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物語が作りたいんだ!!コミュの〜〜「同じ月を見てた 2部」〜〜

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・・登場人物・・・
須能正喜(スオウマサキ)
紀島那奈(キシマナナ)
長地和秋(ナガチカズアキ)


視線の先に影二つ。ゆっくり進んでいる。笑ったり、はしゃいだり、おしゃべりしたり、とても楽しそう。段々遠ざかって小さくなって消えていく。視線だけを残して。

皆がアスファルトの上を急いで歩いていく。アスファルトは大気の熱を吸わず、ただはね返すのみだ。駅から出て行く人、駅へ向かう人。いくつの人の波が無作為に通り過ぎていく。
駅から出ると、午後の活力のなくなった日差しだというのに、まだ目に痛い。
そんな日差しに嫌悪感をおぼえながら、いつもと同じ帰り道を歩いていく。
須能正喜。今年で21歳。今、大学に通っている為、東京に一人暮らしをしている。今日は大学の講義も終わって、バイトもない。だから今日は一人暮らしのアパートに戻ってゆっくりするつもりだ。
「須能君?須能君じゃない?」
帰り道を歩いていると、後ろからそう声をかけられた。正喜は驚いて振り向くと正喜と同じ歳ほどの女性が立っていた。すこし茶色かかった髪が肩よりすこし長く伸びている。
突然声をかけられたので正喜の顔には不信感が露わになっているが、少し考えた後、聞いてみた。
「・・・どちら様ですか」
女性はすこし困ったような表情で
「あ、そうだよね。ごめんね、覚えてないかな?私、紀島、紀島那奈。覚えてない?」
思い出した。紀島那奈だ。平凡な記憶に頼るなら、転校してきて2週間ほどでまた転校していった女の子だろう。しかし正喜には紀島那奈と言う名前には平凡ならざる思い出があった。
その名前を思い出すと同時にいくつもの記憶が水の中の気泡の様に浮き上がってくる。
「見上げた月」「深い穴蔵」「父親のゲンコツ」・・・そして「消しゴム」
紀島那奈という名前には2週間の記憶よりたった一日の思い出のほうが強い。そんな子だった。
「えっ!?本当に紀島?あの紀島なの?驚いた。まさかこんなところで逢うなんて」
「嬉しい。ちゃんと覚えててくれたんだ。」
10年振りの再会だった。
正喜はあれからの紀島那奈の消息を知らなかった。突然の別れだったし、たとえ分かったとしても小学生だった正喜には限界があったろう。結局のところ、正喜にとって紀島那奈はあの想い出以上でも以下でもなかったのかもしれない。
「懐かしいな・・・。でもびっくりしたよ。まさかこんな所で逢うなんて。今、紀島はこっちに住んでいるの?」
「うん、そう。今一人暮らししているの。須能君は?」
「こっちの大学に通っているんだ。紀島は?」
「私は高校を出てからこっちで働いているの。」
ありきたりな近況の話が進む。
グー・・・
正喜の腹の虫が突然鳴いた。顔見知りと言っても他人行儀な空気に響くおかしな音。
あまりに突然の事に笑い出す二人。二人の笑い声に横を歩く通行人達が視線を送る。正喜は笑いながらも顔を赤らめている。
「お腹空いちゃった?」
紀島那奈は子供をあやすかの様な口調で言った。そこにはまだ笑いの笑みが残っている。
「少し。」
正喜は苦笑しつつも強がって言ってみたが、完全に失敗している。
「どっかでご飯でも食べようか。でもこの辺には食べる所あまりないしなぁ」
紀島那奈は首を傾けながら少し考えると
「そうだ。家、来ない?ご馳走するよ。それにここから近くだし」
紀島那奈はそう言い放った。
正喜はびっくりした。一つにはあまりに突拍子ない事を言うものだから。一つにはたかが2週間同級生だった人間をこんなにあっさり信用する事に。
いつの間にか正喜は、警戒したような顔つきになっている。この男は生真面目な性格ゆえに物事を少し堅苦しく考えるたちで、警戒心が強く感情より理屈を先行しやすい。反面、警戒心を解いてもよいと分かった相手には感情で接する。だが正喜が警戒心を解く相手はほんの2,3人ほどしかいないが。
そんな正喜の顔を見て紀島那奈は
「家来るのイヤ?」
「そうじゃないけど・・・」
「だったら是非おいでください。当店自慢の料理を振る舞いますので。」
紀島那奈は冗談っぽく、ウェイターが客に礼をするマネをしながらそう言った。

