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物語が作りたいんだ!!コミュの「戦火の中で〜〜エミーの日記〜〜」

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親愛なるエミーに捧げる。

はじめにウレイアナ共和国の歴史背景を話しておく必要がある。
前大戦により当時、隣国リミアニーアはゲリスタンにより占領下にあった。
それによってリミアニーア国政府は隣国であるウレイアナ国に戦時国民避難を要請。当時のウレイアナ国の首相であったヤキノアフ首相は人道主義にたった視点からそれを容認、奨励したためリミアニーア国のほとんどを占めていたアイニア族がウレイアナ国に大量に流入。
その後、大戦終結し半数のアイニア族は自国ミリアニーア国に戻ったものの、残りの半数が自国に戻っても職など、生きるすべがない事からウレイアナ国に定住を希望。
ヤキノアフ首相はある程度の規制を設けながらもそれを容認したため、残ったアイニア族のほとんどがウレイアナ国に残った。
そして、数年後それらを含めウレイアナ国は全国民の5分の4が先住民であるモレイアル族、元ミリアニーア国民であるアイニア族が5分の1を占めるウレイアナ共和国として新しく誕生した。

ここで紹介する日記はアイニア族の娘であるエミーのものである。
エミーの恋人であったテリアは先住民族のモレイアル族であった。
二人はお互いの民族の村で生まれたが、ふとしたことで知り合い愛しあっていた。
しかし後にカリン村事件と呼ばれる事件の直前までは二つの村は表面的には、うまく尊重しあい交流もあった・・・。


ウレアイナ共和国歴13年9月3日
夏の残香を感じる日。嬉しい事があった。
今日いつものように、いつもの大樹の下でテリヤに会った。テリヤからプロポーズされた。分かっていたけど、なぜかその場でOKを出せなかった。突然だったから、驚いたものあると思う。また3日後に同じ場所で会うことにした、その時はきちんとOKしよう。

同歴同年9月4日
今日はなんだか町が騒がしい。
父さんはあまり気にするなと言っていたけど、なぜか胸騒ぎがする。

同歴同年9月5日
今日突然村の出入り口に検問所が出来ていた。これからは村からの外出を規制するらしい。
明日はテリアに会ってOKをする日なのにどうしよう。

同歴同年9月6日
朝から小雨が降った。
村の自警団が厳戒令を布いたそうだ。完全に村から出られなくなってしまった。父さんが村長に理由を聞きに行ってまだ戻らない。いてもたってもいられなくなってしまったから、村中を歩き回ったけど、警戒が厳しくて村から出られなっかった。今日はテリヤに会う大事な日なのに。

同歴同年9月7日
朝方、父さんが帰った来た。この厳戒状態はある事件が発端だと言った。今の状況はとても危険な状況だそうだ。昨日はテリアに会いに行けなかった。どうしているだろう。悲しい。
(注:ここでこの事件、カリン村事件について少し語ろうと思う。カリン村事件、エミーの村から東に100キロほど行った所にある、アイニア族のカリン村とモレイアル族のローム村で起こった焼き討ち事件。
事件のきっかけは子供の喧嘩から始まった。カリン村とローム村の境にある池の釣り場を巡ってカリン村の子供とローム村の子供が喧嘩をしたのだが、喧嘩に負けたローム村の子供が大人を連れてきたことにより急速に大人の抗争へと発展。普段から仲の悪かった両村は、子供の喧嘩が大人の喧嘩になり、それが村同士の抗争になっていった。元々、数が少なかったカリン村が抗争に負ける事は明白であった。そして最終的にカリン村は焼き討ちにあい、カリン村住民は他のアイニア族系の村に避難することになった。
この事件をきっかけに日頃差別をされていたアイニア族が各地で蜂起、モレイアル族系の村々を次々に襲った。しかし当初はアイニア族が優勢であったが、数で優るモレイアル族が次第に鎮圧、攻勢に移りこれによって蜂起をしなかったアイニア族系の村は各々自警団等を作り、村の防衛をすることになる。)

同歴同年9月8日
幾分かみんなピリピリしているようだ。まだこの村には争いの影響は出ていないけど、いつどうなるかは分からない。早くおさまってほしい。まだ村から出られない。

〜〜略〜〜

同歴同年9月30日
この抗争によって少しずつ影響が出てきた。最近、村の外に出ていく事が出来るようになったけど、他の村に自由に行く事も、帰ってくる事もまだ難しいみたい。だから食糧、日用品も思うように手に入らない。まだこの村には戦火が及んでいないから、他の村よりは恵まれていると父さんは言っていたけど。

同歴同年10月1日
今日、事件があった。村に侵入者が入ったらしい。目撃した人によるとミビネ村で見た事がある人間だと言う。(注:ミビネ村。テリヤが住む村)もう1ヶ月近くテリヤに会っていない。会いたい。

同歴同年10月2日
今日、父さんに銃を渡された。昨日も侵入者が入ってきたし、この状況では必要になる時が必ずあるからと言われた。持ちたくないと言ったけど、護身用に持つようにと言われた。本当にこんなものは持ちたくない。

同歴同年10月3日
今日、テリヤから手紙が来た。どうやった来たのか分からないけど、裏口の戸の隅に隠れる様に置いてあった。明日の夕暮れ、いつもの大樹で待っていると書いてあった。テリヤに会える。とても嬉しい。

