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在原業平の魅力コミュの伊勢物語と古今和歌集  第八十五段

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伊勢物語と古今和歌集  第八十五段


 この段には一首歌がある。この歌は完全に古今和歌集の歌と同じであるわけではないが、上の句が古今和歌集では「思へども身をし分けねば目に見えぬ」、一方の伊勢物語では「思へども身をしわけねばめかれせぬ」と変形されている。

古今和歌集の歌:
東の方へまかりける人によみてつかはしけ
   思へども身をし分けねば目に見えぬ
     心を君にたぐへてぞやる  (離別歌 373 いかごのあつゆき )

「いっしょに行こうと思うけれども、私の身を二つに分けることができないので、目には見えない私の心だけを、あなたに連れそわせていっしょに行かせることであるよ」(久曽神昇)


 古今和歌集の歌の作者は伊香淳行で、どういう人であったかは今に伝わらない。伊勢物語の作者が、この歌にある身体二分の想を得て、詠み直したのである。
 
伊勢物語の歌:
   思へども身をしわけねばめかれせぬ  
      雪のつもるぞわが心なる

「いつもわが君のことを思っておりますが、公の務めと二つに身を分けることが出来ませんので、今絶え間なく降りつづく雪が、こんなに積もってここに閉じこれられるのは、むしろ私の望みにかなったことなのです」(渡辺実)

 古今和歌集の歌では、「心」という目に見えないものを二分し、一つを相手に連れ添わせるという解決策を見出しているのだが、伊勢物語では、そのように心を二分しないで、雪がむしろ我が身を一つにしてくれている状況を詠う。そして、その下の句「雪のつもるぞわが心なる」で「心」を持ちだしていることは明らかに古今和歌集の歌を意識していることを示す。

 業平の「雪のつもるぞわが心なる」という句は実によい。雪は人の事情には関係なく降るものであるが、それでも人にしてみれば、そうした雪がその人の気持ちにもなることがあるのである。

 蛇足ながら、次の宗祇の歌では、逆に、一面に雪が積もるという事を乗り越えて、これまで辿りこし道を進むしかないという宗祇の気持ちを詠んでいるのだと思う。

   ひととせの過ぎゆく道はかきくらし
     雪のつもるぞなほしるべなる

伊勢物語原文
「むかし、男ありけり。わらはより仕うまつりける君、御髪おろし給うてけり。正月にはかならずまうでけり。おほやけの宮仕へしければ、常にはえまうでず。されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。むかし仕うまつり人、俗なる、禅師なる、あまたまゐり集まりて、正月なればことだつとて、大御酒たまひけり。雪こぼすがごと降りて、ひねもすにやまず。みな人酔ひて、「雪に降り籠めるられたり」といふを題にて、歌ありけり。

   思へども身をしわけねばめかれせぬ  
      雪のつもるぞわが心なる

とよめりければ、親王いといたうあはれがり給うて、御衣ぬぎてたまへけり。」

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