「狭くて汚い部屋だけど、どうぞ」
そう言ってドアを開け、中に通してくれた。
正喜は部屋に上がると驚いた。紀島那奈の言うとおり部屋はあまり広くない。それ以上に正喜が驚いたのは、あまりにも部屋に生活感がない事だ。部屋は几帳面に整理されているせいもあるだろうが、それにしてもあまりに生活感がない。たしかに家具の一つ一つはそれ相当の年季が入っている様に感じる。しかし年頃の女性の部屋にしては質素すぎた。家具も最低限度のものしかない、まして部屋を彩るインテリアや女性らしい小物などもない。
正喜にも一応彼女はいた。その彼女の部屋と比べると対照的な部屋だった。
正喜が部屋をキョロキョロしていると
「なにか変?」
紀島那奈が聞いてきたが、正喜は曖昧な返事をして誤魔化した。
しばらくして料理がいい香りをさせて運ばれてきた。
正喜が運ぶのを手伝おうとすると
「須能君は今日はお客様。だから座っていて」
とたしなめられてしまった。
運ばれてきたのはアサリとキャベツのスープ。きんぴらごぼう。肉じゃが。トマトとタマネギのサラダ。漬け物。
それほど豪華ではないにしろ、心を込めて作られたのが分かる。
「あまり美味しくはないかもしれないけど」
紀島那奈は控えめに言った。
正直、この年齢でこれだけ作れる女性はそうざらにいないだろう。お陰で正喜は食がすすみ平らげるどころか、おかわりまでした。
そして会話も自然と弾んだ。
「あれから10年かぁ。早いもんだな。」
「そうね。10年経つんだね。」
「それにしてもあんな所で紀島に声をかけられるとは思ってみなかったよ。」
正喜がそう言うと紀島那奈はニコッと微笑み、そして正喜を見た。
「須能君はこっちでは大学とか行っているの?」
「うん、そうだよ。紀島はずっとこっちにいるのか?」
「高校出てからこっちに出てきて、それからずっと」
「そうか」
その後しばらくたわいもない話が続いた。
会話が少し落ち着き、会話が途切れると沈黙が二人の間に横たわった。
テーブルの上にあった正喜の左手に、紀島那奈の右手が覆い被さった。
「須能君・・・」
紀島那奈は覗き込む様な瞳で正喜を見つめている。正喜の左手は紀島那奈の体温を、正喜の目は紀島那奈の瞳を感じていた。ただそれだけなのに正喜は、正喜自身の時間を止められたような感覚をおぼえた。
しかし、その時間を進めたのは時間を止められたはずの正喜であった。
「あ、お、俺そろそろ帰らないと。彼女も待ってるし」
正喜は紀島那奈の右手を無視し、そして紀島那奈の視線から逃れるように立ち上がると玄関の方に歩き出した。
正喜は玄関で靴を履き、紀島那奈に対峙すると
「今日はごちそうさま。楽しかったよ」
とお礼を言った。
しかしその眼は紀島那奈を正視していない。紀島那奈の方もうなづくだけで何も言わなかった。その時、紀島那奈はどんな表情をしていたのだろう。紀島那奈を正視できない正喜には分からなかった。
そして正喜は帰路についた。

