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バーチャルトラベル?コミュの2003年2月2日

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2月2日

 まず初めに、今日はお袋の誕生日である。手紙はまだ出せずにいたが、弟にメールを打っておいたので、とりあえずは安心してくれていると思う。

そして30分後。

 今、久しぶりに母の声を聞いた。そう、旅に出てから初めて国際電話をかけてみた。たった1ヵ月半しか経っていないのに、母の声はとても懐かしく、そして元気そうだった。短い時間ではあったが、今後の旅の計画を伝えると、「せっかく行ったんだから目的を果たしなさい。そして病気しないで帰ってらっしゃい」と言ってくれた。電話を切った後、外に出て少しだけ泣いた。両親のことを思う時だけは、どうしても、いつもセンチメンタルになってしまう。

 今日は日曜日ということもあり、宿の人全員が、午前中から教会へ行ってしまったため、とても静かに日中過ごせた(何と言ってもこの宿はクリスチャン専用宿だものな)。Swee Kongも友人が車で迎えに来て、Sunday Schoolへ行った。僕は、サハラ以降まだ洗えずにいたジャケットを時間をかけて洗い、Cyber Cafeで2時間かけてPatrickなどにメールを送り、そのあと少し散歩してからアストゥのいるレストランに行って昼飯を食べ、宿に帰ってから少し昼寝をした。昼飯にはYassaを食べた。2500cfaもした。一つの皿にライスが茶碗1杯半分くらいと、鶏もものローストがどん!とのっていて、その上にソースの役割になる野菜の煮たものがかかっている。ソースはとてもスパイシーで、少しだけ酸味があり、とても美味いが少し塩っぱかった。たぶんトマトと玉葱がベースになっていると思う。

