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2023年07月02日06:51

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123年前の今日初演された曲の作曲者のリクエスト

 123年前の今日初演されたのはこの曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=d_mELDktEDU

 シベリウスの交響詩「フィンランディア」です。
 この曲は現在では、特にその中間部が「フィンランド賛歌」や讃美歌等に編曲されて、その美しさが強調される傾向にあります。
https://www.youtube.com/watch?v=AUSUs_9nYzE
 
 でも、交響詩「フィンランディア」は、元々は帝政ロシアの圧政に苦しむ人々を鼓舞し、フィンランドの独立運動を支えた愛国的な曲でした。実際、フィンランドへの愛国心を沸き起こすとして、帝政ロシア政府はこの曲を演奏禁止処分にしています。
 第二次世界大戦時にも、スターリンのソ連に攻め込まれたフィンランドでは、この曲は再びフィンランドの人々を奮い立たせたと云われています。
 今なら、ウクライナでこのような曲が作られるかもしれません(その前に戦争が終わればそれが一番いいのですが)。
 ところで、日本に居るとあまり感じませんが、シベリウスの母国フィンランドを含む北欧は音楽的には云わば僻地であり、シベリウスの音楽が世界的に広く迎えられるためには、シベリウスの曲を積極的に取り上げて演奏してくれる指揮者、楽団の存在が不可欠でした。
 米国でその役割を積極的に果たしたのがストコフスキーとオーマンディ、そしてこのふたりが併せて半世紀以上の長期間に渡って指揮したフィラデルフィア管弦楽団でした。
 ストコフスキーはシベリウスの交響曲第5番、第6番、第7番の米国初演を成し遂げましたし、オーマンディはシベリウスの交響曲中最も有名な第2番の演奏で、これを偶々ラジオ放送で聴いた作曲者を感激させ、賞賛のメッセージまで得たと云います。
https://www.youtube.com/watch?v=jv3Hv6freeQ

 オーマンディは、実際にシベリウスと親交があり、1955年にフィラデルフィア管弦楽団と共にヨーロッパ・ツアーを行ったときには、楽団とともにフィンランドを訪れ、シベリウスと共に親しく歓談しています。
 この歓談時に、シベリウスはオーマンディなら自分の真の意図が分かってくれると信頼できたのか、自作のある箇所についてシベリウス自身内心モヤモヤしていた点について、ひとつのリクエストをしました。
 それは交響曲第4番の第四楽章でのグロッケンシュピール(鉄琴)の取扱いのことでした。シベリウスの当初の指定(1912年のスコア)ではチューブラー・ベル(glocken)のつもりだったのですが、これがグロッケンシュピール(glockenspiel)のことだろうと解釈され、グロッケンシュピールを使用する演奏が一般化しました。そこで、シベリウス自身にも迷いがあったことから、「みんながそう言うのなら」という感じで1940年に「glocken」の後ろに自らの手書きで「spiel」と追加してしまいました。
 ところが、その後、グロッケンシュピールによる演奏を聴いても、どうもシックリこなかったので、やはりあの部分はチューブラー・ベルの方が良さそうだとシベリウスは思い直しました。
 そこで、その旨、オーマンディに伝えたところ、オーマンディは快くそれを受け入れてくれました。
 それは、今日残っている音源からも確認できます。1955年にオーマンディがシベリウスを訪問する前の演奏ではグロッケンシュピールで演奏されていた箇所が、訪問後の演奏ではチューブラー・ベルに代わっています。
訪問前:https://www.youtube.com/watch?v=sdq-iojw8aw(26:17あたり)

訪問後:https://www.youtube.com/watch?v=7tGH9yKQUe0(3:54あたり)

 なお、ここでチューブラー・ベルを用いるという解釈は既にストコフスキーが採っていた立場と同じだそうです。流石です。
 このように、フィラデルフィア管弦楽団には、シベリウスのスペシャリストとも言うべき指揮者が君臨していた時代がありました。
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