あれから3日後、正喜は故郷にいた。
実家に用事があって帰省していた。久々の帰省だったので、親友の長地に会うことにした。
長地に会うのは半年ぶりだ。
「おう。」
「おう。」
軽い挨拶を交わしあうと、お互いの近況報告などをした。
長地は高校を出ると、地元で就職し働いている。正喜は正喜で東京の大学に行っている為なかなか会えないが、正喜が実家に帰ってくる時は必ず会っている。
長地は働いている職場での愚痴をこぼしたりもした。長地は普段、愚痴などをこぼさないのだが、正喜にだけは愚痴をこぼす。しかし愚痴をこぼす長地の顔は笑っている。その表情から正喜は「長地は本当に愚痴っているのだろうか」と疑ったりしてみたが、要するに正喜に愚痴をこぼせるのがよほど嬉しいのだろう。
正喜は東京での出来事を話したりした。
その中で偶然、紀島那奈に会ったことを話した。
「覚えているか?紀島那奈。ほら10年前、俺が穴に落っこちて大騒ぎになっただろ。その時一緒にいた女の子だよ。転校してきて、すぐ転校しちゃった子」
「あ、あぁ」
「その紀島那奈に東京でばったり会ってさ、その時腹減ってて、そしたらご飯食べていきなよって言われてご馳走になってきたよ。」
その時に「誘われた」ということは伏せておいた。実際、何もなかったのだがそれを言ったからといって、何にもならないだろう。
「懐かしかったよ。向こうもよく覚えていたと思うよ。それで昔話したりしてさ。」
長地は黙って聞いていたが
「他に何も言わなかったか?」
と突然聞いてきた。
「何を?」
正喜は不審な表情で問い返した。
「・・・・・じつはな」
少し間を空けてから、長地は話し出した。
「一年前くらいに紀島はこっちにやって来たんだ。そこで偶然会ってな、懐かしさも手伝って飯でも食おうって事になって食事して酒を飲んで、・・・後は言わなくてもわかるよな。その後、付き合おうって話になって付き合う事にしたんだ。」
正喜は初めて聞いた。この一年なら正喜は何度も長地に会っている、しかし長地が紀島那奈と付き合っている話は全く聞いていなかった。
「話す程の事でもないと思ってたから、話さずにいたんだけど、・・・」
「それが半年くらい前に紀島の方から突然、別れるって言われて。それで別れて以来、全然会ってもいないし、連絡もしていないんだ。それがお前が東京で会ったって言うからびっくりしたよ。」
正喜も驚いた。長地と紀島那奈が付き合っていたこともそうだが、突然別れてその後、正喜が再会するとは思わなかった。別れた理由を長地に聞いてみたが、長地も突然別れを告げられただけで、別れの原因は分からないという。
理由は分からないが長地にその理由さえ告げず、その様な態度で接する紀島那奈に対して正喜は怒りを憶えた。その事に対して、表面的には長地はあっさりしていたが、内面は傷ついていたのだろうと正喜は思う。確かに男女間の事だから、二人だけの問題かもしれない。だが正喜は紀島那奈に対して一言言ってやりたいと思った。正喜は思慮深い面もあるが、それ以上に人が傷つくという事象に対しては、とても単純であった。
次の日、正喜は予定を切り上げて東京に戻っていった。もちろん紀島那奈に会うために。

正喜は紀島那奈の部屋の前にいた。
正直、意気込んで来てみたが、会って何を言ってよいやら今になって分からなくなってしまった。しかし感情にまかせて来てしまったものはしょうがない。勢いをつけインターホンを押した。
・・・
反応がない。何度が押してみたが、同じように反応がない。
留守のようだ。
諦めて帰ろうとしたとき
「那奈ちゃんなら今いないわよ。病院に入院しているからねぇ。」
近所の人らしき婦人が声をかけてきた。
紀島那奈は入院している!?予想外の事に驚いてしまった。この前、会ったときにはそんな事は一言も言っていなかったし、その様な素振りさえ見なかった。
いや、突然の事故かもしれない。正喜は今までの勢いや怒気はすぐに消えて、婦人に紀島那奈の入院の理由や入院先を問いただした。
「そうねぇ、最近体調が悪いって言っていたわよ。だからそれで入院しているんじゃないのかしら。入院理由はよく知らないけど、中央病院に入院したはずよ。」
正喜は婦人に礼を言うと、中央病院に走り出していた。

