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在原業平の魅力コミュの伊勢物語と古今和歌集 第七十六段

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伊勢物語と古今和歌集 第七十六段



 業平と二条の后(藤原高子)はかって恋愛関係があったとされ、業平が「春やあらぬ」と詠んだことで知られる。二条后は清和天皇の女御で、後の陽成天皇を産む。その後皇太后となっている。

 第七十六段は清和天皇が東宮であった頃のことである。二条后は東宮の御息所であった。東宮の御息所であるから、業平の手の届かぬ人になったわけである。

 二条后は京都南西部郊外にある大原野神社に詣でた。藤原氏の氏神は奈良の春日大社であるが、大原野神社も春日を遷して祀った氏神であることから、二条后は大原野に詣でた。そしてそこで、后はお付きの人々に禄(慰労品)を賜った。近衛府にいた業平も直接禄を頂いている。業平はここぞとばかりに次の歌を詠んだ。
(業平は貞観六年三月、左近衛少将になり、貞観十七年には右近衛権中将になっている。)


二条のきさきの、まだ東宮の御息所と申しける時に、大原野にまうでたまひける日よめる
   大原やをしおの山もけふこそは
     神世のことも思ひいづらめ  (雑歌上 871 業平朝臣)  

「かやうに、御子孫の藤原氏の御息所は、東宮の御母儀として御参詣あるなれば、この大原野の小塩山に御鎮座あらせられる氏の御神も、かの神代に天照大神から、天孫を補佐すべき勅定を承った昔の御事も、何時はともあれ今日こそは思し召されて、御満足に思われるで御座らう」(金子元臣)

 業平は暗に二人の昔のことを言ったのである。

原文
むかし、二条の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、氏神にまうで給ひけるに、近衛府にさぶらひける翁、人々の禄たまはるついでに、御車より給はりて、よみて奉りける。
 大原やをしほの山も今日こそは
  神代のことも思ひいづらめ
とて、心にもかなしと思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし。 

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