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世界の先達に学ぶコミュの(4)上杉鷹山

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1961年アメリカの第35代大統領に就任したジョン・F・ケネディは日本人記者から次の質問を受けた。

「あなたが最も尊敬する日本の政治家は誰ですか?」答えは「上杉鷹山(うえすぎようざん)であった。

彼は江戸時代の『人』として最高の政治家であり、リーダーである。

鷹山は1751年江戸で生まれた。関ヶ原の戦いで豊臣側についた米沢藩。一気に120万石から30万石へ減らされたが、家臣の人数や武士としての体面を変えなかったため藩は潰れかかっていた。

そんな中、10歳で養子、17歳で殿様となった。奥方の名は『幸姫』。脳と身体に障害があった。彼はそのような彼女を一人の人間として心から慈しんだ。

まるで幼児のような妻を相手に一緒になってひな飾りやおもちゃ遊びをした。その姿を見て「おつきの女中達は涙した」と言う。

藩(今でいえば国)にはほとんどお金がない。しかも、6万両の支出に対して収入は半分以下であった。

藩民は食物にも事欠く状態であったが上級武士達は特権で贅沢をしている。 
彼は悪い伝統や身分制度を乗り越えて「人々のために尽くす」ことを誓った。

無駄を減らすため身の回りの事から食事に至るまで質素にして徹底的に倹約し、皆にも勧めたが改革は難航。

古い家臣達は若い殿様を無視したり、影で悪口を言ったり、多くの人をそそのかし邪魔をした。
『自分のことだけ考えて行動する』人があまりにも大勢いた。 
それに対し鷹山は自分で土を耕し、皆を激励し、農業を豊かにするために必死で戦った。やがて武士や農民、町人が一体となって取り組んだ。

そうした中、浅間山の大噴火も重なり6年間に渡って近世最大の天明の大飢饉が起こった。

農作物が実らず、当時日本全体の人口は約3000万人であったが140万人もの人々が飢え死んだ。ところが米沢藩は一人の餓死者も出さなかったばかりか他藩の難民も助けた。

当時は口減らしのため働けなくなった老人を山へ捨てる習慣があった。子供を間引きする習慣もあった。鷹山は経済的にそうしたことが起こらないように、日本最初の福祉制度とも言われる『お年よりを大事にする仕組み』もつくった。

子供は宝である。6千両の『育児資金』も準備した。貧乏藩でこうしたことを実現するためには経済の発展が欠かせない。大規模な治水事業を完工。

収入になる『桑』『漆』など百万本の植木運動にも挑戦した。「なせば成る成さねば成らぬ何事も成さぬは人の成さぬなりけり」(やろうと心に深く決め、行動していけばどのような事も出来る。それは他人のためではなく自分のため)。

・・鷹山の言葉である。1822年鷹山は72歳で亡くなった時、武士農民はもとより全ての藩民は「あたかも父母を失ったような悲嘆に包まれた」と記録にある。・・☆

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