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在原業平の魅力コミュの伊勢物語と古今和歌集  第六十三段

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伊勢物語と古今和歌集  第六十三段


 古今和歌集の歌の中に、伊勢物語に登場する歌の上の句が同じものがある。それは、次の古今和歌集の歌である。

   さむしろに衣かたしきこよひもや
     我をまつらむ宇治の橋姫
      又は、うぢのたまひめ  (恋歌四 689 読人不知)

「むしろの上に衣をしいて独りねをして、今夜も私を待っているのであろうか、あの宇治の橋姫は」(久曽神昇)

 伊勢物語ではどうなっているかというと、次の歌である。

   さむしろに衣かたしきこよひもや
     恋しき人に逢はでのみ寝む

 思うに、この伊勢物語の歌は、古今和歌集のある昔からある歌に基づいて詠んだものではないだろうか。この古今和歌集の歌は古今六帖にも採用されている。

 伊勢物語の作者は、この歌から宇治という場所を消し、狩りをする場所の近くを思わす点があるのだが、基本的にanywhere というべき形で話を構築している。ただ、女の住んでいる場所と男の住む場所はそれほど離れてはいないのだろう。京都と宇治であれば、なんとなく頷けるが、それ以上に遠くではないだろう。古今和歌集での男女は特定できないが、伊勢物語は男が在五中将とあり、ここだけが固有名詞である。
 伊勢物語第六十三段の最後は「この人は、思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける」であり、業平の面目躍如という感じのある話を思わせる。中年女性でも、若い女性でもわけ隔てなく愛してやるという彼を、この古歌から作り出したのだろうか。源氏物語の源氏のイメージもここに求めたのではないかと藤井高尚は「伊勢物語新釈 全」での述べる。

 古今和歌集の歌は男の立場からの歌であるが、伊勢物語のこの歌は女の立場からの歌である。宇治の橋姫の立場から詠むとすればまさに伊勢物語のこの歌になるのだろう。

 金子元臣は古今和歌集のこの歌について、京都の貴人が偲び妻を置いておく場所として宇治が最適であったとし、橋姫とはそういう女性の事だとしている。ただ、伊勢物語ではこの女性は偲び妻ではなく好色な女である。三人も子供がいる女性だから、中年以上の女性であったろう。女性のイメージは宇治の橋姫からほど遠いもので、世の恋多き中年女性のイメージである。それにしてもおおらかな世界である。

第六十三段
「 昔、世ごころづける女、いかで心情あらむ男に逢ひえてしがなと思へど、いひ出でむもたよりなさに、まことならぬ夢がたりをす。 子三人を呼びて語りけり。 二人の子は、情なくいらへてやみぬ。 三郎なりける子なむ、『よき御男ぞ出でこむ』とあはするに、この女、けしきいとよし。 『こと人はいと情けなし。 いかでこの在五中将に逢はせてしがな』 と思ふ心あり。 狩しありきけるに行きあひて、道にて馬の口をとりて、『かうかうなむ思ふ』といひければ、あはれがりて来て寝にけり。 さてのち男見えざりければ、女、男の家に行きてかいまみけるを、男ほのかに見て、

   百歳に一歳たらぬつくも髪
     我を恋ふらしおもかげに見ゆ

とて、出でたつけしきを見て、むばらからたちにかかりて、家に来てうちふせり。男 、かの女のせしやうに、しのびて立てりて見れば、女、嘆きて寝とて、

   さむしろに衣かたしきこよひもや
     恋しき人に逢はでのみ寝む

とよみける、男、あはれと思ひて、その夜は寝にけり。
世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は、思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける。 」

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