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物語が作りたいんだ!!コミュのナデシコモヨウ

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沖野忠広(谷治)・・・笙奏者
絹江・・・忠広の想い人
橘原沖雅・・・忠広の主人
藤原是盛・・・橘原沖雅の政敵
主上・・・音楽好きの帝



幾夜も変わらぬ月。月を浮かばせる夜。夜を焦がすかがり火。火に照らされる竹林。
この時を、この空間を支配する笙の音色。
笙は静かに鳴り響く。音は広がる、波紋の様に。音を感じる、心地良いくらいに。
そしてすべてがこの音色に酔いしれていた。
「みごとじゃ。」
「素晴らしい。」
演奏が終わると静寂が包み込む。その静寂を裂く驚愕の声、そして手を叩く音。
賞賛は一人の男に集まっていた。
「主上におかれましてはご機嫌麗しく、この様な宴におこし頂きこの沖雅にとって大変な喜びにございます。」
男が主上と呼ばれる男にかしずく。
「あまり見え透いた世辞は興を醒ますな。しかしそち申すように素晴らしい笙の演奏じゃ。
あの男を近こう寄せ。」
「はい。谷治よ、こちらに。」
先ほど賞賛を浴びていた男は近づくと地に伏せ、頭を下げると壇上より主上と呼ばれる男が誉めの言葉を投げかける。
主上と呼ばれる男は時の帝であり、無類の音楽好きであった。この宴もこの帝の為に開かれたものであり、この宴の主賓であった。主上の音楽好きは有名で、宮廷には何人ものお抱え楽士がいたし、側近達は主上の為にこの様な宴を催すのは常であった。
「この男はわたくしの下男で、名を谷治と申します。笙の演奏は当代一だと思っております。」
谷治と呼ばれる男を紹介したのは橘原沖雅と言い、今日の宴の主催者であった。沖雅は最近台頭してきた豪族で、何度もこのような宴を催し主上の覚えもめでたい。そして秘蔵の谷治によって主上の覚えを決定的にしようと今日の宴を催したのであった。
「沖雅よ、あの者を朕にくれんか。あの笙の音色、気に入った。是非ともそばに欲しい。」
「主上、あの様な身分の低い者をお側に置くことまかりなりませぬ。他の楽士どもでよいではありませぬか。」
「うるさい!だまれ。朕は気に入ったのじゃ。」
主上は激怒した。帝の願いに反対したのは帝の側近で名門の出である藤原是盛である。この男は頭が切れ、権力もあるのだが、なにかにつけ名門の出である事を誇っていた。だからという訳ではないが、地方の一豪族である橘原沖雅を田舎者と馬鹿にし、沖雅は沖雅で是盛の事を毛嫌いしていた。
だが今日のこの宴は主上が主賓である事でもあるので嫌々ながら、この座に参加していたのだ。
しかしながら、谷治の演奏は沖雅の使用人で沖雅を嫌いという事を差し引いても、十分賞賛すべきものであることは確かだったし、それが大して音楽が好きなでない是盛さえそう思うのだ。ましてや音楽好きの主上が谷治を求めるのは分かる、しかし身分の低い谷治が殿上に仕えるなど、是盛の理性が許さない。
「主上に申し上げます。谷治を主上のお側に仕えさせる事は大変名誉な事でございますが、なにぶんこの谷治は当家の大事な使用人。これが当家にいませぬとはなはだ不便にて、この申し出をお断りさせていただきたいのでございます。」
沖雅が申し出を断ってきた。沖雅が不便を、是盛が理論で谷治を殿上に仕えさせる事を拒否したので、しかたなく主上も谷治をそばにおく事を諦ざるおえない。
「わかった。そち達のいう事は分かった。ならば沖雅が殿上に上がる際、必ず谷治を連れて来ること、それと殿上に上がる際に面倒な事が起こらぬよう、谷治には姓名を与え正式に沖雅の家臣とすること。それだけは譲れん。」
主上は谷治を諦めきれぬのか条件を出してきた。
主上の歓心を買えると思えば、谷治に氏名と禄を与え家臣にするくらい安いものだと思った沖雅は承諾し、主上にここまで譲歩され、一方沖雅が承諾したものを是盛だけが拒否すれば主上の不興を買うことは間違いなかったので、是盛も嫌々ながらも承諾した。
「そうじゃの、沖雅から一字とって谷治はこれから沖野忠広と名乗るがよい。」
望みが叶い上機嫌な主上は谷治に姓名を与えた。
「谷治、主上から直に姓名を賜った、今日からお前は沖野忠広じゃ。これは大変名誉な事じゃ。もう一度演奏し主上にお聴くせするがよい。」
沖雅は忠広にそう命じると忠広は地に伏せたまま感謝に頭を深く下げた後、立ち上がり先ほどまで立っていた場所に戻る姿を主上と沖雅は満足した顔で見つつ、是盛は嫉妬や憎しみをたずさえた表情で見ていた。
そして忠広が演奏し始めるとまた笙の音はあたりを包み込み、その様な感情を吹き飛ばすかの様に聴く者全てを一つにしていった。
その中でただ一つ複雑な感情で視線をおくるものだけがあった。


