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京の街を歩く〜京都人の京都案内コミュの【祇園祭の一口知識】

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日本三大祭りの一つに数えられる祇園祭。
毎年17日に行われる「山鉾巡行」が有名ですが、祇園祭はこの日一日だけのお祭りではありません。

ここではそんな祇園祭の様々な側面をお話ししてみようと思います。

コメント(20)

【祇園神〜祭りの起こり】
祇園祭りは「祇園さん」即ち八坂神社の祭礼です。
古くは「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」あるいは「祇園会}と呼ばれ、貞観(じょうがん)11年(869)に全国で疫病が大流行した年に、平安京の大庭園であった神泉苑に祇園の神を祀って、当時の国の数である二丈ほどの66本の鉾を建てて、災厄の除去を祈ったのが始まりとされています。
実に1100年の歴史を持つお祭りであることがわかります。

毎年恒例のお祭りとなるのはそれよりももう少し後の天禄元年(970)からのことですが、南北朝時代のころから作り山なども登場し、今のような形になったのは江戸時代のこととされています。

祭りは応仁の乱で一旦とぎれ、山や鉾もその多くが戦禍にあって失われますが、戦国の世が終わり平和の時代になって勃興してきた町衆達の手で山や鉾も再建され、祭りも再興されました。

「祇園神」とは祇園社、八坂神社の祭神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)。
素戔嗚尊は海を治める神ですが、海を治めると言うことは「荒ぶる」を鎮めると言うこと。
疫病の蔓延を治める神として信仰されたのでしょうね^^

ちなみに「祇園」という名前は『平家物語』の冒頭に出てくる「祇園精舎」のことで、「精舎」とは寺院の事です。
正確には「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくえん)」と言います。略して「祇園」ですね^^
お釈迦様が弟子達に説法をされた所としてお経にも出て来ます。

「祇園」という言葉はいわば仏教に由来するのですが、これは明治の神仏分離が行われるまで、八坂神社は「祇園社」「感神院」と呼ばれる神仏習合の場でした。
いわゆる本地垂迹思想によって素戔嗚尊(垂迹)は、薬師如来(本地)の化身とされたのです。
神社でありながら寺院でもあったのですね。
市内各地のお寺も山内に神社や鳥居を持つお寺は多いですね。

八坂神社という現在の名前になったのは明治になってからのことです。
八坂祭りではなく祇園祭なのはそう言った歴史があるからです。
【蘇民将来子孫也】
祇園祭というとちまきを思い出される方も多いでしょう。

今は安全の為禁止されてしまいましたが、かつては山鉾巡行のおりに、鉾から投げられる厄除けのちまきを見学の皆さんは奪い合ったものでした^^

そのちまきを始め、宵山などで山鉾町などで売られる祇園祭の厄除けの様々な品々に護符が付けるているのに気がつきませんでしたか^^
その護符には「蘇民将来子孫也」と書かれています・
「そみんしょうらいのしそんなり」と読みます。
「蘇民将来」は人の名前です。

これは八坂神社の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が南海道を旅していたとき、蘇民将来の家を訪ねた尊は、一夜の宿を快く受け容れて貧困な生活であるにも拘わらず手厚くもてなしくれたことをとても喜ばれ、翌朝、蘇民将来の家を発つときに、「あなたの子孫は今後二度と疫病に罹ることはないでしょう」と言ったと言う故事に因みます。


祇園祭の神事の中心八坂神社の祭神は素戔嗚尊。
その護符のついたちまきですから疫病退散に効があるとされて京の家庭では祇園祭のちまきを玄関に飾るのです。
この家は「蘇民将来の子孫」ですよ、としておけば疫病も退散する、と言うことですね^^
祭りの参加者もこの護符を付けて参加することになっています^^

これは偶然ですが、先年伊勢神宮をお詣りしたときに、神宮の参道の各民家の玄関の長押に「蘇民将来招福門」の絵馬が飾ってあるのを見つけたときなにげにお伊勢さんと祇園祭の繋がりを感じたものでした。
【祇園祭の御神輿】〜神輿渡御〜
お祭りには御神輿がつきものです。

祇園祭と言えば山鉾巡行があまりにも有名ですが、さて、御神輿はあるのでしょうか。
「ある」が正解です^^

八坂神社の祭神は素戔嗚尊と櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱神子神(やはしらのみこがみ)の三柱、それぞれを坐した御神輿が三基。

