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横尾龍彦 TATSUHIKO YOKOOコミュの秩父通信18

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現代アートについて(3)

ケルンでは、街に現代のアメリカン・アートの美術館があって、またそのすぐ隣に中世の作品を集めた美術館があります。この両者を比較してみると、確かに現代アートは個人が解放されています。自由の境地と言いますか、無限に拡大された人間像というものが見えてきて、これは現代に生きている喜びだなあというのがよくわかりました。けれども、何でもかんでも全てを個人に還元していくとすると、結局それが行き着くところは虚無なのです。その時に改めて過去のアートの歴史を振り返ってみると、東洋とかヨーロッパ中世には、私たちに肌の温もりが伝わってくるような、しかも荘厳でかつ非常に高い美意識というのを兼ね備えている芸術があるのです。そういったものは、現代アートには見つかりません。そして私は、それは一体なぜなんだろうかという疑問がいつも湧いてくるのです。
何でもまず実際の体験が重要で、実際に自分の身体で経験してみなければ何もわからないのですけれども、二十世紀の芸術体験によって私が如実に理解したのは、これも確かに意味があるけれども、しかしこのまま進んで行くと人間は遂には虚無化していくな、社会状況も工業化が行き詰まり、いろいろなことがうまくたち行かなくなるだろうなという予感がありました。その当時、地球がこのまま存続できるのだろうかというようなレベルの危機感も、私たちの意識にのぼってきたわけです。
こういった現代の厳しい時代環境の中で、過去の優れた芸術作品を改めて顧みて思うことは、例えば名もなき小さなマリア像の彫刻とか、ロマネスク様式の建築物とか、グレゴリア聖歌とか、その美しさ、尊さに直面すると、すごいなあ、ここには人間の未知の可能性がまだ眠っているんだなあ、ということが如実に実感できるのです。その反面、現代アートを見てみると、それはまるで奇怪なオブジェがカオスの中に投げ込まれたようで、暗い照明の中でそれを見た時に、見る側に芸術に対する至福感情が湧いてきません。反対にそこに没入すると出口なし、希望なしという時代意識に苦しめられるというのが現代アートの特徴です。芸術体験として、昔と今の作品の質がどちらが上かというと、それは圧倒的に昔の方が優れています。
こういった傾向だけを、いつまでも現代アートが持ち続けていけるはずがないのです。なぜならば、人間の精神というものはいろいろな体験をしますけれども、それらを通して解放に向かい、救済に向かい、理想に向かうというのが本来の姿なのです。私は東洋の優れた絵画や彫刻をヨーロッパで見た時に、それを感じました。フランスの片田舎や、カタロニア地方のイタリアのゴシック以前のキリスト教美術の甘美な精神性を見た時に、実に深い感動を覚えるのはなぜでしょうか。こういった総合的な見地から考えると、わたしたちは現代に生きているわけですから、今日の時代性の中で語らなければいけないのですけれども、現代アートの主流だけに焦点を当てると、その他には美が存在しないように錯覚してしまう恐れがあります。大きな視点で人類が成し遂げてきた仕事を考えると、やはり宗教と芸術が共に非常に高揚した時代が、最も高い精神性を有していたことが、はっきりと見えてくるのです。
これは私の現在の結論です。三十代四十代の昔には決して到達できなかった考え方です。いろいろと比較検討して、体験を積み重ねて、紆余曲折を経て行き着いたものです。やがて人類はこういったことに再び目覚めて、過去のような権力構造を持った集団的な宗教体験ではなくて、もっと個人的な、内的に深い宗教を自ら作り出していくのではないでしょうか。その時には芸術も、宗教的次元と同じような大きな力を持つのではないかと思います。それが理想なのです。

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