「忠広、いや沖雅は来たか?」
「今、お越しになられました。」
側女に案内されて沖雅が殿上にあがってきた。沖雅のそばには忠広がひかえている。
「よう来た。相談なのだがな。」
主上は上機嫌で沖雅を迎えた。
「その前に、一曲頼むぞ。忠広」
そう言うと忠広は笙を取り出し、早速演奏を始めるのだった。その音は周囲の者を魅了し、飽きさせる事はない。それは何度も忠広の演奏を聴いている筈の主上もさえも例外ではなかった。
そして忠広の演奏を聴き終わると、主上は沖雅と相談を始めるのだ。
主上はあの宴から三日と置かず、沖雅を呼び出しては共に来る忠広に演奏させ、それから沖雅と相談に入る、それがこのところの習慣になっていた。
「忠広はここで控えておれ。」
そう言うと主上と沖雅は奥の部屋に入っていった。
忠広は手前の部屋で控えていると、しばらくして是盛が現れた。是盛は忠広を一瞥すると、奥の部屋に視線を移した。
「お前がいるとなると、主上は沖雅めと一緒か?」
「はい。奥の部屋にいらっしゃいます。」
忠広も視線を向けず、うつむき加減で答えた。
「ふん。最近はどこの者か分からぬ者が主上に取り入っているらしいな。それも妙な者を使って。」
是盛はそれだけ言うと、きびすを返し立ち去っていった。


その夜、忠広は竹林にいた。
辺りを照らすのは、夜道を歩く為に持ってきた提灯と月と星空だけだ。その夜の竹林でいつもの様に、一人笙を吹く。その瞬間は誰の為でなく、自分一人の為の笙。忠広は自分の運命を思っていた。
あの宴の少し前、この竹林でいつもの様に一人笙を吹いていたところ、狩りに来て道に迷った沖雅に見出され、沖雅に仕える事になった。ただ一介の笙を吹くのが好きだった平民の自分が、あの宴によって今は主上の面前で笙を演奏するまでになった。それを思うと忠広は自分の運命に戸惑いながらも、苦笑せざるおえなかった。
笙を放し、星空を眺め、心地良い夜風にさらされていると視線の端に光るものを感じ、そちらの方に視線を合わせた。
そこには竹林の陰に隠れながら、薄く光るものが一対あった。それはゆっくり移動し、月の明かりに照らし出される所まで来ると、それは一対の目であり、その所有者は狐であった。
「やあ、今日も来たね。」
忠広は馴れた様子で狐に声をかけた。
狐は竹林から現れると忠広から10歩程度離れた場所から近づこうとしない。いつもの様にそこに座り込むと忠広をじっと見据えた。
「さあ聴いておくれ。」
忠広はそう言うと演奏し始めた。
演奏が始まると狐は座っていた体を伏せ、そして静かに、心地よさそうに目を閉じた。この狐は沖雅に仕える前から忠広がこの竹林で演奏している事を知っているたった一匹の観客であった。忠広はこの一匹の観客の為に演奏した。
この狐は忠広がこの竹林で演奏していると、いつもどこからともなく現れてこの様に忠広の演奏を聴いている。だからといってなつくこともなく、演奏が終わるとすぐに帰ってゆく。それにいつから忠広の演奏を聴きに来たのかは忠広も分からない。しかしながら忠広の演奏を純粋に聞き入ってくれる観客でもある。
そんな人間と獣、奏者と観客という奇妙な関係であったが、近頃、時の権力者の側で権力者の為だけに演奏している忠広のにとっては、この関係は純粋に演奏できる大切な時でもあった。
そして今日も演奏が終わると、いつのまにか狐はいなくなっていた。


