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2024年04月12日11:14

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「拳魂」

先日古本市で土門拳の「拳魂」というエッセーを買った。
現在写真を趣味としているが常日ごろもうすこしうまくなりたいと思っているので参考にしようと思って買ってみた。
この本は土門拳が日本中を撮り歩いたときの旅行記ともいえるものでたくさんの写真とエッセーが載っている。
独特の言い回しと簡潔な文章で様々なことが書かれていて大変面白く素晴らしい。
土門拳といえば仏像や寺院の「古寺巡礼」が有名だが、晩年は脳梗塞にかかりながらも精力的に風景や仏像を撮っている。

この本の写真を見ていると”ああ これがプロの写真か”と気づかされたことがいろいろある。
まず本の表紙に2枚の写真がある。どちらも本の中にでてくるが、右側の写真は”モミジ”で林の中にある1本のモミジの写真だがモミジのすべての葉っぱに正確にピントがあっている。林の他の木にはピントが無く茫洋としている。同様に左側の写真は”コブシ”ですべての花にピントが合っている。
ほかの写真もすべてそのように撮られている。例えば日光の赤い橋があるが手前の擬宝珠から奥の欄干まで橋はすべてピントが合っているが他はピントが無い。
仏像も撮ったものは全身像のものは全身隈なくピントがありほかにはない。部分だけの写真もあるが顔だけがフレーム一杯になっているものは見る者に語りかけてくるような迫力がある。三十三間堂では1000体の仏像が斜めから撮られているが写っている仏像はすべてピントが合っている。
東大寺の廬舎那仏は左手だけが撮られている。やわらかく曲げられた指先はなにを語るのだろうか。
お寺の屋根瓦を撮ったものは屋根瓦すべてにピントがある。(屋根にハシゴをかけて上って撮ったそうだ。)

それらの写真から、”撮りたいと思ったものは隅から隅まで完全にピントを合わせる、それ以外は必要ない”という姿勢が感じられる。

書かれた文章には撮影対象の風景や仏像などの歴史が詳しく調べられており、撮りたい情景が見えるまでなんども通っている。
さらに「僕の写真学」というところには写真の撮り方が具体的に書かれている。
こういう風にも書かれている。
 何事を写すにもその写そうとするものをじっと見ることが必要だ。見ることによって作者が何に興味を持ったかをはっきりさせることだ。ただひたすら見ることで実相を感じることが大事である。じっと注目することで刑事のようにモノを見る眼が鋭くなってくる。写真の良し悪しは「対象」によって決まるものではない。路傍の石ころを撮った写真が国宝の仏像を撮った写真より劣るというようなことはない。映画スターを撮った写真がヨイトマケのおばさんを撮った写真より美しいということはないのである。対象によりかからず創造的自主的でなければならない。

 「花」を撮るときの撮り方や、「人物」撮るとき、「風景」を撮るとき、「静物」を撮るとき、「ライティング」の方法、「バックの色」など具体的な内容が詳しく書かれている。(これは大変参考になる。)
 つまらないアマチュアの写真のなにがつまらないかなども書かれている。

「すきっ腹物語」のところでは戦前から戦争中にかけて奈良の仏像を撮るために通った時のことが書かれている。最初のころは良かったが、戦争がはじまると食べるものが無くなり、自分も助手もすきっ腹を抱えて写真を撮らなくてはならない。いかに食べ物を手に入れるか苦心するはなしで、しまいには奈良の鹿を手に入れようとする。大人の鹿はとても手に負えないのでメスの小鹿に狙いをつけて三脚のパン棒で殴ろうと夜中に4,5人で鹿を探しに行き小鹿を見つけてまさに一撃しようとした瞬間に飛んで逃げられた話だった。
この本はエッセー3部作「拳魂」「拳心」「拳眼」の1つなので他の「拳心」「拳眼」も読んでみたくなった。古書でもいいから機会があれば手に入れたい。

写真1:本の表紙・・右側は”モミジ”、左は”コブシ”
写真2:日光の橋。
写真3:仏像の顔だけの写真。

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