病院に着くと、受付で紀島那奈の病室を教えてもらい、紀島那奈の病室へ向かった。
紀島那奈の病室の前に着くと、正喜の足は止まってしまった。
何と言って病室に入ってよいのだろうか、先ほどまで紀島那奈に怒りに近い感情を抱いていたにもかかわらず、今は紀島那奈を心配している。自分は何がしたかったのだろう、実際会ったところで紀島那奈にかける言葉が見つかるだろうか。
「須能君!!」
突然、背後から呼ばれた。
驚いて振り返ると、パジャマ姿の紀島那奈が立っている。
「どうしたの?こんな所で」
不思議そうな顔で紀島那奈は正喜をみつめている。正喜は紀島那奈のその表情を見ていたら、先ほどまでくどくど考えて躊躇していた事が馬鹿らしくなってしまった。
「どうしたの、じゃないよ。紀島が入院したって聞いたから・・・」
「どっか悪いのか?」
あまりに正喜が真剣だったものだから、紀島那奈は吹き出してしまった。
「ううん、ただの検査入院。それとお医者さんが言うには疲労がたまっているし、いい機会だから入院して少し休みなさいって。立ち話もなんだから、入って」
紀島那奈はそう言うと自分の病室へ招き入れてくれた。
病室は一人部屋で、そう広くはなかったがベッドや小さい棚の他に2人ほどが座れるソファーが置いてあった。
紀島那奈はそのソファーを正喜にすすめると、自分はベッドに座った。
「何か飲む?それとも何か食べる?」
紀島那奈は忙しなく色々すすめてくる。そしてこの前よりも饒舌に話をしてくる。それは正喜にとって、とてもありがたかった。沈黙が二人の間に入ってくれば気まずくなるのが分かりきっていたからだ。
紀島那奈にもう一度会おうと思ったのは紀島那奈に一言言ってやりたいと思ったから。しかしそんな事を言っても正喜自身が自己陶酔するだけだし、誰も喜ばない。ましてや入院中の紀島那奈を苦しめるだけだろう。
正喜は明るく振る舞いながら話す紀島那奈を見ていて、そんな事を考えていた。
「紀島。」
今までとは違う口調で言った。
「えっ何?」
紀島那奈は少し驚いたように返事をした。
「明日もまた来ていいか?」
正喜がそう言うと、紀島那奈はニッコリしながら
「うん。いいよ。でも、今度はちゃんとお見舞い持ってきてね。」
正喜は照れながら、今度は持ってくると言うと紀島那奈の病室を後にした。

そして次の日から毎日見舞いに行った一週間後、いつになく真剣な表情で紀島那奈は言ってきた。
「ねぇ須能君、聞いてくれる?」
「あ、うん。」
正喜は戸惑いながらも答えた。
「私ね、検査をかねての療養入院って言ったでしょ。でもね、実はね・・・」
紀島那奈はなかなか言い出せないでいる。
「実はね、私ね、ガンなの。末期ガン。お医者さんも、あとどれだけ持つか分からないって。長くて半年、明日死んでいてもおかしくないって。」
「ごめんね、びっくりしたでしょ?言わないでいるつもりだったんだけど、毎日お見舞いに来てくれる須能君に療養入院って嘘をついているのが辛くて・・・」
「ごめんね、ごめんね・・・」
そんな小さな嘘を隠せず謝っている紀島那奈の眼には涙が溢れている。
重く、そして辛すぎる事実だった。その事実の大きさに正喜は戸惑い動けずにいる。そして何より紀島那奈にむけるべき言葉を、感情を、探し出せずにいた。
紀島那奈は事実を告げた後、うつむいている。瞳から涙がこぼれ落ちる。
今、二人の間には涙がこぼれ落ちる音さえ聞こえそうなほどの静寂が支配していた。
正喜は耐えきれずに静寂の支配から抜け出した。
「今日は帰るよ・・・」
その言葉は自分が逃げる事を、自分の不甲斐なさを証明する言葉だった。今の正喜には、この言葉さえ紡ぎ出すのが精一杯だった。
そういうと正喜は立ち上がり、ドアにむかって歩き出した。
「明日、来てくれる?」
紀島那奈は正喜の背中越しに、そう言った。
正喜は紀島那奈を見れず、その言葉にも返事を出来ずに出ていった。