―さて、昨日からの続きを書く―

 宿があまりにもひどかったので、僕達は何か物音や話し声がするたびにビクッと反応し、全く落ち着くことができなかった。もう使うこともないだろうと思っていた、友人からもらった2つのドアロックもしっかりつけた。遅い晩御飯の後、Swee Kongはシャワーを浴び、早々に眠ってしまった。僕は肉体的にも精神的にもひどく疲れていたにもかかわらず、不安でなかなか寝付くことができず、結局2時過ぎまで眠ることができなかった。そして次の朝7時頃には、また奇妙なうなり声で起きてしまった。
 9時ちょっと前にノックがあり、ドアを開けると昨夜の宿の男が2人立っていて、「おはようムッシュ!昨夜はよく眠れたか?」とか言ってくるので、朝早くから何かのうなり声が聞こえてよく眠れなかったと言うと、彼らは笑いながら何事か言っていたが良く理解できなかった。そして、「もうすぐフェリーがでるよ。両替はどうする?」と言う。フェリーの出航時間が何時かと聞くと9時だと言う。しかしすでに9時15分前。次は何時かと聞くと11時だと言う。僕らはフェリーに乗るつもりはなかったので、適当に返事をして2人を追い返し、朝食の準備をした。そして一時間後、宿を出ようと門のほうへ降りていくと、男達がたくさんいて「セーファー!セーファー!」と寄って集って言ってくる。後で後でと言いながら僕達は宿を出たが、後からどんどんついてくる。一度は無視して銀行の出張所みたいなところに入ったが、両替窓口の女性は、僕が何回尋ねなおしても「CFAフランは無い」としか言わない。全く何のために銀行があるのかわかりゃしない。結局、表で僕達を待っていた男達の店で、換金するはめになった。換金率は1€=600cfaだった。ユーロ⇔フランCFAが固定レートになって以来だいぶ経つのに、いまだにこんなことが起こることが僕には信じられなかった。パスポートコントロールに行くと、そこでもまた役人から金を要求された。人のパスポートを預かって、手続きが終わっていざ返す段になってそんなことするなんて本当に卑怯な奴だ。全くうんざりしてしまったが、僕はわざと疲れきったような、ふてくされたような顔をして「We have no money any more」と英語で言うと、その役人は、僕らのパスポートをポンと投げてよこした。(ちぇっ!)と思ったが、横を見ると、Swee Kongも疲れたような表情をしつつ俯いていて、僕にウィンクしてきた。思わず笑ってしまう。まさに阿吽の呼吸、連係プレーだったようだ。すぐ目の前には船着場があり、15人くらいは乗れそうなボートが何艘かあって、僕らもそれに乗ろうとすると、切符売りのオヤジが4枚ずつも切符を僕らに渡してきた。事前のガイドブックによる体験談では、1人1枚(50UM)+荷物1枚渡されることになっていた。納得いかずに僕が猛抗議すると、船が出そうになる。しかしほんのちょっと岸を離れただけですぐに「どうするどうする?乗らないのか?」とか言いながら岸にまたつけてくる。そんなことをしばし繰り返した後、あわれ船頭さん、うっかり英語を話してしまった。すると、前夜から英語が通じないために大人しくせざるを得なかったSwee Kongが、まさにマシンガンのごとくしゃべりだして猛抗議。あえなく船頭さんは折れ、僕らに1枚ずつ切符を渡すだけでの出航となったのだった。ボートが岸を離れて、緩い流れのセネガル川をゆっくりと渡っていく。こんな小さな船での国境越えも、そうそう体験できないであろうが、特別な情緒も無く、隣や向かいに乗り合わせたおばちゃんたちにからかわれながら、なかば通勤のバスで移動しているかのような、そんな気楽で日常的なしばしの船中だった。しばらくすると、車を載せた、大きな筏のような船とすれ違ったが、あれがフェリーだとしたら、そして運賃が一人300UMもするのだとしたら、本当に乗らなくて良かったと思った。
 セネガル側の船着場はモーリタニア側からも見えるほど近いので、あっという間の国境越えとなった。ボートを降りると、すぐに‘Police’と刺繍してあるセーター(制服だと思う)を着た警官らしきに呼び止められ、パスポートを出すように言われた。入国管理か何かの事務所の窓口のところでしばらく待っていると、ようやく入国手続きがあった。僕が職業を言ったとき、またもやその警官に「セネガルでタクシーの仕事をするのか?」と聞かれた。モーリタニア入国の際には笑ってしまったが、2度聞かれると言うことは、あながち冗談を言っているわけでもないのだろうか。僕らが窓口で手続きをしていると、やはり数名のタクシーやバスの運転手達が声をかけてきた。ただ僕はその時猛烈な便意に襲われ始めたので、とりあえず「便所はどこ?」と腹を押さえながら言うと、一人の男が少し離れたところにある便所まで連れて行ってくれた。そして驚いたことに、用を足して便所から出ると、そこには先に入国していたはずのPhilippeが立っていた。再会後は、当たり前だがとてもスムーズにことが運んだ。交渉ごとは全てPhilippeに任せたからである。RossoからSt.Louisまでの乗り合いバスは、荷物代込みで1500cfaしかかからなかった。バスに揺られて一時間半、無事St.Louisに到着。ガールルティエールは相変わらず物売りや物乞いの子供達や柄の悪い運転手達がいっぱいで、最悪の雰囲気だったが、全部蹴散らして橋を渡り、市街地のほうへ歩いて向かった。St.Louisの街自体は、ほぼ全ての建物がコンクリートで作られているため、とてもクリーンなイメージだ。腹ペコだった僕らは、とりあえず橋を渡ってすぐのところにあるcaféに入り、シャワルマとファタヤとコーラを平らげた。そしてPhilippeとSwee Kongが銀行へ行っている間、僕はテレビを見ながら、そのカフェでのんびりしていた。2人が店に戻ると、2人ともすでに何件かのホテルをピックアップしてきていた。St.LouisにはYouth Hostelがあったが、一泊5500cfaだった。ガイドブックの情報によると、他と比べて決して高くは無かったが、彼らはその値段以下で探してきたようである。そして、そのうちの一軒のホテルに僕らは泊まることにした。Swee Kongが探してきたそのホテルは、本来は3人で17000cfaだったが、粘って粘って15000cfaにしてもらった。しかも朝食付き。ホテル内にはバーまであった。Swee Kongが最初僕らに話を持ってきたときには、3人で7000とのことだったが、僕もフィリップも信じていなかったので、いざホテルに着いてから交渉することになったのだった。その夜は、ホテルのバーでGAZZELL(ビールの大瓶)を1本飲んで、自炊したスパゲティを食べた後すぐに寝てしまった。

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