いつもの様に沖雅と殿上にあがり、いつもの様に主上の面前で笙を演奏する。
特に近頃、沖雅に対する主上の重用ぶりも日に日に増していったこともあり、それに伴い主上に呼ばれることが多くなっていき、沖雅に連れられて殿上にあがる忠広を見ぬ日はない程になっていった。
ある日の殿上の帰り道、沖雅と忠広は同じ牛車に乗っていたが、急に沖雅が
「忠広、儂はちと用事があるのだが、一人でそこへ行かねばならん。すまぬがお前は徒歩で屋敷まで戻ってくれ」と言った。
ここ最近、殿上の帰り道、沖雅が用事があると言っては、たびたび一人でどこかへ行っている。女人のところへ行っているのか、それとも違う用事なのか分からないが、忠広がそれを聞けば差し出がましくなるので聞かずにいた。
そして忠広は牛車を降り、徒歩で屋敷まで戻ることにした。忠広は今では殿上に上がる様にはなったが元々、市井の者で徒歩で歩く事など苦でもない。
町を歩くと道は賑わい、ごったがえしている。そんな町を楽しそうに見ながら歩いていたが、何かふと目に入った。それはシジミを売る娘であった。年の頃は十八、九で人目を引くほどの美しさはなかったが、健康的な輝きが目立つ娘であった。いつの間にか忠広はその娘に目を奪われていた。
しばらく我を忘れて娘を見入っていたが、その時通りの反対側で騒ぎが起き、忠広は反射的にそちらを見た。すると酔っぱらいと思われる男達が争っていたので、巻き添えを喰わないようにとその場から少し離れた。そしてシジミ売りの娘に視線を戻すと、先ほどまで娘がいた場所には娘がいなくなっていた。あの騒ぎがなければと後悔はしたが、また機会があるだろうと思い、その場を立ち去った。


その夜、いつもの様に竹林で笙を吹いていた。だが今日はいつもと違い、演奏の途中途中で演奏をやめてしまう。いつもの様に現れ、忠広の笙を聴いていた狐は不思議そうな忠広を見ている。
「今日はすまぬな。これほど心落ち着かぬのは初めてだ。笙でも吹けば落ち着くかと思ったのだが、それもままならぬ。お前だけに話すがな・・・」
そう言って、今日見初めた娘の事を事細かく狐に話した。その話す忠広の顔は嬉しそうでもあり、楽しそうでもあった。
「私は一見だけ見た娘にこれほど心奪われるとは思ってもみなかった。いつかあの娘を妻に迎えたいと思うほどだ。そして妻に迎えたいと思う。」
忠広はそういうとまた笙を吹き始め、またやめてしまうとその場を立ち去った。その立ち去る姿を狐はじっと見つめていた。


