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言語学コミュの日本語を教わりたいです。

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はじめまして。早速トピックたてて、失礼いたします。
突然ですが、日本語(国語)に3つ質問させてください。

○質問1=「・・・しい」
 とは、規則や仕組みがあるのでしょうか?

A 【嬉しい、楽しい、悲しい、羨ましい、うとましい、うっとうしい、痛々しい、美味しい、喜ばしい、恥ずかしい、悔しい、懐かしい、さみしい、悩ましい・・・】

ネットでざくっと調べたら【感情形容詞】というヒントが。
だが「〜しい」については明確な説明を得られず。

方や、
B 【新しい、詳しい、貧しい、ずうずうしい・・・】
これらは、やはりちょっと別か? 感情ではないようです?
【新しい】については、もともと『あらたしい』だったものが、江戸時代に娘衆によって変化してできたという、ある方からのヒントもいただいた。

サイトの国語(日本語)学説のようなものから、勝手に考えると、

A の 〜しい は感情表現であって、ほとんど「動詞」に直すことができる。

〜む =楽しむ、悲しむ、痛む(?)、喜ぶ、恥じる、悔やむ、懐かしむ、

また、 〜がる(欲する意味か?) という表現にもなる。

〜がる =嬉しがる、楽しがる、悲しがる、羨ましがる、うとましがる、うっとうしがる、痛(々し)がる(?)、、美味しがる(?)、恥ずかしがる、悔しがる、懐かしがる、さみしがる、悩ましがる(?)、

方や、B は上記のようにはならない。

○質問2=それにしても、外国人に 〜しい、〜がる をどう説明する?

〜がる、って、make oneself 〜 (自分から)〜な気持ちになる みたいな意味じゃないか? このニュアンス、英語の世界に通じるんでしょうか?

Don't make yourself sad. 悲しがらないで
----これ、有りでしょうか?

「母が寂しがりますので、手紙をください」
「母が寂しいので、手紙をください」
どっちも、英語表現だったら、一緒では???

感情の動詞がすべて、〜しい に変わるならいいのだが・・・

嬉しい で既につまづいた。
(喜ぶ → 嬉しい だろうし)


○質問3=

悲しむ → 悲しい
悔やむ → 悔しい

という方程式のような考えはもたずに、動詞は動詞、形容詞は形容詞 として単体で覚えるしかないのでしょうか?

◎お考えや、解説をお持ちの方、コメントをよろしくお願いいたします。

コメント(20)

こんにちは。
よくお調べになりましたね。
難しい問題ですが、何かヒントになるかもしれないと思って、少し書いてみます。

> ○質問1=「・・・しい」

<「〜しい」≒感情形容詞>という仮説は、当てはまらないように思います。
A群に入れておられる「痛々しい、美味しい、喜ばしい、悩ましい」も感情形容詞ではありません。「喜ばしい」は一見感情のように見えるかもしれませんが、出来事などに対する形容です。
逆に、「つらい、いたい、かゆい、しんどい(関西方言?)」などの感情形容詞もあります。

> ○質問2=それにしても、外国人に 〜しい、〜がる をどう説明する?

日本語では、「他人の本当の感情はわからない」という考えが前提になっていると思います。
だから、他人の感情を言うときには「〜がる」を使うのだと思います。
「〜がる」は、他人の表情や動作を見て判断する表現です。

> 悲しがらないで

これは、「悲しい気持ちを表面に出さないで」という意味になりそうです。

> 「母が寂しいので、手紙をください」

これは、言えないと思います。
○「母が寂しいと申しておりますので、手紙をください」

> ○質問3=

いくつかのパターンがあります。

・悲しむ ← 悲しい  楽しむ ← 楽しい   痛む ← 痛い
・恥じる → 恥ずかしい  悩む → 悩ましい  羨む → 羨ましい  悔いる → 悔しい

上記のように、形容詞→動詞の場合と、動詞→形容詞の場合があるようです。
現代語ではク活用とシク活用に意味上の区別は認めにくくなっていますが、古い時代に於いては、ク活用形容詞には事物の性質や状態を表すものが多く、シク活用には情動を表すものが多い、という説はあるようです。
国語学の分野だったかと思いますが、大野晋さんの著書にはよくこの話が出ています。
質問1 「〜しい」は、私の解釈では 感情形容詞ではなく動詞・・それもbe動詞だと思います。

(例)悩ましくいる状態 → 悩ま「し」く「い」る → 悩ましい

に変化(省略化)されたのでは?

ちなみに トピ主さんの指摘する A群 と B群 は それぞれ 「いる(居る?)」と「ある(在る)」の違いです。

Aは人間(心理)を指し Bは状態を指します。 
■質問2 

喜ぶ→喜ばしい 喜ば「し」い状態で「い」る(在るの一種)

と外人に説明しては?


■質問3

「〜しい」の変形 「〜しむ」 は 「〜しく在らんとする」の変形では?