それから正喜は紀島那奈のお見舞いに行っていなかった。
いや、正喜にしてみれば行けなかったのだろう。
そんな一週間経った日、一通のメールが入ってきた。
紀島那奈からだった。
「もう来てくれないの?」
たったそれだけだったが、その言葉の中にはたくさんの感情が込められていた。
正喜は逃げていた。忘れようと思っても、忘れられない現実の存在から。
事実から逃げる自分と、事実の中で逃げる事の許されない女性。
正喜は紀島那奈に会いに行く事にした。
たとえ逃げるとしても、その事実を見つめていなければならない。それが事実を知っている人間の義務だと思ったからだ。
そしてその日、紀島那奈の病院に向かった。
見慣れた病室のドアを開け入った。
声をかけようと紀島那奈を見た瞬間、声は音を失っていた。
紀島那奈は以前とは比べようもないほど痩せこけ、肌も生気を感じさせない。少しうつろな瞳で正喜を認めると、口元をほころばせ嬉しそうに言った。「来てくれたんだ。もう来てくれないのかと思った。」
ベッドで寝ていた紀島那奈は上体を起こそうとしたが、力無く起せずにいた。
それを見て正喜は手をかし、紀島那奈を起こした。
「須能君、来てくれて嬉しい。」
色を失い弱々しい唇から発せられる言葉。
てっきり来なくなった事を言われると思っていたのに、そんな事は一言も言わずただ「嬉しい」と言う。その言葉の奥に紀島那奈の感情が入り交じっていた。
本当に辛いのは正喜ではなく、紀島那奈の方だ。そんな簡単な事が分からずに、現実から逃げていた自分が悔しい。
「紀島、今日はずっと居ていいか?」
今はただ紀島那奈の力になりたいと思っていた。そんな想いから出た言葉だった。
紀島那奈は軽くうなずき、傍らにあるソファーを進めると正喜はソファーに座り、しばらくすると紀島那奈は眠ってしまった。
正喜はその痩せこけ眠っている紀島那奈の横顔をじっと見つめていたが、正喜も眠りこけてしまった。
「須能君。」
正喜は呼ばれ、眼を覚ました。
眼を覚ましてみると、いつの間にか夜になっていた。
「須能君、月。」
そう言って紀島那奈が指さす窓の外には大きな月があった。
「須能君、月が見たいの。屋上に連れていって。」
真剣な眼で正喜を見るとそう言った。
「外は冷えるから体に毒だよ。ここから見るので我慢しよう。」
正喜は止めたが、紀島那奈は駄々をこねる少女のようにイヤだと言ってきかない。あまりに言ってもきかないので
「じゃあ冷えないように、暖かくして行くのなら連れていくよ。本当に少し月を見たら戻るからね。」
ついには正喜は根負けし、承諾してしまった。
紀島那奈は嬉しそうに顔をほころばせる。正喜は苦笑いしながら、紀島那奈に暖かそうな洋服を何枚も羽織らせ肩を貸し屋上に向かった。

