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世界の先達に学ぶコミュの(6)ナイチンゲール

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5月12日は「クリミヤの天使」と言われたナイチンゲール誕生の日であり『看護の日』である。

彼女はイギリスの上流階級の家庭の次女として生まれた。
幼い頃から人形が壊れた時や動物が病気になったとき一生懸命に直そうとした。

17歳のとき突然『神の啓示』聞き自分が生涯やるべきことを具体的に考えるようになる。

20歳のとき「病人の看護がしたい」と言って両親を困らせた。当時看護の仕事は下級階級の者がするさげすまれた職業であった。当然のように家族に大反対された。
 
数年後イギリスは大規模なコレラで多くの人々が亡くなった。こうしたことからナイチンゲールはまるで吸い寄せられるようにして『看護の道』を歩むことになる。

1854年ロシアとイギリス・フランス・トルコ連合軍の衝突によって「クリミヤ」戦争が勃発。この戦争で多くの兵士が傷つき治療が不十分で死んでいることが報道された。
 
彼女はいても立ってもおられず軍務大臣に手紙を書き野戦病院行きを志願し38名の女性と共に赴いた。

そこは地獄であった。小高い丘の上のにわか作りの病院で傷つき、病気になった兵士達がベッドが足りなくて床や廊下にごろごろ転がされてうめいていた。

汚れ物の臭いも凄まじい。その上毎日のように負傷した兵士が次々に送り込まれていた。
軍医達はろくな手当てをしないで「この兵士はもうだめだ」とか言って放置していた。

ナイチンゲールは軍医達が反対し圧力をかけてくる中で敵味方の差別なく看病した。
昼間の激務に加え夜はランプをもって一人ひとりのところへ行き「必ず元気になって故郷へ帰りましょうね」と優しく励ました。

こうして2年が経ち戦争は終結したが彼女の体は疲労と熱病でボロボロになっていた。やがて周囲の手厚い看病で危篤状態を克服。 

その後看護の現場の生々しい体験を元に『看護覚書』を発表。また統計学手法を駆使して『看護の重要性』を訴えた。看護の人材を育成する学校もつくった。

こうした彼女の行動は現在全世界で看護専門学校として結実し、国際赤十字結成の大きな推進力ともなった。1910年ナイチンゲールは90歳で眠るように亡くなったが遺言でその墓標にはF・Nとだけ刻まれている。

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