次の日、都の町中を一人の女が歩いていた。
歩いていた女はあの竹林で忠広の笙を聴いていた狐であった。
狐は女に化け都に入っていた。狐は上手く化けていたので、通りすがる人々は気づかない。
女に化けた狐は突然歩を止めた。狐は立ったままあるものを見ている。
狐の視線の先にあるものは忠広が昨夜話していたシジミ売りの娘であった。
狐はあまりにも楽しそうに話す忠広を見ているうちに、この娘の事が気になり竹林を出て見に来たのだ。
しばらく娘を見ていると、昨夜忠広が話していた通りだったので、この娘に間違いないと狐は思った。すると売り物のシジミがなくなったのであろう、いそいそと娘は帰り支度をしはじめた。狐はなんとなく帰り道を急ぐ娘の後を追った。
娘の帰り道はやたらと険しく危険であった。娘は谷にかかる細い吊り橋を渡っていた。
娘が吊り橋の中程まで行ったところで吊り橋を吊っている縄が突然切れた。吊り橋は吊り橋を吊っていた縄の力を失うと、娘がいた辺りから二つに裂け娘を抱えたまま、谷底に落ちていく。二つに裂けた吊り橋だったものは岸から惨めに谷に向かって垂れ下がっている。狐は驚いて岸まで走り出すと、そっと下を覗き込んだ。
覗き込むと垂れ下がっている橋の残骸に娘が引っかかっている。
娘は下を見下ろす狐を見つけると
「そこの人、助けてください。どうか誰かを連れてきてくれませんか。必ずお礼をいたしますから。」
娘はたった一つの可能性に願った。
それを聞いた狐に一つの、ただ一つの感情が走った。その感情に支配された狐は行動を起こした。
垂れ下がる橋の縄が岸に打ってある杭にしがみついている。狐はその縄に向かうと、その縄をちぎり始めた。
その時、狐を支配していた感情とは嫉妬であった。忠広の心をここまで奪った娘が憎かった。あの竹林で演奏される笙の音は狐だけのものだと思っていたのに。それが忠広がこの娘を知ってから、あの笙の音は狐のものではなく、この娘のものになっていた。それが憎かった。
そしてその嫉妬は独占欲であり、その独占欲の源泉は愛情であった。あの演奏を聴くうちに狐の心に種族を越えた愛情が芽生えていた。その歪曲した愛情は独占欲となり、それが嫉妬心になる。その嫉妬心が狐を凶行に動かしている。
そして今、嫉妬の対象の娘は死に直面している。そしてその娘の命を握っているのは狐であった。この娘さえいなくなれば、あの笙の音はまた狐だけのものになる。
そして食い付いていた縄が切れたとき、それに繋がっていた橋の残骸は娘を抱いたまま谷底深くへと落ちていった。
それを狐は確認すると、一目散にあの竹林へと逃げ帰っていった。

幾日か経ったある日、狐の元に召集会に出るようにと通知が来た。
狐の召集会というのは住んでいる周辺の長老が召集するもので、召集された狐はいかなる事があっても出なくてはならない、いわば会議のようなものである。狐はその召集会に出る為、山向こうの召集会場まで出かけた。
召集会場はずいぶんと山奥で、人間に忘れ去られ荒れ果てた小さな山寺であった。
狐は寺の縁側まで歩み寄り、寺の中に声を入れた。
「絹江、ただいま着きました。」狐は自身の事を絹江と言った。
「おお着いたか、中へ入れ。」
威厳のある声でそう言われると、恐る恐る中へ入った。
山寺の中はまだ日は落ちていないというのに薄暗く、仏像、仏具が乱雑にちらかり壁や柱は薄汚れ、隅の方には蜘蛛の巣がはっている。
そして正面を見るとかなり高齢と思われる白狐が一匹、その両脇には頭の良さそうな灰色狐と強そうな赤茶の狐が控えている。そして壁際には何匹もの狐達が背筋を伸ばし整然と並んでいた。
灰色狐が絹江に座を示すとそこへ絹江は座り、正面の白狐が一声鳴くと会議が始まった。
「これより召集会を始める。議題は絹江に対しての罰の選定と施行である。」赤茶狐が言うと、灰色狐が続いた。
「ここにいる絹江は食べる為ではなく生き物を殺した。人間をだ。その理由が人間の男に惚れ、その惚れた男が好いた女を嫉妬心で殺した。これは私たちが普段から軽蔑している人間と変わらぬ。これは大いなる罪。よって絹江にはこれ相当の罰を与える必要がある。」
そう言い終わるとそれを合図に何匹かの狐が絹江に襲いかかり、絹江を押さえ込んだ。押さえ込まれた絹江に白狐が近づくと、嫌がる絹江を無視し白狐は絹江の眉間に触れた。すると絹江は突然苦しみだし気を失いかけた。
苦しがる絹江を横目に白狐は話しだした。
「絹江、お前に罰を与える。まず狐世界からの追放。そしてもう一つ、お前が惚れた男にもし触れられたなら、お前は死ぬ。」
白狐は数百年生きていると言われる。そして長年生きてきた中で数々の不思議な力を持つようになり、その力で白狐は絹江の心を読む事が出来、その力によって絹江に罰を与えた。
白狐は絹江に罰を与え終わり山寺を出ていくと、それに他の狐達が続く。罰の苦しみの為に立つこともままならぬ絹江の横を何匹もの狐達が通りすぎる。皆、絹江に関心を持たない。それが狐世界を追放された者への対処であり、長老に対しての礼儀でもあった。
すべての狐がいなくなり、うずくまる絹江一人が山寺に残ると日は落ちて辺りを闇が包み込もうとしていた。絹江は静かに立ち上がると、弱り切った足で竹林に帰っていった。


