。
 まず、駅前のレストランで、ソーセージのサンドウィッチとサラダとコーラを平らげて腹ごしらえをし、すぐそばのオープンカフェで一服し、目の前にある、馴染みのインターネットカフェへ行った。一週間分といってもたったの8件だがメールがきていた。さっと目を通し、返事は後にして、Swee Kongにメールを打った。
 途中メディナで酒を買いつつ、すぐにユースホステルへ向かった。入り口まで来るとおじさん二人が立っていて、「今は閉まっているよ」と言ったが、
「ここに泊まったことはあるか?」と聞かれたので
「はい、一週間前までいましたよ。今、アイシャはいますか?」と言うと、「おぉ!」と声をあげて急に表情が変わり、門の中へ通してくれた。中に入るとすぐにアイシャが気が付いてくれて、「オー!コージー!」と叫びながら手招きしてくれ、軽く挨拶をし、その時眠っていたパトリックは、アイシャに起こされて、眠そうな目をこすりながらも、抱き合って再会を喜んだ。
「僕は君に会うために、ここに戻ってきたんだ」
そう言うと、とても喜んでくれた。
 しばし3人で会話をした後、パトリックと一緒にハマムへ行った。やはりハマムは気持ち良い。パトリックは、僕と初めてハマムヘ来て以来、ほぼ毎日湯浴びに来ているそうだった。浴場から上がってから、番台にあるTVを見ると、モロッコ版・クイズミリオネアがやっていた。僕が大爆笑してテレビを見ていると、番台のおやじ達は、「これ知ってるか?」と言うので、「日本でも同じ番組がやっているよ」と言うと、おやじ達は、そうかそうかと笑っていた。モロッコ版では、司会は、男性と女性の二人だったが、そのうちの男性のほうは、やはり、みのもんたのように回答者をじっと睨んで煽っていた。最初はたぶん、極端に目立っていたであろう、ハマムの客唯一の日本人が、今はハマムの従業員全員が僕のことを知っていて、いつもフレンドリーに接してくれる。やはりラバトは楽しいし嬉しい。
 その後もパトリックと一緒にALAMEで晩飯を食い、市場の中でコーヒーを飲んだ。ALAMEの連中も相変わらずフレンドリーだったし、とても親切だった。パトリックとカフェにいる時に、日本の茶道についての説明を求められ、とても困った。僕はもちろん、茶道についてなどほとんど知識を持たなかったし、お茶を点ててもらっていただいたのも、もう何年も前のことだったので、懸命に思い出しながら、お作法や、一つ一つの事柄や動きに意味があることなどを、長い時間をかけて説明した。最後には、パトリックもちゃんと納得してくれたようだった。
 宿に帰ってからは、パトリックはいつものように医学書とノートを広げて勉強し、僕はMoulay Bousselhamでのことを、(前述の)文章にまとめてみた。今読み返してみても、まだ書き足りないような気がするが、あとは日本に帰ってからやることにする。今、思うことは、

 子供達が、見ず知らずの通りがかりの人に、「お金ちょうだい」なんて言わなくなるような世界を作りたい。

それだけである。

 さて今日は、とても忙しい一日だった。
 朝起きて、昨夜から「風邪ひいたのかな」と言っていた、パトリックの体調を聞き、あまり良くなっていないようなので、一応、僕の持っていたデジタル体温計だけ置いて外に出た。
「君はまるで医者みたいだね」
と言っていたが、それじゃ立場が正反対だ。パトリックが言うから面白いジョークである。
 パン屋のお姉さんも僕のことを憶えていてくれた。クロワッサンを2つと言うと、「今日はどれにする?アーモンド?それとも普通の?」と聞いてくれた。パン屋の向かいにあるcaféで朝食にしながら、グナやキャロルに送るための英文メールを下書きした。今日は何度も何度も辞書を引いた。Moulay bousselhamでのことを伝えるためだ。いささか文章が難しくなってしまって、自分でもそれであっているのか、わからなくなってしまったが、とりあえず1時間くらいかけて、どうにか簡潔にまとめた。
 ネットカフェに行ってメールをチェックしたが、Swee Kongからの返事は無かった。下書きしておいた文面をもとにして、キャロルとグナとトーマスにメールを送った。今日のパソコン(2番台)は異常に遅くって、といってもいつもこの店のマシーンは遅いのだが、今日のは特に遅く、何度もストップアイコンを押して、送りなおさなければならなかった。おまけに、パソコン本体から「ブーーン」という変な音がずっとしていて、いつまたフリーズしてしまうんじゃないかと、気が気でなかった。