三基の御神輿は7月10日に鴨川四条大橋で「神輿洗い」の神事を行い一旦八坂神社に帰り、17日、山鉾巡行が終わった後に行われる神幸祭で、三基がそれぞれのコースに分かれて市街を巡って四条通り寺町東の「御旅所」に安置されます。

御旅所には一週間安置され、この七日間に無言で毎日お詣りすると願いが叶うと言われています。
これを「無言詣り」と言います。

御旅所の御神輿は後の祭り、花笠巡行が終了後再び広く市街を巡る還幸祭で八坂神社に還り、28日に再び神輿洗いが行われて、一連の神輿渡御の行事は終わります。
【長刀鉾のお稚児さん】
山鉾巡行の先頭を常に行く長刀鉾にはお稚児さんが乗り込みます。

かつては全ての鉾にお稚児さんが乗り、それぞれの鉾に伝わる舞を華麗に踊っていましたが、徐々にお人形に置き換えられて生き稚児は長刀鉾のみとなりました。
長刀鉾以外に綾傘鉾には六名の稚児が行列に参加していますが少し正確が違うようです。
綾傘鉾は「傘鉾」という鉾の古い形態で、他の鉾のように山車の形ではありません。
お稚児さんも囃子方も全て歩いて巡行に参加します。

長刀鉾のお稚児さんは市内の家庭から選ばれ、それは大きな名誉とされますが、相当の費用負担が必要で、それなりのご家庭から選ばれるようです。
お稚児さんの他、「かむろ」と呼ばれる稚児の補助役も同時に選ばれ、大抵は稚児役のお子さんの学校のお友達が選ばれます。
かつて俳優の故・大川橋蔵さんのお子さんが選ばれたこともありました。

長刀鉾の稚児は正三位という高い位を与えられ、祭りの期間中は母親であっても女性が触れてはならないとされていて、全てのお世話を男衆(おとこし)という男性が行います。
女性は不浄という女人禁制の考えに依るものですが、この点についてはまた改めて^^

長刀鉾のお稚児さんのハイライトはなんと言っても「注連縄切り」の神事でしょう。
山鉾巡行は八坂神社の神域を示す結界に張られた注連縄を、長刀鉾の稚児が真剣で一刀両断して切り、巡行が始まります。
この様子はニュースなどでもお馴染みでしょう^^
【鱧祭り】
祇園祭は別名「鱧祭り」とも呼ばれます。

京の蒸し暑い夏に涼感を呼ぶ「鱧のおとし」などはとってもさっぱりした京料理ですが、この時期に鱧は旬を過ぎて最盛期を迎えます。

祇園祭と言えば鱧料理^^
鱧は骨きりという作業が必要で、一般の家庭ではなかなか生のままの鱧を買って、と言うわけには行きませんが、この時期に京都にお越しの方は是非ご賞味下さい^^
【山と鉾】
山鉾と言いますが、それは「山」と「鉾」の事で山と鉾は当然ながら全く違う形のものです。

鉾は車輪のついた囃子方などが乗るもので、それ以外は山と思っておられる方も多いようですが、実はそうではありません。

祇園祭の山鉾は大きく分けて次のようです。
1.鉾
長刀鉾や月鉾、菊水鉾、鶏鉾などいわゆる一般に鉾と呼ばれているものです。
その特徴は「真木(しんぼく)」と呼ばれる長い(高い)飾りを持っていることです。その高さは20mにも及びます。
その先端、鉾頭には鉾印と呼ばれるその鉾の特徴を表す飾りが着けられます。
長刀鉾は当然長刀となります。

鉾にはお稚児さんやかむろの他、男衆さんや囃子方(はやしかた)、屋根の上には真木の揺れを抑えたり、昔ながらの狭い小路を通るときに鉾の屋根が民家と接触しないように見張る屋根方などが乗り組みます。
鉾の上はおよそ六畳ほどの空間に約40名ほどが乗り組みます。

その鉾を数十名の挽き方が綱を引き、鉾の方向や制御を車方と呼ばれる人たちが行います。
鉾の前方部に乗って扇子などで進行の指揮をする人を「音頭取り」と言います。

2.傘鉾
古い形の鉾の一種ですが、これは普通の鉾のように山車はありません。「綾傘鉾」や宵山のみ参加する「四条傘鉾」などがあります。
大きな傘を中心に、稚児や囃子方も歩いて巡行します。また舞方を伴っていて巡行の要所要所で棒振り囃子などの舞を披露します。
山鉾巡行の芸能色を表す鉾ですね^^