「最近の忠広には力がないのう。どうしたのじゃ。」
主上が首を傾げながら不思議そうに言った。
「ついこの前には艶っぽくなって、朕は好みであったのだがのう。」
主上はさすがにただの音楽好きではなかった。微妙な忠広の心の動きを演奏から感じ取っていた。
忠広はうつむいたまま主上の言葉を聞いている。
「忠広、どうしたのだ。申してみよ。」
そう沖雅に言われた忠広は下を向いたまま、押し黙っている。
その姿に主上は表情を険しくしていく。それを見た沖雅は慌てて、忠広に話せとせかす。
しかし忠広は意固地になった子供の様にだまっている。
その忠広の態度に何かを察したか、主上は黙って忠広を見つめ、しばらくして何も言わず座を外すと奥の部屋へ歩いていった。
それを見た沖雅は何も言わぬ忠広を睨むと、主上のあとを慌てて追いかけていった。
忠広はそれらを見ることはなく、ただそこに座っているのだった。


忠広はその夜、竹林にいた。
笙を奏でようと何度も試みたが、心にある何かのせいで演奏が出来ない。
演奏しようと笙を口にあて、音を出す。そしてそれも途中で止め、空を見上げる。それを何度も繰り返す。忠広は笙を奏でる事もままならなくなっていった。
すると竹林の奥から狐が現れた。そしていつもの場所まで出てくると、そこに座り込んだ。
「やあ。」
力無い声と表情で狐に話しかける。忠広はいつの間にか狐になんでも話すようになっていた。相手が人ではなく、動物だからだろうか。相手が言葉を解さないと思っているからだろうか。それは話すのではなく、独り言の対象が狐であっただけかもしれない。
そして話はあの行方しれずの娘の話になっていった。
「私はあの日、あの娘を見てから心が霞の様だ。何をやっていても霧の中のようにはっきりしない。だがあの娘だけは一度見ただけというのに、隣にいるように思い出せる。」
そう言う忠広の瞳は悲しく光っていた。その視線は話す狐ではなく、忠広の想い人に向けられていた。
その忠広が話す狐は立ち上がると、ゆっくり竹林の中に消えていった。
「あ・・・。そうかお前も行ってしまうか。」
人には聞こえないほどの声で呟き、竹林をあとにしようと歩を進めた瞬間、何かの気配を感じ竹林の奥の方に視線を送った。
しばらく竹林を覗いていると、奥の方から何者かが現れた。
現れたのは女であった。
その姿をみとめた忠広はあっけにとられ、立ちすくんでいる。
そして我を取り戻した忠広は女の元に走り出した。
女の元まで10歩の所まで来ると
「まって。」
と女が制止した。
「それ以上近づかないでください。」
「なぜだ。」
疑問を投げかける忠広には激しく喜びの感情と、拒絶の様な女の言葉に対して怒りに近い感情が走った。
忠広が感情をぶつける相手はあの日以来、幾度も探したシジミ売りの娘であった。この娘に再び会う事を何度、何日願ったか。そして今、その願いが叶い娘は目の前にいる。すぐに娘と言葉を交わしたい。そしてその手に触れたいと思った。
しかし娘は忠広を拒絶するような言葉を放ったのだ。
「なぜだ。なぜ近づいてはならぬ。」
突然現れ、喜ぶ忠広に拒絶の様な言葉。忠広には訳が分からなかった。
「訳は申せませぬ。ですが貴方の力無く悲しそうな姿を見ていたら、いても立ってもいられなく出て参りました。」
「私の姿を見ていたという事は、私がそなたを何度も捜していたのを知っておるのか。」
