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「駄文倶楽部。胡蝶庵。」コミュの雨傘ヒロイズム

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雨と車の音だけがしていた。
路面電車の駅のホーム、屋根も無い小さな路上の島の上で、僕は電車を待っていた。
傘を雨が叩く。
狭い視界の中で、僕はただ茫洋と目を前に向けていた。
散発的な思考すらない、過ぎ去るだけの時間。
だから、すぐには気付かなかった。
「……っ」
決して小さくない雨音の中聞こえてきたのは、人の発する音。
嗚咽だった。
僕が後ろに傘を傾けると、少し広がった視界の中、やや離れた右側にその人は居た。
女の子だった。
制服を着た高校生と思しきその子は傘も差さずに立っていた。
いつから居たのか、すっかり濡れ鼠になっている。
「……ぅ、っ」
透けたブラウスに気まずさを覚えるよりも、その顔を濡らす雨ではない雫が気になった。
やや上を見上げてしゃくり上げる少女に、僕は近付いて傘を差し出した。
「……?」
少女の顔がこちらを向いた。
潤んだ目がどうして、と問い掛ける。
僕は何か答えようとして、しかし言葉にしようとしたそのどれもが正しく無い気がした。
少女の向こう、警笛を鳴らして電車がやって来る。
だけどこの子の格好で電車に乗る訳にもいかないだろう。
だから僕はそれが当たり前であるかのように、
「行こうか」
と言った。
少女が小さく頷き、そして僕達はホームを降りた。


水音が自制心を削いでいくようだった。
風邪を引いてはいけないと、取り敢えず僕の住むマンションに連れて行き、服を乾かす間にシャワーを浴びるよう勧めた。
素直に少女が従い、差し当たっての着替えを用意しながらこれではまるで援助交際か何かではないかと連想してしまった所に風呂場からの音が響き、僕は途端に落ち着かない気分になる。
なるべく気にしない体を装い、女の子でも差し障りの無さそうなデザインのシャツとズボンを探し当てる。
素数を数えながら着替えを脱衣所に置き、一応声を掛けておくべきかと口を開けた所で、
「……っ」
まるで堪えても口の端から漏れ出るかのような、そんな微かな嗚咽が聞こえ、僕の言葉は喉の奥で失われた。
黙って脱衣所を後にして、気を紛らわせる意味も込めて珈琲を淹れる事にする。
とは言え洒落っ気もないインスタントの粉末しかないので、一手間加えようと鍋で牛乳を温める。
粉はやや少なくして、砂糖を増やせば多少は少女の安らぎの助けになるだろうか。
少し熱めに作った珈琲が頃合いに冷めたところで、着替えを纏った少女が出て来た。
俯いているので表情は読めないが、頬に熱が通っているので体は温まったようだ。髪はもう少ししっかりと乾かした方が良さそうだが。
「珈琲、飲む?」
問い掛けると、少女の顔が少し上がった。
「あ、もしかして珈琲苦手かな?」
自分で言ってからその可能性を度外視していた事に気付き、やはり冷静では無かったと思い知る。
だが幸運にも少女は首を左右に振った。
「……ありがとう、ございます」
本来なら鈴のような綺麗さであろう少女の声は、やや掠れていた。
「そこ、座っててよ」
どういたしまして、と言うのも照れ臭く、また大袈裟な気がしたのでソファに促す事で返事とする。
マグカップ2つに珈琲を注ぎ、1つを少女に手渡して僕は一人分空けた横に腰を下ろす。
一口、珈琲を啜る。さすがに甘過ぎたかも知れない。
少女は両手にカップを持ったまま動かない。
つまりは僕から話を振るのがこの場合の最善なのだろうと思い、まずは誤解などをされないようにと、
「あ、別に下心とかある訳じゃないから、安心してくれていいよ?」
飛び切りの悪手を打ってしまった。これでは余計に誤解を与えてしまいそうだ。
少女が目だけを動かしてこちらを見る。
「いや、えーと……御免。失言だった」
誤魔化すように珈琲に口を付ける。甘い。
そうではなく、まずは自己紹介だろうとようやく思い至る。
「えーと、僕は佐藤創(さとう・はじめ)って言います。一応大学生だけど、まあ今は殆どフリーターみたいなものかな」
本当は今日はその本分を果たすべく大学に行く筈だったのだけれど、それは言わなくてもいいだろう。
「城崎、桜(きざき・さくら)です」
「城崎さんか。高校生?」
「……はい」
「……そっか」
先程までとは種類の違う沈黙がそこに含まれている気がした。
何となくだが僕の問いに警戒感を抱いたように見えたので、恐らくはその先に涙の理由があるのだろうと当たりを付ける。
「服、乾くのにまだ少し時間掛かるけど、まあゆっくりして行ってよ」
だから僕はそこには触れないようにする。
僕は決して、理由を問い質したい訳では無いのだ。
「……はい」
それが意外だったようだが、城崎さんは小さく返事をしてカップに口を付けた。
手持ち無沙汰になり、僕はテレビを点ける。
古いドラマの再放送なのか、時折テレビで見掛ける俳優が随分と若い姿で映っていた。内容自体は特筆するまでもない、愛憎が悲劇を生む2時間のサスペンスだ。
物語の佳境らしい。
海沿いの切り立った崖の上で、犯人に対して主役の刑事が自らの推理を披露し、それを聞いた犯人があまりにも簡単に自白していた。
「……どうして」
それに重ねた訳では無いだろうが、城崎さんがカップをテーブルに置いて口を開いた。
「どうして、私を助けたんですか」
単なる疑問にも、咎めているようにも取れる言い方だったがとにかく彼女の中ではそういう事になっているらしい。
「別に助けたとか、そんな大それたものじゃ無いよ。女の子が泣いているのを、男は放っておいたら駄目だって昔から決まってるんだ」
「……そうなんですか?」
「うん。それは2番目に悪い事だからね」
「1番はなんですか?」
「女の子を泣かせる事だね」
わざとらしく胸を張って断言する僕の姿がおかしかったのか、城崎さんが小さく吹き出した。
「あ、すみません」
「いいよいいよ。城崎さん、笑ってる方が可愛いから」
何気なく言ったつもりだったけれど、城崎さんはまた俯いてしまう。
「あ、御免。また失言だったかな?」
「いえ……」
ふるふると首を振り、城崎さんがゆっくりと顔を上げる。
「あんまりそういう事、言われた事が無くて」
「恥ずかしかった?」
黙って首が縦に振られる。
湯上がりとはまた違う理由で朱の差した顔を見て、つい笑みを浮かべてしまう。
「そっちの方がいいよ」
雨の中で泣いていたその姿に何か惹かれるものがあったのは事実だ。
「絶対いい」
けれどそれは、今この瞬間ほどでは無かった。
人を惹き付ける笑顔があるのだという事を、恐らく僕は初めて理解した。
それ程に印象的な笑顔だった。
「ねえ、城崎さん」
僕は半ば無意識に、城崎さんの頭に手を伸ばしていた。
まだ乾かない髪を撫で付けるようにしながら、僕は出来るだけゆっくりと、考えながら言葉を作る。
「笑う事を、忘れたら駄目だよ。
きっと城崎さんは、僕の及びもつかないような経験をしたと思う。
それはもしかしたら、悲しい事や、理不尽な事だったかも知れない。
でもそれを決して否定しないで欲しい。
今じゃなくていいから、いつかそれを全部笑って話せるように、受け入れられるようになって欲しい。
だからその時まで、笑う事を忘れないで欲しい」
水滴が落ちた。
髪ではなく、目から。
僕にとって1番やってはいけない事が目の前で起きている。
「……ごめん、なさい」
引きつるように声を絞り出して、城崎さんが謝罪を口にした。
「わた、し。わら、え、て」
「うん」
良い子だな、と思う。
見ず知らずの僕の言葉を、城崎さんはとても真っ直ぐに受け止めてくれたようだ。
多分、泣いていた理由を単純に聞いただけではこうはならなかっただろう。
僕が何を聞いて、何を言った所で、解決するのは本人でしかない。
彼女に必要なのは、問題の解決法ではなく、誰かに肯定される事なのだ。
だから僕は、撫でる手に一層の労りを意識しながら、
「御免ね、泣かせて。今は泣いて、また明日から笑おう?」
そして決壊した。
何に憚る事無く声を上げて泣き出した城崎さんを、僕は出来る限り柔らかく抱き留めた。