3.担ぎ山
大半の山がこの形です。
中国や日本などの故事に因んだ飾りを持ち、松の木がしつらえてあります。
本来は担ぎ山と言う名の通り、担ぎ方によって担がれて巡行していましたが、担ぎ手不足から現在では山の下部を布で覆って、小さな車輪を着けるようになりました。

4.曳き山
一見鉾のような形をして、囃子方なども乗り組みますが、鉾のような真木がなく、屋根の上には大きな松が飾られています。
「北観音山」「南観音山」「岩戸山」などがあります。


【画像は綾傘鉾と囃子方】
【長刀の切っ先】
山鉾巡行で常に籤とらずの一番の栄誉を担って先頭を切る長刀鉾。
その鉾印は言わずとしれた長刀です。

長刀で災厄を祓いながら進むその様子は、凛々しささえ感じますが、長刀の刃先はどちらを向いているか、なんて考えたことはありませんか^^

当たり前なら刃先は進行方向を向いていると考えがちですが、実はそうではありません。
長刀の刃先は進行方向に対して右に向けられています。

山鉾の巡行は四条通りを八坂神社に向かって東に進み、現在では、四条通河原町の交叉点を北に進みます。
四条通りでは八坂神社と正対し、河原町通りでは御所と正対することになります。
そこで八坂神社や御所と刃先が正対するのを避けるために右を向けられていると言われています。

神様や天子様に刃を向ける不敬にならないようと言う配慮でしょう。

これなどは意外なトリビアかも知れません^^
【祭りと町衆】
祇園祭は八坂神社のお祭りですが、実際の担い手は町衆(ちょうしゅう)と呼ばれる各山鉾町の町内の人たちです。

山や鉾はそれぞれの山鉾町が管理運営しています。
長刀鉾なら「長刀鉾町」ですし「舟鉾」なら「舟鉾町」、山なら「北観音山町」といった具合に、昭和の全国的な地番整理に反対した京都の町は昔ながらの町名が今も残り、その町毎に自前の山や鉾を管理し運営しているのです。

それらの山鉾町は従来京の織物や染色、その他の様々な伝統産業の担い手で、問屋などの商店が多く、経済的にも裕福な町衆たちの奉仕の精神で維持されてきましたが、商店が株式会社になり、町内の多くの人がサラリーマンになり、町屋はマンションに変貌して、町内に住まない人も多くなってきました。

正直言って経済的負担は相当のものです。
私の知人である、ある鉾町の囃子方の方は、サラリーマンのお仕事の関係で現在は東京に住まわれていますが、全ての休暇をこの時期に投入してお囃子のお稽古に通われると言う人もいます。

私の卒業した高校は校区に大文字の送り火をお守りする町内を抱えていますが、その保存会のメンバーである私の同級生は相当の苦労の末、送り火をお守りしてくれています。

それらの努力を支えているのは、ただ「お祭りが好き」という気持ちだそうです。
表面ははんなりとしたお祭りも相応の苦労があることを知っていただけると嬉しいですね^^

山鉾巡行は10日の鉾立に始まって宵山を経て17日に行われますが、それまでは様々な懸想品などのお宝が町家(ちょういえ)と呼ばれる山鉾町内の集会所に飾られます。
宵山には町内総出でお祭りに参加します。

応仁の乱の後の戦国の世に一度は失われた祭りを復興したのも町衆なら、それを育み現在に伝えたのも町衆でした。
お祭りの背景にある町衆の心意気を感じていただけたら幸いです。

【画像は山町の町家の宵山のお飾り】
【祇園囃子】
コンコンチキチン、コンチキチン♪

なんと言っても祇園祭と言えば祇園囃子でしょう。
笛と太鼓、そして鐘の三つの和楽器で奏される祇園囃子は京都の夏に欠かせない風物詩でもあります^^

この祇園囃子は鉾町や曳き山町に伝わっていて、各山鉾町でそのメロディなどは全て違います。

吉符入り以来、各山鉾町ではお囃子のお稽古がすでに始まっていて、なにげに京の街の界隈を歩かれれば、そんなお囃子を耳にされることでしょう。
梅雨の末期にあたるこの頃は、日増しに蒸し暑さも増して、街の辻々に流れるお囃子は涼感とお祭り気分を否応でも盛り上げてくれるようです。