正喜は屋上に着くと持ってきた座布団を敷き、そこに紀島那奈を座らせ、その横に座った。
紀島那奈は座布団に危なげに座ると月を見上げた。
「10年ぶりだね。こうして須能君と月を見るの。」
二人は視線を合わせず、月だけを見ている。美しく大きな月だった。10年前と変わらない表情で月が二人を見下ろしている。10年という時が流れた、二人を取り巻く環境も生活も変わった。しかし二人が一緒に月を見ている、この時だけはあの頃と同じだった。
紀島那奈が口を開いた。
「須能君、前に駅で声をかけたでしょ?本当はね、あれより前から須能君見かけてたんだ。3ヶ月くらい前に彼女と一緒にいる所を見たの。それから何度も見かけて・・・」
「それであの時、勇気をだして声をかけたの。あの時、もう自分の病状が分かってて凄く辛くて、せめて自分の事を知っている人に会いたくて。それがこんな事になっちゃって、ごめんね。須能君に迷惑ばかりかけて。ごめんね。」
視線を向ける紀島那奈の頬には月の光を吸い込んだ涙が流れていた。
その表情を見ていた正喜の眼にも涙が溢れてきそうになった。正喜は表情を隠す為に立ち上がり、病室に戻ろうと言うと紀島那奈に背を向け座り、紀島那奈におんぶするように促した。
正喜は紀島那奈をおぶると、あまりの軽さに驚き、病室に帰る道すがら正喜は泣いていた。
この軽さが紀島那奈の命の重さだと思ってくると、涙が止まらなかった。
病室に向かう正喜の歩みは人を背負っている以上に重かった。紀島那奈の体には力がなく、今にもくだけそうな枯れ葉の様に思える。紀島那奈に再会して数週間あまりだが、自分はこの子に対して何が出来たのだろう。いや何だったのだろう。ただの同級生なのだろうか。それ以上でもなく、それ以下でもないのか。正喜の中にそれらとは違う感情がある事は確かだった。しかし今はただ、彼女に対して過去形で済ませたくはなかった。
そして紀島那奈の病室に戻りベッドに寝かせた後、紀島那奈に帰る事を告げ紀島那奈が寝付くのを待ってから正喜は自宅に戻っていった。
次の日、正喜の実家から連絡が入り、実家に戻ることになった。
どうしても外せない用事だったのとすぐ済む用事だったので、見舞いには行けない事を紀島那奈には告げないまま、実家に戻っていった。
しかし実家での用事がなかなか済まず、東京に戻ったのは3日後だった。
正喜は東京に着くとアパートにも寄らず、急いで病院に向かった。
いつもの様に病室へ入りベッドを見ると紀島那奈がいない。
ベッドの周りも綺麗にされていたので、不審に思いナースステーションに訊ねてみた。
対応した看護士は事務的な口調で言った。
「紀島さんなら昨日、お亡くなられました。」
唖然とした。紀島那奈は死んでいた。正喜が東京にいなかった数日の間に。
紀島那奈の命が長くない事を分かっていたのに、東京を離れてしまった自分が悔しかった。
自分の存在は紀島那奈にとって何だったのだろうか?
自分が紀島那奈に何かをしてあげられたのだろうか?
何も答えがでないまま、正喜はその場に立ちすくし、無念と後悔に打ちひしがれていた。
「もしかして須能正喜さんですか?」
呆然としている正喜に先ほどの看護士が聞いてきた。
正喜は虚ろな眼で自分が須能正喜だという事を告げると、看護士は紀島那奈から預かったと言って、正喜に手のひらに乗るくらいの木箱を渡してくれた。
正喜はその木箱を受け取り開けると手紙が入っいた。その手紙には形の崩れた文字でただ一言「ありがとうね」とだけ書いてあり、そして手紙の下には薄汚れた消しゴムの欠片が大事そうにしまわれていた。
それを見て正喜は紀島那奈が正喜を選んだのか分かった気がし、それと同時に紀島那奈の存在が自分にとって思った以上に大きかった事も分かった。
正喜にとって紀島那奈は想い出の女性であった。想い出の女性。正喜にとっては紀島那奈は想い出になる為に存在したのかもしれない。
そして病院を出ると正喜は空を見上げた。
月のない空。月を見るたびに思い出すだろう。いつまでも忘れる事のない想い出を。
そして風が正喜の頬をやさしく駆け抜けた。
すべてをやさしくつつみこむように。

その後、木箱にはもう一つの消しゴムの欠片がそろった。10年ぶりに。

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