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世界の先達に学ぶコミュの(5)ヘレンケラー

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「幸福の扉の一つが閉じる時は、別の一つが開きます。けれど私たちは閉じたほうばかりながめていて、こちらに向かって開かれているもう一つの方に気付かないことが多いのです。」「障害は不便ですが不幸ではありません」

ヘレンケラーの言葉である。彼女は1880年ツルバラやぶどうの匂いに包まれたアメリカ・アラバマ州で生まれた。

当初、一家は幸せを絵に描いたような家庭であった。ところが彼女が一歳九ヶ月の時突然原因不明の高熱におそわれた。一命だけはとり止めたものの耳と目が侵され、光と音の世界から完全に遮断された。言葉も話せない。三重苦である。

それでも両親は必死の思いで「何とかしたい」と願いヘレンが七歳のとき家庭教師を依頼した。それに応じて彼女のところへやってきたのは20歳のサリバン先生であった。

癇癪をおこし暴れるヘレンにサリバン先生は持ってきた『人
形』を与え指文字で『Doll』(人形)と何回も何回も繰りかえして書いた。

またコップと水の区別がつかないヘレンに対してポンプ小屋に連れて行き持っているコップに冷たい水を注ぎ込むと同時に手に『Water』と指文字を書いた。

こうしてヘレンとサリバン先生の戦いのような一心同体の生活が続いた。読むことや書くことも覚えた、更に何としても話したいとの一心でヘレンはサリバン先生の口の中へ指を突っ込み話すときの舌の位置を知ろうとした。

やがて、へレンが11歳になる頃ボストンの聾唖学校で発声法を学ぶようになる。苦心惨憺の上、初めてしゃべった言葉はIt iswarm today であった。

ヘレンは感動した。初めて言葉を話したのである。ラテン語やドイツ語も勉強した。ヘレンの向学心はますますつのりハーバード大学を受験、見事に合格を勝ち取った。

ヘレン21歳の時である。それからも血のにじむような努力を続け素晴らしい成績で大学を卒業した。・・目も耳も口も不自由な人が・・世界最初の快挙である。

その後「体の不自由な人が少しでも明るい希望を持ち、幸せな生活が出来る社会を作るために一生を捧げたい」と願い目が見えない人や聾唖者のために死に物狂いで働いた。また彼女は三度日本に来ている。

全国をまわり講演し障害者を励ました。その結果日本ヘレンケラー協会などが設立された。三重苦を見事に跳ね除け他者のために精一杯尽くしきった彼女の一生は1968年87歳で終えた。

いつもヘレンから餌をもらう小鳥達がこの日は姿をみせなかったという。

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