同歴同年10月4日
いつもの大樹に行くとテリヤが待っていた。一言二言あいさつをすると、お互い無言になった。つい数ヶ月前まで一緒にいるのが当然だった筈なのに、今では一緒にいることが許されない境遇をお互い考えたんだと思う。それからどのくらい時間が経ったのだろう、テリヤがプロポーズの返事を聞いてきた。そして一緒に逃げてくれって言われた。私が少し戸惑っていると、突然キスされた。そして「ゴメン無理だよな」って言うと、テリアは無言のままテリヤの村に帰っていった。テリヤは無理を承知で逃げてくれ、なんて言ったのだと思う。お互い村を離れられない。分かっている。本当はこの現状から逃げたい。テリヤと一緒にいた。でも私達にはその選択は出来なかった。

〜〜略〜〜

同歴同年11月11日
村でミビネ村の男の人が捕まったらしい。この人はたまに村に入り込んで、偵察していたと言う事だ。この人がテリヤから手紙を届けてくれたのだろうか。

同歴同年11月12日
昨日、捕まった男の人が死んだ。村人からのリンチが原因らしい。男の人は村に入った、それだけで殺されてしまった。村がこんな状態になる前にはこんな事なかったのに、今と昔で何が変わったの。こんな事はおかし過ぎる。テリヤには変わってほしくない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以上がエミーの日記である。
−「あの事件、エミー事件から40年経った訳ですが、今回この『エミーの日記』を発表された理由はなんですか。」

(テリヤ・ハーセン以下:テ)「そうだな。あれから40年経つんだ。知っているだろうが、エミー事件がきっかけで非戦運動が始まり、あの抗争が終結した。あの事件から私はすべてに悲観したが、それと同時に全てを終わらせようと強く思ったよ。あの時、私はもう誰も愛せないと思ったし、この内戦が終わったら死のうとも思った。だが40年経った今私には3人の子供と5人の孫がいる。悲しみは時間とともに薄れていくが、同時に愛した事も同時に薄れていくんだよ。だから40年経った今、エミーの日記を世に出したんだ。あの時の悲しみを忘れないように。愛した事を忘れないようにね。」

−「ではある種、自分の為に出したということも考えられますね。」

(テ)「そうだね。そうも取れるね。確かにあの事件を正面から向かう事が、今になって出来るようになったよ。自分がもう一度見つめ直してみたいのもあるが、それ以上にこの国にまだ残っている民族間の溝を若い、あの事件を知らない世代に知ってもらいたかったんだ。」

―「今とあの当時を比べると、この国はよくなったとおもいますか」

(テ)「まだ民族間の溝は残っているが、この40年をかけて良い方向に向かっているとおもうよ。それでなくてはエミーの死も非戦運動も意味を失ってしまうからね。エミーの死ばかり強調されるが、実際死んだのはそれだけじゃないしね。非戦運動を始めた仲間が運動の最中、何人も死んでしまったし、それだけじゃなく私の知らない人達も大勢死んだ。悲しむべき事だよ、私から言わせればくだらない争いに命を奪われたんだ。だからこれから、この様な事が無くなるように考えなければならない。それには想像ではなく、実際の経験が必要な事がある。だからエミーの日記を出したのだし、こんな事件があったと言うことを知っていれば、この国は同じ間違いをしなくなるんじゃないのかな。」

―「そうですね。ありがとうございました。」

最後に、テリヤ・ハーセン氏の口述によりウレアイナ共和国歴13年11月13日以降のエミーの行動と経緯を書きたいと思う。
これについてはハーセン氏の記憶による為、正確さを欠くことを先にお詫びしたいと思う。

ウレアイナ共和国歴13年11月13日
パーレナ村村人によるミビネ村村人殺害の報がミビネ村に伝わると、それをきっかけにパーレナ村にミビネ村をあげて報復とばかり襲撃する事になった。突然襲撃されたパーレナ村は混乱し、それを煽るようにパーレナ村に火の手が次々に上がっていった。
その時、テリヤ氏は当然この襲撃に参加していた。その時のテリヤ氏は襲撃の熱病により、エミーの危険を考える余裕はなかったという。
そんな襲撃の最中、テリヤ氏は逃げまどう群衆の中でエミーを発見する。
そして気を取り戻したテリヤ氏はエミーを安全な場所に匿う為、彼女に近寄った。しかし彼女に近寄ったテリヤ氏を確認したエミーは拒絶の声をあげる。その時、テリヤ氏はパーレナ村人をすでに何人か殺していた。その為、返り血を浴びていた。その姿を見たエミーは拒絶したのだ。そしてエミーはポケットから銃を出すと、銃口をテリヤに向けた。ガタガタ震える手で。テリヤ氏はゆっくり手を差し伸べると、エミーは近づかないでと何度も叫んだ。その顔には涙が溢れていたという。
次の瞬間、銃声と共に鮮血が散った。
テリヤ氏からではなく、エミーから。
この二人を見たミビネ村人がテリヤ氏が殺されると思い、エミーを撃った。
銃声が響き渡ると同時にエミーは崩れ去った。それを光景をテリヤ氏は信じられなかったという。エミーの元に走り出しエミーを抱えると、エミーはまだ涙が溢れている目でテリヤ氏を見つめると、唇を少し動かしそのまま息を引き取ったと言う。
それがウレアイナ共和国歴13年11月13日の出来事である。

このエミーの死からテリヤ・ハーセン氏は非戦運動を始め、その3年後にウレアイナ共和国での内戦が終結した。
よってこの日を非戦運動開始の日とし、その契機になったこの事件をエミー事件という。

エミー事件から40年経った今、もう一度エミー事件、民族紛争を考え直そうという意見が出る中、エミーの日記を発表するはこびになった。

インタビューに応じてくださった、テリヤ・ハーセン氏に感謝すると共に、エミー・クリスナーの冥福を祈る。

インタビュー・著  オニール・オヒリキー

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