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「駄文倶楽部。胡蝶庵。」コミュの33と1/3

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大きな水中メガネをかける。すでに体は汗でぬれている。半径1メートルの円をイメージして、私は静かに目を閉じる。切ったばかりの短い毛先から汗がしたたる。水泳帽を準備すればよかった。何しろ今日の太陽光はいつにもまして強烈で、日焼け止めをしっかり塗ったはずの肌がもう赤くなっている。

時計の音が聞こえる。私の心臓の音が聞こえる。もっともっと集中する必要がある。

耳を澄ます。近所で豆腐屋がラッパを吹いている。小学生が遊んでいる。頭の上を誰かの性欲を乗せた電波が飛んでいる。熱さで水中メガネの内側まで湿りだしたのか、閉じた目に水滴が当たる。一度大きく息を吸い込まないと。このままでは泳ぐ前に溺れてしまう。

私は立ち上がった。汗が一斉に床に落ちる。ぱらぱら。汗が目に入らないように、ゆっくりと目を開ける。水中メガネの中は目に染みるくらいに汗で湿っている。ずっとしゃがんでいたから膝が痛い。この日のために着たセクシーな水着は用をなす前に汗にやられている。私は大きく息を吸い込んだ。台所から一時間前まで食べていた肉じゃがの匂いがした。ああ、あのじゃがいもは今私のお腹の中でどんどん小さく細かく消化されて、栄養素になって私の一部になっていくんだ。息を肺の底まで吸って、私は立ったまま目を閉じる。ついでに両手を上にあげてみる。

セミの声が聞こえなくなって一週間。けれど、まだまだ秋にはなりきっていない。

一時間ほど、立ったり座ったり、時折寝転んでみたりして、私はあきらめた。

半径一メートルの世界を自由に泳ぐ実験は失敗だった。

シャワーを浴び、床に雑巾をかける。短くなった髪にはドライヤーをあてる必要もなく、エアコンと扇風機をつけて、梨を剥いて食べた。

地球は一日に一回転。大きな回転運動の中で、私はただただ日々を振動するように生きている。

冷蔵庫の梨はあと二個だから、今夜のうちに食べ終わるはずだ。

カレンダーに目をやり、ため息をつきながら今日の日付に×をつける。時計を見ればまだ地球は三分の二くらいしか回っていなかったが、私の中では今日はもう終わりなのだ。あとは梨を食べて、肉じゃがの鍋を洗うだけ。他にやることが何もない。その上、室内遊泳(正確には未遂)でひどく疲れている。

私はベルルスコーニに目を止めた。ベルルスコーニは美大に通っていた友人が残していった、500mlのペットボトルくらいの大きさの白い胸像である。ローマかギリシャの英雄か皇帝だったと思うけど、残していった人が名前をつけなかったのでベルルスコーニと名付けている。ベルルスコーニはこのくらいの時刻になると、日差しの角度と顔の堀の深さの関係が良い具合になるのか、渋いながらもやわらかなほほえみを浮かべているように見えた。先ほどの私の一部始終を見て笑っているようにも見える。少し悔しい。

100円ショップで買ってきた水中メガネは、しばらくの間押入れの中に眠ることになりそうだ。

押入れの中には、たくさんの段ボール箱があって、私の服とか、趣味のものとか、いろんな人がくれた贈り物とかが沢山入っている。今日着たセクシーな水着ももらい物だ。何度か着たことはあるけれど、泳ぐために着たのは今日が初めて。誰がくれたのか、もう思い出せないけれど、とりあえずベルルスコーニと同じくらいには古株のはずだ。

こいつらはドラえもんのスペアポケットよろしく、都合のいい時にだけ私に思い出され、適当に使われてまた戻っていく。

結局、これらのものも、私自身もこまごまと振動するように日々を消化しているのだ。デンプンになるまで。

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