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2022年10月30日15:16

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十二章のイタリア[読書日記906]

題名:十二章のイタリア
著者:内田 洋子(うちだ・ようこ)
出版:東京創元社
価格:1500円+税(2017年7月 初版)
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内田洋子さんのエッセイを読みました。

著者がイタリア語学科の学生だった頃(“もう四十年も昔のこと”と内田さんは書いています)の話から、ごく最近の話まで12章にまとめられています。

目次は次の通りです。

 1 辞書
 2 電話帳
 3 レシピ集
 4 絵本
 5 写真週刊誌
 6 巡回朗読
 7 本屋のない村
 8 自動車雑誌
 9 貴重な一冊
 10 四十年前の写真集
 11 テゼオの船
 12 本から本へ
 あとがき――イタリアの栞

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印象に残った文章を6つ引用します。

1.【1 辞書】から著者の東京外国語大学での苦い思い出。
“(学生時代、私たちイタリア語学科の生徒は)外国語をものにして未知の世界へ飛び出そう、と意気込んでいたのに来る日も来る日も私たちは俯いて過ごした。授業までに下調べは間に合わず、休憩時間も昼食を取りながら、授業中も放課後も、常に辞書を引いていたからだ。
 引いても引いても、少しも先へ進まない。一行のうち辞書なしで読めるのは句読点とかぎ括弧だけだけ、という箇所も多い。(略)
 そもそも当時は、充実した日伊辞典が存在しなかった。唯一市販されていたのは数十年前の監修のまま古く、しかも薄く、イタリア語を引くうちに古色蒼然とした日本語と遭遇し、今度は現代国語辞典を引くことになり頭を抱える、ということも多かった。”(11p)
 ⇒著者が四十年前の学生時代の更に数十年前に刊行された日伊辞典というのは、一体誰が監修したのか気になります。

2.【3 レシピ集】から、女性建築家ステファニア・ジャンノッティの話。
“〈広場を一掃する〉という言い方がイタリアにはある。良いもの悪いものが混在し、やがて溢れて騒然となり、あるとき瞬時に消えてしまう。戦禍に遭ったり、自然現象だったり。すべてを失ったあと、広場に残るのは本物だけだ。
 彼女はそういうイタリアで、これからの皆の心の柱となるような書物を創ろう、と決意した。若い頃、自分が文学や哲学に来し方行く末を示してもらったように、きっと多くの人の助けになるに違いない、と確信したからである。”(55p)
 ⇒ステファニア・ジャンノッティは出発点は建築家ですが、ラジオのパーソナリティをしたことを皮切りに、様々な分野で活躍した女性だそうです。

3.【5 写真週刊誌】から、著者がイタリアに渡った当時の日伊事情。
“日本とイタリア。お互いによく知っているようで、(三十年前は)ほとんど何も伝わっていないのだった。それぞれ歴史のある国で、両国の過去の栄華についてはそこそこ知識はあるのに、現況についてはあまり伝えられていなかった。芸術や料理、ファッション、スポーツと、分野ごとでは各専門家たちが事情に精通していたが、一般の人たちとなると十年一日の如く、フェラーリにピッツァ、ゴンドラ、マフィアにピサの斜塔であり、富士山に芸者、寿司、新幹線、三船敏郎なのだった。”(87p)
 ⇒たしかに、私のイタリア好きも「ルネサンス美術好き」であり、現況についての知識はほとんどありません。

4.【8 自動車雑誌】から、イタリアの自動車雑誌のコラムについて。
“(自動車雑誌には)女性ドライバーが担当するコラムもある。それまで車は〈女〉なのかと思っていたら、彼女の手にかかるとたちまち〈男〉に変貌する。
〈……あえてぎりぎりまで、ギアをアップしない。早くいいところを見せたくて堪らないのでしょう? そうはいかないわ。低いところでも、盛り上がりを作ってみせてちょうだい。完璧な路面だかりとは限らないのよ。砂利道とぬかるみを交互に走ってみる。急な坂道。七曲り。硬軟を難なくこなせて初めて、一人前じゃないの……〉”(140p)
 ⇒ちなみに、この記事にある「車」は、フェラーリとのこと。

5.【9 貴重な一冊】からヘミングウェイの話。
“第一次世界大戦のイタリア北部戦線に従軍し、負傷してミラノで入院していた頃からヘミングウェイはイタリアに執心していた。イタリアへの慕情は、彼の創作の根源だった。傷の完治を待たずにまずヴェネツィアに飛んだのは、事故から生きて還った喜びと謝意を、何よりもイタリアへ伝えたかったからではないだろうか。あるいは、死と対面して、イタリアも縁ある地を再訪し、楽しく生きた証を心に留めておきたかったのかもしれない。”(160p)
 ⇒アメリカの作家、ヘミングウェイがイタリアに執心していたとは知りませんでした。

6.【12 本から本へ】から、ヴェネツィアのとある本屋で知ったヴェネツィア共和国の出版の歴史。
“ヴェネツィア共和国は栄華の頂点を極めた十五世紀頃から、長らく欧州の出版界でも頂点に立ち牽引してきた。ヴェネツィアは紙の都でもあったのだ。
 海運業で栄えた国である。異国から上陸する最新の情報や人材、物資を目がけて、各地から商機を狙う人々と資本が集まった。コンスタンティノープルが陥落した際、ギリシャ人たちがヴェネツィアへ逃れてくるときに携えてきたのは、何はさておき書物だった。後世への遺産として、古代ギリシャから伝承される英知をヴェネツィアは預かり受けたのである。古典から最新の知識までを編み、書き留て本にまとめ、ヴェネツィアは世の中の基礎を築いた。”(219p)
 ⇒この12章は、以前読んだ『モンテレッツジォ小さな村の旅する本屋の物語』の原型でした。

締めくくりに【11 テゼオの船】から、ボローニャ大学ウンベルト・エーコ教授の言葉を引用します。
“「本を読まない人は、七十歳になればひとつの人生だけを生きたことになる。その人の人生だ。しかし本を読む人は、五千年を生きる。本を読むということは、不滅の過去と出会うことになるからだ」(204p)

著者のイタリア愛、それも単純な賞賛ではなく、美点も欠点も知ったうえでの愛情が充分に伝わってくる内容でした。

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内田 洋子(うちだ・ようこ)
1959年、神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社UNO Associates Inc.代表。
2011年『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書――『ミラノの太陽、シチリアの月』『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』『ボローニャの吐息』他多数。
訳書――ジャンニ・ロダーリ著『パパの電話を待ちながら』など。イタリア在住。

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