「はい。知っておりました。」
「ではなぜ今まで私の前に現れてくれなかったのだ。」
「それも申せませぬ。」
娘の答えは全て申せぬの一点張りで、忠広の投げかけた幾つかの疑問は解かれない。
しかし思い描いた娘が目の前にいる事は確かであったし、何度も捜した報いが叶ったのも確かであった。
「名はなんと言う。これだけは答えてくれまいか。」
忠広はただ一つの願いを望んだ。
「・・・絹江と申します。」
娘は化けた絹江狐であった。
狐はあまりにも力無く落ち込む忠広を見ていられなくなり、忠広が想うシジミ売りの娘に化けて出てきたのだ。しかしこれは絹江にとって、とても危険な行為であった。もし忠広に触れられる事があれば、白狐の罰によって死んでしまう。だが絹江はその危険を冒してもよいと思った。娘を殺した罪への贖罪であったのかもしれない。それ以上に忠広の力無い姿は見ていたくなかった。
落ち込んでいる忠広を励ましたい、との気持ち故に娘に化けて出てきた。そして案の定、忠広は想う人に会えた事で力を取り戻したようであった。
「分かった。もう何も聞くことはしない。しかしまたこの場所で会えないだろうか。」
忠広の願いを絹江はうなづく事で了承すると、今度は忠広に笙を吹く事を願った。
忠広も絹江の願いを叶える為、笙を演奏し始めた。
そして笙の音が竹林に戻った。しかし今までの笙とは少し違った。それは自分の為に演奏するのではなく、絹江の為の演奏であった。
絹江は忠広の笙の音に心をゆだねていた。


絹江に何度か聴かせるようになってから幾日か後、
「今日は先日と違って力強いのう。忠広。」
主上はからかう様な表情で忠広に声をかけた。
確かに忠広の演奏が、先日と違う事が聴くもの全てにはっきり分かる。それに忠広の顔には暗さがない。
「どうした、忠広。恋か」
またも主上はからかう様に聞いてくる。忠広は照れて赤くなった顔を縦に振った。
「そうか。忠広にも恋か。これはめでたい事じゃ。殿上でも男女間の話はよく聞くが、そこには欲や権力の下心があって聞くのも嫌になるし喜べぬ、しかし忠広のような者の恋ならば朕は素直に嬉しい。で、相手はどの様な者じゃ。」
主上は相当嬉しいのか、興味があるのか体を仰け反らして聞いてくる。忠広もこれほど喜んでくれる主上が嬉しらしく、絹江を見初めて再会した経緯を全て話した。
それを人々は好意的に聞いていたが、その中でただ一人たまたま居合わせていた是盛だけは苦々しく聞いていた。


「なにっ。それは本当か。」
是盛が怒りに満ちた顔で問いただしている。
「間違いなき事にございます。」
「沖雅ごときが、この是盛を陥れようとは。思い知らしてくれるわ。」
酒の入った杯を床に叩きつけ割ると立ち上がり、配下の者に指示を出し始めた。
沖雅は殿上の帰り、一人で寄る場所は女人の所などではなく、ある公卿の元であった。そこで是盛の失脚を画策していたのだが、その公卿の元にいる下男がその事を兄に話してしまい、その計画の失敗をおそれる兄が是盛の所にこの事を告げてきたのだ。
そして露見したこの計画の報復に是盛は動き出した。
「まずはあの目障りな楽士を始末してしまえ。なに、主上のお気に入りだとて、どうにかなるわ。それにはまず一人になった時を狙うとして。」
しばらく考えた後、側近の者に耳打ちをした。
「ふふ、沖雅め。覚悟しておけ。」
不敵な笑みを浮かべ、是盛はまた酒を飲み始めた。