山鉾巡行の日、奏でられるお囃子に少し耳を傾けてください。
そうすればお囃子の特徴に気づかれることでしょう。
巡行は八坂神社に真っ直ぐ向かって四条通りを東に進みます。
そして長刀鉾によって開かれた結界から神域に入って行きます。
長刀鉾の稚児は身を大きく乗り出して奉納の舞を舞います。
お囃子はゆったりとした厳かな上がり囃子です。
荘重にゆっくりと奏されるお囃子は神域に入った厳かな気持ちを表すようです。

そして四条河原町で「辻回し」と呼ばれる豪快なターンを行って鉾は北は向かいます。

その瞬間お囃子は荘重な上がり囃子から軽快な戻り囃子へと一変します。
八坂神社へお詣りを済ませた鉾が町内へ帰る為の華やいだ気分を表すようなリズミカルな調子です。

是非このお囃子の転換を楽しんでください^^
ちょっとマニアックな山鉾巡行の楽しみ方です(笑)
【鉾立】
7月10日から13日にかけて鉾立が行われます。
これは宵山〜巡行に向けて鉾や山を組み立てる作業の事です。

作事方と呼ばれる各山鉾毎に専門の職人さん達が担います。
豪華に飾り立てられた山や鉾をご覧になったことはあっても、この鉾立をご覧になる機会はあまりないかも知れません。

鉾の本体は木材の部材と荒縄で組み立てられます。
一切釘は使われません。
これを「縄がらみ」と言います。

10トン以上もの重量になる鉾ですが、荒縄で組み立てることで重量の負荷を適当に逃がすことが出来て鉾の本体を傷つけないようにする、伝統の技です。
蝶の形に組み立てる雄蝶結び(おんちょうむすび)や雌蝶結び(めんちょうむすび)など、一部の乱れもないシンメトリーの美しい縄の姿。。。

10年のベテランでさえ実際には一年に一回、僅か10回しか経験しない秘伝の技を一度すぐ側でご覧になってみませんか。

【画像は鶏鉾の鉾立の様子】
【宵山の楽しみ方】
鉾立も始まって14日からはいよいよ宵山です^^

神事としての山鉾巡行の豪壮さ、華麗さ、絢爛さはとても価値のあるものだと思いますが、お祭りとしての楽しみは実は宵山にこそあります^^
そこにはお祭りの楽しさがつまっています^^

今年の巡行は祝日と重なり宵山は週末に重なって多くの人出が予想されます。
そこで人混みを出来るだけ避けて宵山を楽しむことの出来るコースをお教えしますね^^

実査には人混みを避けるなんて無理かも知れません。
それでも、よりましな場所もあります。
そしてそんな所にこそ宵山の楽しさがあったりもします。

鉾の中で一番人気はやはり長刀鉾でしょう。
「鉾の辻」と呼ばれる四条室町交叉点から長刀鉾の界隈はそれこそ身動き出来ないほどの人出が毎年あります。

私は地下鉄で四条駅まで行って、四条駅の一番南側の?番出口から烏丸通りに出て、烏丸通りを少し南へ下がった仏光寺通りから西へ。
ここからスタートします。

新町通まで行くと北に船鉾、南に岩戸山、何れもお囃子を聴くことも出来ます。
あとは小路を縫いながら、北へお好みの山や鉾を散策しながら鯉山あたりまで。
全ての鉾で生の祇園囃子を聴けますし、赤の□で囲んだ山は曳き山で、お囃子を聴いたりすることが出来ます。

この機会に鉾の上に上がることも出来ます。
目の当たりに見る鉾の大きさなども是非実感してください^^
ただ長刀鉾と放下鉾は未だに女人禁制で登ることは出来ません。

私のお気に入りは鶏鉾と鯉山。
皆さんもお気に入りを作られたら如何でしょうか^^

尚、当日市バスは付近が歩行者天国となるために、大幅に経路が変更されます。
地下鉄や阪急電車のご利用が正解です。

宵山の夜は山鉾町内の子供たちも夜更かしが認められます。
ちまきなどの厄除けのアイテムを売るのは子供達の役目です。
わらべ歌を歌いながらお客さんを案内します^^
【屏風祭り】
宵山シリーズが始まりました^^

今日から16日まで、鉾町や山町では毎晩祇園囃子に誘われてたくさんの人で賑わいます。

ところで宵山のことを「屏風祭り」と呼んだりします。
これは鉾町や山町にお住まいの町衆の皆さんが、ご自宅の家宝と言えるような屏風を飾って宵山を散策する皆さんにご覧戴く習わしのことを言います。

