感情って、子供のまま。
感情のままに生きる人を見る。
社会から見ればまあまあな年齢でもその言動によって、
好き勝手に子供が暴れる様に、
周りを滅茶苦茶にしていた。
感情の怪獣。
社会でやって行く為に、
大人は大人の自我を持つ。
子供の様な感情の怒号や泣き叫ぶ声は、
人の目なんか気にしない剥き出しの自分を教えてくれる。
押し殺し過ぎれば、それが分からなくなる。
だから大人の自我は、
泣いて訴える感情の言い分を聴き、分かってやり、
あたまを撫でてやり、その上で、
求められる大人の言動を選んで行く。
偶々大人の自我でどうにかしているから、
表向きには感情の怪獣になっていないものの、
自分の内に密かに生じて来る感情の、
何とも醜い事よ。みっともない事よ。
弱く、ズルく、虫が良すぎる。
愚かしく、幼稚で、恥ずかしく、情け無い。
それが剥き出しの自分なのだから、
ありのままの垂れ流しの感情の怪獣の事を、
そんなに言えたものだろうか。
そして時に、
「大人の自我よ、何故止めた?」と感じるシーンもあったりするのだ。
脳内の闇に、
年老いた自分が縮こまっている。
最早人体丸ごと、感情の塊になっている。
「こわい、さびしい、いたい、つらい」と震えながら、
幼児の様な目つきで、時々ふと暴れる。
そう遠くはない・・・
自分の中で当たり前だった大人の自我が、揺らいだ。
消えゆく青春の様に。
ログインしてコメントを確認・投稿する