その夜もまた、あの竹林で絹江に笙を聴かせている。
笙を吹く忠広、その十歩ほどの先には忠広を見つめる絹江がいる。この空間は忠広が奏でる笙が支配し、そしてこの時間は二人だけのものであった。
それは真実でもあり、そこに大きな壁が隔たっている事も事実であった。人と狐、種族を越えた感情が存在していたがしかし、その事を知るのは絹江だけであり、また絹江にはそれに対しての新たな罪悪が生まれていた。それどころか忠広の想い人を殺している、自分がここにいてよいのかと絹江は思うが、他に忠広に対する贖罪が思いつく訳でもなく、そしてこの感情が絹江をここに立たせていた。
忠広の演奏が終わると、忠広は絹江を見つめる。それには好意の眼差しが。絹江も忠広を見つめる。しかし絹江のそれには悲しみの色があった。
離れた場所でその二人を見つめる男がいた。男は草むらに隠れ、二人の様子を探っている。
男は是盛が忠広を殺す為に放った刺客であった。是盛はあの殿上での忠広の話で忠広がいつもこの竹林にいる事を知り、沖雅への報復として、まずこの忠広に刺客を放ったのだった。
刺客はしばらく二人を見ていると、辺りを照らす月が雲に隠れ始めた。
刺客はそれを確認すると、手に持っていた刀を鞘から抜き、静かに二人に近寄った。
忠広に気づかれないように、10歩ほどの場所までいくとそこから駆け寄り、抜き身の刀を一閃した。
手応えがあった。
しかし斬られているのは忠広でなく、絹江であった。
絹江は月が雲に隠れ暗くなり、忠広に近づく刺客を見つけていた。刺客が駆け出すと同時に絹江も忠広に駆け寄ると、忠広の身代わりに刺客の斬撃を浴びていた。
刺客は斬ったのが忠広でなく、違う人間だと分かると二の撃を忠広に与えようと身構えたその時、遠くの方から騒がしく忠広を呼ぶ声が聞こえてきた。刺客はその声を確認すると悔やんだ顔をしながら闇に消えていった。
忠広はそれの姿を目で追う事なく、絹江を抱きしめていた。
忠広の代わりに斬られた絹江を抱いていた。その目には涙さえ流れ、意識が遠のく絹江に何度も声をかけている。
そして絹江は弱き声で喋り始めた。
「私は、本当はいつも笙を聴かせてもらっていた狐でございます。貴方様の笙を聴くうちにお慕いするようになって、この様に貴方の好いた女人の姿で出て参りました。しかし私は貴方様をお慕いするあまり、貴方様の好いた女人を殺してしまいました。これはその罰に違いありません。もうしわけありません・・・」
自分の事を狐というものは何度も死の淵で忠広に謝っていた。
忠広はその告白にただ絶句し、なにも考えられずただ黙っている。
すると人の姿だった絹江はだんだんと狐の姿に変わっていった。それを見た忠広は全てが本当の事だと理解した。この時、忠広は泣く事も怒る事も出来なかった。ただそこで狐の骸を抱きしめたまま、座り込んでいた。
そこへ是盛が刺客を放った事を知った沖雅がやってきた。狐の骸を抱いたまま、座り込む忠広を見つけると近寄り、忠広の無事を確認すると配下の者に刺客を捜させるなどしていたが、しばらくして忠広が狐の骸を葬ってくれる様にと言ってきた。
沖雅は承諾すると、配下の者に狐の為に穴を掘り、そこへ狐を埋めた。
それを忠広はじっと無言で見つめていた。
そして無言のまま笙を演奏し始めた。
それは今までになくとても悲しい曲であった。それを聴くもの全てが涙を流していた。
そしてこれの演奏が、この竹林で演奏する最後の曲であった。

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