室町通りや新町通りの町内を歩いてみると、表から見えるように屏風を飾っておられる家があちこちにあります。
以前は見ず知らずの私などでも、お尋ねしてご挨拶すると快く中に招じ入れてくださってお座敷でお茶などを戴きながらお話しを聞けたものでした。

宵山の楽しみはこんな所にもありました。
一度思い切ってお尋ねになってみては^^
【二度の巡行】
いよいよ17日は祇園祭のクライマックス、山鉾巡行です。

この巡行ですが、かつては「先の祭り」「後の祭り」と二度行われていました。
なぜ後先二度だったのかは浅学のわたしにはわかりませんが、17日の巡行に加えて24日にも巡行があったのはそれほど昔のことではありません。
私自身24日の巡行の記憶も鮮明にあります^^

京都市街地、それも山鉾町の界隈は京都でも最も交通量の多い中心街です。
四条通りや烏丸通りには市電も通っていましたから、巡行のたびに架線を外したり交通規制をしたりと大変だったことも事実です。
他にもいろいろと理由はあったのでしょうが、二度の巡行は17日に合一されました。
昭和41年の事です。

その名残は巡行の山鉾の順番に残っています。
長刀鉾を先頭に舟鉾までが「先の祭り」即ち元々17日に巡行されていた巡行列です。
舟鉾の後に続く「北観音山」から「南観音山」までが「後の祭り」の巡行列です。

伝統を重んじる神事とはいえ、時代のニーズに合わせて変貌していくことも伝統を継承していく上で大切なことだと思います。

24日は「後の祭り」の山鉾巡行に代えて「花笠巡行」が行われます。
八坂神社の三神の御神輿が17日の山鉾巡行終了後、18:30に八坂神社から氏子の町内を巡り四条寺町下がるの「お旅所」に渡御する「神幸祭」が行われ、「後の祭り」が終わって八坂神社へ還幸する「還幸祭」が行われます。
その神事の節目をつけるためにもやはり24日においても「巡行」が必要なのかも知れませんね^^

花笠巡行は山鉾巡行と違って、とっても芸能色の強いもので、祇園囃子はもちろん、舞や踊りの列も含んだ華やかで、庶民的色彩の強いものです。これも是非一度ご覧戴きたいものです。

花笠巡行については日を改めてまたお知らせしますね^^
【巡行の見所】
山鉾巡行の見所はいくつか考えられます。

早朝、四条烏丸交叉点に勢揃いした山や鉾が、長刀鉾を先頭に祇園囃子のゆったりとした笛の音を伴ったかけ声と共に、鉾頭の長刀が前後に揺れて動き出す瞬間。

八坂神社の結界を示す注連縄が長刀鉾の稚児が鞘を祓った真剣で一刀両断された瞬間。

舵を持たない四輪の大きな鉾が方向を転換する為に、直角に引き回される辻回しの荒技。

辻々で舞われる棒振り囃子の妙味。

雅やかな上がり囃子が軽快な戻り囃子に変わる瞬間。

それぞれが見所でしょう。

私はそれ以上に都大路を優雅に巡行する様もさることながら、町内への帰路を急ぐ山鉾が新町通りを下がる様子を一押しにします。

新町通りは平素は一方通行の狭い道です。
東通りに平行して走る室町通りと共に、京都の伝統産業である和服の問屋などが建ち並ぶ着物の町です。
そんな通りを、鉾は屋根のひさしは両側に並ぶ町屋と接するようにぎりぎりの所を通ります。
このときこそ、鉾の直進性をコントロールする車方の技の見せ所。
そして今まで暇そうに屋根の上に座っているだけだった屋根方の活躍の時です。
禁じられた鉾からのちまき撒きもここでは解禁。
大切に二階に陣取っていた町内の人たちに手渡されます。

従来、巡行はこういった狭い道を通っていました。
四条通りや河原町通り、御池通りという都大路を巡行するようになったのは、そのお祭りの歴史の中で比較的最近のことだと言われています。

