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横尾龍彦 TATSUHIKO YOKOOコミュの秩父通信16

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現代アートについて(1)

現代アートの現状と未来について、私なりの考え方を語ってみたいと思います。アートの源流を、ずっと過去へ過去へと遡っていくと、宗教的な世界に辿り着きます。人間の根源的な要求としての宗教とアートは、実は一つの共通の場所から出てきているのです。人間が何か始原的な問いを発する時には、それは必ず自然界の驚異から出発していると言えます。まず初めにこの私というものがあり、そしてその周囲に自然界がある。そして更にそれを取り巻く虚空や天界があり、またその先に太陽があり、月があり、星々がある。それらの神秘に見とれながら、人間の生というものが始まるわけです。
原始の時代は、純粋にそういった環境でした。夜になると恐怖でおののきながらも、空に輝く不思議な星々の瞬きを眺めていると、必ずそこに神話が生まれます。そしてそれが生まれる土壌には、必ず豊かな想像力、あるいは幻想力が伴っているのです。このような天賦の力を用いながら、人間の文化的な歩みが始まりました。その時、宗教性と芸術性という二つの要素は、まったく同じ場所から出発したと言えると思います。どちらが先で、どちらが後であるというようなことは、はっきりしないでしょう。
しかしながら、ずっと時代が進んで、近代になって、あの有名な「神は死んだ」というニーチェの言葉以後のアートの形態は、全然別の形を取るようになります。つまりアートは、宗教や神の問題から完全に切り離されて、ただ人間のみの問題とされてしまったのです。そういった傾向は、ルネサンスの頃から段々と準備され、ついに二十世紀、そして二十一世紀になると、ほとんど神という要素が欠如した芸術ばかりになってきました。これはこれで非常に斬新で、とても面白い現象だったのですが、個人的な感想を申し上げれば、私はここ二十数年来ヨーロッパに定着して、向こうの芸術と深く接触してよくわかったのですが、この神なき芸術というものは、いつか退廃に到達します。結局はそこにはまるで砂漠のような感情の荒廃があって、美というものが段々と解体されてしまい、その亡骸のようなものがあちらこちらに転がっているのが、現代アートだと言えるでしょう。
そのようなことに対して一般の人々は、あまり気が付いていなくて、ほとんど無自覚です。人間本来の自己が所有しているところの、美とか尊厳とか、より大きな包括的な世界観といったものが、徐々に失われて、モノ化しているのです。少し前の日本では「もの派」というのが出てきましたね。これは二十世紀の一つの社会現象として、物質への人間の介在、こういったテーマで出発したんですけれども、それはそれで一つの時代性を持った明確な芸術表現でした。同じようにヨーロッパでも、物質に深く介在しながら、人間性というものが徐々に低められ、無化され、モノによって抑圧されて、その下敷きになってしまったような人間像が、現在顕著に見られるわけです。エコロジーの問題や経済問題もそうですけれども、全世界規模の様々な社会的潮流に対して、人間はどこで抵抗するかというと、現代アートの主な流れの中では、もう抵抗しきれなくて完全に押しつぶされて、ただ虚無化しているわけです。(つづく)

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