 1月16日

 夕べは途中で、ユースホステルにきたばかりのドイツ人に話しかけられて、日記は途中で終わってしまった。まあ、別段書くべきことも無い夜ではあったが。

 今朝は、パトリックら3人と共に、朝食を食べに出た。特におもしろい話があったわけではなかったが、一つだけ、昨日からの話の続きで、パトリックが2月いっぱいで、Rabatの病院を辞め、セネガルかガンビアの病院に行くと言い出した。そして僕に、いつまでセネガルに滞在するかと聞いてきた。僕はいつも通り、「まだ決めていないよ」としか言えなかったが、もしできることならば、セネガルでパトリックと再会したいと思った。宿を出る時に、「また会おう!」と言ったのも、まったくの本音で、そのことも念を押して伝えてきた。

 事前に時刻表のチェックもしなかったが、カサブランカへは電車でスムーズに着くことができた。何てことの無い、たった1時間の移動。だんだん旅に慣れてくると、やはりあまりドキドキしなくなってくる。フェズで会ったカスヤさんの言ったとおり、ユースホステルにも簡単に着くことができた。チェックインの際に、宿のおやじに「部屋はあるか」と尋ねると、「ベッドだろ?あるよ。一晩45ドルだ」と言われた。僕が何度も聞きただしても、アメリカドルだと言い張りやがって、部屋に通されたところでやっと初めて「45DH」と言って笑いやがった。冗談が好きなおやじらしい。まったくこっちは気がもめて仕方ない。さっさと荷物を降ろして、街へ出た。
 Casablancaは、あまりにも大都会過ぎて、唖然とし、かつ、つまらない街だった。まず昼飯に鶏の丸焼き半分と黄色いご飯(サフランライス?)を食べ、インターネットカフェを探した。かなり歩き回ったのに、なかなか見つけることができなかった。道端でタバコをふかしつつ、途方に暮れていると、怪しいおやじに声をかけられた。
「何を探しているんだ?どこに行きたいんだ?」と聞かれ、うっかり「インタネット」と言ってしまった。来い来いと言われてついて行きながら、(やばいな〜、後で金払えって言われるだろうな〜)と思いつつ、ついて行くと、案の定、そう言われた。しかも、僕が「ありがとう、バイバイ」と店内に入ってから、ずっと店の前で僕のことを呼び続け、当然ネットカフェの店員に、「あれなんとかしろ」と言われてしまい、敢え無く小銭を払わされてしまった。いつもは必ず、そういう類の輩は振り切るのに、疲れていると諦めも早くなり、ロクな事が無い。
 
メールをチェックすると、Swee Kongから3通入っていた。3通目のメールには、(18:30にHilton Hotelのロービーで待つ)とのことだった。早速探してみたが、全く見当たらなかった。一度宿に戻って、宿のおやじ達に聞いてみたが、CasaにHilton Hotelは無いと言う。仕方が無いので、また宿を出て、歩き回って探した。失礼かとも思ったが、メリディアンホテルのベルボーイの人に、「ヒルトンホテルはどこですか?」と尋ねてみたところ、「ヒルトンはカサには無いですよ。ラバトにはありますが」と言われてしまった。仕方なく僕は、Shelaton Hotelのロビーで待つことにした。1杯50DHのビール(おつまみ付き)を2杯分(一時間強)待ったが、とうとう彼は、その場には現れなかった。
諦めてまた宿に戻ったが、せめて連絡だけでもと思い直し、またネットカフェへ向かった。するとSwee Kongからメールがあり、明日の予定が書かれてあった。僕はさっそく返事をして、明日会うことを望んでいることを伝えた。しかも、驚くべきことに、夜入ったネットカフェでは、日本語が読めたのだ!メールボックスを片っ端からチェックし、大量のメールを日本に向け送信した。「今週末まで日本語が読めるので、メールください」と。
その後、門限ギリギリではあったが、ユースホステルのあるメディナの入り口近くの食堂で、遅い晩飯を食べた。ネットカフェを出た時点で、すでに10時20分前。走ってその食堂に駆け込んだため、店のおやじに笑われた。
「なんでお前、走ってきたんだ。わっはっはー」
「もうすぐ宿の門が閉まっちゃうからです。はあはあ・・・」
おやじ曰く、モロッコでは、街中で走っているのは、泥棒ぐらいなもんだそうだ。
やれやれ。

 宿に戻ると、隣のベッドに日本人がいた。彼は山崎さんといい、アメリカ留学中の学生だった。学校の休みを利用して、ヨーロッパからモロッコまで旅行に来ているらしい。しかし、彼は今、体調を崩しているらしく、少し話をしただけでとりあえず部屋から出た。
 11時20分消灯。はじめ、12時までに書き物を終わらせてくれと言っていたイジワルオヤジが、
「何時でもいいけど、それ終わったら電気を消してから部屋に戻ってくれよな」と言い残し、自分の部屋らしき方へ引き上げていった。まんざら悪い奴でもなさそうである。

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