そこに祇園祭の伝統が息づいていると言っても過言ではありません。
その様子を見るとこのお祭りが根っこの所では町内のお祭りだと言うことに実感を以て気がつくでしょう。

巡行に出かけるとき、女衆の火打ち石でその無事を祈りつつ送り出された山や鉾は、新町通りの巡行を経て各町内に帰り、留守番の町内の人たちの歓呼の声に迎えられて長い巡行を終えるのです。
【後の祭り】
山鉾巡行は最近では珍しく、篠つくような大雨の中で行われました。
巡行は観光イベントのように捉えられがちですが、なんと言っても基本は神事ですから、雨などで中止されたりすることはありません。

私の記憶では、四条通りの地下を阪急電車がそれまでの大宮から河原町まで延伸する為の地下工事が行われた時、四条通りが掘り返されて、巡行が中止になった以外記憶にありません。

動く美術館と言われる山や鉾ですが、値段の付かない貴重な懸装品が雨で傷まないかと、はらはらしてテレビの中継を見ていました。

さて、祇園祭はこれで終わったわけではありません。
巡行のあと、八坂神社から氏子町内を巡る御神輿が三座も同時発進しして、四条寺町の御旅所に24日まで鎮座していますし、24日は後の祭りの花笠巡行もあります^^

祇園の芸妓さん達も参加するお囃子あり、舞あり、踊りありの芸能色豊かな花笠巡行もとっても華やかで楽しいものです^^

夏の土用の翌日で京都は一番暑い季節を迎えますが、一度如何ですか^^
とても読みがいがありました。
人の多さを苦にして今まで一度も行ったことありませんが、
さとみさんのお勧めコースを参考にして、
来年は行ってみようかなexclamation
本当に祇園祭のことがとてもよく分かりました。
特に町衆の方たちのご苦労への言及は、さすがですね。

昨年「祇園祭手帳」という携帯用の本を買いましたが、今ひとつ読み物としては物足りませんでした。さとみさんのこの解説は、出版する価値があると思います。
shanshanさん^^

お目通し戴いてありがとうございます^^
確かに人の多さは少し引きますねあせあせ

でも、それも含めてのお祭りなのかも知れません^^
来年は是非一度お越し下さいませ^^
GoodGirlさん^^

まだまだ知らない事の方が多いのですが、少しでも祇園祭のご理解にお役に立てたなら望外の喜びでございます^^

出版などと過分のお言葉まで戴いて照れてしまいますが、コミュにご参加下さった皆さんにお目通し戴くだけで充分(*^^*)
京都をお楽しみいただくご参考になれば嬉しく思います^^
山鉾巡行を中心とした祇園祭には数年前までほぼ毎年通っていました。私は各鉾・山町で売っている手拭いをコレクションしておりまして、新作が出るたびに買っていました。祇園山鉾連合会で出していた手拭いは、四条烏丸の三井住友銀行の常設展示室がなくなって、今や幻のアイテムになってしまいました。すべての鉾・山で買うようになったのは、少しでも鉾・山の維持・保存の役に立てれば。という一種の参加意識だと思っております。

コレクションのために鉾・山を回るのはもっぱら昼間にして、宵々山・宵山にはわりと端っこの、比較的空いている山町を歩くようにしていました。縁結びで有名な保昌山をスタートに、文化財の町家が町会所になっている太子山と伯牙山、その周辺で宵山でも驚くほど空いている芦刈山、油天神山、木賊山などを見て、時間を見て綾傘鉾と四条傘鉾の棒振り囃子を見ます。それぞれ30分ずつ上演の時間がズレているので、見やすいですね。
そのあとは西洞院を六角まで北上して八幡山、黒主山、浄妙山などを見ながら鈴鹿山まで行き、宵山の晩は烏丸を南下して四条烏丸まで行って日和神楽を二つ三つ見たら新町蛸薬師で場所を取って、あばれ観音を見てから宿へ帰りました。

巡行は早めに四条烏丸に行きます。注連縄切りのあたりの雑踏は避けて、わざと西へ。鉾の辻あたりは実は比較的空いているので、菊水鉾や鶏鉾が四条室町で辻回しをして出てくるところを比較的じっくり見られます。そのあと四条新町で船鉾の出と、南北観音山の出を見ます。中でも南観音山は北観音山と向き合っている関係で、四条までバックで出てくるので、見返しと柳の枝を四条に出てから取り付けて、辻回しを通常と逆向きに行ないます。これがなかなかダイナミックで、好きなシーンです。
ここまで見てからちょっと休憩。時間を見て新町を行けるところまで北上して、各町へ帰る鉾や山を見て、一番最後に帰る北観音山で、関西風の手締めを見届けて、私の巡行は終わります。

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