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2018年07月25日11:56

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地獄めぐり_その2

続き

ダンテはキリスト教徒で、この本の内容はキリスト教の考えが貫かれているが、この本を読むと当時のキリスト教の考えは了見が狭いなと思う。
まず天国へは洗礼を受けたキリスト教徒でないと行けないことになっている。
昔の偉人たちの魂が沢山出てくるが、たとえば古代ギリシャのプラトンやソクラテスなどの偉人たちもすべて煉獄どまりである。
理由は彼らがキリスト教徒ではないからということだ。当然古代ギリシャはキリスト教以前なのでキリスト教徒であるはずがない。ゆえに天国へは行けないということになっている。
ダンテを地獄煉獄に案内したヴィルジリオも古代ギリシャの詩人なので煉獄の住人となっており天国に行けない。
キリスト教以外はすべて邪教となって地獄におとされる。
”おやおやなんだこれは”と思う。

ダンテは聖職者や政治家をよく思ってない。金儲けをする聖職者や政治家が地獄に行く場所がある。
これはダンテ自身が詩人であるとともに政治家であり、フィレンツエから亡命してフィレンツエに戻ることが出来なかったことと関係していると思う。
さらに当時の実在の王侯、政治家などがおびただしく出てくるが彼らはおしなべて地獄におとされる。
これが当時の彼らに抑圧されている一般庶民の留飲を下げてよく読まれたのだと思う。

煉獄にいる魂はステージを上がるためには自分の身内や知人が自分のために祈ってくれることが必要で、そのため煉獄にいる魂がダンテに会ったとき、ダンテが現世から来た生きた人間であることを知ると、現世に帰ったら自分の知人たちに自分のために祈ってくれるようたのむところが出てくるが、何となく笑ってしまう。

この本のもう一人の主人公はベアトリーチェという女性で、ベアトリーチェはダンテの恋人であったが若くして亡くなり天国にいることになっている。
ベアトリーチェは絶世の美女で理想化された女性となっている。(いうなれば愛の女神)
じつはベアトリーチェがヴィルジリオにダンテを地獄煉獄を案内するように頼んでいる。
そしてベアトリーチェ自身が天国を案内する。

この本は叙事詩ということになっているが、見かたを変えればベアトリーチェに捧げる愛の抒情詩だ。

天国へはベアトリーチェに伴われて上へ上へと登っていく(昇天)が、その階層は月天、水星天、金星天、火星天、太陽天、木星天、土星天、恒星天、原動天、至高天と呼ばれている。(第一天から第十天までの番号が付いている。最上階は神がいる至高天ということになっている。)
各階には聖人や偉人の魂がいるが、おもしろいのは地獄にいる魂は亡者と呼ばれ、天国の魂は光となっている。
あまりに天国の光がまぶしいのでダンテが目を傷めてしまうところが出てきたりする。

地獄では責めさいなまれる過酷な表現がこれでもかというぐらい出てくるが、天国ではダンテが聖人たちの魂と哲学的な問答をしたり、教えを受けたりするが、天国の楽しい生活のような表現はない。
キリスト教による天国の生活とはどんなものなんだろうか。

昔”おらは死んじまっただ”という愉快な歌があったのを思い出した。
その歌の文句に”天国良いとこ一度はおいで、酒はうまいしねーちゃんはきれいだ”というのがあった。
この歌は交通事故で死んで天国に行ったけど遊んでばかりいたので神様から追い出されて生き返ってしまったというハチャメチャな歌だったが結構流行った。
”泳げたいやきくん”という歌もあったがこの手の歌だと言えなくもない。

死んでも死の世界で生きるというのは古今東西人間の願望となっている。
死ぬ=死の世界で生きる=自我意識を持つ。
古代エジプトでも死んだら死の世界へ行くけどそこから戻ってくるとき体が必要なのでミイラにしておく。
秦の始皇帝は死んでも現世の生活を維持するため墓の中に宮殿を作り様々なものを持ち込んだ。
日本でも死んだらあの世に行って生活する、という考えがある。
お盆というのは死んだ人が年に1回あの世(彼岸)からこの世(此岸)へ戻ってくるときだ。
イタコやクチヨセは死んだ人と生きている人が会話することだ。
仏教でも生きているとき行いが正しくなければ死んでから地獄へ行くとされるため、行いを正そうとしたり功徳を施したり、またそのように教える。

ダンテの神曲は世界中で読まれ、日本でもいろいろな翻訳本が出ている。
これは人間はだれしもが死の世界に関心があり、罪の意識を背負っていることの表れか。

私自身は死んだら自我意識なんてものは無くなると思っているからこの本を読んでも何の足しにもならなかったが、さまざまに交わされる問答や教えには人間の業や理想が感じられて興味深かった。

原題は「喜劇」というんだそうだが、イタリアでは「神聖喜劇」と言われているそうだ。日本では「神曲」という題名は森鴎外が付けたといわれている。神曲という呼び名が当時の文化人たちを魅了し、以来「神曲」という題名が定着している。
原文の対訳がここにあるのでこれを見るとどんなものかがわかる。
 https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/mfujitani16.pdf


「神聖喜劇」は大西巨人の小説に同じ題名の作品があるが、読んだことはない。軍隊生活の内容だが、読んでみたいけどあまりに長大な作品なので手が付けられない。
(内容は結構おもしろいらしい。)



ダンテは地獄から天国まで1週間かけて旅行し現世に戻る。



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