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2020年02月21日23:44

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失敗を認める態度

昨日、「完全なシステムはない」と書いたばっかりなのに、昨日のトラブルの原因は結局作業ミスであるとの結論が出ました。実を言えば、私自身が当事者であり、一週間ほど前とはいえ「特別なことをした記憶はない」との認識でいました。システムにエラーがあったのは昨日の見解通りではあったものの、それはプログラムのミスであり、そのミスを手作業でカバーした結果が異常データの発生だったと言うことです。と、明確な事実のように書いているものの、実際には、「そう言えば、こんなことがあった」と言う断片的な記憶と、細かい周辺事実を突き合わせて、「そうだったに違いない」と結論付けただけで、実際に発生した内容が想像通りであったという明確な証拠は見つかっていません。

以前からたびたび日記に書いているように、半年以上前から恒常的な業務過多で、まあ、十分なコンディションで仕事をしているかと言われれば、全くそんなことはないと否定せざるを得ません。周囲(と言うか、主に上層部)は「そこで踏ん張るのがプロだろう」と言ったタイプの人ばかりで、「やはり働きすぎはよくない」と言うよりは「まあ、そこまでの実力だ」と言う判断を受けるものと思われますし、自分から「この状況でミスをするのは仕方ありません」とか言うと、普段「働きすぎはよくない」と言っている人でも「やる気がない」「さぼろうとしている」「開き直っている」と感じることでしょう(それが現状です)。

私のミスが原因だったというのも、私の断片的で主観的な記憶が主な構成要因になっていて、その記憶を裏付けるある程度の状況証拠は見つかるかもしれませんけれど、私が「この記憶が今回のミスと関係あるかも」と言い始めなければ、原因は不明のままですし、私が本当のことを言っているという証明もできません。客観的な正しそうなことを当事者が「それが客観的に筋の通る説明だから、思い出せないことであっても事実に違いない」などと主張するのは一般的には、前段と同様「開き直っている」「真剣に向き合っていない」と非難されるパターンで、私としては人の記憶などそれほど確かでもないし、「自信をもって」主張することが事実である根拠にはならないと思っているだけにもかかわらず、私自身の評価はどんどん下がっていきます。

もともと根性も体力も人徳もなく、それを期待してもらうための努力もしていませんから、人間的な評価はこれ以上下がりようがないようにも思えますけれど、仕事をして給料をもらっている以上、評価が下がって収入に影響するのは避けたいところです。とはいえ、評価する人が根性や体力、評価されようとする努力で人を判断するタイプばかりとなれば、やっぱり職場を変えるしかないようにも思えます。
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