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横尾龍彦 TATSUHIKO YOKOOコミュの秩父通信15

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私とシュタイナー(4)
横尾龍彦ブログ 横尾龍彦
そのような状況の後、いよいよドイツに旅立ちました。これも強く思ったことが後に本当に実現した例です。ドイツに滞在していた間も、かなり熱心にシュタイナーを勉強し、またシュタイナー系の芸術家たちとも深く交流し、人智学の本部であるゲーテアヌムというところでも大きな展覧会を開いたりしました。それから人智学系の雑誌にもカラーで私の作品が載ったりしたこともあります。一緒にドイツに行っていた私の妻も、シュタイナー系のキリスト教神学校でしばらく勉強していたこともあります。そこは超人的なカリキュラムが組まれていて、神学校なのにアートの講義もとても充実していたようです。その後、私はシュタイナー系のアートスクールで「水が描く」のコースを持ったりしました。あまりにも多くの学生がそのコースに押し掛けたので、その時私を教官に推すという流れもあったのですが、上層部がかなり保守的で、横尾の芸術はまったくシュタイナー的ではない、東洋の技法的過ぎると一部の人に強く反対され、かなり激しい議論の末、そのプランは結局は実現することはありませんでした。

その議論で私は、当時ドイツで大変活躍していたヨーゼフ・ボイスを引き合いに出しました。ボイスの芸術活動を後ろから支えていたのは間違いなくシュタイナー思想であり、彼はシュタイナーの社会運動などにも、深い理解を持った人でしたが、非常に自由で大胆な発想でもって、過去に囚われることなく新しい芸術運動を活発に展開していました。しかし、やはり私の意見は受け入れてもらえませんでした。この事件をきっかけに、私はそれまでのドイツでシュタイナー一辺倒の状況から、一歩身を引くことになったのです。しかし同時に、このことが私に東洋に再び注目するきっかけを与えてくれたのです。これがだいたい一九八五年頃です。この時期を境に、私の芸術は大きな変化を遂げることになります。座禅に本気で集中し始めたのもその頃のことです。

日本に帰って、冬の間の数ヶ月間鎌倉に部屋を借りて毎日座っていました。そこで公案と格闘して、ある種の神秘体験を得て、禅の老師に横尾は見性したという証明をいただきました。その後の私の使命として、東と西を往復しながら、西洋に東洋をもたらして行きたい、また反対に東洋には西洋をということをテーマに、ずっと十数年あちらこちらで展覧会を開きながらやってきたわけです。

結論を言いますと、シュタイナーは私の本質的なところに非常に大きな贈り物を与えてくれました。霊的な能力も、シュタイナーのお蔭ですごく開かされました。けれども、現在の過度に保守的なシュタイナー系のグループの芸術家たちとは、私は一線を画しております。残念ながら、東と西で共同戦線を張るような状態ではありません。なぜならば、彼らは過去のある時点から全く動こうとしないのです。シュタイナーが活躍したのは、もう一世紀近くも前のことですよ。シュタイナーの語ったことのみを後生大事に抱え込んで、まったく新しい展開を許さないのなら、もうこの激しい時代の流れに到底ついて行けないというのが私の意見です。シュタイナー自身もそんなことは望んでいなかったと思います。この点がドイツの人智学者たちと、うまくかみ合いませんでした。これは昔私がドイツに長く住んでいた当時もそうですし、今現在についてもまったく同じことが言えます。ドイツでは徐々に人智学運動は衰退しつつあります。むしろ古い歴史を持つカトリックの方が、東洋の瞑想法など新しいことを積極的に取り入れて、また過去の謝った考え方や行いに対して反省し改善することに力を入れていて、今新しい力を再び得ています。

同じように、本当のアーティストというものも、時代と共に常に進化していかなければいけません。過去の実績をいつまでもそっくりそのまま踏襲して、そのパターンをいつまでも繰り返すだけならば、アートはやがて死滅してしまうのです。

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