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2019年11月18日14:27

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旧友たちにあてたもの

教会関係の出来事の一つ・知的障碍者施設キャンプに僕などが招待された理由

  1983年以降のこと。僕と(脳性まひを持つ)故H氏がその教派のキャンプに誘われて行った。誘った人は手紙などにもその理由について、難しい事を述べていたが、要約すると「身障者は世間から下に見られている。でも、何か共感をする事をすれば、それで脚光も浴び、差別も消えるのではないか。更には、部落系や在日韓国人も。手始めに、君たち二人を選び、そうする」になります。
   確かに、脚光を浴びましたが、得体の知れない疲れも感じた。皆との距離は更に大きくなった。故H氏は元々ケンカの多い人でしたが、キャンプするようになり、更にケンカも増えたわけです。どちらも訳の判らないまま、失敗し、止めました。そのキャンプ自体も続かなかったとか。
   丁度、星野富弘氏が特に日本のプロテスタント関係で共感浴びていた時だったから、それをヒントにしたわけですね。でも、2つの問題があった。一つは、無論、共感の踏み台みたいに知的障碍者たちはなる事。まさに、差別です。もう一つは、今日のブログでも書いた通り、愛=共感ではない。だから、その教派でも二人の身障者は「偉いわね」と言われるだけだった。逆に距離は深まり、縁は切れた。部落系や在日系の人たちにさせても、逆効果です。
   その教派は本当に愛は存在しない事も物語っています。イエスも「共感できる人」にしか過ぎません。これはキリスト教ではないですね。そこから愛と共感はしっかり区別し、愛だけを求めるようにしたいものです。
(当時を思い出すと、非常に寂しかった。故H氏も同じだったが、当然だろう。近年の乙武氏はその何万倍も寂しいわけである)
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