泣き疲れて眠るのは、どんな歳になっても変わらない。
多少は気分が晴れたのか、城崎さんの寝顔は目蓋がやや腫れぼったい事を除けば穏やかなものだった。
起こさないように最大限に注意を払って、僕は城崎さんの体を抱き上げる。
両腕に伝わる熱を意識しないようにして、ベッドへとその体を横たえた。
毛布を被せる時に少し身じろぎしたが、幸い目を覚ますことは無く、規則的な寝息を立てている。
「………」
信頼されているのだろうか。
あまりに無防備過ぎて、寧ろ微笑ましく思えてしまう。
勿論、間違いを起こす気など毛頭無く、僕はソファに座り直して温くなった珈琲に口を付けた。さっきよりも甘い気がする。
外は相変わらず騒がしい雨音で埋め尽くされていて、テレビは何時の間にか情報番組になっていた。
そのどれもをそぞろに聞き流しながら、安易過ぎるだろうかと僕は考える。
彼女の笑顔が脳裏から離れない。
また笑って欲しいと、どこかで強く思っている。
僕の傍でと、強く。
これを何と呼ぶのか、躊躇いを覚えながらもしかし答えは一つしか無かった。
「……はは」
前言を撤回しなければいけないだろう。
この下心は、どうやら本物だ。
あの笑顔が決め手だったのかそれとも最初にその姿を見た瞬間からだったのかは分からないが。
兎に角僕が今するべきなのは。
彼女が目を覚ました時に伝えるべき、僕の気持ちを言葉にする事だろう。

それも彼女が、屈託無く笑ってくれるような。

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