悲「し」くあら「ん」(としている状態) → 悲しむ  

「ん」が昔は存在しなかった(あるいは発音しにくい)ので「む」になっていると推測します
>よくお調べになりましたね
いえいえ、そんなことは無いです。

↑のみなさまのお考え、ご説明の方がより語学的で、きちんと理解できるもの、また、私の頭では困難でまだ解消できないもの、さまざま参考になります。
ありがとうございます。

>大野晋さんの著書
>言語学者のHasegawaさん
の参考もゆっくりと拝見してみます。

こういうヒントでも助かります。

自身日常、「面白がって見せてもらいます」などと使っていたので、根本的に不理解だったと思い知りました。

夫が韓国人で在日7年目、日本語を覚えるも、身近な私しか説明できない現状で、時としてミステリーゾーンに出くわします。
今後とも、疑問、質問などさせていただければ幸いです。よろしくおねがいいたします。
他の部分については、みなさんかなり詳しいようなので、とりあえず、おいておくとして(僕は「○○し(い)」について調べたことがないので、あまりちゃんとわかりません)、

>という方程式のような考えはもたずに、動詞は動詞、形容詞は形容詞 として単体で覚えるしかないのでしょうか?

に関して、
言葉は、方程式できっちり収まる現象は、一つもないと言ってよいと思います。
「これさえこうなっていれば、完璧で美しいのに!」というような現象が幾つもありますが、それが思うとおりになってくれていないのが、言語です。
使用される場面や頻度などで偏りが出たりとか、単に発音しにくいとか、様々な理由で、たいていゆがんだ体系をしているものです。
韓国語でも、英語でもそうです。外国語を勉強していて、きれいに配列されていない文法事項があると、ついつい先生に文句を言いたくなってきますがw、言語はそれで当たり前です。
それと、母語話者は、はっきりと学ばないと、母語については説明できないのが、普通です。心配しないでください。w

「○○しい」に関しては、法則性を説明しても(あったとして)、習得の助けにはあまりならないと思います。
ものによっては、例外があっても、法則性を説明した方がよいものもあります。
ただ、あくまでも、法則は、先行研究を参考にするべきです。母語話者の直感で作り出した法則を持ち出すと、たいてい間違っているものです。これは、外国人に、彼らの言語について質問するときも、気にかけておくべきことで、友だちの外国人とかに質問すれば、大概間違った答えを教えられることになります。
もし、自分で法則を見つけ出そうとするならば、内省で例文を出して考えるのではなく、気になる表現に注意しながら、本を何冊か読んで、その中で法則を見つけ出したりしたら良いと思います。内省だけでやると、自分が決めた説を裏付ける例文ばかりたくさん出てきてしまいます。
MAK-まこっちさま、コメントありがとうございます。

>言葉は、方程式できっちり収まる現象は、一つもないと言ってよいと思います
>母語話者は、はっきりと学ばないと、母語については説明できないのが、普通

少し、開放感がもてました。
世間では、特に近年、言葉はある意味「生き物」だと言われたりもますね。

>本を何冊か読んで、その中で法則を見つけ出したりしたら

ずばり、夫は文字読解が勉強不足ですし、実はこの私にも欠けている部分だと思います。
これを機会に、読書への興味を深めていければと思います。
>15: variatim=小倉口花猫さん

あ、まったくそういうことではないですよ。言葉足らずですみません。
そもそも、言語学をやっている人の内省は、僕が言った限りではないです。単に、「母語話者だから、解るだろう」って考え全般に対して言っていることです。

ここでは、学習者が抱く疑問に答えるときの話なので、variatim=小倉口花猫さんの例文は、間違っていないと思います。17: ゆうさんの反論は、言語学的にもっともですが、要するに、学習者に対し、「二人称と三人称には『がる』にするんだよ」と安易に言ってしまうことが予想される母語話者の回答について言っていることなので、これはこれで、例文としての役割を果たしていると思います。一旦、「二人称と三人称には『がる』にするんだよ」と教えてしまうと、「ただし、……」、「ただし、……」と後から後から説明を付け加えることになり、結局解りづらくなってしまう、ということは、十分にわかります。
ここでは、あくまでも、生活するための言語習得をする学習者の立場からの視点で見ないといけないので、内部構造でどうなっているかよりも、表層的にどうなっているかの方が大事になってくると思われるので、variatim=小倉口花猫さんの例文は、二人称と三人称で違いが出る例文としては、十分だと思います。そもそもHasegawa1998に対する反例を述べているわけではないと思います。全体像についての論を展開しようと試みたわけでもないわけでしょうし。

ただ、学者の論を参考にしなくても、聞き手の気持ちを聞き手に質問するのと、第三者の気持ちを聞き手に質問するのとじゃ、違いますよね。その点で、反証になっているかは確かに微妙ですね。ここで、
「私はうれしいですか?」と
「私はうれしがっていますか?」の、
どちらが妥当かを検討はしてみたでしょうか。

要するに、会話をしている人物と、話題にされている感情を抱く人物との関係が意味を持っているようなのですが、考え出すと、カーっとなってくるくらいに難しいですね。


ただ、わかるのは、日本語を理屈から説明するためには、学者になるか、学者の論をよく知るか、しかないということです。専門家が、一つの文法事項に対し、何年もかけて研究しているわけです。安易に説明を試みるよりも、習うより慣れろの精神の方が大切です。あとは、学術書や学習書を読むか、ここで聞いてみるか、ちょっと本格的に自分で調査してみるか、です。
やれと言っているのではないです。わからなくて当たり前だから、安心してくださいと言っているだけですよ。

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